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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2025/05/27

MIHO MUSEUM蔵棺床屏風


「世界遺産 大シルクロード展」に展示されていた「史君墓石堂」は西安で暮らしていたソグド人の墓だった。MIHO MUSEUMで度々見ていたのは棺床屏風と呼ばれるもので、同じソグド人でも墓の形式はそれぞれだ。

棺床屏風 中国北部 北朝-隋時代 6世紀後半-7世紀前期 白大理石、顏料・金で着彩 浮彫パネル
『MIHO MUSEUM 南館図録』は、中国北部の墓で出土したというこの棺床屏風は、当初は今では失われた長方形の棺台の上に立てられていた。パネルは両側壁および後壁を形成し、前面の門柱は入口をかたどっていた。棺床は死者の遺体を乗せるために造られたもので、中国固有の家具、とりわけ儀礼用の長椅子および覆いの付いた寝台と非常によく似ている。
5世紀から7世紀にかけての中国北部および西北部の墓葬には、こうした棺床を墓の調度品の一部として用いる例が含まれている。墳墓は在世時の住居を再現してしばしば多室のものが造られ、棺床は死者の寝室にあたる墓内の後室に置かれた。
この珍しい石棺床が置かれていた墓に葬られていたのはだれだろうか。ゾロアスタ-教の葬儀であるサグディドの儀式を表した浮彫は重要な手掛かりを与えてくれる。ゾロアスタ-教徒であったソグド人は中国と中央アジアの間を往来した主要な商人であった。彼らはまた中国に恒久的な共同体を設立し、当時、主に鮮卑族と漢民族で構成されていた地方の住民と国際結婚した。この棺床が中国で死んだある中央アジア人(最も可能性が高いのはソグド人)の遺骨を置くための場所であったとみなすことはできるだろうかという。
現在の中央アジアには現在、ウズベク族、キルギス族などテュルク系の人々が多く暮らし国名にもなっているが、当時は東アーリア系のソグド人が暮らしていた。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


同図録は、門柱は中国建築に典型的にみられる諸特徴(隅棟の造られた屋根をもつ二重の塔、おのおのの頂部両端に付いた特徴的な鉤状の突起など)を示している。
中央アジア人と鮮卑人の男性が計4人浮彫で表されており、そのうちの一人は騎手のいない馬を引いているという。
馬から下りた人物が墓主で、中に遺骨が安置されているということを表しているのかな。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


A 狩猟 エフタル人
4人の馬に乗った射手が逃げる獲物に向かって矢を放つ、狩猟の場面である。この射手はササン朝のイランの銀製の皿に表された多くの狩猟を行う王の像を想起させる。これらササン朝の王の像は、王冠の後ろに翻るリボンが特徴的である。
秀明コレクションのパネルの狩猟者のうちの二人も翻った長いリボンをつけているが、その服装と顔付きから、彼らがイラン人ではないことがわかる。その顔付きの特徴と偏平な頭部はエフタル人に似ている。エフタル人は好戦的な民族で、5世紀にササン朝ペルシアを打ち破り、それに続く約100年間にわたってソグディアナを含む中央アジアを支配した。これに似た形の頭部をもつ人物像はエフタルの金工品に現れるという。
東方アーリア系のソグド人だと思って見ていたが、エフタル人だったとは。でも何故エフタル人がソグド人の墓の浮彫に登場するのだろう。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


B 騎馬と葬送 ソグド人かテュルク系
上段に二人の騎馬人物が見える。彼らはトルコ帽のような高い帽子をかぶり、中央アジアおよびトルコ系民族が典型的に身に着けている二重の襟の付いた上着を着けている。下方には人の乗っていない馬が大きな傘の下に立っており、その背後に4人の人物がいる。その左にはもう一人の人物が馬の前にひざまずき、馬に向けて杯を差し上げている。
上方の二人の騎馬人物は右へ向かって進むのに対し、 下方の騎手のいない馬は左に顔を向けている。騎手のいない馬は中国の墳墓美術、とりわけ5世紀と6世紀のものにみられるという。
次に登場したのはソグド人かテュルク系というが、左の人物はGの墓主に似た帽子を被っている。違いは顎髭があることだ。
墓主の馬に跪いて杯を差し上げるというのは何を意味しているのだろう。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


