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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2025/04/08

大シルクロード展染織編 蠟纈・錦・綴織・刺繍


大シルクロード展にはカメラは持って行かず、スマホもしっかり充電せずに行ったら、何と「撮影可」だったので、電池がなくならない程度に写しながらの鑑賞となった。また、会場には作品だけでなく、上方に各地の大きな写真パネルがあって、今まで行ったところの風景が懐かしく、まだ見ぬ地へも誘われた。いつの日にか現地でその景色を眺めたいものだ。
来館者もそれぞれにお気に入りの作品を撮影したりして楽しみながら見ておられて、とても雰囲気の良い中を、久しぶりに見るもの、書物でしか見たことがないものなど思い入れのある品々の鑑賞に浸ることができた。

まずは染め物から。

蠟纈 (解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)、
臈纈はインドで発生したといわれており、木綿布の産地もインド方面です。

女神像棉布 1-3世紀 棉、臈纈染め 縦48.0㎝、横85.0㎝ 1959年新疆ウイグル自治区民豊県ニヤ遺跡1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、棉織物に臈纈染めによって文様を表しています。臈纈染めとは蠟を塗って防染することで文様を染め出す技法ですという。

同展図録は、左下の正方形の枠の中には、豊穣の角(コルヌコピア)を持つ女神の上半身が表されています。クシャ-ン朝のフヴィシュカ王(2世紀後半)のコイン裏面の女神アルドクショ-との類似が指摘されていますという。
このふくよかな女神はクシャーン朝由来のもの?

同展図録は、
右上の大きな区画が構図の中心にあたりますが、残念ながら人間の右脚の指先とライオンの尾と脚先が辛うじて見えるだけですという。
ヘラクレスのライオン退治の図柄だったのかも。

下の長方形の区画には、体をくねらせる龍らしき生き物の一部と、尾の先にかみつく小動物、龍の上下に止まる鳥が認められますという。
身をよじって尾に噛みつく動物はともかく、小鳥の中に一羽だけ後ろを向いているのがいて、この作品を仕上げた人が楽しみながら作業しているようだ。
顔が失われているので龍かどうかは確定できない。ひょっとすると、左端の動物の口から流れ出た水が大地に草をはやし、それを食べに小鳥たちが水辺に集まってきたというのを表しているのかも。


獅子狩文絹布 唐・7世紀末-8世紀初 平絹、臈纈染め 縦42.0㎝、横29.0㎝ 1973年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓191号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、疾駆する馬にまたがる男性が、後ろを振り向いて、獅子に矢を放つ瞬間を表しています。獅子は前脚を高く挙げ、馬上の人物に襲いかかっています。周囲には兎を追う犬や小鳥を追う鷹、 草花が表されています。馬の首もとに見えるのは「飛」という漢字(展示されている部分では左右反転)であるとされ、法隆寺四騎獅子狩文錦の馬の臀部に見える「山」「吉」という漢字との類似が指摘されています。
獅子狩文といえば、ササン朝ペルシアの銀皿に表された帝王獅子狩文がよく知られていますが、ペルシア銀器や法隆寺錦とは異なり、騎士が王冠をつけないのが本作品の特徴といえます。
文様は染織技法の一つである臈纈染めによって表されています。淡い黄色の平絹を用い、文様部分を蠟で防染した後で赤茶色の染料に浸し、文様を染め出しています。本作品では判型を使用して文様部分に蠟をつけたと考えられていますという。
残念なことに、射手が後ろを向いて矢を構える「パルティアン・ショット」についての解説がない。
パルティアン・ショットについてはこちら
新疆ウイグル自治区博物館蔵獅子狩文絹布 唐・7世紀末-8世紀初 世界遺産 大シルクロード展図録より


続いて織物を年代順に(解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より)、

経錦(たてにしき) 
中国の絹織物の歴史は非常に古く、漢代には東の長安から西へ通じる西域南道と西域北道がベルシア、さらにロ-マ帝国へと続き、いわゆる「シルクロ-ド」を通って東西の文物の交流が頻繁に行なわれるようになり、双方の染織技法や文様が伝播しました。今回の展示品をみると、トルファン・アスタ-ナより北朝 (5-6世紀)から唐(7-9世紀)にいたる錦が出陳されています。錦は漢代からの伝統を引き継いだ経錦が主流でした。

