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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/12/04

コンク、サントフォワ聖堂 タンパン


コンクのサントフォワ修道院聖堂で最も有名なのが西ファサードのタンパンに表された「最後の審判」の場面だろう。タンパンの長方形は6.5m(『ロマネスクの教会堂』より)。

夕刻はタンパンに直射日光が当たらないので見易い。
朝も早朝でなければ、雨の日でなければよく見える。
しかし、午後になって日が差し始めると、光の当たる箇所と日陰の部分との差がきつくなってくる。
いっそタンパン全体に光が射せば、残された彩色などもはっきりと見えるのだが・・・
『中世の街角で』は、コンク教会のコーレ神父が教えてくれた言葉を思い起こす。
「タンパン全部に光が当たるのは何時ごろですか」
「いや、全部に光が当たるときはありません。ただ明日の午後1時にいらっしゃい。もし晴れていればのことですが、教会前の石畳からの、光の反射がすばらしいですよ」という。
しかし、日が射している時間帯でなければわかりにくいものもある。
それはタンパン上方の半円アーチ窓周辺にある切石によるモザイク装飾である。太陽を表したような円と8点星が組み合わされた文様が2つずつ3列、その他にも文様がある。
左:石の色で黒っぽいのと赤っぽい円となっているがほぼ三角形の切石の内側に、黄色い菱形を8つ組み合わせた星形という単純な形だが、上の星形の中心には白い丸石が見える。
下方には、正方形の石の四方に変形六角形を巡らせることを繰り返して、七宝繋文ができている。
七宝繋文についてはこちら
中央:円の色は上下同じだが、上の八角形の中心にはトルコ石色の丸石が象嵌されている。
下の円の左側に赤石と白石の文様があったようだ。
右:やはり上の八角形だけが中心に白石が嵌め込まれている。
その下には多色の石を使った矢筈文様(ヘリンボーン)、更に下方には七宝繋文。
剥落した後に他の石を嵌め込んだために、文様が失われていったのだろう。

『Conques』は、この浅浮彫が構想され制作されたのは12世紀初頭、ボニファス大修道院長の任期(1107-25)のことだった。西扉口の上の切妻に保護された半円に展開しているという。
このような高浮彫に見えるものでも、フランスでは浅浮彫とされている。
同書は、三段に分かれていて、楣石と石の帯はラテン語の銘文が刻まれている。銘文と場面は概ね聖マタイの福音書(24-25章)に沿っているという。

それを同書の区分けに従って細かく見ていくと、

キリストと天使たち

 審判するキリスト
『Conques』は、場面の中央に厳かなキリストが他の者たちよりも大きく、上の段には天使に囲まれた十字架が表されるという。
同書は、キリストは玉座に坐している。裸足で斜めの面にを踏み、静的なこの像に動きを与えている。右手で天国を指し、教えに従う者たちに贖罪を与えている。反対に、左手は下ろし、罪を償うために地獄の責め苦が待ち受ける神に見放された人々を指している。右の天使は「来たれ、我が父に祝福された者」、左の天使は「地獄に堕ちた者は遠ざかれ」というラテン語の銘文が記された巻物を広げている。
キリストの着衣の間から脇腹に槍で突かれた傷が認められる。群雲で縁取られ、星が巡る、かつて深い青色に塗られていたアーモンド形のマンドルラの中にキリストは配置されている。穴を開けられたその目は水平線を見つめている。他の者よりも面長の顔は壁から突き出ている。最後の審判を意味するラテン語が刻まれた大きな頭光から離れている。ここでは、キリストは受難というよりも裁く者として表されている。
救世主は、燭台と巻物を持った4人の天使に囲まれている。燭台は、空が暗くなった最後の審判の前兆を思わせる(マタイ福音書24章29)という。

 十字架とキリストの受難で使われた道具とトランペットを吹く天使たち
同書は、キリストの頭上で、磔刑に処された十字架が立っているという。
二天使が空から下りてきたばかりで、キリストが磔られた金具、鉄の槍先と釘を持っている。この場面は太陽と月に囲まれているという。
この部分は最も太陽の光が射したり雨のかかりにくい箇所なので、彩色がよく残っている。天使の翼は層によって色分けされている。
槍先を持つ天使の左が太陽、釘を持つ天使の右が月
タンパンを保護するヴォールトの下で、二天使が吹く角笛の音が響く。天使たちは選ばれた者たちを集めるために空から舞い降りた(24章31)という。
右の天使

 4人の天使
同書は、キリストの左手に4天使が雲から抜け出て悪に向かって楯となっている。そのうちの一人は最後の審判の時に救われる者たちの名が記された書物を持つ。他の一人はつり香炉を持つ。あとの二人は武装し、地獄に堕ちた者たちと距離をとり、一人は軍旗を、もう一人は剣と「天使たちは分けるために現れるだろう・・・」と記された楯を持っているという。