C 野営と狩猟 テュルク系
野営の場面である。大きな人物が一人ド-ム型のテントのなかにおり、召使たちの供応をうけている。下方では一団の騎馬人物が狩猟を行っている。このド-ム型のテントはトルコ系民族の間で現在も用いられている折り畳み式のフェルトの家ユルト(包)である。この人物群はユルトからトルコ人に比定されるだけでなく、その髪型、長い髪を分けてお下げないしは房の状態にし(首のところで束ねる)もこうした遊牧民の特徴を示している。同様の長髪の人物は外国からの使節を描いたサマルカンドの壁画の中にも現れ、彼らは壁画の上にじかに書かれた銘文からトルコ人に比定できるという。
次の場面もテュルク系の人々という。長い髪を結わえて背中に垂らすのは、アフラシアブの丘の宮殿跡出土の壁画にも描かれ、西突厥人とされている。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


D 騎馬のテュルク系、ラクダを使うソグド人たちの隊商
背中に品物を積んだ1頭の駱駝が表され、馬の背に乗った長髪のトルコ人たちが付き従っている。駱駝は中央アジアと中国を結ぶシルクロ-ドを往来した商品の主たる輸送手段であった。駱駝の重要性は当時の墳墓美術にも反映されるという。
馬に乗っているのはC図の人たちと同じ髪型なのでテュルク系だが、ラクダの傍にいる頭巾のようなものを被っているのは隊商のソグド人だろう。やっとここでソグド人が登場した。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


E 婚礼の饗宴 中央アジア人(ソグド人)と中国人の婚礼と楽隊
堂々とした髭のある中央アジア人の紳士と中央アジア人ではない女性(漢民族である可能性が最も高い)の婚礼の饗宴の場面である。彼らは中国の長椅子ないし牀の上に座し、乾杯している。夫妻の前では婚礼の祝宴の一部として、楽隊が音楽を奏で、舞人が舞っている。
当パネルのこの部分は中央アジアとの間の接点を示す点で非常に重要である。楽隊と精力的に動く舞人は6世紀から9世紀、 北斉から唐にかけての中国で生産された陶製のピルグリムフラスコ (扁壺)に繰り返し現れる図像であるという。
中国の長椅子ないし牀の上にはユルトのようなドーム状の盛り上がりがあり、その下で婚礼の儀式が行われて、Cのユルタの中にいる人とは別の人物が主人公になっている。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


F 棺床屏風の正面中央 ゾロアスター教の葬儀(サグディド)
上下2段の場面で構成される。上段中央にはパダム(ゾロアスタ-教の司祭が聖火をけがさないよう身に着ける白いヴェ-ル)を着た一人の人物が祭火壇の前に立っている。彼の側にはサグディドと呼ばれるゾロアスタ-教の葬儀で、中心的な役割を演ずる1匹の犬がいる。この儀式において犬は死者の遺体を見つめることになっていたという。
拝火壇の前には橋が少しだけ見える。ラクダに乗って墓主はチンワト橋を渡っていき、後方ではその死を嘆き悲しんで、自分の顔にナイフの刃を向けている人たちがいる。
下段は逆向きで、馬から下りて両手を前で組む人たちは葬儀に駆けつけたことを示しているのだろうか。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


2本の小刀で胸を突く人物
敦煌莫高窟第158窟(中唐、781-848)では大きな涅槃像の背後に当たる西壁に、2本の小刀で胸を突く人物が描かれていて、その被る帽子からキルギス人(当時現在よりも中国に近いところで暮らしていた)とされている。顔と胸では違う民族かも。


G 天国の墓主 ソグド人、テュルク系
再度宴会を表している場面で、死者自身を表現している可能性が最も高い。 一人の大きな中央アジア人が宙に浮かんだ壮麗な天蓋の下に脚を組んで座り、この天蓋が彼の高い地位を示している。この天蓋は先端に宝珠とリボンの付いた蓮華を有し、中国仏教美術における浄土の場面の中心的な図像である精巧な天蓋を想起させる。この男性は杯をもち、両側に召使たちを従えているという。
これまで墓主かと思われる人物が複数登場したが、この人が墓主だった。
下段には顎髭をたくわえた深目高鼻の人たちもソグド人だろうか。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


E・F・G(棺床屏風の正面中央部)
サグディドを表したパネルFおよびその両側の饗宴を表したEとGは、後壁の物理的な中心であるだけでなく棺床全体の視覚的中心となっているという。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


