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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2023/03/03

中国に渡来したイスラームガラス


前回南宋時代の仏画に阿弥陀如来や観音菩薩がガラス容器を持っているものが中国で作られたものではないことに気がついた。そこで今回はイスラームガラスに似たものがないか調べてみた。

阿弥陀三尊像 南宋時代・13世紀 絹本著色 川崎美術館旧蔵・九州国立博物館蔵
『よみがえる川崎美術館展図録』は、阿弥陀如来は正面を向き、右手は施無畏印とし、左手は腹前で掌を上に向けて水瓶らしきものを捧げ持つという。
細長い首に丸い胴部の水瓶で、紺色か緑色のよう。
九州国立博物館蔵阿弥陀三尊像部分 南宋・13世紀  『よみがえる川崎美術館展図録』より


グリーン・ガラスの瓶 7-8世紀 口縁部径2-3㎝ フスタート出土 アテネ、ベナキ美術館蔵
『イスラーム・ガラス』は、イスラーム最初期から存在する器形として、口端を内側に折り返した口縁部と細長い円筒形の頸部に、球状の胴部を持つ特徴的な小瓶である。これは7-8世紀のシリア、エジプトに広く分布する(Hadad 2005、 nos.182-188)。また、フスタート遺跡やラーヤ遺跡の出土品では、折り返し方にやや差があるものの、口縁部はほぼ真横に外側へと折れ、口端を内側に折り返しているという。
径が2㎝とすると、高さは10-15㎝ほどだろう。
ベナキ美術館蔵グリーン・ガラス瓶  『イスラーム・ガラス』より

同書は、グリーン・ガラスの色調に関しては、オリーブグリーンから緑、青緑などの緑系の幅広い色調および濃淡差が見られる。考古学的見地と化学組成の両面から、グリーン・ガラスが8世紀に製作されたものであることは明らかである。
9世紀になると、この時期の化学組成と推定されているFustat-Chunk-2がガラス溶解用のタンクの壁に付着していたことから、フスタートでガラス素材作成の第一次溶解も開始されていたことは確実である。
器形に関しては、グリーン・ガラスの完形品が残っていないため推定になるが、瓶とビーカーが存在していることがわかるという。
フスタート出土グリーン・ガラス原料塊  『イスラーム・ガラス』より

しかしながら、阿弥陀三尊像が描かれたのは南宋時代(13世紀)なので、フスタートで製作されてから時間が経ちすぎているし、仏画のガラス器は球形というよりもやや下ぶくれの形に見える。


阿弥陀三尊像内観音菩薩立像 南宋・12世紀後半 普悦筆 絹本着色京都市清浄華院蔵
『世界美術大全集東洋編6 南宋・金』は、宝冠に阿弥陀如来の化仏いただく向かって右の観音は、左手に捧げ持つガラス碗に右手先でつまんだ柳枝を遊ばせているという。
確かに壺ではなく口が開いた小鉢のよう。他にも瓔珞などの飾りが描かれていて、それらもとんぼ玉かも知れない。
清浄華院蔵阿弥陀三尊うち観音像 南宋・12世紀後半  『世界美術大全集東洋編6 南宋・金』より


型装飾筒形容器 9-10世紀 高さ8㎝直径11.1㎝ コペンハーゲン、ダヴィード・コレクション 
『イスラーム・ガラス』は、イスラーム・ガラスにおける型装飾は、型に凹凸の文様を付けてその中に熱いガラス種を吹き込むことでガラスに文様を写し取っている。ダヴィード・コレクションなどには、型装飾のための金属製の型が保管されている。このような金属型は複数回使用することができた。
中東地域、おそらくシリアで使用されたのではないかと考えられているという。
この作品は円筒形に立ち上がっているが、仏画のガラス器は底径から口径へと少し広がっている。ぼんやりとであるが、文様が施されているように感じる。
ダヴィード・コレクション型装飾筒形容器 9-10世紀  『イスラーム・ガラス』より

イスラーム・ガラスの容器類 コルドバ、マディナート・ザフラー出土 ルーヴル美術館蔵
下段の高台のある丸まった底のある深碗形容器は色が薄いが、このような器の方が近いかも。
それとも前回紹介した中国で製作された玻璃広口鉢(北宋・10世紀)だろうか。
ルーヴル美術館蔵マディナート・ザフラー出土イスラーム・ガラス容器  『イスラーム・ガラス』より 