綴織(つづれおり)
西方から中央アジアに伝わった綴織(中国では「緙絲(こくし)」と表記)は平織に比べて少し間隔を空けた経糸に、文様におうじた色の緯糸を手作業で折り返して詰めていくので、緯糸が密になり、一見すると絵画のようにもみえます。色の境目には「ハツリ」と呼ばれる縦の隙間がみられる場合が多いです。錦のように大掛かりな織機を必要としません。


半人半馬および武人像壁掛 前2-後2世紀 毛、綴織 縦116.0㎝、横48.0㎝ 1984年新疆ウイグル自治区ホ-タン・ロプ県サンプラ古墓1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
は、この毛織物の断片は被葬者のズボンの一部でしたが、もとは大きな壁掛であったと考えられています。左端に織耳が残っていることから、壁掛の左端にあたることが分かります。帯状の繧繝模様によって上下二段に分かれています。西方の高い綴織技法で制作された壁掛が、ホ-タンにもたらされ、被葬者のズポンに仕立てられたと考えられますという。
それでこんな細長い裂だったのか。

『シルクロード 絹と黄金の道展図録』(2002年)では後1-3世紀とされていた。20年も経てば研究が進んで、見解も違ってきたりするので、このような特別展やその図録というものは有り難い。
平たいケースに展示されていたので、どうしても遠くの方は小さく写ってしまう。

『世界遺産 大シルクロード展図録』は、上部は藍地で、四弁の花からなる菱形の枠の中に上半身が人間の半人半馬を表しています。両手で長い笛を持ち、それを吹きながら疾駆していますという。
なるほどケンタウロスは西方の顔立ち。敵の急襲を知らせるのではなく、花々に囲まれて慶事の様子を表しているようだ。細い蔓が申し訳程度に織り込まれている。

同展図録は、下部は赤地で、長槍を持つ武人の頭部と右肩が認められます。髪の毛を後方に撫でつけ、白っぽい鉢巻きをしめています。顔貌表現は写実的で、色糸の濃淡により立体感を見事に表現していますという。


ズボン 1-3世紀 毛、綴織、経錦 長111.0㎝、腰幅61.0㎝ 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、本作品のように毛織物の一部に綴織を織り込み、それに沿って繧繝模様や波頭文を表す織物がシリアのパルミラやドゥラ・ユ-ロポスなどの遺跡から出土していることが指摘されていますという。

膝上と膝下の2ヵ所に帯状の装飾が織り込まれています。上の文様帯は幅約8㎝で、下は幅約4㎝です。文様はどちらも上下対称で、中央に幾何学文様を綴織で表しています。その両側は繧繝模様で、内側から外側へ徐々に色が変化しています。上の文様帯では繧繝模様の両端に波頭文が表されていますという。
新疆ウイグル自治区博物館蔵ズボン 1-3世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

ズボンの裾には動物山岳雲気文錦が縫い付けられています。地は藍色で、緑、赤、白などの経糸により山岳雲気文を上下に連続させ、その間に瑞獣や漢字を表していますという。
新疆ウイグル自治区博物館蔵ズボン 1-3世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


草花文綴織靴 1-5世紀 毛、綴織・綾織り、皮革、絹 長29.0㎝、高16.5㎝ 1995年新疆ウイグル自治区民豊県ニヤ遺跡1号墓地5号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館
同展図録は、ニヤ遺跡5号墓の女性被葬者が履いていた踝丈のブ-ツです。
底部には皮、内側はフェルトが用いられ、履き口には別裂の縁がつけられています。本作品が出土したニヤは、西域南道に栄えた鄯善国の西端に位置するオアシスで、漢文史料では精絶の名で呼ばれていました。早くに砂漠化して被葬者はミイラ化し、身につけていた服飾も本作品のように驚くほど良好な状態で保存されていますという。
2000年近く昔のものが、現在つくられたと言われてもそうかと思うほど色が鮮やか。日常履いていた汚れさえなさそう。