H 騎乗の行進 テュルク系と中央アジア人(エフタル人)
馬に乗ったトルコ人および中央アジア人の行進の様子を表しているという。
髪型から前にいる二人はテュルク系と分かる。
葬儀を終えて帰る一団の奥の人物は宝珠とリボンの付いた蓮華ののる小さな天蓋を掲げている。他の鉢巻をした三人は、その顔貌の険しさからエフタル人のように思う。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


I 象乗 エフタル人
象に乗ったエフタル人を表している。各パネルの中心人物の重要性(長髪のトルコ人および精巧な冠とリボンをつけたエフタル人)はその位置と頭の真上に差しかけれらた傘によって示されている。二人の貴人はいずれも右手を挙げ、人差し指を立てて拳を握っている。これはイラン・中央アジア世界においてよく知られた尊敬を表す身ぶりであるという。
誰に対して尊敬を表しているのだろう。Gの墓主だろうか。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より

この人差し指を立てて拳を握るという尊敬を表す身ぶりは、かなり古い時代にすでに描かれている。

トゥクルティ・ニヌルタ一世の祭壇 前13世紀後半 イラク、アッシュル出土 石膏石 高53㎝ ベルリン国立博物館西アジア美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、右手にこの祭壇そのものとまったく同じ形をした祭壇が描写されており、その上に1本の棒が立っている。これは光の神ヌスクを表す一筋の閃光で、神の姿は直接には表現されていない。神を人間よりはるかに偉大な存在ととらえ、神と人とのあいだに大きな距離をおく宗教観は、セム人が優勢となってからのメソポタミアでは一般的であったが、アッシリアではとくにそれを強く意識していたと思われる。
トゥクルティ・ニヌルタ王は盛装して、まず立ったまま礼拝し、つぎに祭壇に近づいてひざまずき礼拝している。一人の人物が時間をずらして行った2回の動作を、同じ場面に配していることが注目されるという。
屏風の浮彫では左を向いているので手のひら側、この図では右を向いているので手の甲側だが、同じ手振りである。
アッシュル出土 トゥクルティ・ニヌルタ一世の祭壇 前13世紀後半 世界美術大全集東洋編16 西アジアより


J 1枚に二つの別の場面が横に並べられている。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より

左部分 女性は中国人、男性は中央アジア人
左側の場面においては、上下二つの騎馬人物のグル-プが反対方向に向けて動いている。上段においては、異常に高い頭飾をつけた中央アジア人でない女性が一人、二人の従者とともに左に向けて馬を進めている。
下方で右に向けて進むのは中央アジアの男性で、やはり二人の従者、および2頭の犬を従えている。その従者の一人は傘を持って彼の頭上に差しかけており、これがこの人物の地位の高さを示しているという。
この人がGの墓主と同一人物ではないのかな?
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より

馬の房飾り
標識のもう一つは馬の首から垂れる房飾で、同様のものが上方の女性の馬の首にもぶら下がっており、彼女が重要人物であることを示しているという。
この馬の房飾りについては、かなり以前に『中国★美の十字路展』で見たことがある。

騎馬俑 隋、開皇17年(597) 山西省太原市斛律徹墓出土 山西省考古研究所蔵
美の十字路展』は、儀仗騎馬兵の姿を表したもので、墓主人の乗る牛車を中心に前後に騎馬行列が並ぶ出行俑の一部をなす。兵は縁の反った帽子をかぶり、上衣には葉形の飾りを付けているという。
解説がそれだけだったので、羊毛でつくった房飾りだろうと推測していたが、身分の高さを表すものだったとは。

右部分
右半分に彫られた浮彫は天上と地上の二つの別の世界を表現しているとみられ、何らかの終末論的な意味をもっていると思われる。
上方の天上世界には四臂の女神が一人おり、2本の腕を上に挙げて日月を持ち、もう2本は二つの獅子の頭の飾りがある壁の上に置いている。この女神はナナに比定される。その図像はソグディアナおよびその北のホラズムの絵画、ストゥッコ、木彫、金工などに広い範囲でみられ、そこでは彼女は特に葬礼と関係が深かったという。
四臂の女神が日月を持っているとは。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より

彼女の像はいずれも獅子のいる台座の上、ないし直接獅子の上に座しており、4本の腕のうち2本で日月を象徴するものを持っている。このナナの像は東方にも伝わり、中国領東トルキスタンの仏教美術に現れる。彼女は恐らく仏教の菩薩とみられる下方の二人の従者に目を向けている。二人の従者はおのおの楽器を演奏し、蓮の花の上に立っているという。
ナナ及び菩薩たちの顔は中国人ぽい。
日月を持っているのは東トルキスタンだけではなく、北魏時代の雲崗石窟、甘粛省慶陽北石窟寺山東省青洲市の龍興寺遺跡や広饒県埠城店西魏時代の敦煌莫高窟、唐時代の陝西省の彬県大仏寺にも見られる。それについてはこちら
ただし、これまで日月を持つものは山東省独特のもので、それが中国内に広まったのかと思っていた。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


