二仏並坐像というものがある。
『建築を表現する展図録』は、『法華経』見宝塔品には、霊鷲山で『法華経』を説く釈迦と大衆の前に、1基の大宝塔が地中から涌出する場面が記される。涌出し、空中に浮いた宝塔の中には多宝如来の舎利が納められており、中から多宝如来が釈迦の説法が真実であることを大音声で宣言した。その後、宝塔内に入った釈迦は十万世界から集まった諸仏や菩薩とともに多宝仏の分身を拝し、さらに、釈迦如来は多宝如来に座を与えられ並んで結跏趺坐し、ともに法華経を説いたという。
雲崗石窟第20窟(曇曜五窟うち)東壁 雲崗初期(北魏時代 460-470)
知っている限りでは最も古い二仏並坐像。しっかりと結跏趺坐して表されている。
二仏並坐像 唐、咸亨4年(673) 砂岩 高さ29.2㎝幅20.0㎝ 大阪市立博物館蔵
ところが、彬県大仏寺千仏洞(760年頃、盛唐期)では、二仏は表されているのに、並坐像ではなくなっていることが不思議だった。
二仏並倚像いや半跏像が2組並んで彫られていた。
二仏並立像もあった。
二仏並立像 盛唐(712-765) 千仏洞中心柱27窟 高さ2.3幅1.5mの龕
説明パネルは、二如来立像は、丸い蓮台の上に立っている。同じ大きさでふっくらしている。美しい女性の容姿で表されているという。
二仏並立像ともいえるような造像がされるようになったのは何故だろう。龕という制約のある空間に、できるだけ大きく二仏を表したかったというだけのことなのかな?
彬県大仏寺 大仏窟の装飾
彬県大仏寺 千仏洞
参考文献
「彬縣大佛寺」 彬县大佛寺石窟博物館
「大阪市立美術館 山口コレクション 中国彫刻図録」 齊藤龍一編 2013年 大阪市立美術館
「仏教美術用語集」 中野玄三編著 1983年 淡交社
「建築を表現する展図録」 2008年 奈良国立博物館