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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/12/04

彬県大仏寺 羅漢洞に渡海文殊群像


羅漢洞の西開口部に近い一角に文殊菩薩騎獅像があったが、向かい側にゾウに乗った普賢菩薩像はなかったので、唐時代には釈迦の眷属として文殊菩薩と普賢菩薩が対で登場することはなくなっていたのかななどと思っていたが、獅子の綱をひく小さな人物に気が付いた。これは安倍文殊院にある渡海文殊群像と同じではないか。

『仏像図典』は、文殊は釈迦入滅の後インドに生まれ、菩薩道を修し、釈迦十大弟子たちと往復問答をしたのをはじめ、仏典結集に深い関係をもったと考えられる。従って十大弟子と共に文殊・普賢を上首とする釈迦如来の代表的眷属として釈迦三尊には不可欠の尊である。
又文殊はごく現世的な歴史上の人物として説かれたもので、維摩居士の如く確に現実の人物であったかと考えられるという。
同書は、次に旧訳華厳経の入法界品によれば、文殊は自ら南方に遊止し、善財童子に更に南方への遊行を勧奨するなどのことがあった。この情景は善財童子華厳五十五ヵ所巡礼として絵巻類に取上げられる。しかし文殊の浄土はもともと東方にありと云われ、菩薩瓔珞経、央堀魔羅経等には未来の仏土名(仏住世界)とその後身の仏名(宝相如来など)を説く。また旧訳華厳経には文殊菩薩の住所としての清凉山を、文殊師利法宝蔵陀羅尼経には大振那国中に五頂の山ありと説く。これより中国山西省清凉山(五台山)は文殊の霊地としてきわめて人口に膾炙し、五台山を中心とする文殊の信仰とその造像は我国へも伝えられるに至ったという。
獅子の肢はそれぞれ丸い台に乗っているが、蓮台なのだろうか。善財童子は片足を小さな台に、もう一方を獅子の台の上に乗せている。
善財童子はあまり立体的に表されていないので、暗い洞内では見逃しそうなくらい。

渡海文殊群像 鎌倉時代 建仁3年(1203) 奈良県安倍文殊院蔵
渡海文殊群像について
 『国宝文殊菩薩』は、当山の文殊菩薩は、獅子に乗るお姿でその総高は7mと、現存する日本の文殊菩薩の中では、最大の大きさを誇ります。そのお姿は、獅子に乗る文殊菩薩を中心として、左に優填王が獅子の手綱を執り、右に仏陀波利三蔵(須菩提)と、最勝老人(維摩居士)が前後に侍し、この一群を善財童子が先導する渡海文殊の群像です。
この渡海文殊群像は、文殊様が説法の旅に出られ、おりしも、雲海を渡るお姿を表したものと云われております。文殊像が伴われる4人の侍者は、学説的にはいくつかの説があり必ずしも統一されている訳ではありませんが、当山においては、古来より善財童子、優填王、維摩居士(最勝老人)、須菩提(仏陀波利三蔵)と名付けられておりますという。

渡海文殊群像というものは日本でできあがったもので、古くから文殊菩薩の信仰の篤かった中国でも、群像というほどの眷属は表さず、文殊菩薩騎獅像に善財童子が付属する程度だったのかも。

          彬県大仏寺 盛唐期の特徴

関連項目

参考文献
「国宝文殊菩薩」 日本三文殊第一霊場 安倍文殊院
「仏像図典」 佐和隆研編 1962年 吉川弘文館