同展図録は、アッパ-部分の毛織物は、一枚の裂に二種類の異なる技法が見られます。正面は一色ずつ色糸を折り返す綴織技法で、帯状に草花文を織り出しています。その両側は、綾織りで濃淡の色調を段階的に配する繧繝配色を表しています。このような技法・意匠の毛織物は西域南道とよばれるタリム盆地南縁の諸オアシスに類例がみられますが、その中でも本作品の繧繝は精巧なことで知られていますという。
綴織の箇所では、地面から生えた草は茎が二つに分かれて伸び、それぞれ花を付ける。そんな周辺の自然が意匠としてできあがっている。スミレの花かも。
両側の綾織り部分は暈繝のグラデーションが美しい。踵に近い方は真紅で濃淡はない。


太陽神等文様錦 5-6世紀 絹、錦 縦42.0㎝、横27.0㎝ 1985年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省博物館蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群の熱水第一号墓から出土した錦断片で、二種類の錦が縫い合わされており、左端に縁取りが縫い付けられています。各錦には絵柄の異なる円文が織り込まれていますが、特に右側の錦はトルファン・アスターナ101号墓出土の連珠狩猟紋錦(北朝)とデザインがほぼ同じです。
左側の錦は、中央に相対する動物を表し、その上下には、建物の中に立つ二人の人物、さらに。両端の文様は不明ですという。
連珠円文ではなく、渦巻円文とは凝った織り方をしたものだ。その中のデザインもまた細かい。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

上左:渦巻文に囲まれた獣面を、上下対称となるように表していますという。
獣面が逆さになっているので下の方の図を参照して下さい。

上右:象、馬上から鹿を射る人物、獅子、駱駝が相対しています。また獅子の間には蓮華座に立つ塔のようなものが見えます。円文はそれぞれ渦巻文で縁取りされ、各円は花柄で繋がれます。また各円の余白には動物が表されていますという。
上半にはパルティアン・ショットで鹿を狙う人物というモティーフが左右対称に表されている。下半は分かりにくいので下方の図を参照して下さい。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


中左:(上下逆)中央に相対する動物を表し、その上下には、建物の中に立つ二人の人物、さらに渦巻文に囲まれた獣面を、上下対称となるように表していますという。
本図では上下の尖った曲線の枠の中に対獣文が表されている。頭が大きいので獅子だろう。その下に二人の門番(仁王ではない)と、中央の通路のようなところに七つの薄い色の円文がある。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

中右:真ん中の円文は四頭立ての馬車に乗る太陽神ヘリオスの文様で、太陽神は光背を備え、頭上には傘蓋が確認できます。両脇には鳥のような獣に乗る小人がいるとされますという。
頭光のある仏像だと思って見ていたが、交脚像でも倚像でもないのはヘリオスだからか。鳥のような獣に乗る小人は何かを掲げている。


下左:渦巻文に囲まれた獣面
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

下右:上方と同じ文様が上下対称に表されていて、下部は傷んで何が表されているのか不明だが、上下反対にしてみると、獅子の間に塔のようなものがあるのは分かる。
青海省博物館蔵太陽神等文様錦 5-6世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


羊樹文錦 6-7世紀 絹、経錦 長24.0㎝、幅21.0㎝ 1972年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓186号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、緑地に紅、黄、白色の経糸で文様を織り出した経錦です(たてにしき、経糸の方向は文様の左右方向に当たります)。文様は大樹を中心に、樹下に一対の山羊、梢の左右に二対の鳥を配して一単位を構成しています。西方由来のモチ-フを中国で発達した経錦の技法で表現していることが特徴です。
大樹の形状は人工物のようにも見えることから、中国北朝から唐代の風習で上元節(正月十五日)に飾った「灯樹」を表したものとする説があります。アスタ-ナからは本作例と同じ文様で藍地のものや(151号墓)、「吉」字が織り込まれたもの(31号墓)が出土しています。いずれも620年の埋葬で、この種の錦が流行した時期を知ることができます。なお、313号墓出土文書に「陽樹錦」の記載があり、「陽」は「羊」と音が通じることから、本作例のような文様の錦を指す可能性が指摘されていますという。

