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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/08/11

刺繍による仏画


中国では仏画に刺繍を用いるということが行われていた。

刺繡楊柳観音像 元時代、元貞元年(1295)頃 愚極智慧賛 淡黄平絹地、刺繡 縦59.8横37.7㎝ 京都国立博物館蔵
『宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録』は、補陀落山をあらわす海中の巌上に、くつろいだ姿で坐す楊柳観音。観音菩薩が住むという補陀落山の様相が、金色まばゆく刺繍されているという。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

金の平箔糸の繍技が卓越している。右半身を覆う衣の全体には変り輪違い文様を詰め、その縁に亀甲文様、右肩から左腕をめぐり腹にかかる衣には、全体に菱繋ぎ文様を詰め、縁は渦文様、左肩から胸へ垂れる衣と袴には平箔糸が斜めに配され、それぞれ、黄糸による駒繡風の綴じが0.5-1㎜の間隔でほどこされている。金の平箔糸は幅約0.5㎜で、断面が二層になる分厚い紙を支持体としており、竹紙の一種と考えられる。また通例の駒繍では金糸の端を基布の裏にて処理するが、本作では各区画の際で端正に切り揃えてあるという。
とても細かい文様で、単眼鏡を忘れていたこともあり、暗い展示室ではそれぞれを確認することができなかった。
亀甲文様についてはこちら
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 


拡大してもよく分からないので検索していると、京都国立博物館の学芸員をされていた切畑健氏の元貞元年賛刺繡楊柳観音像(京都国立博物館蔵)についてというページを見つけた。

まず同ページは、肉身部は無撚りのきわめて細い糸を用いて、繊細な刺し繍いとする。色は黄で金色を意図すると考えられる。
特に注目されるのはその着衣の刺繍で、特殊な金糸を用いて、間隙なく駒繍糸の綴じあげによって纏いつめているという。
同ページの挿図1で胸元に下がる瓔珞と刺し繍い肉身部が確認でき、挿図3で右肩に掛かる大衣の縁部にくるくると伸びる大まかな蔓草文様(唐草文様)もよく見える。挿図4により藍色の三条に分かれた垂髪の間に菱繋ぎ文が見えてきた。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 

もう少し下まで見ると、中心から6枚の花弁が開いたような変わり輪違い文が見えてきたのも、同ページの挿図2のおかげ。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

同ページは、袴は左肩と同じく斜のつめ繍(ただし立てた左足は竪の平行繍)、表着の縁部には小亀甲を纏いつめるという。
斜のつめ繍や竪の平行繍は探しやすいが、同ページの指図5のおかげで、左手首上の葉っぱのような縁部に小さな亀甲文を見つけた。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

左の方を見ると、挿図4の菱繋ぎ文や挿図3の唐草文もある。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 


前回の元時代にも登場する善財童子では多様な年頃に善財童子が登場したが、この善財童子は童子形と言っても良いだろう。
同ページは、善財童子の頭光によればもとは同じく金糸の綴じあげであらわされたものが、すっかり剝落した状態と知られる。
波は平金糸1本の綴じ上げと、萌葱糸の割り刺繍を交互に配して表わすという。
青海波文様のように交互に波頭が配される波文がいい感じ。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

なお、この一幅は用いられている俵装の裂地もきわめて優秀で、早くより大切にされて来たことがうかがわれるのであると切畑健氏も述べておられる。




関連記事

参考サイト

参考文献
「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録」 2025年 京都国立博物館


2026/08/04

元時代にも登場する善財童子


奈良博で開催された「超 国宝展-祈りのかがやきー展図録」で善財童子を主人公にした絵巻物「新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻-」という絵巻物があることを知ったが、善財童子は文殊菩薩と共に表される安倍文殊院の群像だけではなく、観音像と共に仏画に描かれていることが長年生きてきて段々と分かってきた。

奈良・安倍文殊院蔵渡海文殊群像 鎌倉時代、13世紀
詳しくはこちら
同寺発行の国宝文殊菩薩付属の写真より

この善財童子像は一時期可愛いと人気だった。
奈良・安倍文殊院蔵渡海文殊群像うち善財童子 同寺発行の国宝文殊菩薩付属の写真より


華厳海会善知識曼荼羅 鎌倉時代、13世紀 東大寺蔵
「明恵の夢と高山寺展」では、善財童子が53人の善知識のもとを訪れて教えを請うという物語を小さな区画に描かれた仏画を見て驚いた。華厳経で善財童子がこんなにも重要な役を担っていたとは。詳しくはこちら
『新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻』の絵巻を一区画にまとめたものだと、後に知ることになった。
東大寺蔵華厳海会善知識曼荼羅 鎌倉時代、13世紀 明恵の夢と高山寺展図録より


