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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/02/17

後期ヒッタイトの神殿建築様式


ヒッタイト帝国の神殿について『ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像』(以下『「鉄の王国」の実像』)は、ヒッタイトの神殿建築様式には一定の型があるという。

それをハトゥシャ(ボアズキョイ)の神殿群でみてみると、

大神殿の想像復元図(説明パネルより)
説明パネルは、実際の神殿は複合施設の中央に位置し、外部から完全に隔離されていた。
ハトゥシャ最大の神殿。おそらく、王国の最高神であるハッティの風神とアリンナの太陽の女神に捧げられたものと思われる。建物の土台部分のみが大きな石灰岩のブロックで造られていた。その上に、日干しレンガを積んだ木骨造りの壁が築かれていたが、現在では何も残っていない。今は、木骨造りの壁と石の土台を繋いでいたダボ穴が数多く見られる。神殿は、泥で固められた典型的な平らな屋根で覆われていたという。

また『「鉄の王国」の実像』は、中央には屋根のない中庭があり、大型の神殿の場合は列柱が中庭を囲む例もある。ヒッタイト語で中庭をヒラ hila といい、列柱で囲まれた広間をおそらくヒランマル hilammar といったようだ。
入口から離れた神殿の最奥に至聖所(神像が置かれ、礼拝が行われた部屋)がある。神殿の入口から至聖所に入るには必ず一度は曲がらなくてはならず、直線的には配置されていない。入口には守衛室のようなものがあり、部外者(身を清めていない不浄な者)が立ち入らないように厳しく管理されていたことが窺える。至聖所の隣には小部屋があり、神々(神像)が人間と同じように食事をし、就寝し、身を清めるための道具や供物が保管されていたらしいという。 
石積みの土台しか残っていないので、見学していると全体が見渡せて、下図のように視界を遮る壁がイメージしにくい。
❼正門 ➓本殿入口 ⓫中庭 ⓬祭壇 ⓭祭祀の間(2箇所) その周囲に貯蔵室


大神殿見学後はバスに乗って門巡りをして、車窓から上の町の神殿群を見ることしかできなかったが、それでも大小様々な神殿には中庭があるのは分かった。

『古代都市1 ヒッタイトの都ハットゥシャ アラジャフユクとシャピヌワ』は、その面積は大神殿の本殿よりもやや小さいが、内部の構造は似通っている。
北側に設けられた堂々たる階段を登ると広々とした玄関ホールがあり、その左右には小部屋が設けられていた。ホールを抜けると20×15mの広さの中庭があった。 この中庭の右奥にある小部屋の役割は解明されていないという。
❶No.5の神殿 ❷王の門 Google Earth より


『「鉄の王国」の実像』はこの中庭を指すヒラというヒッタイト語について、のちにアッシリア帝国に採用され、アッシリアの建築は「ビート・ヒラ二」(ヒラニの家)と呼ばれた建築様式で建てられていた。アッシリア人が「ヒッタイト風」と考えた建物というわけであるが、その実態はよく分かっていない。また、もう一つアッシリアがヒッタイト(後期ヒッタイト)から採り入れた建築様式があり、それは門や入口の両脇にライオンなど石製の巨像を配置することであったという。
かなり以前にヒッタイトのライオン像とアッシリアのラマッスについてまとめたことがある。その時にアッシリアのラマッスよりも前の後期ヒッタイト時代(前10-9世紀)に、アスランテペで城門のライオン像が造られていたことに気付いていたが、本当にそうだったことが判明してうれしい。
その記事については関連記事へ

城門のライオン像 石灰岩 高124㎝ マラティヤ、アスランテペ 前10-9世紀 アンカラ、アナトリア文明博物館蔵

もちろん一対です。足の指の表現が面白い。尾は後肢の間に巻いている。


それにしても、アッシリアのラマッスと後期ヒッタイト時代の門のライオン像の造形の違いは相当なものだ。

人面有翼牡牛像 前9世紀 アッシリアの首都カルク(現ニムルド)
『メソポタミア文明展図録』は、アッシュールナツィルパル二世(前883-859)はアッシュールからカルクに遷都した。彼はアッシリア宮殿建築の規範となった新様式の豪華な宮殿を建てた。これは伝統的なメソポタミア煉瓦建築に対する大きな革新であり、その実質は装飾に石材を集中的に使用したことにあったという。
この「新様式の宮殿」が後期ヒッタイト時代の宮殿から借用したピート・ヒラニというものだったのだ。