ところがソグディアナから南西に2000㎞ほど離れたイランのスーサで出土したクドゥル(境界石)には月と太陽のシンボルが浮彫されている。

メリシパク二世の大クドゥッル 前12世紀 イラン、スーサ出土 閃緑岩 高90㎝ ルーヴル美術館蔵
『メソポタミア文明展図録』は、カッシート王朝の終末、前1150年頃、エラムの王シュトルク・ナフンテ1世のメソポタミア侵入によって、各都市が破壊され、多くの神像やモニュメント等の戦利品がスーサに持ち去られた。
カッシート人の導入したクドゥルは、王の土地贈与を証明するものであり、不規則な形の石、通常は光沢のある黒い石灰石をカットしたものに記載された。これらクドゥルは公文書であり、クドゥルによりカッシート王たちは近親者や宮廷高官に土地を授与し、彼らの歓心を買った。土地贈与を公認する神々は、大半はカッシート王朝の採用したメソポタミアの神々だが、たいてい各神の象徴が石の上に描かれた。クドゥルは、大部分神殿内部で発見された。おそらく王の定めた土地区画に沿って設置した境界石の複製であろう。それらはメソポタミア南部では前7世紀まで使用された。
迎えの仕草をするナナらしい女神の傍に導く。星の三大神の象徴が場面の上方に張り出している。すなわちイシュタルの星、シンの三日月、シャムシュの日輪であるという
女神ナナが日月を持っているのではないが、この辺りに起源がありそうだ。
ルーヴル美術館蔵 メリシパク二世の大クドゥッル 前12世紀 イラン、スーサ出土 世界美術大全集東洋編16 西アジアより


男性は中央アジア人、女性は中国人
下方の地上世界には、一人の女性の舞人を伴う楽団がいる
という。
楽士たちの風貌は鼻が高いので中央アジア人のようだが、女性たちは舞人も含めて中国人ではないだろうか。
長い袖を靡かせながら舞うのは中国で起こった舞と思っていたが、どうやら中国にやってきたソグド人の舞だったようだ。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


K 最後の場面 中央アジア人
全場面の中で最も「中国的」なものである。その主題である牛に引かれる2輪の車は4世紀以降の仏教石窟壁画と中国の墳墓に一般的にみられる。とりわけ重要なのは鮮卑族の高位の将軍、婁叡の墓の壁画に描かれたもので、そこには従者と旗を伴う同様の高い屋根のついた車が表されているという。
『世界美術大全集東洋編3 三国・南北朝』には山西省太原市婁叡墓(北斉、武平元年 570)の壁画のうち人物図がたくさん紹介されているが、残念ながら高い屋根のついた車の図版はなかった。
従者たちはJ図の右側にいる楽士たちの風貌に似ているかも。
MIHO MUSEUM蔵棺床屏風 6世紀後半-7世紀前半 MIHO MUSEUM南館図録より


この棺床屏風に遺骨が納められた墓主はほぼソグド人なのだろう。ソグド人は、出身地であるソグディアナから中国へとネットワークを張った交易を行う民で、中には中国に居住していた者もあった。そういった人々の墓の一つがこの棺床屏風を備えた墓で、各地の人たちと交易を通じて知り合い、付き合って豊かな人生が送れたことをこの屏風に浮彫で表したのだろう。




関連記事


参考文献
「MIHO MUSEUM南館図録」 杉村棟 1997年 MIHO MUSEUM
「中国★美の十字路展図録」 2005年 大広
「世界四大文明展 メソポタミア文明展図録」 2000年 NHK
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館 

2025/05/19

田上惠美子氏の初夏の便りは「すきとおるいのち」


初夏というと爽やかな季節のはずが、すでに暑すぎる今日この頃、田上惠美子氏より目には涼しい「すきとおるいのち」の数々が鏤められた案内が届いた。京都の好文舎での個展だ。
好文舍をGoogle Map で探すと、南北の油小路を東西の上長者町通りから上がって右手に目立たない入口を発見。暖簾が掛かっていると見つけやすいでしょう。

