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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2020/10/23

織部の文様 吊し柿と花の蕾


織部焼では幾何学文だけではなく、花文や樹木などの植物もよく描かれている。なかでも私の好みは「吊し柿」と呼ばれている文様だ。
しかも、久々に織部焼の図版を見ていて気付いたのは、萼のない吊し柿と、萼のある吊し柿があることだった。

まずは萼のない吊し柿から

織部つるし柿香合 桃山時代 17世紀 高さ 3.0幅4.8奥行4.7㎝
『大織部展図録』は、丸文様を線で繋いだ文様が複数吊り下げられた文様を吊し柿という。軒下に吊り下げた風景は今でも美濃飛驒で出会う冬の風物詩のひとつである。日常の光景から粋な文様を作り出す絵付師のおおらかな才に驚かされるという。
1本の紐にたくさんの柿を結わえて干し、干柿が完成して取り込んだ喜びの時を表しているよう。
織部つるし柿香合

青織部格子に吊柿文筒向付
marronrecipieの干し柿の作り方で、紐の両端に柿の軸を結んで、柿どうしがくっつかないように上下にずらして干すのがコツということを知った。
青織部格子に吊柿文筒向付

青織部吊柿文向付
吊し柿から別の文様へと変化しているのでは😉
青織部吊柿文向付

志野織部格子に吊柿文筒向付
格子寺の竹垣の幾何学文様のとなりには、結構ええかげんな干し方の吊し柿が並ぶ。その上の斜格子は何を表しているのか。
志野織部格子に吊柿文筒向付

志野織部吊柿文四方向付
大きさも干す高さも一様ではないが、それがへうげていて織部らしい。
志野織部吊柿文四方向付

志野織部吊柿文四方向付
横線から一つずつ吊し柿が下がっているが、その下に梅の花のような五弁花文が描かれているので、季節感に戸惑う。というよりも、いろんな季節のものを一つの器に描くことで、どの季節にでも使えるということだろう。
志野織部吊柿文四方向付

黒織部小筒茶碗 桃山時代 17世紀 高さ10.0口径9.0㎝ 銘佐保山
『大織部展図録』は、鉄釉を掛け分けて正面を三角に白地とし、丸に線の抽象文様が描かれているという。
しかし私には、紅葉した葉は全て落ちてしまったのに、木になったままになっている柿の実に見える。

萼のある吊し柿

織部州浜形手鉢 桃山時代 17世紀 高さ28.1幅25.0㎝ サントリー美術館蔵
『大織部展図録』は、銅緑釉を片身替わりに掛け、半身を赤土で成形したところに、白土と鉄絵で大きな花文、菊文、格子の間に吊し柿文が描かれている。単純な幾何学文がおおらかで、州浜形によく合うという。
ジグザグ状の力強い直線は格子文だった。
柿ってこんなに萼が大きかったかな?
サントリー美術館蔵織部州浜形手鉢

織部角鉢 桃山時代 17世紀 高さ6.9縦20.6横20.6㎝ 名古屋市博物館蔵
『大織部展図録』は、緑、赤、白の釉薬と土の色の違いによって様々に意匠を懲らすことができる鳴海織部。
鳴海織部の浅めの四方鉢では、一辺の角だけを白土だけで成形し銅緑釉を掛け、他は赤土を地に白土を塗り鉄絵で縁取りした吊し柿と斜線が描かれている。簡素な斜線と緩やかに描かれた吊し柿は、内面を広々と見せるという。
手鉢の柿とほぼ同じで、干柿は白い。

織部筒向付
3本の紐は川の字のように真ん中が短い。向付は五客で一揃いなので、同じデザインのものをたくさん描くことになる。
この向付の吊し柿の萼は実を離れ、実は中を白く残さずに鉄釉で塗っている。本来の吊し柿がただの文様と化してしまったらしい。
織部向付

志野織部吊柿文筒向付 高さ10.6口径8.7㎝ 個人蔵
『古田織部展図録』は、轆轤で成形し、入隅の菱形に形を整える。入隅は縦角の2箇所だけなので、二階菱の形である。入隅を挟んだ2面を1組にして、それぞれ異なる絵付けを施す。一方は吊柿を長短交互に描いているが、入隅の中にも描いているという。 
紐はよろけ縞に近い描き方になっている。紐は吊し柿の重みで真っ直ぐになっているはずなのに、絵付け師の遊び心だろうか。干柿の描き方も面白い。
志野織部吊柿文筒向付