また日本では、白衣観音と共に描かれている。

白衣観音図 鎌倉時代末期、1319年以前 約翁徳倹賛 絹本墨画 100.8X41.7㎝
『水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆』で衞藤駿氏は、補陀落山中にあって竹林を背景にした幽境の岩上に瞑想する白衣観音に、善財童子を配している。図様は中国元代水墨白衣観音図を踏襲しているが、暈渲豊かな水墨技法はかなりの習熟を示している。
賛者の約翁徳倹(1244-1319)は鎌倉の出身で、蘭溪道隆に師事し入元帰国の後諸寺を歴任、文保元年(1317) 一山一寧をついで南禅寺に住した。南禅寺塔頭法皇寺に自賛の頂相がある。元応元年(1319)、76歳で示寂しているから、本図はお よそ1300年前後の制作と推定され、制作時期を明確にする初期水墨画としての資料価値は高いという。 
約翁徳倹賛白衣観音図  水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆より

善財童子は唐子のような髪型で幼児のよう。善財童子が乗っている岩に打ち付ける波涛が龍の頭のよう。
約翁徳倹賛白衣観音図  水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆より


白衣観音図 吉山明兆筆 東福寺蔵 室町時代、15世紀
紙本着色 縦336.2横281.2㎝ 
同展図録は、ダイナミックな筆致による岩窟描写のなか、荒れ狂う波濤上の岩座に正面向きの白衣観音を描き、画面下部には龍と善財童子とを配して、安定した三角形構図を形作っている。筆勢あふれる水墨描写と計算された画面構成とが絶妙に均衡を保っている作といえようという。
東福寺蔵吉山明兆筆白衣観音図 東福寺展図録より

善財童子
着物の後ろ側がもこもこしているので、遠くから眺めると迦陵頻伽のように見えた。
東福寺蔵吉山明兆筆白衣観音図部分 東福寺展図録より


高麗時代の白衣観音図にも善財童子は描かれている。

水月観音像 13-14世紀 絹本着色 縦144.0横62.6㎝ 慧虗筆 東京・浅草寺蔵
同展図録は、水面からのびる踏割蓮華の上で、右方へ一歩足を踏み出す白衣の観音。左手には浄瓶、右手には柳枝を指先で軽くとり、全身は大きな緑色の滴形の光背に包まれる。全体に白を基調とした精緻な描写が際立つ。文様が衣褶線に合わせて変形するなど、高麗仏画には珍しい合理的な造形感覚もまた宋代画に通じるといえようという。
光背の緑色が異彩を放っていた。光背の緑に包まれた白衣の観音は朧気である。
東京 浅草寺蔵 水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より 

善財童子は中年のような横顔。
東京 浅草寺蔵 水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より


水月観音像 13-14世紀 絹本着色 縦100.4横49.6㎝ 大和文華館蔵
『高麗仏画展図録』は、画面中央、波立つ海上に湧出した岩に、半跏にした観音の姿を描く。ひきしまった上半身をやや右に傾けて、右手を膝にかけ、くつろいだ姿勢をとる。切れ長のややつり上がった目元、ひきしまった唇などによる表情も若々しく、清新な印象を与える。天衣や瓔珞、足元の蓮華が左に向かい風にたなびく描写には、優れた風動表現がみられる。この風のなかで、善財童子は蓮弁の舟で巧みに波に乗り、膝を軽く曲げ合掌しつつ観音を仰ぎ見るという。
赤い色が鮮明で他の水月観音像とは全く異質の図像である。 
大和文華館蔵水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より

岩座ではなく、蓮弁を舟にして観音に近づこうとしている善財童子には頭光があり、着衣の細かな文様も截金と見紛うばかりだが、高麗仏画では截金ではなく金泥で表されていることを泉屋博古館の「高麗仏画展 香りたつ装飾美展」(2016年)で知っていた。
大和文華館蔵水月観音像 高麗仏画 香りたつ装飾美術展図録より


そして中国では。

彬県大仏寺羅漢洞 渡海文殊群像  唐時代
『仏像図典』は、文殊は釈迦入滅の後インドに生まれ、菩薩道を修し、釈迦十大弟子たちと往復問答をしたのをはじめ、仏典結集に深い関係をもったと考えられる。従って十大弟子と共に文殊・普賢を上首とする釈迦如来の代表的眷属として釈迦三尊には不可欠の尊である。
又文殊はごく現世的な歴史上の人物として説かれたもので、維摩居士の如く確に現実の人物であったかと考えられるという。
獅子の肢はそれぞれ丸い台に乗っているが、蓮台なのだろうか。善財童子は片足を小さな台に、もう一方を獅子の台の上に乗せている。


唐時代には石窟で渡海文殊群像が浮彫されているが、中国では白衣観音図に善財童子は登場しないのだろうと思っていたところ、「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展」で、元時代の楊柳観音図に善財童子が登場していた。