『シルクロード絹と黄金の道展図録』(2002年)では、五胡十六国-麴氏高昌国時代(5-6世紀)。雄々しい角を持った雄羊ではあるが、頸にはササン朝の動物にしばしば登場するリボンをなびかせるとなっている。

山羊か羊か? 山羊でこんなに長い角のある種は見たことがないし、大角羊は曲がった角を左右外側に描かれている。
リボンを首に巻くのはゾロアスター教美術。それについてはこちら
新疆ウイグル自治区博物館蔵羊樹文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


そしてちょっとびっくりのこの布は、図録のものとはかなり違う写り方になってしまった。


蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 絹、経錦 縦26.0㎝、横17.3㎝ 2004年新疆ウイグル自治区トルファン・バダム古墓244号墓出土 トルファン博物館蔵
同展図録は、鮮やかな藍地に赤・白・緑の経糸で文様を織り出した経錦です。ソグド系豪族・康氏の墓地から出土しました。
蓮華化生とは仏教図像の一種で、蓮華から生まれ出る天人や極楽往生者を表したものです。畏獣とは中国古来の鬼神像の一種で、獣面・二足で羽を生やしています。中国では伝統的な瑞祥(為政者の徳に呼応してめでたいしるしが現れること)の観念が仏教と結びついたことを背景に、6世紀前半には中国的鬼神・神獣と仏教図像が入り混じった図像が流行しました。なお、錦を含めアスターナの副葬品に仏教図像が認められることは珍しく、その点においても興味深い作品ですという。
ソグド人はゾロアスター教を信仰していたのに、仏教由来の文様を身につける、あるいは副葬するということもあったのか。
トルファン博物館蔵蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

文様は織地の耳(図版では下端)側から、一対の有翼獅子、蓮華から上半身を現した蓮華化生、連珠蓮華文を配し、
トルファン博物館蔵蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

さらに畏獣が蓮台を支え、その上に水晶形宝珠がのる様を一単位としていますという。
しかもそれぞれ左右対称の同じ文様をを横に並べ、縦には五つのモティーフの上に連珠蓮華文を配し、その上は五つのモティーフが逆に織られているようだ。
トルファン博物館蔵蓮華化生および畏獣文錦 6-7世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


靴下 7-8世紀 絹、経錦、刺繡 縦27.0㎝、幅23.0㎝ 1983年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省文物考古研究院蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群から出土しました。3種類の異なる絹織物を縫い合わせたおそらく室内用の履き物です。当該墓地群からはチベットや西域の影響を受けた文物が多く出土していますが、この履き物からは明らかに唐文化の影響がみてとれますという。
贅を尽くしたさまざまな履物は古墓からいろいろと出土しているが、実際に履いていたものなのか、葬られる時に履かせたものなのか。傷んだ箇所があるのは、個人が使用していたからだろうか。
青海省文物考古研究院蔵靴下 7-8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

足首部分は青地に黄色で花文2種類が規則的に織り込まれた経錦であり、足の甲部分は赤地の絹織物に黄、青、緑などの糸で花文を刺繍しています。花文の真ん中には六弁の花が置かれ、花の周辺を6枚の葉が囲み、葉の間には三弁の花が挟まれています。六弁の花の中心は緑と黄の2種類があり、また三弁の花も緑のみ、黄のみ、黄に緑で縁取り、緑に黄で縁取りの4種類があるなど変化が付けられ、形状も異なります。足底は黄色の絹の上に黄色の糸で四角様に刺繍され、滑り止めとなっていますという。
それぞれの花の文様にも工夫を凝らした非常に豪華な靴下である。
青海省文物考古研究院蔵靴下 7-8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


