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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2023/04/18

ラスター・ステイン装飾ガラス2


ラスター彩の陶器はいろいろ見てきたが、それをまとめている過程でラスター彩の起源がラスター・ステイン装飾ガラスであることが分かった。
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『イスラーム・ガラス』は、8世紀後半のエジプトにおいてラスター・ステイン装飾ガラスが登場する。ラスター・ステイン装飾ガラスの登場年代に関しては、コールド・ペインティングや金彩などの先行する何らかの彩色ガラスが登場の下地になっていたことは間違いないが、ガラスに対する金属酸化物を用いた顔料の利用の開始については年代検証など明確でない部分が残されている。しかし、少なくとも銀や銅の金属酸化物を用いた顔料をガラス表面に塗布して文様表現をするというラスター装飾がガラスの装飾技法として定着し、発展するのは8世紀以降であると言える。
これは金属顔料を用いて簡易な文様を描き、顔料がガラス本体の中に浸み込むステイン状態をもたらす技法であるという。
しかしながら私が文献で見られる作品は少なく、わずかに4点である。
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その中で一番多く取り上げられているのがこの作品である。これが最古の作品だと勘違いしていた。

ラスター・ステイン装飾ガラス碗またはゴブレット 8世紀後半 高さ約9.5㎝口縁直径13.5㎝ アメリカ調査隊発掘 フスタート出土 カイロ、イスラーム美術館蔵 
『イスラーム・ガラス』は、淡青緑色の素地に内外面にラスター顔料が塗られているが、外面に輪郭線、内面に塗りつぶしという方法で、濃淡の褐色2色のラスターが用いられている。文様のメインはローゼット文で、底部見込みに12弁のローゼット、胴部にハート形の中にやや具象的なローゼットを一周めぐらせている。口縁部近くの帯には簡略化された連続唐草文があり、その上に銘文が書かれている。碗形で、下部から口縁に向けて緩やかにカーブしながら広がっている。底部見込みにポンテ痕が認められ、この下に脚部が付いたゴブレットであったとも考えられる。
銘文には「慈悲あまねく神の御名において、アブドゥッサマド・イブン・アリーによって命ぜられた。神が彼の健康を祝し、彼の勝利を讃えるように」と書かれているという。
胴部下半のハート形とパルメット文の組み合わせはきっちりと描かれているが、上半の蔓草文はかなり稚拙で、別の人が描いたのではと思うくらいの違いがある。
カイロ、イスラーム美術館蔵フスタート出土ラスター・ステイン装飾ガラス 『イスラーム・ガラス』より

残念なことに、ラスター・ステイン装飾ガラスの最古のものは画像がない。

ラスター・ステイン装飾ガラスの断片 ヒジュラ暦163年(西暦779/80年) フスタート出土 カイロ、イスラーム美術館蔵 
『イスラーム・ガラス』は、年代が容器に明記されたイスラーム期のラスター・ステイン装飾ガラスの最も古い例は、カイロのイスラーム美術館に所蔵されている淡青色の碗底部小片である(収蔵番号1273916)。
ここにはラスター・ステイン顔料で、「ミスルのアルフィラヤ工房で163年に製作」というアラビア語の銘文が、底部の中央のポンテ痕を取り巻くように環状に書かれている。この数字の163という部分にのみアラビア文字ではなくコプト数字が使用されている。コプト数字の使用からもこの容器がエジプトで絵付けされたことがわかる。すなわち、この資料は8世紀後半にエジプトのフスタートでラスター・ステイン装飾ガラスが製造されていた事実を示している。あえてそう記載することでフスタートにおいてラスター・ステイン装飾ガラスを製造していたことを強調し、フスタートにおけるガラス製造の開始と重要性を示す意味があったと考えられる。
さらに場所は特定できないもののアルフィラヤ工房という具体的な工房名が記載されているという。