楊柳観音像 絹本著色 縦110.6横54.9㎝ 元時代、13-14世紀 奈良・円生院蔵
『宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録』は、海中の補陀落浄土に現れるという観音菩薩の姿を描く。白波が打ちつける岩座に、足を寛がせて組み安坐する観音が、穏やかな表情で来訪者を迎えている。本図の観音の姿は、中国の唐時代に活躍した周昉が、補陀落に住まう観音として創始した「水月之体(水月観音)」に通じ、その姿はいずれも足を寛がせて坐る「破坐」であったとみられるという。
奈良・円生院蔵 楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

同展図録は、観音の元へ訪れるのは、海中から現れ宝珠を捧げている龍や、荒波の中に浮かぶ蓮弁上で合掌して拝する善財童子らという。
蓮華の花弁の舟に乗っている善財童子は驚きの中年の姿。
奈良・円生院蔵 楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より


刺繡楊柳観音像 元時代、元貞元年(1295)頃 愚極智慧賛 淡黄平絹地、刺繡 縦59.8横37.7㎝ 京都国立博物館蔵
同展図録は、補陀落山をあらわす海中の巌上に、くつろいだ姿で坐す楊柳観音。観音菩薩が住むという補陀落山の様相が、金色まばゆく刺繍されているという。
その刺繍による文様について詳しく記されているので、次回忘れへんうちににて
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

この善財童子は童子形と言っても良いだろう。
青海波文様のような互い違いに配される波文が文様として様式化されておらずいい感じ。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

 
       絵巻物の異時同図←       →刺繍による仏画


関連記事

参考文献
「超 国宝-祈りのかがやきー展図録」 奈良国立博物館編集 2025年 奈良国立博物館・朝日新聞社・NHK奈良放送局・NHKエンタープライズ近畿図録
「新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻より-」 森本公誠 2023年 朝日新聞社
「国宝文殊菩薩」 日本三文殊第一霊場 安倍文殊院
「明恵の夢と高山寺展図録」 2019年 中之島香雪美術館
「水墨美術大系第5巻 可翁・黙庵・明兆」 田中一松 1978年 講談社
「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録」 2025年 京都国立博物館



2026/07/28

絵巻物の異時同図


同一場面のなかに時間的経過を表現する数場面が描かれることを異時同図と呼ばれている。

有名なものでは、信貴山縁起絵巻(12世紀)の「尼公の巻」に異時同図の場面がある。
命蓮の姉が弟を探して東大寺に辿り着き、大仏殿の前で祈ったり寝っ転がったりしている場面だ。
『超 国宝-祈りのかがやきー展図録』は、本巻に描かれる東大寺大仏は、光背・蓮台の形式や、大仏の背を支える築山の存在、大仏殿の右側の扉からのぞく脇侍菩薩の姿形などから、治承四年(1180)に兵火で焼失する前の創建当初の姿であることが明らかにされている。その制作には、信貴山にたびたび参詣するとともに、東大寺大仏・大仏殿の再興にも尽力した後白河法皇が深く関与した可能性がある。時空を超えて奈良時代の大仏にまみえることができる、まさに奇跡の絵画作品といえるだろうという。
朝護孫子寺蔵信貴山緣起絵巻尼公卷 超国宝一祈りのかがやき一展図録より

この場面では東大寺の大仏殿の開いた扉辺りで尼君が5人描かれている。
同書は、「尼公巻」は、命蓮の姉である信濃国(現在の長野県)出身の尼公を主人公とする。詞書によれば、東大寺で受戒するために故郷を出た弟の命蓮を捜し尋ねて旅立った尼公は、長い旅路の末に大和国に至り、東大寺大仏の夢告を受けて信貴山へと向かい、ついに弟との感動の再会を果たしたそうな。
朝護孫子寺蔵信貴山緣起絵巻尼公卷 超国宝一祈りのかがやき一展図録より

右より、
弟に会えるよう大仏に祈願する姿、外に出て自分の荷物に寄り掛って眠る姿、堂内部で横になって大仏を眺める姿、祈りながら弟がやって来ないかと振り返る姿、夢に大仏のお告げがあり、信貴山の方を眺める姿。そして絵巻にはもう一度尼公が描かれる。それは階段を下りて信貴山へ向かう姿である。
朝護孫子寺蔵信貴山緣起絵巻尼公卷 超国宝一祈りのかがやき一展図録より


「華厳経入法品・華厳五十五所絵巻」(12世紀末)では善財童子が善知識に勧められるままに長い年月をかけて旅をして、55もの場面を絵巻に描写し、詞書きも添えられている。

10 勝熱婆羅門
勝熱婆羅門を探すと、大山の断崖絶壁を背に激しい苦行をしていたという場面。
勝熱婆羅門に「善男子よ、この剣の山に登り、この火の海に身を投げられよ。さすればお前の菩薩行は即座に浄められるであろう」と言われて、燃え盛る岩山から飛び降りた場面。
その二つが一つの場面として描かれている。
詳しくはこちら
華厳五十五所絵巻 10勝熱婆羅門 新・善財童子 求道の旅より