緯錦(ぬきにしき、解説文は『世界遺産 大シルクロード展図録』より) 
唐代になると、緯糸(よこいと)の浮き沈みで文様を表わした西方由来の緯錦技法が出てきました。この技法は、経錦とは異なり、文様に応じて自由に配色を変えられるとともに、大形の文様も織ることができ、やがて緯錦が錦の主流になっていきます。しかし、奈良時代の日本においては、引き続き経錦も織られていました。
錦の文様をみると、西方由来の連珠文や内部に動物文などを納めたササン朝ペルシア風の文様が、緯錦で織られていることもあり、文様のみならず織の技法においても、両者が影響しあっていたことがうかがわれます。


唐花文錦鞋 唐・8世紀 絹、綿、緯錦 長29.7㎝、幅8.8㎝、高6.0㎝ 1968年新疆ウイグル自治区トルファン・アスタ-ナ古墓381号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
同展図録は、つま先が反り返って雲形を呈する、華やかな女性用の浅靴です。靴の両側に紐がついています。ひきずるほど長い裾から靴先がのぞいて装いのポイントになっていますという。
正倉院宝物の鳥毛立女屏風にもこのような先が長い裾から出ていたが、これほど嵩のある鞋先だったとは。それについてはこちら
それに細い紐で甲に結んでも、浅過ぎて歩きにくかったのでは。

外側は白地に唐花文を織り出した緯錦で覆い、立ち上がった靴裏中央を紅地の布に切り替えています。靴の内側は色とりどりの縦縞に小花文を配した長斑錦、中敷きは黄色の入子菱文綾を用いています。靴底は綿布を縫いあげ、下敷きに綿をつめていますという。
外側だけでなく、内側にも縦縞の長斑錦を貼るなど贅を尽くした鞋。鞋底は踵から足先に向かって厚くなっているが、こんな鞋って歩き易いのだろうか。
新疆ウイグル自治区博物館蔵唐花文錦鞋 唐・8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より


鞍敷 8世紀 絹、刺繡 51.0×37.0㎝ 1983年青海省海西州都蘭県熱水墓地出土 青海省文物考古研究院蔵
同展図録は、都蘭県熱水墓地群から出土した鞍敷の一部です。絹布全体に刺繍がほどこされ、地の部分は黄色の糸で、複数のパルメット文から成る文様部分は青、白、茶、緑などの糸で刺繍されています。いわゆる唐草文の一つで、北朝や唐代の文物によく見られます。
花文の底部から緑で縁取りされた葉が左右に広がり蔓となって花を囲んでいます。この文様を基本単位とし、鞍敷の左右にはこの単位を四つ集めた文様が配置され、また上部にはこの単位を三つ集めた文様がある一方で、下部にはこの単位文様が一つだけ表されます。各文様は蔓で連結され、間にも花弁や蔓が配されますという。
織物は非常に繊細な工芸品だが、刺繍で生地を覆い尽くす作業もまた手間の掛かる作業の賜物である。
青海省文物考古研究院蔵靴下 8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

これが花の下側から左右に出た葉が蔓となって花を囲んだ単位を四つまとめたもの。その中心には小さな蕾が一つずつ伸びている。外側には二段に膨らんだ蕾が蔓の分かれ目から出ている。蕾の大きさや花弁の数も様々でいろいろ探すのが楽しい。
小さな花から、蔦となった葉が囲む大きな花まで、花の縦断あるいは断面を表していて、後のオスマン朝期のイズニクタイルに見られるハタイという文様のようだ。
青海省文物考古研究院蔵靴下 8世紀 世界遺産 大シルクロード展図録より

暈繝配色の宝相華(唐花)文を全面にわたって鎖繍で埋めつぶす手法がとられており、技術の進展が認められます。漢代以来の鎖繍が唐代まで受け継がれていたことがわかりますという。
鎖縫は中国発祥だった。





関連記事

参考文献
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
図録は重く立派な物で、手持ちの書物や図録がかなり以前のものなので、その頃と現在では出土物の解釈も変わっているだろうと思って買った。私にとって美術史の最新情報が得られるのは展覧会の図録なのだから。
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年  NHK