『イスラーム・ガラス』には、破片ながら貴重な資料がたくさん記載されていた。

ラスター・ステイン装飾ガラス片 鳥文 早稲田大学の発掘調査 フスタート出土
同書は、第II層の最下層や前述のダッカの最下層からラスター・ステイン装飾ガラスが出土している。
そのガラスの本体部分はいずれも若干青みがかった淡緑色で、前述のグリーンガラスとは明らかに色相が異なっている。化学組成では加藤やフォワらが分類している8世紀のエジプト製ナトロン・ガラスの特性を持つことは明らかであるが、グリーンガラスとは化学組成の点でも明確に区別されるという。
グリーン・ガラスについてはこちら
フスタート出土ラスター・ステイン装飾ガラス 鳥文 『イスラーム・ガラス』より

ラスター・ステイン装飾ガラス片 植物文 早稲田大学の発掘調査 フスタート出土
同書は、これらは、両面施色の初期ラスター・ステイン装飾ガラスの特徴を有しており、容器外面に文様の枠線を描き、容器内面で枠線の内側を塗りつぶすことで立体感を持たせている。意匠は、断片であるが鳥と植物の文様が見られる。
この鳥や植物の文様に関しては、アメリカ調査隊のフスタート発掘品の中に類似した鳥とウサギが描かれた淡青緑色のビーカーの例があり、内外両面にラスター・ステイン装飾が施されている点でも一致しているという。
フスタート出土ラスター・ステイン装飾ガラス 植物文 『イスラーム・ガラス』より


多彩ラスター・ステイン装飾ガラス片 シナイ半島、ラーヤ遺跡8世紀の層より出土
同書は、多彩ラスター・ステイン装飾ガラスの中にも、パレスティナ地域製のナトロン・ガラスN1タイプの化学組成を持つものが6点存在している。
残された口縁部片から推定すると、口縁がやや内湾し、樽型ビーカーになると想定される。文様は破片のため不明確であるが、植物文・唐草文の一部と思われるものや、単純な連続文などであると考えられる。とくにこのN1タイプのラスター・ステイン装飾ガラスに、フルヴァト・ミグダル遺跡出土品と同様の、緑色になった顔料が見られることは、さらにパレスティナと関連が深いことを示しているという。
シナイ半島ラーヤ遺跡出土ラスター・ステイン装飾ガラス片 『イスラーム・ガラス』より


同書は、ラーヤ遺跡城塞地区から出土した9世紀エジプト製のものは、その出土点数の多さ、年代の重要性、ラスター彩陶器との共伴などの点で新たな考察を可能とする重要な資料である。
城塞地区から出土した209点に及ぶラスター・ステイン装飾ガラス片は、ラスター顔料の種類から褐色グループとオレンジ・グループの2種類に大別される。前者は淡青緑色のガラスに加飾されているが、後者は濃青や淡緑など異なるガラス素材に加飾されている。
褐色グループのラスター部分の色調は、濃淡によって、淡褐、褐、濃褐の差が見られる。色調の濃淡は、成分的には大きな差がなく、焼成温度、顔料ののり、かすれ具合、また、砂中に埋もれている間の変化や銀化の影響などによると考えられるという。

褐色・単色ラスター・ステイン装飾ガラス片 9世紀 ラーヤ遺跡城塞築出土
同書は、碗の口縁部下にめぐらされたV字形モチーフ、および、逆三角形のモチーフはガラスでは珍しいが、陶器の縁取りには多用されており、関連を連想させるという。 
彩色面は両面、つまり、外側と内側にそれぞれ彩色されている。
ラーヤ遺跡出土ラスター・ステイン装飾ガラス片 『イスラーム・ガラス』より


褐色ラスター・ステイン装飾ガラス片
左:唐草文 右:花装飾クーフィー
同書は、内面のみ彩色された製品には、初期の唐草、様式化された唐草が混在しているという。
ガラス本体に緑色の着色があり、その上に褐色で文様が描かれている。
ラーヤ遺跡出土ラスター・ステイン装飾ガラス片 『イスラーム・ガラス』より