硝子展「すきとおるいのち」の数々


涼やかな作品の中で異彩を放つのはこのお碗と茶托。
これって煎茶器「水月」(画像は田上惠美子氏の蜻蛉羽通信からコピー)の一組?
第39回日本煎茶工芸展で入選されたという。Facebookではコアガラスでの制作場面の記事がありましたが。


葉書の画像を拡大すると、水月の縁がでこぼこしているのも味わい深い。轆轤成形の陶器では、意識的に削らないと出せない景色。
そしてこの茶托は、Facebookでは、3Dプリンタで元型を出力し、その上に漆塗りを施して、僅かに錫粉を蒔いてみましたとか。
この3Dプリンターがいまいち分かっていないので、素人の素朴な疑問。その元型の素材は何?
見た感じでは、水で濡らした和紙を丸い皿に被せて、皺を寄せて乾かしたみたい。


案内の文面から引用(その背景が蜻蛉玉源氏物語の作品群とは)
すきとおるいのち
永遠である と同時に 儚い硝子
そんな硝子の在りようは いのちの在りように重なる
今日 眼にすることが出来た 素晴らしい空 光 風 水 土 いのち...
永遠でありながら 一瞬の現(うつつ) でもある 森羅万象
その美しさの断片を 硝子に留めたい


期間は2025.5.17(土)-5.31(土) 10:30~18:00  休廊日: 5.25(日)
Facebookによると、24日・31日在廊予定とのことです。
目で涼しさを味わうというのも素敵!


好文舍
京都市上京区油小路通上長者町上る甲斐守町118
Tel: 090-9697-7255




2025/05/13

大シルクロード展 長安にソグド人の石堂


「世界遺産 大シルクロード展」の展示品で一番大きなものが「史君墓石堂」の複製品だった。


原作は北周・大象2年(580)原作は石、彩色、金箔 高120.0㎝、幅240.0㎝、奥行97.0㎝原作は2003年陝西省西安市未央区大明宮郷井上村出土 中国絲綢博物館(原作は西安博物院)
同展図録は、石堂は2003年に西安で発掘されたソグド人の墓から見つかりました。以前にも西安や太原で北朝・隋代のソグド人墓が発掘されていましたが、この墓からは漢文だけでなくソグド語の銘文が見つかったことから、とくに注目されました。石堂の入口上部に記された銘文によれば、被葬者は北周涼州薩保の史君(諱は欠字)とその妻の康氏でした(ソグド語の名前はウィルカクとウィヤーウシー)。夫妻のために造られた石堂には精緻な浮彫が施されていましたという。
史氏はキシュ(ウズベキスタンのシャフリサブス辺り)出身、康氏は同じくウズベキスタンのサマルカンド出身のソグド人。中央アジアにソグド人の街と中国での姓の図はこちら

南側描きおこし図(説明パネルより)
門の左右に立つのは、仏教なら金剛力士(仁王)だが、拝火教徒の墓廟のにも採り入れられている。墓を荒らされないようにと願ってのことだろう。
左側
途切れ途切れの記憶を辿ってみると、中国で仁王像は見ていないような・・・
邪鬼を踏み、下の腕は腰に当て、上の腕は武具を持って髪の毛を逆立てている。日本の仁王像よりも四天王像に近いかも知れないが、四臂という点で異なる。中国に住むようになって、仏教の眷属を採り入れたのだろう。左枠の連子窓の上には様々な楽器を奏でる楽人たち。

右側
左側を反転させているが、細部は少しずつ違っている。窓の両端に人がいる。
下側は、南面する入口の左右には、半人半鳥の神官が火の祭壇の前で儀式を行っている様子が表されていますという。確かに神官は足が鳥、鳥の尾と翼もあって、拝火壇に向かって何かを行っている。
半人半鳥についてはこちら


向かって左側の壁(西側)から背面(北側)には、史君夫妻の生前の豊かな暮らしぶり(狩猟、 酒宴、ピクニック他)が時計回りに表されていますという。

西壁

近寄って眺めても分かりにくい箇所もあるので、

頼りは描きおこし図
(説明パネルより)
右上には如来ではないが、眷属を従え蓮台に胡坐する神格(オレンジ色)。その前に来迎雲に乗ってやってきた墓主(ピンク)が礼拝している。周囲には動物や人物がいて、涅槃図で釈迦の周囲に集まる弟子や動物からヒントを得ているようにも思える。 もっとも動物が登場する涅槃図は日本に多いのだが。それについてはこちら
中央から生前の墓主の行いが描かれる。それで天国か地獄か判断されるのだ。屋敷で暮らしていた墓主。庭には馬と犬たちが準備されている。左上には狩りをする墓主と逃げまどう動物たち。下は複数のラクダと馬に乗った隊商が移動している。狩猟を楽しむ反面、危険を伴う仕事もしていたということも表しているのだろう。
下辺には渦巻いて流れる水流(水色)
基壇にも狩猟図が浮彫されている。