志野織部吊柿文千鳥形筒向付 
高さ8.7 口径7.6㎝ 個人蔵
『古田織部展図録』は、濃い鉄釉で細線を描き、薄い釉で着彩するように文様を描く。千鳥形を上に見る側には太い鋸歯文と吊柿を、反対の面には縦の縞模様を描く。高台も含めて全面に長石釉を掛けるという。
鋸歯文の上には短い紐の吊し柿、下には長い紐の吊し柿というパターンになっている。
志野織部吊柿文千鳥形筒向付

青織部弾香合 桃山時代 高さ6.0径4.1㎝ 大光明寺蔵
『古田織部展図録』は、長軸の両端には緑釉が掛けられ、蓋上面と摘み、蓋・身の面取りして平面になったところには銹絵が施される。小品だが吊柿・縞・檜垣など多くの要素を盛り込んでいるという。
軒か物干し竿にかけられた吊し柿の紐は、短・長・短になっている。
大光明寺蔵青織部弾香合

青織部吊柿文手付向付
干柿はしゅっしゅっと二筆で描いたか、それとも、先が尖っていないので一筆で上まで戻したか。紐の長短交互のパターンも崩れている。
青織部吊柿文手付向付

青織部吊柿に唐草若松文向付
当時の美濃地方の正月飾りだったのかな?
青織部吊柿に唐草若松文向付

青織部格子丸に吊柿文向付
緑釉が還元焼成されたため、茶色に焼き上がってしまった。
格子の中に点文が一つずつ配されているのを「格子丸」と呼ぶらしい。
棚から柿が1本ずつ吊されている。これだけ離れていれば柿どうしがくっつく心配はない。
青織部格子丸に吊柿文向付

青織部蔓草に吊柿文向付
柿の熟成が進んで、表面に縦皺ができているみたい
青織部蔓草に吊柿文向付

ところが、吊柿文と同じように見えるが、「蕾文」とされている文様もあった。

青織部梅花散し蕾文向付
花と一緒に描かれているので、吊し柿が花の蕾のように見えるのか、
青織部梅花散し蕾文向付

青織部梅花散し蕾文向付
それとも花の蕾を描いているうちに、吊し柿と呼ばれる文様になっていったのか。
青織部梅花散し蕾文向付

しかしながら、marronrecipieの干し柿の作り方のおかげで、重ならないように高さを変えて吊した柿の方が先で、萼の長い吊し柿の文様から蕾文へと変化していったか、あるいは開花した花文が一緒に描かれているので、吊し柿が蕾文に見えたかだろうと思われる。
そして、花文のない吊し柿文単独の場合も、蕾文として描かれたり、解釈されたりするようになっていったのだろう。

青織部干柿文向付
完成した干柿を仕切りのある箱に並べたよう。時候のものには少し早いですが🤗
青織部干柿文向付

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参考サイト

参考文献
「織部の文様」 河原正彦編・兼本延男写真 2004年 東方出版 
「古田織部四〇〇年忌 大織部展 ORIBE」 大織部展実行委員会 2014年 紫紅社
「没後四〇〇年 古田織部展図録」 古田織部展実行委員会 2015年 宮帯出版社


2020/10/16

織部の文様 幾何学文


志村ふくみ氏に「織部段」(1987年)という作品があって、若い頃からデフォルメされた織部のやきものが面白く、見ていて楽しかったことを、志村氏の作品を見て思い出した。
はて、どんな文様があったかいなと『織部の文様』という本を久しぶりに手にとってみた。
 編者の河原正彦氏は京博の元学芸員で、刊行されなくなって久しい至文堂の『日本の美術』でも多くの号を編集されていたが、2017年に逝去された。

同書は、豪華絢爛といわれる桃山時代の歴史的風土のなかで、育まれた織部焼は、他に類をみないデザインを織りこんでいた。その息吹を感じとり、美濃地方に点在する古窯址から発掘された陶片をもとに出版されたのが、加藤卓男編の豪華本『織部の文様』(1985年 光村推古書院発行)である。しかし、現在古書としても手に入れることは難しく、それは惜しくも絶版となっている。
本書は、それに百余点の資料を新しく加え、さらに織部焼の食器としての位置づけを説いた最新の論文によって、織部の真相にせまり、再編集して入手しやすい普及版として刊行するものである。
美的とは言えないにしても、自由奔放、豊饒、土の香りのする溢れくる命ともいうべき「かたち」と「文様」から、織部焼の魅力を汲み取っていただけることを期待してやまないという。
従って、同書の図版はほとんどが部分的に残った陶片になる。