2020/11/24

彬県大仏寺 大仏窟の装飾 


彬県大仏寺について『彬縣大佛寺』は、石窟群は貞観2年(628)、唐の李世民の時代に建造が始まったというので、阿弥陀如来は628年以降に彫り出された初唐期の石仏になる。
阿弥陀如来の光背の上には菩提樹が繁り、左右から日月(じつげつ)を持った手が出ている。この日月については面白いことが分かったので、後日まとめます。

光背頂部
三尊が安置されている楼閣が頂点にある。
腰を曲げ、琵琶を奏でる楽人が残っている。舟形光背の外縁には左右対称に飛天が配されていたのだろう。
頭光の縁の上には化仏、外縁には力強いパルメット唐草。その周囲の凹凸のある丸い文様はロゼット文?

舟形光背では、下になるに従って楽人(飛天)の反り方が変わってきた。その内側は火焔あるいは雲。

その内側には化仏の坐像。蓮弁の彩色もよく残っている。


その周囲は細い輪郭線が盛り上がって、雲か大気が勢いよく流れているよう。


左の観音菩薩の光背には化仏も飛天もいない。

雲気文または火焔文の内側には全パルメット羽状唐草文の装飾がある。
それにしても観音菩薩の頭飾の高いこと。その上の化仏は立像で、まるで岩の上に立っているよう。

一方、勢至菩薩の方は
光背に唐草文はない。
三面頭飾、正面の頭飾には坐像の化仏、右耳上の頭飾には饕餮?

残念なのは、阿弥陀如来の躰は後補のため、当初の着衣の文様などがわからないことだ。


                 →彬県大仏寺 盛唐期の特徴

関連項目

参考文献
彬縣大佛寺」 彬縣大佛寺石窟博物館 

2018/08/14

トゥールーズ、オーギュスタン美術館 ドラド修道院の2番目の工房


『Sculptures Romanes』は、ノートルダム・ド・ラ・ドラド修道院回廊の彫刻群は4つの工房に分類される。そのうちの3つの工房を特定するのは容易でるある。ロマネスク彫刻の様式と図像学の変遷を追うのにドラド修道院の作品群は適している。
当館では27の柱頭を収蔵している。オートガロンヌ県のベルベズ(Belbèze)から運ばれた石灰岩でつくられたという。

前回は最初の工房の柱頭彫刻をまとめたので、今回は2番目の工房の柱頭彫刻。
『Sculptures Romanes』は、政治的な要因で10年の空白の歳月があり、2番目の工房が回廊の仕事を再開した。1120-30年のものは19個の柱頭が収蔵されている。その内の12個は聖書の物語が描写され、13番目は寓話で、一連のものは、足を洗うキリストから過越祭までのキリストの受難を表す。
このような連続する物語の柱頭は、ロマネスク彫刻では異例である。
動物、装飾文様、6つの植物文様は例外である。
最初の工房は、硬直し、枠の中に押し込められていたが、感情的で劇的な強烈さ、あふれる活力、装飾的な衣褶の扱い、細部表現の繊細さという2番目の工房の特徴は、12世紀の転換期に起こった精神的な変動の兆しや、新たな人間性の出現を示しているという。

洗足 1120-30年 高35幅52奥行41㎝ 石灰岩 単円柱の上に置かれた 2番目の工房 ドラド修道院回廊
説明パネルは、捕縛の前の最後の晩餐の時、キリストは使徒たちの足を洗いながら、謙遜という最後の教訓を与えた。キリストは手を挙げて拒むペテロの前に跪いている。続く2面に4使徒が儀式に従って、履物を脱いだり、裾をたくし上げたりして準備をしているという。
キリストが跪いている面には、半円アーチから両開きの幕が左右の円柱に巻きつけられている。
キリストの背後から聖マティアはタオルを差し出している。アキテーヌ地方の伝導者マティアはトゥールーズにも伝導に来たという。
頂板の文様はジグザグに折り曲げたリボンが2段で矩形をつくっている。
ねじった畝の円柱の上には、この柱頭の上部とおなじ葉文様になっている。