これらのライオンあるいは有翼人面雄牛像は神格を示す角付き冠を着けていた。彼らの像は側柱の役を果たしており、頭から前脚までの半像は丸彫りで、胸あたりから後半身は高浮彫だった。正面からも側面からも見られるように五本脚を特徴としていたという。
左奥には角が二対ある神が立っている。

時代が下がると、
人面有翼牡牛像 前721-705年 イラク、コルサバード、サルゴン二世の宮殿出土 アラバスター 高420㎝ ルーヴル美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、新アッシリア時代には、宮殿の主要な通路や出入口に、巨大な石製守護像が設置された。巨像は、肩までかかる髪と顎鬚を有する人間の頭部に、翼をもつ牡牛の身体を組み合わせた想像上の生き物として表現された。頭部はほぼ丸彫りに近く、身体部は巨大な一枚岩に高浮彫りで表現されている。巨像は前9世紀のアッシュールナツィルパル2世の時代から前7世紀のセンナケリブ王の時代までの宮殿建築に盛んに取り入れられたが、それ以降に造られた宮殿からは出土しない。
アッシリアでは、一般に守護像を「ラマッス」と総称し、なかでもとくに人面有翼牡牛像は「アラドランムー」と呼ばれたという。
この図版でラマッスの肢がはっきりとわかる。前方から見た時に静止しているように前脚を2本揃えているが、側面から見ると、歩いているように4本の脚が見えるように造られているために、計5本の脚が彫り出されている。尻尾は後ろに垂れている。

ついでに、アッシリアのラマッスに影響を受けて造られたとしか思えないアケメネス朝ペルシアのラマッスも。

ペルセポリス万国の門の出口の人面有翼牡牛像 クセルクセス王期(在位前486-465)
肢は4本しかないし、膝の表現が変。

ということで、後期ヒッタイト時代のライオン像は、新アッシリア帝国そしてアケメネス朝ペルシアにまで影響を与えていたのだった。




関連記事

参考文献
「ヒッタイト帝国 「鉄の王国」の実像」 PHP新書1376 津本英利 2023年 株式会社PHP研究所 
「古代都市1 ヒッタイトの都ハットゥシャ アラジャフユクとシャピヌワ」(日本語版)2013年 URANUS
「Gods Carved in Stone The Hittite Rock Sanctuary of Yazılıkaya」 Jürgen Seeher 2011年 YAYINLARI

参考にしたもの
現地説明パネル

2024/03/15

建築倉庫に行ってみた


かなり以前に見たテレビ番組で知った建築倉庫にやっと行くことができた。
JR品川駅から歩いて約10分。天王洲橋からWHAT MUSEUMの白いWMの文字が、濃いグレーの建物にくっきりと見えた。

新東海橋を渡って、正面に建築倉庫の建物が見えても
途中に横断歩道がなく、かなり過ぎたところで渡ることになった。


建築倉庫ミュージアムにはいろんな展示スペースがあって、一番見たかった建築模型の並んでいる建築倉庫は撮影禁止のため、画像はないので説明するのは難しいが、模型保管庫が展示室になっているので、人の胸よりも下には模型を搬入した時の箱が積んである。それがこっそり「倉庫」に入り込んで見ているような感覚にとらわれて、ゆっくり見ていたいけれど、あまり長居できないような気持ちになる。
一つの建物や空間を創り出すのに幾つかの工程が展示されているもの、計画だけに終わってしまったものなどもあったが、人の姿も建物の中に登場していたり、広い空間を散策していたりしていて、興味深く拝見した。


その後「No Photo」マークのない作品なら写しても良い展示会場へ。

まずは一階の「感覚する構造 力の流れをデザインする建築構造の世界」へ。


展覧会概要は、1923年の関東大震災から、今年で100年が経ちます。われわれ人類は、地震力や風力をはじめ自然の力が及ぶ世界に生き、さらには地球という重力空間において、建築における力の流れをどうデザインしてきたのでしょうか。
そうした力の流れや素材と真摯に向き合い、技術を駆使し、建築の骨格となる「構造」を創造してきたのが、構造デザインの世界です。「建築家」と構造をデザインする「構造家」の協働により、数々の名建築が生み出されていますが、構造家や構造について詳しく紹介される機会は多くはありません。構造家は数学や力学、自然科学と向き合い、計算と実験、経験を積み上げた先に、やがて力の 流れが自身の中に感覚化し、感性を宿すといわれていますという。
建築家は知っていたが、「構造家」という職業さえ知らなかった。