11 慈行童女
ビルシャナ蔵宮殿の前で娘の慈行童女はどこにいるか訪ねると、宮殿内で多くの侍女たちにかしずかれ、教えを説かれているとのこと。
王の娘の慈行童女はいずこにと、宮門の前で尋ねる場面と、宮殿の縁側に坐って、「この宮殿をよく御覧なさい」と言われて宮殿のさまざまなところに菩薩や如来たちが見えたという場面。
詳しくはこちら
華厳五十五所絵巻 11 慈行童女 新・善財童子 求道の旅より


18 無厭足王
右から無厭足王のところにやって来ると、大勢の仕置人たちが罪人たちを恐怖に陥れて刑を執行しているのを目撃した善財くんが、こんな人物にどうして菩薩道のことを尋ねられようと自問自答する。
左上では、無厭足王は善財くんを自分の傍に座らせて、これらの衆生を教化し、平安な暮らしを得させるために、化作した幻の死刑執行人に処刑を行わせ、激しい苦痛にゆがむ様子を示すことによって、罪深い行いを思い止まろうとさせているという。
詳しくはこちら
華厳五十五所絵巻 18 無厭足王 新・善財童子 求道の旅より


41 瞿婆女人
カピラ城にやってきた善財くんは、無憂徳女神に迎えられ、頭上に天上の華を散らして祝福された。
善財くんは宮殿に入ると瞿婆女人に合掌した。 最後に釈迦世尊の母后摩耶夫人を訪ねるよう言われた。
詳しくはこちら




関連記事




参考文献
「新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻より-」 森本公誠 2023年 朝日新聞社
「超 国宝-祈りのかがやきー展図録」 奈良国立博物館編集 2025年 奈良国立博物館・朝日新聞社・NHK奈良放送局・NHKエンタープライズ近畿図録

2026/07/21

旅する善財童子 45-55


『新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻-』(12世紀末、以下『新・善財童子』)の図版と本文、時には梵文和訳 華厳経入法界品(下)などから引用して作成しています。

遍友童子にカピラ城内にいる善知衆芸覚童子に会いに行くよう勧められて訪ねていった。

45 善知衆芸覚童子(長者の子シルパービジュニャ)
カピラヴァストゥ城において、「工巧に通じた」という菩薩の解脱を得、四十二字門に通暁している(梵文和訳 華厳経入法界品(下)より)

「善財君、自分は様々な学芸に通じたという菩薩の解脱を会得している。それによって般若波羅蜜門に入れるのだが、それには一つひとつ根本の字母を唱えることだ。
たとえば、阿字を唱えると無差別の境界という般若波羅蜜門に悟入する・・・
というように、善知衆芸覚童子は梵字のもつ神秘性を説いた。
二種の木にあるのは花だろうか、紅葉した葉だろうか、地面にも散っている。
華厳五十五所絵巻 45 善知衆芸覚童子 新・善財童子 求道の旅より

しかし自分は他の学問のことは何も知らないのだ。このマガダ国はヴァルタナカという都城に賢勝という優婆夷が住んでいるからその信女に聞いてみたらどうかね」
この絵で見る限り、善知衆芸覚童子は善財くんよりも年長のようだ。
華厳五十五所絵巻 45 善知衆芸覚童子 新・善財童子 求道の旅より

マガダ国内のヴァルタナカに行くことになった。


46 賢勝優婆夷(バドローッタマー)
マガダ国のケーヴァラカ(有義)地方のヴァルタナカ(婆吧那)城において、「無依所の輪」という法門を知って、無礙三味を体得する(梵文和訳 華厳経入法界品(下)より)

善財童子はまた旅に出た。マガダ国のヴァルタナカ城に着くと早速賢勝優婆夷に会った。温容という言葉がよく似合う信女であった。善財童子の問いかけに彼女は要点をかみ砕いて答えた。
これまでもそうだったが、どの葉も赤く染まっていて、その中で賢勝優婆夷は三曲の屏風に囲まれて坐っている。小鳥はいないけれど。
華厳五十五所絵巻 46 賢勝優婆夷 新・善財童子 求道の旅より

「善財よ、私は無所依の輪という法門をよく知っていて人にも説くのですが、無礙の三味にも通暁しております。
だけど私がお話できるのはこれだけです。 
行きなさい、善男子よ。かの南の地方にバルカッチャという都城があり、そこの堅固解脱長者に菩薩行の実践について尋ねてごらんなさい」
屏風にはなだらかな山々が描かれている。
華厳五十五所絵巻 46 賢勝優婆夷 新・善財童子 求道の旅より

南の地方にあるバルカッチャという都城に行くことになった。


47 堅固解脱長者(金細工師ムクターサーラ)
バルカッチャ(沃田)城において、「無礙の憶念の荘厳」という菩薩の解脱を知り、十方の如来の足下で法を探求する(梵文和訳 華厳経入法界品(下)より)