阿弥陀净土図 阿弥陀三尊像の観音菩薩立像 南宋・淳熙10年(1183) 絹本着色 知恩院蔵
旧川崎美術館蔵阿弥陀三尊像の阿弥陀如来が持つガラス器を細長くしたような形。底が非常に小さいので、スタンドでもなければとても立たないのではないだろうか。
知恩院蔵阿弥陀浄土図部分 南宋·淳熙10年(1183) 『世界美術大全集東洋編6 南宋・金』より

形が似ているものには、

練り込み紐装飾容器 ニューヨーク、コーニング・ガラス美術館蔵
 『イスラーム・ガラス』は、巻き付けた紐を容器本体に練り込んで一体化させる装飾は、紀元前2000年紀半ばのガラス容器出現の時から見られる技法で、本体に巻き付けた色ガラス紐を引っ掻いて波状文や羽状文にして装飾性を高めている。その当時は容器本体の成形法はコア技法によるもので、イスラーム・ガラスの吹き技法による成形法とはまったく異なっていた。しかも古代オリエントでの練り込み紐装飾は不透明の多色であったが、イスラーム・ガラスでは主に青や紫、緑などの容器本体の色の上に不透明白のガラスを巻き付けている。これはローマ・ガラスでもすでに見られた装飾であるが、イスラーム・ガラスでは9世紀頃から盛り返し、12-13世紀を中心に流行したフスタート遺跡出土品に見られる練り込み紐装飾になると、きれいに発色して輝きのある青や紫、緑の色ガラスの上に、白の消色ガラス紐で直線、波状、羽状の文様が描かれ、ガラス紐部分は完全に容器と一体化して、凸部分は残されていない。
この装飾は、イスラーム文化圏からヴェネツィアにわたり、ヨーロッパのガラス工芸に浸透していったという。
白いガラスは口縁部にやや盛り上がりが残っているようなので、12世紀以前の作品だろうか。
仏画にはこのような白いガラスの練り込みはないが、この時代に流行した形かも知れない。
練り込み紐装飾容器 12世紀以前か コーニング・ガラス美術館蔵  『イスラーム・ガラス』より


仏画のガラス容器とは全く異なるが、中国にもたらされたイスラームガラス器は他にもある。

藍玻璃刻花葡萄唐草文盤 9世紀 イスラームガラス 高2.3㎝口径20.2㎝ 陝西省扶風県法門寺真身塔塔基地宮出土 法門寺博物館蔵
『世界美術大全集東洋編5』で真道洋子氏は、法門寺の地宮は乾符元年(874)に埋納されて以来開帳されておらず、約20点のガラス器を含む9世紀末までの文物をよく保存している。
盤の内側に先端のとがった道具で複雑な幾何文が彫られており、鍍金されているものもある。これに類似した盤はイランのニーシャープールにあるほか、同類の装飾技法を用いた製品は、イラクのサーマッラー、エジプトのフスタートからも出土している。このほかにも、シリアおよびイラン方面の初期イスラーム・ガラスの特徴を備えた出土品として、無装飾の青色盤、円環状と星形の貼付装飾が施された瓶、器具を用いて装飾された杯、ラスター彩碗などが発見されているという。
中央の矩形に石畳文が彫られているが、その線が微妙に真っ直ぐでないために味わいがある。イスラームの文様らしく、組紐の輪郭で仕切られ、その四面を尖頭アーチが囲み、その形がモスクのドームを想起させる。
石畳文だけでなく、文様の背景に極細の線が密に彫られていて、金粉あるいは金箔を埋め込む沈金のような仕上がりになっているのだろうか。
法門寺博物館蔵陝西省扶風県法門寺真身塔塔基地宮出土藍玻璃刻花葡萄唐草文盤 9世紀  『世界美術大全集東洋編5』より


玻璃細頸瓶・玻璃筒形坏 河北省定州市静志寺真身舍利塔塔基地宮出土 定州市博物館蔵
左:玻璃細頸瓶 9-10世紀 エジプト(イスラーム時代) 高17.7㎝ 胴径9.8㎝ 
同書は、切り離したままの口縁で、底部にポンテ痕はない。これは、ガラスをふくらませて胴部を引き伸ばした後に切り離しただけの、非常にシンプルな作りである。こうした瓶は、イラクのサーマッラー、シリアのハマー、エジプトのフスタートなど、中近東各地で発見されている。フスタートでは、コバルトを呈色剤とする製品と、原料として用いられたフリット(原料用の一次熔解ガラス)の両方が発見されている。コバルトを含む原料が輸入され、エジプトで製作されたことを示す貴重な資料であるという。

右:玻璃筒形坏 9-10世紀 高8.0㎝
濃青円筒形の坏
定州市博物館蔵河北省定州市静志寺真身舍利塔塔基地宮出土玻璃細頸瓶・玻璃筒形坏  『世界美術大全集東洋編5より』