北面はまわって見ることはできなかった。その描きおこし図 『世界遺産 大シルクロード展図録』より
法隆寺金堂に用いられている人字形割束があった。
中国絲綢博物館蔵北周史君石堂背面描きおこし図 世界遺産 大シルクロード展図録より

右側
移動中のユルタで酒杯を掲げる墓主は、次の場面では宮殿または大きな建物でやはり酒杯を掲げている。その左の女性は妻でやはり杯を持っている。周には音楽を奏でる楽人たち。
屋外の池では水鳥が浮かび、マカラが口を開いている。マカラについてはこちら
中国絲綢博物館蔵北周史君石堂背面描きおこし図 世界遺産 大シルクロード展図録より


続いて馬で移動する墓主夫妻
中国絲綢博物館蔵北周史君石堂背面描きおこし図 世界遺産 大シルクロード展図録より

そして果樹の下で男性どうしで祝杯を挙げる墓主と池の縁で女性どうしで宴会するその妻。
最後の場面では、洞窟で暮らす人の下で飛来する天女と水辺で女性たちを助ける天女たち。ここにも仏教美術の影響が見られる。
中国絲綢博物館蔵北周史君石堂背面描きおこし図 世界遺産 大シルクロード展図録より


東壁

右側の壁(東側)の下方には橋を渡る史君夫妻の姿が認められます。この橋はゾロアスター教徒が死後に渡るとされるチンワト橋(選別の橋)であると考えられていますという。
何故もっと正面からこの壁面を写さなかったのだろう。


東壁の浮彫については『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』に詳しく記されているので、それを参考にしながら物語の順に見ていくと、

① 右図下から中図下 墓主夫妻がチンワト橋(草色)を渡る場面
ゾロアスター教の神官二人は半人半鳥ではなく人間の姿で表され橋の手前にいる。呼気で聖なる火を穢さないように口の前に白い布を垂らしている。
墓主夫妻は橋を渡っている。

② 右図上 神格に迎えられる場面
三頭の牛の台座に座る神格の前で、墓主夫妻が三人の女性と対面している。

③ 左図上 天馬に乗って昇天する場面
天馬に乗って昇天する墓主夫妻を飛天たちが取り囲み、それぞれの楽器を奏でている。

そして同書は、史君石槨東面の浮彫は、当初はゾロアスター教の終末観を視覚化したものとして解釈することができると考えられたが、一部をマニ教の終末観と結びつける解釈が出され、現在ではこの新しい解釈は複数の研究者によって支持されているという。

東面右上では、3頭の牛の台座に座る神格の前で、墓主夫妻が3人の女性と対面している。ゾロアスター教の終末論では、生前の行いが正しければ、チンワト橋において、自分の魂の象徴であり美しい女性の姿をしたダエーナによって迎えられるとされるが、浮彫には3人の女性が登場しているという。
ゾロアスター教だけでは解決できない図像になっているのだった。
中国絲綢博物館蔵北周史君石堂東面描きおこし図 ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より


一方大和文華館蔵マニ教絵画は、死後に行われる判決の様子を表し、右側に裁判官の姿が見える。左上部から3人の女性が雲にのって飛来している。
この構図は、史君墓石槨の、神格の前で墓主夫妻が3人の女性と対面している場面と一致している。敦煌で発見された『下部讃』と呼ばれるマニ教文献の中では、裁判官は「平等王」と呼ばれることから、牛の上に乗る神格は「平等王」を表している可能性があるとしているという。
結論として同書は、史君はマニ教に改宗したが、立場上ゾロアスター教徒として振る舞っていたため、このように二つの宗教の終末観が混在した図像を残したとする見方がある。もしくは、史君はゾロアスター教徒であったが、マニ教の図像を借用したという可能性もあるだろうという。