堅固解脱長者のおられるバルカッチャ城を目指し、善財はまた南に向かった。聞くと長者は金銀細工師だという。
都城に着くと、長者は床几の上に安坐し、瞑想にふけっていた。善財童子の問いかけに長者は答えた。
華厳五十五所絵巻 47 堅固解脱長者 新・善財童子 求道の旅より

「善財よ、儂は無礙臆念の荘厳という菩薩の解脱に通達しておる。それからというもの、儂は一切の如来のもとで、正法を求めて休むことなく、ただ浄らかな念いを懐き続けるだけじゃ。
華厳五十五所絵巻 47 堅固解脱長者 新・善財童子 求道の旅より

この同じ城内に妙月という長者が住んでおる。その住居は輝くばかりじゃ。この方に尋ねてみるとよい」
近くでよかった。


48 妙月長者(スチャンドラ)
同じバルカッチャ城において、「汚れなき智の光明」(浄智光明/)という菩薩の解脱を体得する(梵文和訳 華厳経入法界品(下)より)

善財童子は急ぎその住居を訪ねた。なるほど立派なお屋敷だ。庭にはいずれからともなく花の香りが馥郁とただよい、孔雀や瑞鳥が遊んでいる。
「善財よ、感心じゃのう。儂は無垢な智の光明という菩薩の解脱を知っているだけじゃ。
華厳五十五所絵巻 48 妙月長者 新・善財童子 求道の旅より

儂には無量の解脱を体得した菩薩たちの功徳など、語りようがないのじゃ。この南にロールカという都城があるからそこの無勝軍という長者を訪ねるとよい」
長者はそう言って更なる旅を勧めた。
華厳五十五所絵巻 48 妙月長者 新・善財童子 求道の旅より

『華厳五十五所絵巻』は淡彩ながら、自然描写も豊富で美しいし、鳥が描かれていることもあって、見ていて楽しい。
華厳五十五所絵巻 48 妙月長者 新・善財童子 求道の旅より

また南へ行くことになった。ロールカ城が近くにあるといいね、善財くん。


49 無勝軍長者(アジタセーナ)
ロールカ(出生)城において、「無尽の相」という菩薩の解脱を得、仏にまみえる無尽の蔵を体得する(梵文和訳 華厳経入法界品(下)より)

善財童子はロールカ城を目指し、また南への旅に出た。無勝軍という長者に会うためである。城内に入り、しばらく行くと、長者は大きな木の下に佇んでいた。誰かを待っている風であった。
華厳五十五所絵巻 49 無勝軍長者 新・善財童子 求道の旅より

「善財よ、儂は尽きることのない姿、無尽相という解脱を会得しているのみじゃ。これで無量の仏にまみえることができる、そうした無尽の蔵をもっている。ただそれだけのことよ。行かれよ、善男子。この南のダルマ村に住む最寂静という婆羅門僧のところへ」
華厳五十五所絵巻 49 無勝軍長者 新・善財童子 求道の旅より

やっぱり南へ行くんだね。最後には善財くんのふるさとに戻ったりして。


50 最寂静婆羅門(シヴァラーグラ)
悟りへはただ真実にかけての誓いあるのみ(『新・善財童子』より)

善財童子は南に向かい、ダルマ村にいる最寂静婆羅門を訪ねた。
「善財よ、儂は真実の決断によって行動する。
真実にかけて、真実語にかけてと、過去、現在、未来のいずれの菩薩も、この語をもって誓えば、無上の悟りから退転することがなかろう。儂も真実語の決断にかけてと誓うので、どんな願いもかなえられるのじゃ。善財よ、儂はこの真実語の決断を知るのみじゃ。
最寂静婆羅門は床几ではなく、地面に敷いた毛氈の上で寛いでいた。
華厳五十五所絵巻 50 最寂静婆羅門 新・善財童子 求道の旅より

行かれよ、善男子。南にスマナームカという都城があり、そこに徳生という童子と有徳という童女が住んでいる。菩薩行について尋ねられるがよいぞ」
華厳五十五所絵巻 50 最寂静婆羅門 新・善財童子 求道の旅より

南のスマナームカ都城へ


51 徳生童子と有徳童女
幻住という菩薩の解脱を得ている。一切世間は幻のごときもの(『新・善財童子より』)

善財童子はまた南へ南へとの旅に出て、ようやく最寂静婆羅門のいうスマナームカ城にたどり着いた。目指す徳生童子と有徳童女はと城内を探すと、二人はとある木立から現われた。
「私たち二人は菩薩の解脱を得ております。幻住とでも言いましょうか。
一切世間は夢、幻のごときもの。すべては幻の因縁から生じた幻なのです。
華厳五十五所絵巻 51 徳生童子と有徳童女 新・善財童子 求道の旅より