璃切子瓶・玻璃瓶 イスラームガラス 河北省定州市静志寺真身舍利塔塔基地宮出土 定州市博物館蔵 
 『世界美術大全集東洋編5』で真道洋子氏は、静志寺の舎利塔は、北宋太平興国2年(977)に重修、封印されているが、この時代の宝物のほかに、塔基内部には北魏・隋・唐代の石函も埋蔵されており、隋代の青銅鍍金舎利函の銘文に玻璃(ガラス器)を奉納したと記されている。
ここからは、玻璃瓢形瓶10点、玻璃広口鉢1点、玻璃葡萄房1点の中国製ガラス、そして、8点のイスラーム・ガラスが発見されたという。

右:玻璃瓶 9-10世紀 高7.2㎝
やや小型で、肩部に丸みがあり、底部が厚くなったほぼ同形の無装飾小瓶も発見されており、蛍光X線分析の結果、アルカリ石灰ガラスであると判明しているという。

左:玻璃切子瓶 10世紀 高8.9㎝ 
全面にウィール・カット(旋盤による切子)装飾をともなう小瓶で、頸部および胴部とも円筒形であり、同類の製品は安徽省無為県の朱塔の塔基からも発見されているという。
定州市博物館蔵河北省定州市静志寺真身舍利塔塔基地宮出土玻璃切子瓶・玻璃瓶  『世界美術大全集東洋編5より』


玻璃切子瓶 10世紀 イスラームガラス 高12.5㎝ 安徽省無為宋塔基壇出土
同書は、安徽省無為宋塔の基壇から出土した、カット装飾が施された青緑色の小瓶は、典型的なイスラーム・ガラスで、イラン方面で製作されたものと考えられている。
製作技法は基本的には宙吹き技法であるが、形を整えるために、製作過程で型を用いたと考えられる。口縁部は焼き直して整えられた円形口縁で 底部は平底である。円筒形の頸部および胴部には、イラン方面で特徴的な幾何文が線カットで描かれているという。

また、『イスラーム・ガラス』で同氏は、カット装飾の一つである刻線装飾ガラスは、8世紀後半には登場したと考えられている。
10世紀末には、ほかのカット装飾とともに補助的に使用されることはあっても単独の装飾技法としては姿を消していたようであるという。
安徽省無為宋塔基壇出土玻璃切子瓶 10世紀  『世界美術大全集東洋編5』より


玻璃金蓋付把手瓶 10世紀 イスラームガラスか 高16.0㎝ 遼寧省朝陽市北塔出土 瀋陽市、遼寧省文物考古研究所蔵
 『世界美術大全集東洋編5』で真道洋子氏は、遼寧省朝陽市の遼代の北塔から出土した単把手の瓶は、わが国の正倉院に保管されていた白瑠璃瓶とほぼ同形である。しかし、中国の例は、瓶の内部にさらにガラスの小瓶が入れ込まれて二重となった、当時としてはきわめてめずらしい製品である。さらに、金の蓋がとりつけられている。
外側の把手瓶は、口縁部の一方をつまみ出してとがらせている。胴部は自然と下部に向かってふくらんでいる。底部は環状の台があり、安定がよくなっている。把手は口縁部から底部の下方に向けて直線的に伸び、把手を傾けて中の液体を注ぐときに親指を当てるための突起が丈夫につけられている。この器形はイランの金属器に一般的なもので、ガラス器にも同種の器形が存在している。内部の小瓶は、円筒形の頸部に、胴部から底部にかけてすぼまった状態の形状をしている。先に作っておいた小瓶を中に取り込むようにして、後から外部の把手瓶を作ったものと考えられるという。
遼寧省朝陽市北塔出土遼寧省文物考古研究所蔵玻璃金蓋付把手瓶 10世紀  『世界美術大全集東洋編5』より

イスラームガラス器さまざま スーサ出土 ルーヴル美術館蔵
『イスラーム・ガラス』は、ニーシャープールで見られるような高級ガラスではなく、主に日常生活で用いられた器類である。器種は、瓶および小瓶類、碗類、吸角器など、装飾技法では貼付装飾、紐装飾、カット装飾など初期イスラーム期の典型的な種類を見ることができるという。
向かって右から2番目に、ひときわ高い紫にも濃紺にも見える把手付瓶が置かれている。胴部に紐装飾が施されている。
その形から、玻璃金蓋付把手瓶もイスラームガラスであることは間違いだろう。
スーサ出土イスラーム・ガラス容器さまざま  『イスラーム・ガラス』より

