ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/02/17
再びオッスアリ ウズベキスタン歴史博物館より
『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、ゾロアスター教はイラン世界北辺部にその端を発する宗教であるため、ソグド地域も早い段階で伝わり、王の権威のもとでその信仰が取り込まれたアケメネス朝ペルシャの時代に広く受け入れられていたものと思われる。
また、多彩なレリーフや型態をもつオッスアリと呼ばれるソグド人独特の素焼きの蔵骨器も各地で出土している。オッスアリに骨を入れナウスと呼ばれる墓に収めるもので、正統ゾロアスター教圏では見られないソグディアナ周辺のみに認められる葬法である。オッスアリには、人間や建物から円錐形のものや単なる四角い箱と様々な器形があり、その表面には様々な装飾や死者への哀悼を示す光景などが浮彫りや彩色により描かれ、ソグドの美術・歴史を示す資料として貴重なものとなっているという。
しかし、オッスアリで紀元前のものは少ない。
オッスアリ断片 前3-1世紀 テラコッタ カラカクパクスタン自治国ブルリカラ出土
これが私が見たオッスアリで最古のもの。それは人間の形をしていたらしい。
もう一体人間の形のオッスアリが。
女神像のオッスアリ 前1-後1世紀 カラカクパクスタン自治国コイクリルガンカラ出土
『STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN』(以下図録)は、形式的なポーズで坐った若い女性の姿を象ったオッスアリ。学者達の一般的な見解では、このオッスアリはゾロアスター教の神格を表している。Yu.A.ラポポートが記しているように、水を持つ者アナヒータの姿で、すなわち、偉大な神の顕現としての輪を表した形で死者を表しているという。
上の男性頭部もこのような神像型オッスアリだったのだろう。
要塞とゾロアスター教の神殿 前4世紀-後1世紀 カラカルパクスタン、コイクリルガンカラ
円形の神殿、それを円形の城壁が取り囲んでいる。
図録は、ゾロアスター教が成立した正確な日は確かではないが、約1500-1200年前のことであると見なされている。新しい宗教の名称は、その設立者つまりゾロアスター(Zoroaster、Zarathustra)から採られている。ホラズム王国で統治者Kavi Vishtaspa Zoroasterは支持されていたので、ゾロアスター教が国教であると最初に宣言されたのはこの地であった。このように、ホレズム地方の宗教は広く受け入れられた。アラブの侵攻の前まで、中央アジアの大半で大勢を占めた宗教だったという。
オッスアリは神殿には安置されない。
オッスアリ 6-7世紀 タシケント州トゥイテパ出土
この小さな男性の頭部が蓋の摘まみのようにつけられているのを見た時は、死者の顔だろうと思ったが、歴史的に考えると、男神の頭部ということになる。
口縁下には、ほぼ等間隔に馬の蹄のようなものがあって、その下は畝のように盛り上がっている。これが不思議。
オッスアリ 5-6世紀 カシュカダリア州セヴァス出土
右上は王らしき人物。上の段には楽士たちが演奏している。下中央にマスクを付けた神官と台。その左に鈴をつけた2頭の羊。
オッスアリ 6-7世紀 タシケント州トゥイテパ出土
死者の食事を運ぶ場面?
別の場所にナウスが再現されていた。
オそこには入口からコの字形に台があり、その上にオッスアリが並んでいる。
これは一族のものなのか、それとも亡くなった順なのか。
一つのオッスアリに立てかけてある図は、ナウス(オッスアリウム)は、上部が角錐になった、オッスアリを収納する建物で、奥の山の上がダフマ(鳥葬を行う場所)であることを示している。
奥のオッスアリはあまり装飾がない。
ダフマの想像復元図 3-4世紀 カシュカダリア州エルクルガン
内部に安置されたオッスアリ
連珠のアーチの下には両手を広げた人物が一人ずつ。
幾何学文だけのものも
有翼の女神 5-6世紀 トイテパ、タシケント州出土
オッスアリの断片という。
再び鍑 ウズベキスタン歴史博物館より← →ファヤズ・テパ講堂出土の仏三尊像 ウズベキスタン歴史博物館より
関連項目
ウズベキスタン歴史博物館1 青銅器時代を中心に
ソグド人の納骨器、オッスアリ
参考文献
「STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN」 ウズベキスタン歴史博物館図録 2013年 PREMIER PRINT