大和文華館蔵マニ教画 元代(1270-1368) ソグド人と東ユーラシアの文化交渉より


基壇の浮彫には、飛天に口を大きく開いた架空の動物たち、

中央には正面を向いた有翼の大角羊の左右に葡萄の葉と実があって、この蔓は葡萄唐草だった。羊文はソグドでは多用されているが、このように正面向きのものは初めて見た。

続いて架空の動物たちと天女がうねる葡萄の蔓の間に配されている。


また、正面の階段には階段にいるのは子供たちかと思っていたら大人だった。

しかも、前の二人は墓主を拝んでいるようなのに、後方の二人は邪鬼?と揉み合っていた。邪悪なものが墓室に入り込まないように排除している場面だろうか。


ペルシアもイスラームのアッバース朝に倒される前のサーサーン朝期まではゾロアスター教が信仰されてきて、ゾロアスター教では遺体が風・土・火・水を穢さないように鳥葬が行われていた。鳥葬の場は山の上に築かれ、現在でもイランのヤズド近郊には沈黙の塔と呼ばれる鳥葬の場が残っている。
現地ガイドのレザー氏は、石の上に遺体を置きました。ワシやタカが食べに来て、1週間たつと、大司祭が来て、残った骨を真ん中の穴に入れました。骨も風化するため、大地を穢しませんという。ということは、ペルシアのゾロアスター教徒は墓はつくらなかったのかな。
それについて詳しくはこちら

しかし、中央アジアでは鳥葬は行われず、オッスアリと呼ばれる骨蔵器に入れられてナウスに収めらていた。それについて詳しくはこちら


ところが、中国に住み着いたソグド人たちは中国化が進んだようで、こんなお堂をつくるようになったようだ。浮彫にも仏教やマニ教由来のものがところどこに見られる。
ただし、『ソグド人と東ユーラシアの文化交渉』は、中国に移住したソグド人の墓と葬具の形態は中国式であり、 葬具浮彫の内容も、墓主夫妻を画面中央に表す点や、鞍を付けた馬と牛車を表すなど、中国の葬具の図像を継承している。葬具には、被葬者の社会的地位の高さや貴族のような暮らしぶりが様々に示されるとともに、被葬者の霊魂が天国に到達することを願って儀式や魂の行方が表され、中国に移住したソグド人の生活様式や宗教観を認めることができる。しかし、このように葬具を様々な内容の浮彫で飾ることは、6世紀後半の30年ほどの短い間しか行われなかったようである。固原やトゥルファンで発見された7世紀(隋、初唐)のソグド人の墓を見ても、墓の内部を飾る壁画や副葬品には、少しもソグド人らしさが見られない。この変化がどのような理由によるものかは分からないという。



関連記事

参考文献
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」2005年 株式会社キュレイターズ
「NHKスペシャル 文明の道3 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会
「ソグド人と東ユーラシアの文化交渉」 森部豊編 2014年 勉誠出版

2025/05/06

神戸どうぶつ王国のハシビロコウが飛んだ


さて、まだ見ていないカピパラさんは何処?
館内マップはこちら

「カピバラたちの湿原 Pantanal パンタナール」は屋外にあって、ドアがはカピバラが外に出られないようになっていた。中に入ると池もあって、その近くにカピバラとヒトがいた。大きいのは知っていたが、こんなに大きいとは思わなかった。
カピバラは齧歯目テンジクネズミ科でマーラに近いが姿はかなり違う。
最近見たテレビ番組で、水族館にカピバラがいて、「カピバラは水中で暮らす動物です。水かきもあります」と言っていたが、この日は寒かったせいか、水に入っているのはいなかった。

どこかの施設でカピバラが噛みついたというニュースが報道されたことがあるが、神戸どうぶつ王国のカピバラはおとなしいのか、ヒトに触られても気にならないみたい。 

前肢をそろえてゆっくりと寛いでいる。

これでは水かきが見へんやん。


カピバラはたくさんいて、活発に動き回っているのは一頭くらいで、皆さん日なたぼっこ中。


せっかくなので私も触ってみました。かなりの剛毛で、ヒトが触ったくらいどこ吹く風のよう。
正面から見ると顔は細い。

あちこち動き回る活発なカピバラはこれ。斜め向きも撮れた。
今年の日清紡のCMはカピバラがたくさん出演。でも、一昨年のハシビロコウのCMは一羽だけだったけれどとても良かった。


その後南の方の「アルパカスペース」へ。
アルパカは偶蹄目ラクダ科。なるほど顔はラクダに似ているが、思ったよりも小さかった。この首の毛もたてがみっていうの?