注口付き単把手瓶 出光美術館蔵
『イスラーム・ガラス』は、口縁部の直下がすぼまっており、口縁部には注ぎ口となる尖った部分がある。頸部はほとんどなく、胴部は下膨れの形状が多く、底部には管状の高台が見られる例が多いという。
把手が小さいこと頸部に貼付の、胴部に一周する貼付状のものがあること以外は、朝陽市北塔出土の玻璃金蓋付把手瓶に似ている。
出光美術館蔵注口付き単把手瓶 『イスラーム・ガラス』より 

そして正倉院に収まっていたものは、

白瑠璃瓶 正倉院宝物
『正倉院とシルクロード』は、正倉院宝物の『白瑠璃碗』が「型吹き」の技法で製作されたのに対して、この作品は「宙吹き」の手法で製作されている。同種の作品はイラン高原でも出土しており、また当時の日本にこれだけのガラス製容器を製作する技術が既に存在していたとは考えられない点からして、当然この『白瑠璃瓶』も遠くイラン高原から流沙を越えて中国へ、更に日本に将来されたものと推測される。
ササン朝ペルシア時代のガラス製水瓶は当時の金属器の写しであり、ために胴部の側面の流れはきわめて直線的であるのに対して、初期イスラーム時代(8-9世紀ころ)になるとガラス製容器の製作技法は、とくに水瓶の宙吹きの技法が特に進歩し、ガラス独自の流水的な美しい胴部の線をみるようになる。この『白瑠璃瓶』にみられる胴部の曲線美もまたそれであり、その点からすれば初期イスラーム時代すなわち7世紀後半以降の製作ともなり、中国から日本に将来された時期も更にくだる時期と考えられようかという。
頸部に紐装飾はなく、胴部への膨らみは、上部は出光美術館蔵品に近く、胴部の張りは朝陽市北塔品に近い。また、把手も両者の中間である。
宮内庁蔵正倉院宝物白瑠璃瓶 『正倉院とシルクロード』より


玻璃·瑪瑙舍利、玻璃舍利瓶、金舍利盒 イスラームガラス他 10-11世紀 (金舍利盒)高8.8㎝幅3.6㎝ 陝西省西安市鉄仏寺塔基出土 陕西省、西安市文物園林局蔵
真道洋子氏は、陝西省西安市の鉄仏寺塔基に奉納されていた方形の小瓶は、典型的なイスラーム・ガラスの器形である。本来、中近東地域では、化粧顔料などを入れる容器として使用されていたものである。朝貢品目の中に、「眼薬を入れた玻璃容器」という記述があるが、それはおそらくこのような器形の小瓶であったと想定される。しかし、鉄仏寺出土の小瓶中には、舎利に見立てた瑪瑙とガラスからなる小珠が入れられ、白石で蓋がされていた。さらに、これが舎利容器であることが明記された金の舎利盒に収められていた。このことは、本来、別の用途で用いられるガラス器が、舎利容器に転用されたことを示しているという。
この時代、イスラーム圏ではごく普通に使用されていたガラス容器のようだが、これまで見たことがない形だ。四方を平面にして、曲面の肩の上に長い円筒形の首がつく。
西安市文物園林局蔵鉄仏寺塔基出土玻璃舍利瓶 10-11世紀  『世界美術大全集東洋編5』より


小型容器 ニーシャープール出土 イラン国立博物館蔵
『イスラーム・ガラス』は、すべての面が長方形の、長方体の胴部を持つ小瓶。香水瓶のようであるが、これもまたクフル顔料が内部に残存して発見されている例があることから、クフル顔料用容器であった可能性が高いという。
クフル顔料とは黒いアイラインを引くものらしい。上の玻璃舎利瓶によく似ている。
イラン国立博物館蔵ニーシャープール出土小型容器 『イスラーム・ガラス』より



