その特徴の一つがウエストは細いのに大腿部に張りがあることである。
仏三尊像 龕番号不明
仏はゆつたりした着衣に大衣を羽織っている。両脇侍菩薩は体を三曲にまげ、ぴったりとした裙をつけて大腿部の張りが強調されている。
菩薩並立像
面部もよく残っており、穏やかな表情である。
このような大きな仏像は、小さな龕内の仏像よりもよく残っている。会昌の廃仏(845-846)の時も、美しさ故に壊すのに忍びなかったのかも。
159龕 盛唐(712-765) 龕の高さ2.15幅0.81m
説明パネルは、左腕は垂下して着衣の裾を持ち、右手は施無畏印を結ぶ。広い肩と細い胴部の細身の体である。着衣は体に密着し、衣文は写実的であるという。
近くから見上げて撮影しているため、脚が長く見えるが、奈良・聖林寺の十一面観音菩薩立像(8世紀)にも似ているが、日本の仏像の場合は、脚がこれほどくっきりと分かれて見えるようには表現されない傾向にある。
確かに着衣が体に密着しているからこそ、大腿部が目立つのだが。
027窟 二仏並立像 高さ2.3幅1.5mの龕
説明パネルは、二如来立像は、丸い蓮台の上に立っている。同じ大きさでふっくらしている。美しい女性の容姿で表されているという。
その右の独尊像も同じ特徴である。違いは独尊像の方が衣文線に丸みがあることくらいかな。
蓮台の上にまっすぐに立つ如来が2体。
多宝如来と釈迦如来という組み合わせの二仏並坐像は今まで見てきたが、二仏並立像というのはこの大仏寺で初めて見た。やはり多宝如来と釈迦如来なのだろうか。
二仏並坐像については次回
仏三尊像 龕番号不明仏はゆつたりした着衣に大衣を羽織っている。両脇侍菩薩は体を三曲にまげ、ぴったりとした裙をつけて大腿部の張りが強調されている。
独尊の仏立像
この窟の如来や菩薩の立像は大腿部に張りのある像が多いが、それは盛唐期(712-765)の特徴で、日本にも伝えられている。
しかしながら、千仏洞の仏像に着衣は翻波式衣文は見られない。このように衣文線が表されない仏像もある。
未完成なのかもわからないが。面部もよく残っており、穏やかな表情である。
鑑真和上が日本にやってきた時は、弟子だけでなく、仏師なども連れてきていて、当時の唐の最新の仏像の様式が日本に将来された。それは奈良時代末期に唐招提寺で造像され、平安時代初期の様式へと受け継がれたのだった。
しかしながら、中国のように衣がぴったりとした2本の脚として表現されてはいない。それは当時の日本人の美意識が考慮されたのかも。
伝薬師如来立像 奈良時代(8世紀) 木造 像高160.2㎝ 唐招提寺新宝殿蔵
『新版古寺巡礼奈良8唐招提寺』は、木心を後方にはずしたカヤの一木より、頭頂から蓮肉の下方に伸びる軸(葺軸)までを含めて彫り出している。頭部は小さく、体部は幅広で量感があり、腰が高い位置にあることから伸びやかである。顔は頬が豊かに張り、微笑をみせる。肉付けを強調した大腿部と腹部の間には極めて密に衣文線が刻まれ、それが下方にいくと急に疎になるという、集中と拡散のリズムをみせる。またうねる衣端部には、生命感のある波状の衣文線が刻まれる。このような表現は、鑑真和上に随行した仏工の作であることを示しているという。
茶杓形衣文は膝のあたりに見られるが、翻波式衣文は左袖あたりに限られる。衣文はそれぞれが盛り上がって表されている。
『新版古寺巡礼奈良8唐招提寺』は、木心を後方にはずしたカヤの一木より、頭頂から蓮肉の下方に伸びる軸(葺軸)までを含めて彫り出している。頭部は小さく、体部は幅広で量感があり、腰が高い位置にあることから伸びやかである。顔は頬が豊かに張り、微笑をみせる。肉付けを強調した大腿部と腹部の間には極めて密に衣文線が刻まれ、それが下方にいくと急に疎になるという、集中と拡散のリズムをみせる。またうねる衣端部には、生命感のある波状の衣文線が刻まれる。このような表現は、鑑真和上に随行した仏工の作であることを示しているという。
茶杓形衣文は膝のあたりに見られるが、翻波式衣文は左袖あたりに限られる。衣文はそれぞれが盛り上がって表されている。
関連項目
参考文献
「新版古寺巡礼奈良8 唐招提寺」 西山明彦・滝田栄 2010年 淡交社