最後の晩餐 1120-30年 石灰岩 単円柱の上 2番目の工房 ドラド修道院回廊
説明パネルは、頂板は果実のある葉飾り。
キリストが受難の前に弟子たちと最後の食事をしている時、彼らの中の一人が自分を裏切るだろうと告げた。キリストの方に身をかがめて、ヨハネは誰が裏切るのかと尋ねた。イエズスは、テーブルの前に坐っていた小さなユダにひとかけらのパンを与えながら指した。反対側の小さな面で、マティアは料理皿を持って弟子たちに加わっているという。
左面がユダにパンを与えるキリストと背中側に寄りかかるのがヨハネとすると、その角に一人テーブルの前で子供のような小さく表されているのがユダ?それとも、半円アーチの下に一人坐っているのがユダ?
こちらの方がキリストとヨハネかな?右面がマティア(ユダの後で十二使徒に加わる)というのは分かり易いが。

キリストの捕縛 1120-30年 高35幅52奥行52㎝ 石灰岩 3本の円柱の上 2番目の工房 ドラド修道院回廊
同書は、4面の登場人物の多さは、この場面が柱頭の中で最も複雑だが、最も革新的な表現である。
左半分はキリストがこの人物であると捕らえに来た兵士たちに教えるユダ(ユダの裏切り)、右半分から次の面に続くキリストの捕縛の場面。
左はキリストの鞭打ち、右はカルヴァリの丘への十字架背負いの場面。

十字架降下と埋葬 1120-30年 高36幅52奥行40㎝ 石灰岩 単円柱 2番目の工房 ドラド修道院回廊
頂板の文様は環つなぎ唐草。
説明パネルは、アリマタヤのヨゼフがポンティオ・ピラトからイエズスを埋葬する許可を得て、ニコデモが十字架に残った左腕をやっとこで外している間、遺体を支えていた。その左にはひどく傷んだ聖母が息子の右腕を支え、その顔に優しく近づいている。次の面では、ヨハネが悲嘆にくれたて右手を顔に当てているという。
この柱頭は面によって、背景が異なる。無文のところと、ワッフル地文様の箇所があって、その違いがわからない。
次の面では、十字架降下のすぐ後に埋葬となる。アリマタヤのヨゼフがキリストの頭部側、ニコデモが足側にいて、亜麻布でくるんだイエズスの遺体を柩の中に納めた。聖母と聖ヨハネは泣きながら背後に控えているという。
それぞれの着衣は薄手で柔らかなもので、その襞が細かく表されている。

キリストの冥府下り 1120-30年 高35幅52奥行40㎝ 石灰岩 2番目の工房 ドラド修道院回廊
説明パネルは、十字架に架けられ死んだ後、復活の前に、キリストは地獄へ下りて行った。そこで、古い法律(旧約聖書のユダヤの法律)で正義とされた魂を見つけ、悪魔を投げ飛ばした。復活の十字架を突き立て、アダムとエヴァを解放した。地獄は人物の背後に描かれている。一人の悪魔が地獄に墜ちた者たちを業火(炎の上に鍋!)に西洋鍬で投げ込んでいるという。
この画像では判別しにくいが、キリストの着衣の襞の細かさや文様の表現などは最初の工房では見られなかった。
また、アカンサスの翻った葉先は、狭い面では両角に、広い面では両角だけでなく中央にもある。
別の広い面では、3人の選ばれた者たちが天使に天上のエルサレムに導かれている。その入口の門があるという。
広い面には3名が中央に、右半身には頭部が失われた天使がその3名の方を向き、最初の者の手を取っている。天使の翼は一方は広い面に、もう一つの翼次の狭い面に表されて、右手は天上のエルサレムの門を指すという、2つの面で一つのテーマを描写する。
頂板の羽状唐草は四面を一巡している。