SPACE1の感覚する構造の中の「A建築家と構造家との協働」は、スペインの構造家エドアルド・トロハは、『Philosophy of Structure』(構造の哲学 1951年)の中で、「構造物全体の誕生は、創造的な過程の結論であり、技術と芸術、発想力と感受性との融和であります。・・略・・そしてどんな計算より重要なところに着想(アイデア)があります。」と述べています。
構造家佐々木睦朗は、建築家との双方に刺激しあうコラボレーションの中で、まさにその着想を展開し、新たな構造システムを構築、歴史を刻む建築の創造と飛躍にたずさわってきました。
本テーマでは、構造家佐々木睦朗と建築家磯崎新、伊東豊雄、妹島和世、西沢立衛の協働による作品を紹介致しますという。

せんだいメディアテーク

構想1
絵を見ているだけなら、バネのようなものを並べた見下げ図

構想2
側面図?正面図?

その模型
所蔵:佐々木睦朗 竣工地:宮城 竣工年2000年 建築設計:伊東豊雄建築設計事務所 構造設計:佐々木睦朗構造計画研究所
全体として円柱の太さがまず違っているし、一つの階ごとに円柱の傾きが異なっている。これでバランスが取れいているって面白い。

反対側から見ると意外とまっすぐ。


このスペースには現代的な建物だけでなく、古代ローマの建物の半分の模型もあった。パンテオンが「古代から・・・」ということだった。

パンテオン 
正方形からドームを導くのは難しいが、円形からなら持送ってドームを架構するのは無理がない。しかし、古代ローマでは円錐ドームしか造れずにいた。完全な円形のドームができた最初の建物が、このパンテオンだった。
パンテオンについての記事はこちら
パンテオンに至るまでのドームが複数残っているヴィッラ・アドリアーナの記事はこちら
双方の建物はハドリアヌスが建てた。

パンテオンD 模型縮尺:1/150 模型製作:浦勇樹、内田涼大、田中悠仁 所蔵:東海大学工学部建築学科
竣工地:ローマ 竣工年:前27年創建、80年頃焼失、128年頃再建
設計:創建アグリッパ 再建ハドリアヌス
説明パネルは、古代の石積みドームの発祥に始まる曲面により空間を覆う構造。経線方向はアーチと似た構造だが緯線方向にも抵抗できるため、かたちがある程度自由にできることが特徴。ドーム構造の応用がその後のシェル構造へとつながる。
パンテオンは直径高さ43mの半球形のドーム形状をしており、頂部には直径8.9mの天窓が開いている。火山灰をセメントとする無筋コンクリート構造で、内面はドームの厚みをえぐり取ることで重量の軽減を図り、装飾的な格子天井としている。ドームの厚さは上部は 1.4mで下方に向けて徐々に厚みを増している。ドームの基部は階段状に厚みを増してスラスト(外に開こうとする力)に対する抑えの役割を果たしているという。
断面図と違って、ドームの頂部から下部へと次第に壁の厚みを増していく様子が立体的に感じられる。

パンテオンは格間の美しい並びをただただ見上げていたが、模型なら見下ろせる。

3柱間の柱廊につづく長方形平面の玄関間から、円形平面の堂内への移行。

柱廊は見学した当時は修復中だったが、柱頭はこんなに大きくにぎやかではなかった。


別の部屋に行くと、木造のヴォールトや模型があった。


密な格子の構築物の前にあったのは、
左:三方格子
切り欠きを入れた角材の切り欠きを半分ずつずらして組み合わせることで、 釘も金物も用いず立体架構を作ることができる。
この展示空間にも使われている。

右:アリ継ぎ三方格子
外れ難くするため、伝統工法で用いられる「アリ継」を施した三方格子 (説明パネルより)

そのサンプル
説明パネルは、右にあるサンブルで挑戦してみてくださいという。こんな面白いものと戯れていたいけれど時間がなかった。

その隣にあるのは、
右:プッシュアップ構造
長い竹を放射状にレシプロカル構造で組み合わせ、根元を持ち中心に向かって押し上げることで立体架構を構成する。
47都道府県構造マップの和歌山県「竹象庵」の屋根の構造

