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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/10/20

アラジャホユック出土の金製品は

 
アラジャホユックA墓出土の金冠には粒金を目指したような打出し列点文が施されていた。
『鉄を生みだした帝国』は、1935年、アラジャホユックの発掘調査で、王墓と思われる遺構が発見された。それはヒッタイト帝国の時代より古い初期青銅器時代、前2500年から2200年頃のものであった。王墓は全部で13発見された。墓は竪穴の形式をとっており、長方形の形をしていた。周囲は自然石で囲まれていた。
この13の王墓は、遺物の整理上、AからTまでの名称が与えられている。
その王墓群を築いたのはプロトヒッタイトでアナトリアの原住民
という。
13の墓の中でもA墓は最下層に近いとろこにあり、他にも金製品が出土している。

バックル 金 長15.2㎝ アラジャホユックA墓出土 前期青銅器時代(前3千年紀後半) アナトリア文明博物館蔵
『トルコ文明展図録』は、2つの小円盤を接着した形で、内側に軽く湾曲している。輪郭にそって列点文が打出され、さらに両円盤の中を、X字形に交わる2本の列点文で打出しているという。
金冠よりも密に列点文が打出されていて、先端が丸いように見える。 腕輪 金 径6.5㎝ アラジャホユックA墓出土 前3千年紀後半 アナトリア文明博物館蔵
内側の面が平坦な、半円形の断面をもつ金環。外面は、金細粒と刻線で装飾されているという。 『世界美術大全集東洋編16西アジア』も、冠、腕輪、ピン、ビーズなどの装飾品も製作されているが、透かしや細粒を鑞付けする技法なども駆使した見事な仕上がりとなっているという。
実は、これがアナトリアで粒金細工最古だと一瞬思ったが、じっくり見ると、どうも粒金ではないようだったので除外したのだった。今見ても厚みのある金を削ったとしか思えない。金の粒を目指して製作したのではないだろうか。 これらが粒金ではないにしろ、粒金細工を真似て、あるいは粒金細工に近づけようとして製作したものだろう。また、図版がないのは残念だが、A墓出土の金製品に粒金細工のものがあるという。

今のところ私のわかる範囲では、ウルの王墓から出土した短刀の鞘に施された不揃いな金の粒が粒金細工の最古(前2600-2500年)のものだ。チグリス・ユーフラテスの河口に近いウルという都市国家からは、アナトリア中央部のアラジャホユックはかなり離れている。
A墓は最下層に近いところに位置しているので、13の墓の中でも古い部類に属する。ということは、アラジャホユックの金製品はウル王墓出土の金製品にわりあい近い時代のものということになる。
ユーフラテス川を舟で遡っても、アラジャホユックはかなり遠いと思うが、意外に早く将来されていたのかも。

グーグルマップでアラジャホユックはこちら
最古の粒金細工についてはこちら

※参考文献
「トルコ文明展図録」(1985年 平凡社)
「鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘」(大村幸弘 1981年 NHKブックス)
「知の再発見双書37 エトルリア文明」(ジャンポール・テュイリエ著 1994年 創元社)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)