河原氏は同書の「料理と食器と誂えと」で、従来、桃山時代を代表する「やきもの」(陶器)といえば、茶碗や水指、花入や香炉、香合など、いわゆる狭い意味での「茶陶」が圧倒的に多く、その代表的な器種とされてきた。
狭義の「茶陶」に加えて、この時代に新しく登場し、時代を代表する新しい造形性と機能性をみごとに発揮したのは、料理のための器、「飲食器類」ではなかったかと考えている。
つまりそれは、茶の湯の深まりと茶碗や水指、そのほかの茶道具の選択や創造性だけが、桃山陶芸の牽引力となったのではなく、この時期にこそ、この時代らしい豊かな暮らしぶりが生み出した飲食器類、なかでも「小皿」や「小鉢」、「向付」や「皿」、「平鉢」、「「深鉢」、「蓋物」などに、新たな創造性の存在を見いだす必要性があるのではないかと考えている。
その意味で、ここではもう一度桃山時代の「やきもの」、なかでも美濃地方に展開された志野や織部の実像にせまり、さらには、美濃地方の陶芸を特色づける「織部」と呼ばれる一群のデザイン、得意な意匠性について、今日ややもすれば忘れがちである過去に発掘・採集され、貴重な資料として伝えられている「陶片」を中心に、考察を深めていきたいと考えている。
いうまでもなく今回、この図録に収録されている美濃の「志野織部」、「総織部」、「青織部」、「鳴海織部」、「弥七田織部」などの陶片は、こうした昭和5・6年(1930・31)から第二次世界大戦に及ぶ時期に、乱掘され、または採集され、いろいろな経路をたどって、いまの施設や個人の場所で保管され、所蔵されてきたものである。
しかし、こうした一片の「陶片」から、その完全な姿形を思い描き、文様や釉薬、なかでも鮮烈な織部の緑釉の美しさや変化の様子を楽しみ、絵画的なヒゲや意外性の強い斬新な文様構成などから、この時代の息吹を感じ、さらには実際に「陶片」に触れ、握って視覚的なものと同時に、触知的な感性を呼び覚ます経験は、「ものを楽しむ」日本人としての新しい鑑賞の領域を圧し広げていったと確信している。とくに食器を手にもち、唇に触れる日本人の食事習慣が独特の「触知的な感性」を形成し、ある意味では日本人の「美的規範」を形成してきているものと確信しているという。

「織部」の作風と文様
同書は、織部焼の器種やその造形、さらにそれにほどこされた文様、意匠には独特のものがある。
飲食器に施されている文様について見ていくと、一種類だけの文様素材を使うのではなく、複数のものを組み合わせて使う「複合的文様」構成をなしていて、基本的には日本の文様構成を特色づけるものの一つであるということができる。
そして従来から指摘され、言及されてきたとおり、織部焼の意匠とそれよりわずかに先行する染織品である「辻が花染」との関連性や共通性については、時代の好みであるとともに都市部で流行した最先端の意匠の導入であったことが具体的に指摘されている。
そして織部の緑釉の使い方が、器形を二分するように、片身替わりや段、対角の両隅に緑釉を施し、中央を書き絵の文様帯にするなど、緑釉の使用の効果は抜群であり、桃山時代を特徴づける構図取りであるということができる。そして文様の素材は、各種の縞文様、格子、段、島取りなどをはじめ、石畳、鱗、亀甲、松皮菱、扇面、矢襖、桐、菊、松、竹、蓮、葡萄、桜、梅、椿、桔梗、竜胆、萩、沢瀉、薄などのほか、各種の草花、波濤、千鳥、鷺、渡鳥、もろもろの道具にも及び、文様素材は枚挙に暇ないほど多様であるという。
その中で今回は幾何学文。

縞文様 
『大織部展図録』は、幾何学文様のなかでも、織部の意匠を特色づけるものは、何といっても各種の縞文様であろう。縞文様は、染織品の織技から生まれる幾何学的な文様で、大きく分けると縦縞、横縞、縦横縞(格子縞)になり、縞柄の名称もその時代によってさまざまな異なった名前がつけらけているという。

また『織部の文様』は、織部焼や志野織部の意匠では、太めの縦縞や細縞、よろけ縞、それぞれ太縞と細縞、太縞の間によろけ縞を入れるなど、両者を組み合わせた縦縞や横縞などがあるが、単に縞だけの文様ではなく、山道や鋸歯文とうまく組み合わせて変化をつけ、あるいは矢襖など具象的な文様と組み合わせて、一つの完結した文様部分を作っているという。