左:レシプロカル構造
お互いをテコにして成立する“あいもち構造”
接合金物などを用いることなく空間をつくることができる。 (説明パネルより)

こういうのも興味深い。
和歌山県「竹象庵」というのは、アドベンチャーワールドにある「自然体感型の竹製テレワークスポット」みたい。

そしていよいよ木製のヴォールトの中へ入ると、竹製品が展示されていた。


それだけではなかった。なんと、木材と思い込んでいたものは、よく見ると竹の集成材なのだった。



その後、「感覚する構造-力の流れをデザインするは仏教建築構造の世界」のコーナーへ。

浄土寺浄土堂 小野
説明パネルは、日本建築においては古来より柱に貫を貫通させ、楔等によって両者をしっかりと留めつける「貫構法」によりにラーメン構造を成立させてきた。浄土寺浄土堂はその中でも大仏様建築の傑作である。大仏様における構造の特徴は柱に何段もの挿肘木や貫を挿入することで水平力に対して強い抵抗力を持つ。内部空間は、中央の四天柱が屋根裏まで伸びていて、四周からそれぞれ3段の虹梁が四天柱に取り付いているという。
快慶作阿弥陀三尊立像が中央の丸い壇の上に安置されている
三段の虹梁については正面かは見えない。

正面に三段の虹梁が二列見えているのだが、


結局この写真の方がよく見えていた。
宝形造のため、頂点から四隅に渡した隅棟から多数の垂木が出ていて、両端に至っては、別の垂木群が傘の骨のように出ている。

先ほど出てきたラーメンについての解説

ラーメン RAHMEN 
説明パネルは、柱と梁を強固につなげたフレームによって地震や風に抵抗
ラーメンとはドイツ語で「枠」という意味。
地震や風といった横からの力に抵抗するための構造形式の一つである。
柱と梁を単純につなげるだけ(ピン接合)では不安定だが、接合部を強固に接続する (剛接合)ことで安定性を確保しているという。


それに対してのトラスの解説は、

トラス TRUSS
説明パネルは、棒状の部材を三角形に組んだ構造。
梁のような棒状の部材は曲げる力に弱いが、三角形に組むことで曲げる方向に力がかかりにくい仕組みになっている。
そのためトラスは剛強で安定しており、いくつも連結することで大規模な架構を構成することができるという。


そしてその模型

白川郷合掌造り民家・旧田島家
模型縮尺:1/5 模型製作:高橋俊和 (都幾川木建) 所蔵:白川村教育委員会
竣工地:岐阜県 竣工年:江戸時代中期
説明パネルは、迫り持ちトラスを利用した合掌造りの建築。雨量の多い村の気候に合わせ、急傾斜の屋根となっている。合掌造りは軸組と小屋根が分離されているのが特徴的で、1階は居住用、2階以上は蚕室などに用いられる。2階床を構成する陸梁が、合掌材と呼ばれる登り梁の脚元に生じるスラスト力 (外に開こうとする力)を抑えることで、迫り持ちトラスを構成しているという。

蚕室の床を支えているつなぎ梁は、合掌材との交点における中間荷重を受けることができる。接合部は縄締め、梁端は先の尖った駒尻により置かれるといった簡易な接合ながら豪雪にも耐えうる強度を持つという。


続いて二階の「心のレンズ」へ。
その展覧会の概要は、この展覧会は、IT分野で活躍されているコレクターの竹内真氏が、約5年前から収集をしてきた現代アートと家具のコレクション「TAKEUCHI COLLECTION」をご紹介するものです。

竹内真氏のコレクターズノートは、僕は、抽象的な作品を見るとき、大凡自分と同じ世界を生きて、かつ似たようなものを見て、聞いているのにも関わらず、その彼らの心のレンズを通した結果、このような作品が生まれるのだろう、彼らの人生の中で作り上げられた心のレンズが一体どんなものなのかを想像してしまいます。しかし、その想像の中にあるレンズもまた、自分自身が経験したものの中から考え得るレンズでしかないわけで、おそらくその予想は全て外れているのでしょう。もし、今日、誰かと一緒にこの展示を見に来ていたら、その人と同じ作品を見て、作家の心のレンズはどのようなものだと思うのか、話し合ってみてください。結局は、 それはお互いの心のレンズを話し合っているようなことでもあり、それはきっと、お互いの仲をさらに深めていくことだと思います。