お昼は花のキッチンでロコモコ丼とイチゴのジェラート。人が多いのでかなり待つかと思ったが、早くて便利。空席もすぐに見つかった。


もう一度ハシビロコウを見ようと、再び「アフリカの湿地」へ。
せっかくなので「島」に渡ってみたら、ワオキツネザル(霊長目キツネザル科)がストーブで暖をとっていた。


そして岩場にはケープハイラックス(ハイラックス目  ハイラックス科)たちがいた。えっ、どれにも属してないの? 神戸どうぶつ王国のホームページによると、ハイラックスの仲間は外見がウサギやモルモットに似た感じがするが、足には蹄に似た扁爪があり、見た目とは程遠いがゾウに近い種類であるという。
そう言えばゾウの祖先は小さな動物だったような。

短いけど牙が出ていて凄みのあるお顔。この牙がやがてゾウの牙へ?



もう一度ハシビロコウを見に行くと、♀のマリンバが反対向きに坐り込んでいた。

顔はよく見えた。

向こう岸のボンゴは同じ側に坐ったまま。


どよどよという周りの人たちのざわめきに、マリンバに目を向けると、なんと立ち上がった。しかもクチバシを上に向けている。短いがクラッタリングも聞こえた。

坐っているのに飽きたのかと思ったら、巣の藁が気に入らないのか摘まんで横に置いたかと思うと、右の方に歩いて藁を掴みこちらに持ってきた。


そして顔をこちらに向けてくれた。こう言っては何だが、テレビで見るハシビロコウは、どちらかというと険悪な顔をしているのに、お目々がかわゆい。遠くを見ているのかも。

おなかの毛もふわふわ。足の付け根に白い羽が一本ずつ。キョロキョロと見回し、


羽根がちょっと動たかと思うと、


次の瞬間飛んだ!
カメラの設定を連写やビデオ撮影に切り替えるヒマもなかったし、ピントも合わせられない早業。

体が大きいのであっという間に奥の方に降り立った。途中の池の近くにいる人たちの上を飛んでいつたので、ビックリされていた。


巣に新しい藁がほしいなら、もっと近いところに藁が積んであるのに。

あ、クチバシは下に曲がっている。巨大なクチバシと短い数本しかない冠羽というこの落差も魅力の一つ。

結局森の中へと分け入ってしまいましたとさ。


最後に出入口に近い「モモンガの森」に入ると、モモンガだけでなく、夜行性の小動物たちがいたが、ピントが合ったのは以下の写真だけ。

クロワシミミズク 
掲示板によると分類はフクロウ目フクロウ科、分布はアフリカ大陸中央から南部
アフリカで最大のフクロウ。鋭い爪と強力な握力で獲物を捕らえ、握る力で窒息死させる。頭上の羽は「羽」と呼ばれる飾り羽で、耳のように見えることから「ミミズク」 と呼ばれる。フクロウとミミズクは羽角の有無で呼び分けられているが、分類上はどちらもフクロウの仲間であるという。

オオフクロウ 
掲示板によると、分類はフクロウ目フクロウ科、分布はインドから東南アジア。
名前り羽の色は茶色い木肌のようで、森の中では木に溶け込める保護色となっている。森林に生息しており、木々の間をとても静かに素早く飛ぶことができる。暗闇の中でもわずかな光があれば狩りができるよう目が発達しているという。


フクロモモンガ
掲示板によると、分類はカンガルー目フクロモモンガ科で、オーストラリア北部から南東部、 ニューギニア島、ビスマルク諸島に生息。
有袋類の仲間。前肢の小指から後肢の指の付け根にかけて飛膜があり、木々を滑空しながら移動して餌を探すという。
皮膜を広げて飛んでいるところを写したかった。


マタコミツオビアルマジロ
掲示板によると、分類は被甲目アルマジロ科で、分布は南アメリカの熱帯雨林やサバンナ。
背中には名前の由来となる3本の帯があり、危険を察すると丸くなって身を守る。アルマジロはおよそ20種が知られており、そのうち完全に丸くなれるのはマタコミツオビアルマジロを含む2種類だけなのだそう。
敵もいないのにまんまるになるのは難しいと思うよ。

という数十年ぶりに動物園いったというお話。歳を重ねても、こんなに面白く楽しめるところだったとは。しかも交通の便が良いし。



参考にしたもの
館内の掲示板
神戸どうぶつ王国のホームページ