ただ私どもはこのことを知っているだけなのです。やはり弥勒菩薩さまにお聞きになるのがよろしいでしょう。この南にサムドラカッチャという国があり、そこの大荘厳園にビルシャナ荘厳蔵という楼閣があって、そこに住んでおられます。きっとあなたの善根を法水で潤し、菩提心を育て、あなたの求道の心をしっかりとしたものにして下さるでしょう」
弥勒菩薩は今は兜率天に住んでいて、五十六億七千万年後に現れるという未来仏ではなかったかな?
華厳五十五所絵巻 51 徳生童子と有徳童女 新・善財童子 求道の旅より

こうして善財は二人の教えに得心して去った。


52 弥勒菩薩1
海岸国は、4番目の善住比丘(スプラティシュティタ)では、ランカー島への途上にあるサーガラ・ティーラとされていたが、ここではサムドラカッチャになっている。

今度はサムドラカッチャ、すなわち海岸国を目指し、さらなる旅を続けた。

未来の果てまで菩薩の願いを宿す、菩薩の道を究めて衆生に教えを説き、如来にまみえて仏法をしっかりと身につけ、あらゆる仏国土を経めぐって説法者に仕え、すべての善知識にまみえて仏徳を会得する、そうした菩薩としての願いと智慧を宿す身体ともなりうるのだ。そう思念するのであった。するとそのとき、善財童子には不可思議な善根がいっそう強く根づいていたのである。
すべての菩薩と同じ衆生を思う心、すべての菩薩が住まう如来の家への思い、すべての仏と菩薩は威神力と菩提を示して一毛端においても遍在していないところはないという想い、そうした諸々の思念を深めて歩き続け、ついにビルシャナ荘厳蔵という大楼閣の前に到った。善財童子はその心のまま、門前で五体投地の礼をした。
五体投地を繰り返すうち、すべての如来の足下に、すべての菩薩の面前に、すべての善知識の住居に、すべての聖者、すべての師、父母の面前に、みずからの威神力によってみずからの姿を現わすことができた。ビルシャナ荘厳蔵大楼閣の前で行っていると同じように、これらすべての、遍満するありとあらゆる法界において五体投地の礼を行っているおのれの姿を現わしたのである。

このように思惟を重ね重ねて行くうちに、善財童子の全身には歓喜がみなぎり、その境地のまま、目の前の大楼閣に住まいする人々のことを合掌して思った。とりわけ弥勒菩薩のことを思った。かの大楼閣は、空、無相、 無願の境地にある人、法界に区別なきことを知る人、一切法の不生を知る人、いかなる世間にも執着しない人、いかなる群れ集いにも頼らない人、あらゆる煩悩を離れて無念無想の境地にある人、一切の分別の業を断じた人、深遠な智慧波羅蜜に入れる人、方便をもってよく普門の法界に住まいする人、禅定、解脱、三昧、正定、神通力、明智のいずれをも自在にこなして遊ぶ人、いかなる菩薩の三味の境地をも修習できる人、一切諸仏の足下に安住する人、そうした人々の住居であると。善財童子はさらに念ずる。 
かの大慈大悲の光輝を具えた弥勒菩薩、世間の人々を救わんと励み来たりて灌頂 の位に到り、如来の境界に思いをはせてここ大楼閣に住まいせん。
華厳五十五所絵巻 52 弥勒菩薩1 新・善財童子 求道の旅より

されど今我は無礙なる境界を楽しまれている方々のこの住居に合掌し、かの諸仏のなかの長子、比類なき智慧に恵まれた弥勒菩薩に恭敬して思いを凝らさん。願わくは顧を垂れて我を念じ給え。
この大楼閣の中に住まう人たちの姿が透けて見える。
華厳五十五所絵巻 52 弥勒菩薩1 新・善財童子 求道の旅より


53 弥勒菩薩2
毘盧遮那仏とは華厳経において中心的な存在。

善財童子はビルシャナ荘厳蔵大楼閣に住まいする菩薩方を讃嘆し、合掌し、そのうえで、弥勒菩薩にまみえ、おそば近くに仕えたいと念じた。すると、大楼閣の向こうの方から、突如、幾百千もの天王、龍王、それに夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽といった異形の神々のそれぞれの王たちに取り巻かれ、梵天、婆羅門衆その他無数の眷属たちを従えて、かの弥勒菩薩がこちらに来られるではないか。善財童子は狂喜して五体投地の礼をした。 
弥勒菩薩は眷属たちの方に振り返り、右手で善財童子を指し示すと、厳かな声で讃えた。
見よ、この善財は心浄く、至高なる菩提を求めて我がもとに来たれり。
華厳五十五所絵巻 53 弥勒菩薩2 新・善財童子 求道の旅より

善財童子は諄々と告げられる弥勒菩薩の言葉を聞いて、喜びのあまり感涙にむせび、体を震わせ深く深く合掌した。
「弥勒菩薩さま、あなたはこの一生だけ輪廻に縛られてはいるものの、次には悟りを得て仏になられるお方だと聞いております。どうかお教え下さい。どのようにすれば偉大な菩薩行を成し遂げ、諸々の如来方にかなう法眼を得られましょうや」