 大天使ミカエルと悪魔の魂の計量
『Conques』は、キリストの足元には、大天使ミカエルが悪魔と争いながら魂を量っている。この計量の結果が、タンパンの半分半分に正反対の2つの場面をもたらしている。選ばれた者はキリストの右に、地獄に堕ちる者は左に表されるという。
大天使ミカエルが天秤を持つのはエジプトの「死者の書」の影響とされている。
 悪魔が天秤の片方に指を1本の指をかけ、地獄に落とそうとしている。厳粛なだけではない、遊び心のある表現だが、往時の巡礼者たちはこの場面を見上げて救いを感じただろうか、それとも悪魔の恐怖を感じただろうか。

『Conques』は、天国と天上のエルサレム
三段構成は多くの人物を登場させることができた。直ちに、左半分の選ばれし者たちの平安に目を向ける。至福と厳粛が表情に現れているという。
では左側から、

 天国に召される選ばれた者たち
同書は、復活の時、レヴィアタンと用心棒へ最後の一瞥をして、選ばれた者たちは天国に招かれるという
彼らは左の扉の切妻の楣石に記された天上のエルサレムの入口で一人の天使に迎えられるという。

 天上のエルサレム
同書は、街が構築され、切妻屋根や十字架で飾られている。そこには吊り下げランプに照らされたアーケードの下に丸まっているという。
右から左の順に、福音書記者たちと書物、預言者たちと羊皮紙の巻物、アブラハムに肩を引き寄せられた笏を持つ二人の子供という。
殉教者たちとナツメヤシの葉、最後に貞淑な娘達とランプが表されているという。

 祈るサントフォワ
同書は、左の楣石の高さに4つのアーケードがあり、その柱頭はただ荒削りしただけで、玉座のサントフォワ像と収蔵する修道院聖堂の装飾と祭壇の聖杯を描写しているという。
奇跡的に解放された囚人の足枷は若い聖女の恩恵を思わせるという。
同書は、神の傍らで祈ることによって、聖母のように、彼女を信奉する人々をとりなしている。彼女を祝福するために雲間から出た神の大きな手に向かって、頭に布を巻いたサントフォワは跪いているという。
殉教したサントフォワが神の手で天国に召される場面だと思っていた。

 選ばれた者たちの行列
同書は、彼女の祈りの恩恵は読み取れる中段にも届くのだろうか?聖別された高名な13名はキリストの右に列をなしている。信心、慈悲、忠実、服従という巻物を広げた天使たちによって4つの美徳を体現しているという。
聖母マリアは謙虚にイエズスに向かって進んでいる。彼女は後に続く者たちをとりなしている。聖ペトロはその後に続き、これ見よがしに鍵と羊飼いの杖を持っている。その次に、コンクに運命付けられた3名の教会の主がやって来た。コンクの修道会の創始者の隠修士ダドン、T字形の短い杖に寄りかかっているという。
その後ろは司牧の杖に支えられ、星の装飾のある祭服を着た修道士の髪型の者はオルドリック修道院長、それともベゴン?彼は王冠を被った人物の手を引いている。この白髭の白ユリの紋章の王杖を持っているのはシャルルマーニュだろう。彼の後援は修道院に敬意を表したものだった。皇帝は、二つ折り書板と聖遺物箱の贈り物を持っている召使いあるいは修道士に付き添われている。このようにカロリング朝贈り物は修道院とその宝物に対して示されたという。 
左端は小さな人物たちで終わっている。行列に遠近感が出るように。サンジェロームは経札によって特定され、彼は巡礼者の杖を突いた髭のある聖ヤコブに付いてきた。続く二人の婦人のうち後ろの者は狭いところで表されている。彼らの上で天使がサンジェロームに王冠を被せている。この隅の小さな人物たちは、別の彫刻師が手がけたようだ。彼らは四肢が長くほっそりと表されているという。
聖ジェロームは4-5世紀の聖人

『Conques』は、その平安は右半分の地獄の責め苦と対極にある。地獄に堕ちた者たちは積み重なり、天国に行った者たちよりも多い。65名が地獄に堕ちたのに対して、天国にいる者は45名であるという。

 地獄の責め苦
同書は、棍棒を持ったもじゃもじゃ頭の貪欲な悪魔によって痛めつけられた後、レヴィアタンの口から地獄に入る。右の楣石の上で、罪人は主な罪(吝嗇、憤怒、貪欲、大食、淫乱、傲慢、怠惰)でやせ細った悪魔たちの拷問が続く。地獄に堕ちた者の責め苦は地上で犯した悪行に基づいている。誰もがそれに見当がついている。日常の写実と詳細な表現は、天国への路銀は現世で手に入れるものだと思い知るという。
レヴィアタン(Léviathan)は英語ではリヴァイアサン。
レヴィアタンの大きく開いた口には人間のような歯が並び、その中にヒトの足が見えている。