褐色二彩ラスター・ステイン装飾ガラス片 9世紀 ラーヤ遺跡城塞地区出土
同書は、褐と黄の二彩に関しては、明らかに意図的に使い分けられているという。
ラーヤ遺跡出土ラスター・ステイン装飾ガラス片 『イスラーム・ガラス』より


オレンジ・多彩ラスター・ステイン装飾ガラス片 9世紀 現イラクで製作か ラーヤ遺跡城塞地区出土
同書は、オレンジ色に発色するラスター顔料を使用したグループは31点出土している。オレンジを全体に塗りこめた単色タイプと、オレンジとその他の色調も加えた多彩タイプに分けられる。素地の色調は濃青が22点、濃紫1点淡青もしくは淡青緑が8点と、有色ガラスの比率が高いのが特徴である。化学分析を行うことのできた5点では、コバルトなどの強い着色元素が含まれているため詳細なタイプ分類は難しいものの、少なくとも植物灰ガラスであることは明らかになった。したがって、9世紀のエジプト製からは除外され、イラクで製作された可能性も高いという。
ラーヤ遺跡出土オレンジ・多彩ラスター・ステイン装飾ガラス片 『イスラーム・ガラス』より


ラスター・ステイン装飾ガラス杯 8世紀末-9世紀初頭・アッバース朝期 ダマスクスで製作 コーニング・ガラス美術館蔵
『イスラーム・ガラス』は、「慈悲あまねきアッラーの御名において。1(?)年にダマスクスでスンバートSunbāt(?)によって製作された。このカップから飲むものにアッラーの祝福あれ」と読まれている。ともに、ローマ期の銘文の様式の名残に、新しいラスター・ステイン装飾技法が融合し、新たなイスラーム・ガラスの登場の息吹を感じさせる。そしてその後もダマスクスはガラス製造の一大拠点であり続けたという。
コーニング・ガラス美術館蔵ラスター・ステイン装飾ガラス杯 『イスラーム・ガラス』より


その後のラスター・ステイン装飾ガラスについて同書は、金属顔料を用いて簡易な文様を描き、顔料がガラス本体の中に浸み込むステイン状態をもたらす技法であった。この装飾技法は陶器に応用されるが、ガラスでは11世紀頃に使われなくなるという。
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、バグダード周辺では、9世紀になると、急に陶器の制作が盛んになるが、なかでも金属的な発色をするラスター技法が開発され、陶器やタイルに用いられ始めたというから、ラスター・ステイン装飾ガラスも、ラスター彩の陶器も製作されていた時代があり、11世紀にはラスター・ステイン装飾ガラスの方は作られなくなったようだ。

時をおいて、13世紀になってエナメル彩のガラスが登場する。

エナメル彩のガラスのガラスについて『イスラーム・ガラス』は、ガラス自体に着色するのではなく、無色や自然発色の淡緑や淡黄に多色のエナメル顔料と金で彩画したイスラーム時代のエナメル彩金彩装飾ガラスは13-14世紀のガラス工芸の中でも代表的な装飾ガラスであり、西ヨーロッパ世界から来た人々は、見たこともないガラスの美しさに驚嘆した。
エナメル彩による装飾部分に関しては、朱色の線で文様の輪郭線を描き、その中に彩色していくという手法がとられており、これは七宝の技法を連想させる。金彩も併用されているという。

人物文エナメル彩・金彩ガラス フスタート出土
左:馬を疾駆させている人物
同書は、ガラスの色調は若干緑味を帯び、エナメル彩以外の部分には金が塗り込められているという。
右:杯を掲げる人物
エナメル彩装飾でよく用いられる意匠であり、発掘品では、淡い緑味を帯びた瓶頸部の口縁部近くにこの意匠が見られる。直径は約5㎝で厚さも5㎜と厚みがあり、大型の瓶であったと推測されるという。
フスタート出土人物文エナメル彩・金彩ガラス 『イスラーム・ガラス』より



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参考文献
「イスラーム・ガラス」 真道洋子著・枡屋友子監修 2020年 名古屋大学出版会
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館