「善財よ、汝はその清浄なる徳により、深信なる道心により、一切の仏たちによってよく見守られている。汝は無上の悟りを求めて誓願を立て、菩薩行を修めて無量の功徳を積んできた。汝はさらに菩薩行の完成について問うた。
行け。ここなるビルシャナ荘厳蔵大楼閣に入り、そのことを観察するがよい」
弥勒菩薩はそう告げるや楼閣の門前に立ち、右手で弾指の音を立てた。すると門はゆっくりと開いた。善財童子が入る。途端に門はぴたりと閉じた。

善財童子はじっと目を凝らした。なんと大きくて広い堂内だろう。まるで虚空界のようである。なかには無数の幢幡、無数の瓔珞で飾られ、無数の真珠や宝石が燦然ときらめく。色とりどりの絹の帯、絹の幕、金糸の網も掛けられている。無数の鐘、無数の鈴が妙なる響きを奏でて、天上の華が雨あられと降りしきる。

善財童子は歩く。宝石の樹木が、宝石の円柱が、宝石の欄楯が、宝石の通路が、宝石の宮殿が現われ、無数の蓮池には宝石の赤蓮華、宝石の白蓮華が咲き乱れる。宮殿は一つだけではない。大楼閣のなかには、同じようにして荘厳された楼閣が整然と立ち並んでいる。善財童子はビルシャナ荘厳蔵大楼閣の不可思議な神変を見て喜びに心が溢れ、ひたと額ずいて五体投地の礼をした。すると、無数の楼閣のなかのすべてに自分自身がいるのが見えた。弥勒菩薩の威神力によるのであった。 

善財童子はさらに進む。中央にはこれまで見たどの楼閣よりも広大無辺な大楼閣が立っていた。善財童子はそのなかに三千大千世界を見、幾百千の兜率天の宮殿を見た。弥勒菩薩が生まれて蓮華のなかにおられ、梵天に見守られて七歩踏み出し、成長して出家し、苦行を重ねて菩提道場に近づき、菩提樹下で魔を降し、悟り、大梵天に勧請されて法輪を転じておられる。善財童子は弥勒菩薩のそのすべての場面にみずからの姿を見出し、その足下にいるのに気づいた。善財童子は弥勒菩薩の行くところ、弥勒菩薩の説くところ、弥勒菩薩の禅定するところ、そのすべてに身近く接し、耳を傾け、目の当たりにし、ときには弥勒菩薩の荘厳を手にし、香りを感じている。

すべての場面を、善財童子は弥勒菩薩の威神力によって瞬時に悟ったのである。そのとき、すでに大楼閣のなかに入っていた弥勒菩薩は、ふたたび弾指の音を立てた。善財童子が三味から出てわれに返ると、弥勒菩薩が励ましの声を掛けた。

我はこのビルシャナ荘厳蔵大楼閣に住し、兜率天に住して、あるときは衆生を教化し、あるときは天人を教化し、あと一生だけ輪廻に縛られた他の菩薩たちとともに、いまや悟りへの道を成就せんとする者を讃嘆して、諸相を示現するのである。我は時到って願いがかない、一切智を悟るであろう。 
華厳五十五所絵巻 53 弥勒菩薩2 新・善財童子 求道の旅より

善財よ、汝は悟りを得た我を、文殊師利菩薩とともにふたたび見るであろう。行け、文殊師利菩薩のもとへ」
文殊菩薩って、最初に善財くんが出会った菩薩だったね。
シュラーヴァスティー(舎衛城)の郊外にある大荘厳重閣におられたシャカムニ世尊のもとを去って、遊行のため南方へと向かわれた。そしてダニヤーカラで「どうか私に解脱の門を開き、悟りへの乗物をお与え下さい」と嘆願した善財くんに、普賢行を教示してくれる南にいる善知識を教えてくれたのだが、一人の善知識を探し当てると、別のもっと南にいる善知識を教えてくれるということを繰り返して、やっと弥勒菩薩に会うことができたのだった。
それなのにその文殊菩薩に再び会えとは。


54 再見文殊師利
弥勒菩薩のもとを辞して善財童子はふたたび遊行をはじめた。およそ百十の都城を訪れたであろうか。普門国のスマナームカ城に到り、文殊師利菩薩にはいつお会いできるだろうかと、思慕も深く佇んでいた。
華厳五十五所絵巻 54 再見文殊師利 新・善財童子 求道の旅より


突如、文殊師利菩薩がはるか千里のかなたから、するすると手を伸ばし、スマナームカ城にいる善財童子の頭をなでて声を掛けた。
「でかしたぞ、善財童子。並の者ではこの法性は理解も分別もできないであろう」 
そう褒めるや、善財童子のところに来って、無数の法門、無限の智の光明を得させた。そして最後に童子のもとに普賢行願輪を置くやそのまま立ち去った。普賢菩薩に会うようにとの暗示であった。
華厳五十五所絵巻 54 再見文殊師利 新・善財童子 求道の旅より