 地獄の責め苦
同書は、間もなく地獄に到達するという。
鎖帷子を着た高慢な領主は落馬させられてフォークで突き抜かれる。二人の姦淫を犯し裸にされた者たちは同じ繩で吊される。彼らの肩に載ったデモン(悪魔)はサタン(悪魔)の耳にささやく。地獄のあるじは忌まわしい笑みを浮かべる。1匹の蛇がその膝に巻き付いている。その足は業火で死んだ怠け者の上に乗る。サタンの右には、吝嗇が首にその財布を掛けて吊されている。嘘つきは舌を引き抜かれている。男の肩の上に坐る女は1匹の蛇に食われているが、それはおそらく淫乱を象徴している。その右には、一人の男が炎の中に投げ込まれているという。 
嘘つきは舌を引き抜かれている。男の肩の上に坐る女は1匹の蛇に食われているが、それはおそらく淫乱を象徴している。その右には、一人の男が炎の中に投げ込まれているという。 
 地獄の責め苦
同書は、楣石の左上で、憤怒は擬人化され、怪物が頭蓋骨をむさぼり食う。右では大道芸人が2頭のけだものに舌を抜かれるという。
楣石の右では、猟師?は顔をヒキガエルに食いつかれ、2頭のけだもが担ぐ棒に縛られて、炎の上で焼かれているという。 

 地獄に割かれた中段は、2段に分かれている。
左下では、服を剥がされた王の冠を跪いたあざけりの仕草の怪物が食べている。王は左手で選ばれた者たちを指し、自分がそこにいないことに驚いている。右には2人の領主が屈服させられているという。 
右のパネルでは、悪魔(デーモン)の夫婦が坐っている男をずたずたにし、その皮膚で楽しんでいる。飲んだくれあるいは大食いは。足を吊されて超過分を吐き出しているという。
上の段では、偽金作りが自分の炉の炎の上に坐って貨幣に刻印する道具を持っている。彼は溶けた金属を飲まされようとしているという。
地面に仰向けになって手に書物を持つ異端者は、踏みつけられ、背中を刺され、頭をむさぼられている。遂に大きな腹の怪物は悪い修道士を網で捕らえ、悪魔(ディアブル)は神父の背中を折って四つん這いにして地に伏せているという。

 死者の復活
同書は、魂の計量の左で、最後の審判その日に死者たちは墓から出てくる。場面は小さなものだが、墓から出てくる様子が動的に表される。三人三様の復活が見られるという。
これが異時同図なのか、それぞれ別の人間が復活しているのか分かりかねていたが、この解説ではっきりした。
天国に行ける人たちよりも、地獄で責め苦を与える悪魔たちの方が豊かに表現されている。
『ロマネスクの教会堂』は、銘文の一つには「罪人よ、汝、悪行を正すことなくば、厳しき裁きの汝に下されんことを知れ」であるという。

サントフォワ修道院聖堂のタンパンはこれで終わりではない。タンパンの半円の庇の弧帯(飾りアーチ)の一番外側に顔をのぞかせる者たちがいて、好奇心と呼ばれている。
左下より①・②
いずれも右手は巻物の下から、左手は上から出ている。②はタンパンの人物同様に目小さな孔を穿って瞳を表す。
②・③・④皆同じ髪型、顔だが、④の瞳だけが白い。『ロマネスクの教会堂』は、目の瞳には蝋の象嵌、全体は彩色仕上げという手法により、コンクの「最後の審判」はいっそうリアルなものになったという。
⑤・⑥・⑦
⑧・⑨・⑩
中央の⑨だけが両手を広げて巻物の端を掴み、⑩は右手を上に左手を下に巻物を支えている。
⑪・⑫・⑬
⑭・⑮・⑯・⑰

巻物が縦から横になる角で着衣の襞のように折りたたまれている。
最後の審判という厳粛な主題ながら、このような人物を配置してしまう、ロマネスクの遊び心という他はない。

サントフォワ聖堂 軒下飾り(モディヨン)← →サントフォワ聖堂 サントフォワ像

関連項目
サントフォワ修道院聖堂タンパンのイルミネーション
東寺旧蔵十二天図2 截金1七宝繋文

参考文献
「Conques」 Emmanuelle Jeannin・Henri Gaud 2004年 Edition Gaud
「中世の街角で」 木村尚三郎 1989年 グラフィック社
「図説ロマネスクの教会堂」 辻本敬子・ダーリング益代 2003年 河出書房新社(ふくろうの本)