縦縞文
太縞と細縞が2本ずつ、その太さも間隔も一定せずに自由に描いている。
口縁部には斜格子文。点文が枠にはまらないののも織部焼らしい。
青織部縦縞文筒向付

口縁部には織部釉がたっぷりかかっているが、青色の発色が良くない。温度が上がりすぎたのかな?
太い縦縞、ではなく、2本の細縞の間を薄い織部釉で塗りつぶしている。
青織部縦縞文筒向付

よろけ縞文

青織部よろけ縞文筒向付
よろけ縞だけが縦に並ぶが、文章を草書風に適当に崩して書いたようにも見える😊
青織部よろけ縞文筒向付

青織部縦縞文筒向付
細い縦縞とよろけ縞が交互に並ぶ
青織部縦縞文向付

志野織部横縞に波文鉢
おそらく丸い平鉢の見込に描かれたもので、よろけ縞がおおきく描かれているので、波文と呼ばれている。というよりは、波のイメージを縦にも表したことから「よろけ縞」という名が付けられたのだろう。
志野織部横縞に波文鉢

矢襖文

志野織部横縞に矢襖文筒向付
口縁部には胸壁らしきもの。その胸壁は二重線で描かれている。
その下に矢襖。適当に間隔をあけて、矢が描かれる。横縞も適当な間隔。
釉薬はなめらかに溶け、緋色も出ている。文様が戦に関わるモティーフなので、黒っぽい鉄絵が力強く合っている。
志野織部横縞に矢襖文筒向付

志野織部横縞に矢襖文筒向付
矢襖文といっても四方に2本ずつ?胸壁は一重
志野織部横縞に矢襖文筒向付

横縞文

志野織部横縞文筒向付
胸壁は太線の両側に細線を配している
その下に葉ほぼ等間隔で横縞文が描かれる
志野織部横縞文筒向付

弥七田織部横縞文筒向付
太さの異なる太い横縞の間に細い横縞を1本入れたり、2本にしたり
弥七田織部横縞文筒向付

弥七田織部横縞文筒向付
2本の細い線の間に鉄釉をさしている
弥七田織部横縞文筒向付

斜線文

志野織部縞文鉢
太線と細線を斜めに描く。鉄釉が赤く発色せず、黒くなってしまった
志野織部縞文鉢

襷文

志野織部襷文筒向付
X文・斜格子などと表現してしまいそうだが、襷文という良い表現があった
志野織部襷文筒向付

網目文

青織部網目文向付
斜格子文と点文
青織部網目文向付

青織部網目に亀甲文向付
亀甲文が単独で表される
青織部網目に亀甲文向付

青織部網目に縞文向付
網目文とその交点に点文が配される。網目文は直線が一般的だが、曲線というか、よろけ縞が交差しているというか・・・🤔
青織部網目に縞文向付

格子文

青織部格子文香合
格子文様だが、縦には太縞と細縞が交互に描かれる。
青織部格子文香合

青織部格子文筒向付
縦横ともに太い縞と細い縞が交互になって、細縞の交差部に点文が4つ
織部格子文筒向付

志野織部格子文向付
砂の上に指で描いた五目並べのよう😁
志野織部格子文点文向付

青織部格子文向付
銅を青く酸化焼成するところが、還元焼成になってしまって赤く焼き上がった
青織部格子文向付

青織部幾何学文向付
2本の細線と点文の組み合わせでこんな文様もできるのかと思ったが、サントリー美術館蔵織部四方蓋物内側の太鼓橋の図柄(下図版)を真似て描いているうちに、本来の図からかけ離れた文様になっていったのでは🤔
青織部幾何学文向付

織部四方蓋物 内側 桃山時代 17世紀 高さ9.27幅20.0奥行18.0㎝ サントリー美術館蔵
『大織部展図録』は、内側には蓋表と同じ反転した鹿の子文と太鼓橋が鉄絵であっさりと描かれているという。
サントリー美術館蔵織部四方蓋物内側

織部鉢 桃山時代 17世紀 高さ6.3幅22.0奥行19.8㎝
『大織部展図録』は、斜めに銅緑釉を掛け、片身替わりとし、白地には枡を点と線で繋ぎ規則正しく並べ、外側面にはV字の文様が連続する。鉄絵は細く繊細だが、銅緑釉はたっぷりと掛かるという。
点文と線だけで、無数の文様をつくることができる👏
織部鉢 桃山時代 17世紀

格子の中にXを一つ一つ置いている。光悦垣は斜格子だが、縦横の格子に斜格子を組み合わせた竹垣でも表しているのかな?というよりも、筆の運ぶままに、思いついたものを描いたのだろう。
志野織部格子にX文向付