55 普賢菩薩

善財くんはすべての善知識の教えを受け入れ、一切智を悟れる者となるために、艱難辛苦をものともせず、大悲の願いを秘めてこれまでやって来た。弥勒菩薩は言われた。そのすべては文殊師利菩薩の威神力のお蔭なるぞと。その文殊師利菩薩が突如現われ、私を褒めて下さった。なんと有難きこと。そのうえ、ついに普賢菩薩にお会いするようにとお許し下さった。普賢菩薩さまとはどのようなお方であろうか。
善財童子はいつのまにかあの金剛蔵菩提道場のビルシャナ如来の獅子座の前にいた。

毘盧遮那如来(中央)、獅子座の普賢菩薩(向かって右)、文殊師利菩薩(同左)の釈迦三尊
華厳五十五所絵巻 55 普賢菩薩 新・善財童子 求道の旅より

一心に普賢菩薩を念じ、普賢菩薩の境界を求め、普賢菩薩にまみえたいと不退転の決意をもって念じ続けた。すると、まるで霧が晴れるかのように、ビルシャナ如来のかたわら、宝蓮華の獅子座に坐り、菩薩衆に囲まれ、説法されている普賢菩薩のお姿が善財童子の眼前に現われたのである。
華厳五十五所絵巻 55 普賢菩薩 新・善財童子 求道の旅より

善財くんは、普賢菩薩の境界はなんと広大無辺、多種多様であろう。感歎しながら、さらに幾度も 普賢菩薩のお身体を観想した。すると一々の分身、一々の毛孔から三千大千世界の風輪、水輪、地輪、火輪、大海、大河、大州、須弥山、鉄囲山が次々と現われ、まるで俯瞰図を見るかのように、村里、町並み、都市、宮殿、林苑が目に映った。ついで空中から降り地上に迫ると、街道には衆生の往来が、衆生の生業の喧噪が、衆生の悲喜こもごもの声が聞こえてきた。それだけではない。地獄や餓鬼畜生の世界、死をつかさどる閻魔大王の世界など、冥界のことごとくが見え、さらに諸々の天界が見え、欲界、色界、無色界の領分、日月星宿、風雲雷電、森羅万象のことごとくが、普賢菩薩のお身体から化現するのを見たのである。
そのように観想するや否や、善財童子はすでに十種の智波羅蜜住を体得していた。
一刹那のうちに普賢菩薩行を直証するという智波羅蜜住を善財童子は体得したのである。そのとき、普賢菩薩が右手を伸ばし、善財童子の頭をなでられた。その途端、善財童子は一切仏国土の微塵数に等しい三味門を得て、その微塵数に等しい世界海に悟入した。着財童子には、一切智を得るためになくてはならない資質が、いまだかつてないほどに具わったのである。
華厳五十五所絵巻 55 普賢菩薩 新・善財童子 求道の旅より

善財童子は一心に普賢菩薩の色身を観想した。すると、その一々の毛孔中に、み仏の出現せる不可説数の仏国土が見えてきた。そこに現われた世界は、もはや筆舌に尽くし難いものであった。善財童子は普賢菩薩の教えに導かれて、普賢菩薩の身中にあるすべての世界に悟入し、衆生たちを教化した。自分はこれまで多くの善知識にまみえ、教えを受けて功徳を積んできた。だが、普賢菩薩により得られたものに比べれば、なんと微々たるものか。

善財童子は、普賢菩薩の毛孔中の仏国土を歩みはじめた。
次第に進み行きて、善財童子はついに普賢菩薩の行願海に達した。普賢菩薩と等しく、また一切如来と等しく、善財童子の一身は一切世界に充満し、行も神通も、法輪も弁才も、言葉も音声も、大悲も不可思議なる解脱の自在も、ことごとく相等しい域に達したのである。

そして普賢菩薩は、お傍に仕える諸々の菩薩たちに、「汝ら諦けく聴け。余はまさにみ仏の功徳海を説かんとす」と告げて、
「世尊は十方世界に遍満し、衆生の一切の業、衆生の一切の煩悩を観察し、自在力をもって済度して清浄ならしめ給う。汝らまさに聴くべし。世尊は仏道を成じてすでに不可思議の永劫を経る。・・・世尊の功徳海は説き尽くすことあたわず。汝らもしこの法の功徳を聞き、歓喜して信解の心を生ずる者あらば、讃えるところのままにまさに心中に刻むべし。慎みて疑念をいだくことなかれ」と毘盧遮那世尊の素晴らしさを蕩々と説かれた。

というところで終わっている。善財くんはその後どうなったのかは記されていない。



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参考文献
「新・善財童子 求道の旅-華厳経入法品・華厳五十五所絵巻-」 森本公誠 2023年 朝日新聞社