墓へと走るペテロとヨハネ 1120-30年 高34幅51奥行39㎝ 石灰岩 2本の円柱の上 2番目の工房 ドラド修道院回廊
マグダラのマリアが墓が空になってキリストが復活したと知らせると、それを確認するためにペテロとヨハネが墓へと走る姿が右面左半分から左面へと続く。
円柱の影から墓を伺っているペテロかヨハネ。
墓は空で、キリストが復活したことが明らかとなった。この柱頭では、この面の右側だけが背景がワッフル文様になっている。
左側はメソポタミアでは古くから生命の樹とされているナツメヤシが立つ。
最後の面、右の半円アーチいっぱいに表された人物は聖書を持っているので、おそらく復活したキリストだろう。

不信のトマ 1120-30年 高38幅52奥行39㎝ 石灰岩 2本の円柱の上 2番目の工房 ドラド修道院回廊
最初の工房(1100-10年)では復活を疑うトマが立ったままキリストの右脇腹に右手を近づけているだけだったが、2番目の工房の時代となると、トマはしゃがみ込んで、左手の人差し指でキリストの右腕をあげ、右手でキリストの傷口に触れるという、踏み込んだ表現をしている。
左面と正面左側にかけては、聖ペテロと聖パウロへの教えの伝達の場面
『Sculptures Romanes』は、クリュニーの規律では、この主題は特別な位置を占めるもので、クリュニー修道院はローマ教皇の直接支配下にあるので、新しい教えを託された使徒ペテロとパウロを護るという。
別の主題が表されるが、場面の区切りに、右上に正面向きで立つキリストが表されているのだろうか。

キリストの昇天 1120-30年 高17幅52奥行39㎝ 3本の円柱の上 石灰岩 2番目の工房 ドラド修道院回廊
説明パネルは、頂板は蔓草の中で向かい合う鳥と重なり合う輪。
エルサレムで起こった昇天は、復活したキリストの最後の登場である。最初の面は、正面を向いたキリストが腕を十字にひろげ、天を見上げる。両側の天使は使徒たちと聖母にキリストを指し示している。この昇天の図像はサンセルナン聖堂のミエジュヴィル門にかかげられたタンパンのように、キリストが天使たちに抱き上げられ、横顔を見せるという、この地方に一般的な昇天とは区別できるという。
ミエジュヴィル門のタンパンは1110年に造られ、この柱頭に先行する図柄である。
背景は全面ワッフル文様で、その上に巡る波のような表現はアカンサスの葉ではなくなっている。
顔面が失われているが、使徒はひょっとすると天に昇っていくキリストを見上げているのかも。。

天国の4つの大河 1120-30年 高36幅52奥行38㎝ 石灰岩 2本の円柱に置かれた 2番目の工房 ドラド修道院回廊
『Sculptures Romanes』は、中世では四福音書記者の象徴と見なされた。天国の4つの大河は修道士にとって使徒たちの四散と地上の人々を改宗させて洗礼を施すという使命を想起させたという。
頂板は平行唐草文で、柱頭上部にもジグザグ文と葉状の文様が文様帯として表され、その下に銘文、そして主題とその背景に網目状に彫られている。
広い面2つにそれぞれ人物が担ぐ大きなリュトンから流れ出す大河が表される。

蔓草の中のアカンサス 1120-30年? 石灰岩 2番目の工房 ドラド修道院回廊?
アカンサスにしては小さな葉が籠のような蔓草のくきの間にある。ドングリのようなものはどうも実らしい。
別の柱頭
大きな実を付けたアカンサス

蔓草の中のライオン 1120-30年 石灰岩  単円柱の上 ドラド修道院回廊
ライオンが茎を囓っているところが面白い。
頂板は細かな籠目文様。

   ドラド修道院の最初の工房←   →オーギュスタン美術館 3番目の工房など

関連項目
オーギュスタン美術館 サンセルナン聖堂の柱頭
トゥールーズ サンセルナン聖堂 外観
オーギュスタン美術館 ロマネスク美術展示室
オーギュスタン美術館 回廊はゴシック様式
雲崗石窟の忍冬唐草文

参考文献
「Muée des Augustins Guide des collections Sculptures Romanes」 1998年