市松文様
おそらく焼き上がりがよくなかったので、ものはらに捨てられたのだろう
青織部市松に梅鉢文重扇面向付

青織部亀甲形向付 桃山時代 口径13.8-14.0足付高4.1㎝ 個人蔵
『古田織部展図録』は、3つの六角形を組み合わせた形である。織部の向付のうちでも古態を示している。
見込みは3つの六角形の輪郭を描き、その内に梅花文・網目文など織部が他の道具でも好んだ文様を描く。筆遣いはやや粗く線が太く、躍動感があるという。 
織部釉のところに布目のようなものが見られる。それは、織部釉がはみ出さない工夫?
古くからある亀甲繋文がこんな造形になるとは😄
個人蔵青織部亀甲形向付

茶碗の幾何学文様

黒織部茶碗 桃山時代 17世紀 高さ7.7口径11.4-13.9㎝ 
『大織部展図録』は、高台脇に古田織部の花押を鉄絵で記す。
典型的な沓茶碗で、黒釉の掛け残しをつくり、丸や四角、点の幾何学文様を描いている。謎の多い古田織部と織部焼とを直接結ぶ貴重な作品であるという。
口縁部の形も高さもちがう「へうげの極み」のような豪快な茶碗に負けない文様が描かれている。
黒織部茶碗

黒織部茶碗 桃山時代 17世紀 高さ6.5-7.8口径10.2-13.8㎝ 銘わらや 五島美術館蔵
『大織部展図録』は、正面を避けて鉄釉を左右に掛け分け、掛け残した正面には縦筋に丸や三角などの幾何学文を筆で描き、長石釉を掛けている。轆轤成形したのち、大きく力を加えて楕円に歪めているという。
上の茶碗と比べると、同じく「へうげ」ていてもオートクチュールを纏った貴婦人のよう。
五島美術館蔵黒織部茶碗

黒織部茶碗 桃山時代 17世紀 高さ7.3-8.5口径10.5-15.0㎝ 梅澤記念館蔵
同展図録は、見込みには掻き落としで文様が施されている。文様は葦と鶴とも百合文とも解されるが、筆で描かれるのではなく、掻き落とし文のみの黒織部茶碗は希少である。正面にも見込みと同様の文様と、∧の彫文が施され、他に類例のない作であるという。
口縁部はこの3碗の中では最も力強い。「∧」の文様がなかったら、幾何学文様に分類できない😓
見込には、走っている人物が線刻され、その人物を取り巻いているような動物は、ドローンで上空から見下ろした尾の長い馬とか😁 ←たわけもの🦔
梅澤記念館蔵黒織部茶碗

黒織部茶碗 桃山時代 高さ8.2口径11.4-13.9㎝ 相国寺蔵
『古田織部展図録』は、白窓には銹絵で異なる幾何学文様をそれぞれに描くが、各窓の右側の鉄釉の部分に、窓と同系統の文様を掻き落としで描いているので、あたかもネガとポジを並べたように見える。白と黒の背景はよく似ているが文様は異なる二種の絵による片身替わりとなっているという。 
陶工が楽しみながら制作しただろうなと思わせる作品である。
相国寺蔵黒織部茶碗

『大織部展図録』は、近年では、考古学的には様々な知見が増加し、また、茶の湯に関する文献の研究も進展を見せ、再編集なことが明らかになりつつある。とくに、文禄・慶長の役に関連して、その多くが強制的に渡来させられた朝鮮王朝の陶工たちが開窯した西日本諸窯のやきものは、日本陶磁史に新たな流れをつけくわえた。この流れは既存の窯業にも影響を与え、日本陶磁史は中世からいっきに近世的な様相を見せることとなった。なかでも、穴窯から登り窯への転換は、熱効率の向上による品質の転換や生産高の増加をもたらし、陶磁器の流通にも、大きな影響を与えることとなった。このことは、日本陶磁史に新たな広がりを生むこととなり、それがまさに、織部の時代と重なるのであるという。

桃山時代から江戸時代初頭には、利休の真形(しんなり)から織部のへうげ(ひょうげ)へ、そして遠州の綺麗さびへと茶陶の好みもどんどんと変わっていく、興味深い時代である。

                  →織部の文様 吊し柿と花の蕾

参考文献
「織部の文様」 河原正彦編・兼本延男写真
「古田織部四〇〇年忌 大織部展 ORIBE」 大織部展実行委員会 2014年 紫紅社
「没後四〇〇年 古田織部展図録」 古田織部展実行委員会 2015年 宮帯出版社