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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/05/22

メソポタミアの粒金細工が最古かも

 
メソポタミアにはどのような粒金細工があるのだろう。

王妃の頭冠 金 高16㎝幅16-19㎝ 新アッシリア(前9世紀) イラク、ニムルド北西宮殿第3墓室出土 
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、アッシュルナツィルパル2世(在位883-859)がニムルドに建立した北西宮殿の南側の部分は、王族の私的な空間として使用されていたが、この部分に連なる区域の床下から、7基以上のアッシリアの王妃たちの墳墓が発見された。
これらの墓室は前9~前8世紀のもので、第3墓室と呼ばれている墓からは、アッシュルナツィルパル2世の王妃であったムリッス・ムカンニシャト・ニヌアの名前を記録したタブレットが発見されており、被葬者を特定することができた。彼女はその息子のシャルマネセル3世の時代まで生きたと思われる。
身体にさまざまな宝石類をまとった状態で銅の箱に葬られており、ブレスレットやアンクレットなど、この墓だけで25㎏以上もの金製の副葬品が出土している
という。
シャルマネセル3世の在位期間は前858-828年なので、前9世紀の遺品である。
金製頭冠については、このような冠が出土したのは、世界でも初めてのことである。この頭冠の枠組みは金製の繊細な管によって形成されており、他のすべての装飾はその上に取り付けられている。側面部には、開花文とアネモネのような植物の莟(つぼみ)が3列に並んでいる。赤いアネモネは、現在でもニネヴェ近郊でよく見かける花であるという。
粒金細工については記述はないが、アネモネの蕾の丸い先端の周囲に巡っているのは、打出しによる円文ではなく、金の粒であることが、ところどころ金の粒がなくなっているところから推定できる。  髪飾 金・黒曜石 鍛造 長1.8㎝幅1.2㎝ 前20-19世紀 トルコ、キュルテペ、カニッシュ・カールムⅡ層出土 カイセリ博物館蔵
『トルコ三大文明展図録』は、両端に三日月形装飾を付けた金管を螺旋状に巻き上げたもの。三日月形装飾の背には黒曜石が象嵌され、その周囲は金細粒の列で装飾されている。カニッシュ・カールムⅡ層における、一人のアッシリア商人に属する文書庫から発見された。アッシリアからの搬入品の可能性が高いという。 
アナトリアのどこかで作られたものではなく、アッシリアからもたらされたと見なされているらしい。
金の粒の大きさも一定せず、鑞付けも直線に並ばずバラバラだし、下側の黒曜石上部に並んだ粒金は溶けたのか、圧力を加えられたのか、へしゃがっている。前20-19世紀ともなると、技術はこの程度なのかも。
アナトリア最古の文字記録である古アッシリア業文書(前19、18世紀)にはすでにインド・ヨーロッパ語系の語彙や人名が少なからず認められる。このアッシリア商人がさかんに交易活動を展開していた前2千年紀初頭のアナトリアは、政治的には都市に拠る小王国、都市国家が分立し、互いに勢力を争う時代であった。アッシリアの商人達は地方領主の庇護のもと各地に居留地(カールムあるいはワバルトゥムと呼ばれる)を築き交易を行なった。なかでもカニッシュ(今日のキュルテペ、カイセリ市の北東約20㎞)はアッシリアの商人達のアナトリア交易の拠点が置かれ、経済的にも極めて重要な位置を占めていたという。
ヒッタイトがやってくる以前のアナトリアの様子がわかる。
アッシリアの商人たちが拠点を作ってでも交易をするほどのものがアナトリアにあったのか、アナトリアの小王国が豊かで、異国の珍しい物をほしがったのだろうか。  黄金の短刀 金、ラピスラズリ 長37.4㎝幅5.3㎝ ウル第1王朝時代(前2600-2500年頃) イラク、ウル王墓出土 バグダード、イラク博物館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、ウルの王墓から出土した副葬品の一つで、初期王朝時代の工芸作品としては、もっとも精巧で美しいものの一つに数えられる。刀の柄はラピスラズリで作られており、金の刃との接合には金の釘が使われている。鞘の片面には金の糸を細かく巡らし金の粒をちりばめた装飾を施しており、当時の工芸技術の水準の高さと、優れたセンスを物語っている。なお鞘のもう一方の面は、まったくの平面であるという。
メソポタミアで紀元前3千年紀中葉の粒金細工を見つけた。さすがに剣の柄の球形のものは金の粒ではなく、釘の頭らしい。鞘の金の粒はどれも球がへしゃがった形をしているし並び方も整然としていない。 『シリア国立博物館』は、金の細粒細工はシュメール初期王朝のころにおこった西アジアの技術という。
『シュメル』は、メソポタミアの最南部シュメルの地で前4000年後半に開花した都市文明は前3000年紀にはさらに発展した。シュメル人は民族系統不詳だが、シュメル語は日本語と同じ膠着語に分類されている。前3000年紀はバビロニア全域に都市文明が広まるジェムデト・ナスル期(前3100-2900年頃)に始まり、初期王朝時代(前2900-2335年頃)、アッカド王朝時代(前2334-2154年頃)およびウル第3王朝時代(前2112-2004年頃)に分けられる。初期王朝時代はさらに第Ⅰ期(前2900-2750年頃)、第Ⅱ期(前2750-2600年頃)、第ⅢA期(前2600-2500年頃)、第ⅢB期(前2500-2335年頃)と細分されるという。
第ⅢA期にあたるウル第1王朝期のこの探検柄の粒金細工は、トロイアのプリアモス王の宝物(紀元前2350-2100年、『知の再発見双書37エトルリア文明』より)よりも遡ることがわかった。
更に遡る粒金細工はあるのだろうか。

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16西アジア」(2000年 小学館)
「トルコ三大文明展図録」(2003年 NHK)
「世界の博物館18 シリア国立博物館」 (増田精一・杉村棟編 1979年 講談社)
「シュメル-人類最古の文明」(小林登志子 2005年 中公新書) 
「知の再発見双書37 エトルリア文明」(ジャンポール・テュイリエ著 1994年 創元社)