ピエール・ジャンヌレがデザインした椅子約20脚を使用したインスタレーションでは、その個体がもつ特徴を多角的な視点から堪能することができますという。
椅子が宙に浮いていて、まずは椅子そのものよりもその展示の仕方にびっくり。そして見上げながら、見下ろしながら一周した。

インド北部のチャンディガール都市計画
説明パネルは、1950年代に近代建築の巨匠と称されるル・コルビュジエ (1887-1965)が中心となって計画しましたが、従兄弟であり仕事上のパートナーであった建築家ピエール・ジャンヌレ (1896-1967)が重要な役割を果たしていました。ジャンヌレは、現地の監督として約15年間インドに住み、地元の文化、気候、素材などを研究し、建築だけでなく、建物内の家具も多く手がけます。
このオフィスチェアは、主にチャンディガールの行政施設などのために製作され、都市計画のために作られた家具の中でも代表的な存在になっています。当時、用途に合わせた様々なタイプの椅子が製作されましたが、本展では「逆V字レッグタイプ」と「X字レッグタイプ」の椅子をご紹介していますという。

背もたれや座面の籐細工が涼しげ。チーク材は現地で調達、籐編みも現地の手工芸としてあったという。


多くの職人が基本となる図面と指示をもとに製作しましたが、職人の裁量や製作方法により変更が加わることがあり、同じタイプであったとしても大きさや比率、部材の太さや角度の異なるものが作られたと言われていますという。 
チャンディガール都市計画の時につくられた椅子 建築倉庫のパネルより


4名による書斎空間
説明パネルは、ここでは1930年代のフランスで時代を同じくして活躍し交流していた4名による家具を取り合わせ、書斎空間を演出しました。
ル・コルビュジエのデスクには、ピエール・ジャンヌレの椅子を合わせています。二人は従兄弟でもあり1922年にはパリに事務所を共同設立し数々の建築作品を手掛けました。ウォールランプのシャルロット・ペリアン (1903-1999)も彼らの事務所に所属し共同制作者として数々の建築やインテリア家具を残しています。度々来日して柳宗理らと交流し日本のデザイン界に大きな影響を与えたことでも知られています。デイベッドのジャン・プルーヴェ (1901-1984)は、金属工芸家としてキャリアをスタートさせましたが、敬愛するル・コルビュジエらと協働し、家具だけでなく建築デザインへと創作の場を広げ、フランスの建築生産の工業化で大きな役割を果たした建築家ですという。
このデスクのシンプルさが気に入って写したら、後で Le Corbusier の作品だと分かった。ルコルビュズィエをルコルビィジェと言う人が多い中、本展覧会ではフランス語に近い発音で表記されていて嬉しかった。ただ、従兄弟の姓ジャンヌレは、ルコルビュズィエの本名 Jeanneret-Gris の一部でもあるが、ジャヌレなので残念。
もう一つ残念なのが、ウォールランプが写っていないこと。左端の壺が気になって、どうしてもそれを入れて写した結果ですわ。


トライアングル ローテーブル ピエール・ジャンヌレ
Xレッグアームチェア     ピエール・ジャンヌレ
三角のテーブルは物を置きにくい気がするが、アームチェアの足はXレッグの方が安定感がある。


そして最後は、

リオ ロッキングチェア オスカー・ニューマイヤー
説明パネルは、ブラジル近代建築の父といわれるオスカー・ニーマイヤー (1907-2012)が1974年にデザインした ロッキングチェアは、美しい曲線が特徴的です。建築にも活かされている「曲線」は、自然の造形や女性の体からインスピレーションを受けたと言われています。
本作は、天童木工のブラジル工場で製造され、当時のラベルが残っている希少な作品です。ニーマイヤーは様々な人と協働作業することでも知られていますが、今回展示されているル・コルビュジエの影響も強く受けており、国連本部ビル (1952 年 アメリカ、N.Y) を共にデザインしていますという。
長身の人には心地よく憩えそうなフォルムだが、私の短い脚では腰に負担がかかるかも・・・


雨が降って暗い上に、夕刻が迫ってもう照明が点いていた。来た時とは別のふれあい橋を渡って帰った。



関連記事

参考にしたもの
建築倉庫の説明パネル

参考文献
「日本建築史図集」 日本建築学会編 1980年新訂第1版 彰国社
 

2023/12/05

福島の旅 さざえ堂


さざえ堂という風変わりな建物をあるテレビ番組で見て以来、一度は訪れてみたいと思っていた。

その日は朝から雨で、やがて止んだが磐梯山は白い雲からでてこなかった。

さざえ堂は白虎隊に関わる飯盛山にあるが、建てられたのはそれ以前(現地の飯盛山案内図より)