玻璃把手杯 11世紀 イラン(テュルク系のセルジューク朝)より請来か 高11.4㎝口径9.0㎝ 内モンゴル自治区哲里木盟奈曼旗青龍山鎮遼陳国公主駙馬合葬墓出土 呼和浩特市、内蒙古自治区文物考古研究所蔵
同書で真道洋子氏は、内モンゴル自治区の陳国公主墓と遼寧省の耿延毅墓からは、ほぼ同形の把手瓶が出土している。陳国公主墓からは同種の把手杯が2点出土しており、完全な形で出土した。
製品は濃緑色で、宙吹き技法で製作されており、ポンテ痕も残されている。頸部は中央がややふくらんだ円筒形で、口縁部は焼き直されている。底部は低い高台があり、中央部が盛り上がっている。胴部の丈は頸部よりも短く、肩部が張り出しているのが特徴である。指当て把手のある単把手瓶の類例はイランのガラス器にも見られ、この玻璃把手杯も中近東地域、もしくはその近隣で製作されたものと考えられる。しかし、イランの例では胴部がほぼ球体であるのに対し、中国出土の例は、逆円錐形をしている点で異なっている。耿延毅墓と陳国公主墓の出土品はともに埋葬年代も近く、ほぼ同時期に中国にもたらされたものと考えられるという。
頸部が巨大で胴部が極端に小さいので、美しい器体とは思えないが、当時は西方より請来された貴重なガラス容器として珍重されたのだろう。
内蒙古自治区文物考古研究所蔵内モンゴル自治区遼陳国公主駙馬合葬墓出土玻璃把手瓶 11世紀 『世界美術大全集東洋編5』より

頸部が巨大で胴部が小さいガラス容器を『イスラーム・ガラス』で見つけた。

ガラス双耳壺 12世紀 スペイン、ムルシア出土
同書はで真道洋子氏は、ムラービト朝、ついでムワッヒド朝の支配下に入った12世紀以降、イベリア半島において実用的なガラス器の製作・使用が開始されたようである。
装飾ガラスの中で比率が高い型装飾ガラスを見ると、この地域の土器や陶器に特徴的な双耳壺を模した器形がある。この器形は東方のイスラーム・ガラスの中心地では一般的な器形ではなく、まさにこの土地のローカル性を示す器形と言えるという。
上の玻璃把手杯にもう一つ把手をつけるとそっくり。しかも双耳壺はスペインでもムルシアという地方で特徴的な土器や陶器の形ならば、玻璃把手坏は双耳壺の片方の把手が壊れてしまったものではないだろうか。
イスラーム・ガラスには違いないが、スペインからはるばる運ばれたガラス容器が、陳国公主の墓に眠っていたとは! と締めたかったが、時代が合わないことに気がついた。
スペイン、ムルシア出土ガラス双耳壺 12世紀 『イスラーム・ガラス』より


ガラス水注 10-12世紀 イスラームガラス 高12.7㎝底径5.8㎝ シリンゴル盟正藍旗ザンギンーダライ収集 内蒙古博物院蔵
同展図録は、藍色のガラスで、表面はかなり銀化している。注ぎ口は鴨の嘴状に整形され、弧を描く取っ手は半円形の当て具の突起とともに口縁部に取り付けられている。少し膨らんだ胴部中央部にはガラスでできた装飾帯が巡り、下には2重の円形台座がおかれている。底の内側には凹みがあり、ポンテ痕がみられることから、この作品も宙吹き技法によるものである。
西アジアあるいは中央アジアの雰囲気を色濃く示すこの作品は、イスラーム・ガラスに分類されるもので、その制作から遠くない時間に副葬されたと考えられる。契丹時代における西方との関係が大変密接なものであったことを物語っているという。
銀化の色合いが強烈で、厚作りの器体が洗練された形ではないことを、より印象付ける。
内蒙古博物院蔵シリンゴル盟正藍旗サンギーンダライ収集ガラス水注 11-12世紀  『草原の王朝契丹展図録』より


最後に、このようにガラス容器の研究をされていた著書の真道洋子氏について、 『イスラーム・ガラス』を監修された枡屋友子氏の以下の文で、真道洋子氏の訃報を知った。
2018年9月初めにイスタンブルで開催された国際ガラス史学会第21回大会に出席した真道は学会終了の翌日交通事故に遭い、同13日帰らぬ人となった。享年57歳。志半ばの本人にとってどれだけ無念であったことか、想像もできない。本書も初稿が出来上がって、刊行に向けていよいよ佳境に入るところであったし、次の発掘現場も彼女の参加を待っていたであろう。これからますます自由に研究の翼を広げるところだったはずである。かけがえのないイスラーム・ガラス考古学者であり、イスラーム物質文化」研究の同志であり、気の置けない友人であった真道洋子の死を心より悼む。



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参考文献
「よみがえる川崎美術館-川崎正蔵が守り伝えた美への招待-展図録」 神戸市立博物館・毎日新聞社 2022年 神戸市立博物館・神戸新聞社・毎日新聞社・NHK
「世界美術大全集東洋編5 五代・北宋・遼・西夏」 1998年 小学館
「世界美術大全集東洋編6 南宋・金」 2000年 小学館
「イスラーム・ガラス」 真道洋子著・枡屋友子監修 2020年 名古屋大学出版会
「太陽シリーズ 正倉院とシルクロード」 松本包夫監修 1981年 平凡社