階段を登り切るとあるのは飯盛神社ではなく、なんと厳島神社だった。



この橋の下には、雨の後でも澄んだ水の流れがあり、

それを辿っていくと、白虎隊引き揚げ洞門というところに来た。



階段の上に見えた建造物は妙な形なので、私が昔テレビで見たさざえ堂に違いないと確信。

階段の上から見下ろすと厳島神社周辺が一望できる。


旧正宗寺三匝堂(きゅうしょうそうじ さんそうどう)
福島県教育委員会制作の説明パネルは、六稜三層形式向拝付、銅板葺き(もと木羽葺き)
「さざえ堂」の通称があり、高さ約15.5mで、初層真径約6.3mの六角形平面に回縁を付け、正面には唐破風の向拝を付しているという。
突き出た向拝と龍が異様だが、これがさざえ堂なのだ。


説明パネルは、正面から入ると右回りに螺旋状のスロープで登り、頂上の太鼓橋を越えると降りの左回りスロープとなって背面出口に通ずる。昇降を通じ建物内を三度回ることになるところから三匝堂の名がある。
スロープの内側に沿って西国札所の三十三観音像が祀られ、一度入ると巡礼を終えたことになるという、いわば江戸時代における庶民のための身近な巡礼の建物であったという。

さざえ堂のところから会津城が望める。


上り口には三十三観音ではなく郁堂禅師がお出迎え
説明パネルは、「新編会津風土記」には「円通三匝堂」と見え、寛政8年(1796)の造立と記され、また会津若松の実相寺の僧郁堂の建立とされているという。
さざえ堂を建てた僧だった。
外側は開口部が続き、斜めの床には滑り止めの桟が取り付けてある。


この天井は下り専用の通路。時々音がする。
そして内側に、かつて三十三観音が祀られていた仏龕あるいは祠がある。

入口を振り返る

祠がかたまってあることも。


これを梁と呼ぶか、棟と呼ぶか。



祠は内側にあるが、内側には他のものも。


のぞいて見ると、向こう側も開いていた。
仏堂建築としては、他に例を見ない特異なもので、六本の心柱(円柱)と同数の隅柱(六角柱)を駆使して、二重螺施のスロープを造り上げた考案者である郁堂と棟梁の創意と技術には大きな意義があるということなので、真ん中に見えているのは心柱になるのかな。


こんな風に上っていくと、先に方向の違う板があった。


外を眺める。


これが通路の頂上だった。


その天井は六角形の周りに折りたたみ傘のような湾曲部があって、更に垂木状のものが10本ずつくらい下がっているように見える。

でも、外から見ると、軒下に二重垂木が出ているで、内側のは垂木ではない。
こう見ると、六本の六角柱の外側は華奢な木鼻が上の軒を支えていて、意外と装飾的。


さて、この太鼓橋状のものを通り過ぎると、反時計回りに下っていくように造られている。
この「二重の螺旋階段」は、モスクのミナレットにも見られるものだが、観光で行くと一方が閉じられているため、上る人と下りる人が狭い空間ですれ違うことになる。あつ、また脱線。


何故か円柱が途中で切れているのが気になった。


見ると、反対側が見えるところだ。



あちこちに千社札が貼られていたが、出口の板にまで大きく名前を書いた人がいた。


そして出口に坐っているのは正宗寺開祖の残夢大禅師だった。

外に出て時計回りに廊下を回って正面から出た。



内側にいると、通路が斜面になっていることがわかるくらいだが、外から眺めると、どのラインが水平なのか探しだそうとしてしまう。
一つの壁面で、格子状の開口部(明かり取り)の右端の位置から斜め下に渡してある板が水平のような気がする。

回り廊下のレベルで見ると、その板はかなり傾斜があるように見えるな~

ひょっとすると、さざえ堂に水平なものはないのかも。


飯盛山の最後の階段から見えた会津若松の街。


帰りも磐梯山は姿を表さなかったが、猪苗代湖はちょっと見えた。



       福島の旅 大悲山石窟←

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参考にしたもの
福島県教育委員会制作の説明パネル