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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2015/06/09

連珠円文は7世紀に流行した2




アフラシアブ出土イッシュヒッドの宮殿南壁の壁画でも、登場人物の衣裳に連珠円文が多く使われていた。
南壁左端に描かれたワルフマーン王の先祖の墓廟のなかにも、大きな連珠円文を3つほど重ねた赤地の衣裳を着用している人物がいる。

ワルフマーン王の妃が乗っていたとされる白い象の背中に掛けた丸い敷物に大きな連珠円文があった。
拡大すると、獅子が描かれている。しかも、右前肢をあげて有翼のライオンだった。
このライオンはどちらかというと、西方のものというよりは、中国っぽい。有翼獣は西方から東へ東へと伝播し、中国には戦国時代に伝わったのだが、これは壁画が描かれた当時、初唐の頃に中国で造られた連珠円文に有翼の獅子が表された錦が、ワルフマーン王に送られたことを示しているように思う。

その後ろの王妃の護衛をしている3人の女性の一番手前の女性が乗った馬に掛けた長方形の敷物は縁取りに連珠円文、中央の主文に鳥が描かれている。

ラクダに乗る2人の人物のうち奥の一人は、襟元に連珠円文があしらわれている。

犠牲の馬を連れたゾロアスター教の聖職者の衣裳にはうっすらと連珠円文が浮かんでいる。

馬の鞍掛けにも連珠円文が縁取りに用いられている。主文の方は馬ではないだろうか。

ワルフマーン王は連珠円文のある鞍掛けをつけた大きな馬に乗る。
王の赤い衣裳の文様は、装身具を銜え、頭にリボンをつけた鳥だった。

王の後ろの護衛の兵士も連珠円文の衣裳を着けている。
その連珠円文には咋鳥文が表されている。尾が大きいので、孔雀だろう。
その上、或いは背後の兵士は連珠円文ではなく、羊の文様の服を着ている。

連珠円文が7世紀にソグディアナで流行した文様であっても、ソグド人がすでに6世紀後半に連珠円文のある衣裳を身につけており、しかも中国で暮らしていたことが、その石棺床飾板でわかる。

棺槨部分 白大理石に彩色 山西省太原市晋源区王郭村虞弘墓出土 隋・開皇12年(592) 太原市晋源区文物管理所蔵
『中国★美の十字路展図録』は、墓主の虞弘は中央アジアの魚国の出身で、若くして茹茹国(柔然)に仕えてペルシア、吐谷渾などに使いした。その後、北斉に出使して、北斉、北周、隋で官職を歴任し、北周ではソグド人を管掌する「検校薩保府」となったという。

6世紀後半の中国では、すでに連珠円文が流行していたのだろうか。

          連珠円文は7世紀に流行した←

関連項目
ササン朝の首のリボンはゾロアスター教
イッシュヒッド宮殿の壁画に羊文
中国のソグド商人
中国の有翼獣を遡る1

※参考文献
「AFROSIAB」 2014年 Zarafshon
「中国★美の十字路展図録」 曽布川寬・出川哲朗 2005年 大広

2013/11/12

第65回正倉院展3 今年は花喰鳥や含綬鳥が多く華やか



漆金薄絵盤(香印座)の華やかな蓮弁の外側には迦陵頻伽ではない鳥も多く描かれている。
迦陵頻伽の左には鶴か鷺のような鳥。
しかし、鶴でも鷺でもない華やかな羽根の鳥だった。脚が短いのでガンカモ科の鳥かも。
口には大きな花枝を銜えている。花喰鳥だ。
次には2枚の蓮弁に鳥が描かれていた。
左前(4段目)にカモ類にしては脚の長い鳥が大きな巻いた葉を銜えている。これも花喰鳥の変化とみて良いだろうか。
首に羽毛があるのでオシドリだろう。
3段目の木瓜枠の中には中央の宝飾品を左右からオシドリが銜えている。含綬鳥だ。
そして対偶文でもある。全体にほぼ左右対称の図柄となっている。
その次は4段目、迦陵頻伽の隣、そしてその隣(3段目)にも鳥がいる。
首は細長いが体は鴨のようにずんぐりした鳥が葡萄のように咲く花か実を銜えて、下の植物には留まらないで飛んでいる。花喰鳥の変化。
こちらはやはりカモが綬帯を銜えて上方に飛んでいく。含綬鳥だ。
最後の鳥は左の4段目にいる。
オシドリが花枝を銜えて植物の上に留まっている、いや、飛び立った瞬間を描いているのかな。
おまけ、その左、3段目には天禄がいた。
天禄についてはこちら

他には、

花喰鳥刺繍裂残片 はなくいどりのししゅうぎれざんぺん 縦79.5横63 南倉

同書は、一枝の花枝をくわえた鳳凰を大きく刺繍で表した裂の残片である。
鳳凰の足元には唐花があり、その中央に見られる蓮台上で鳳凰は片足立ちする。大きく翻る鳳凰の尾羽は宝相華を思わせる華麗な形で、虚空には花と蝶が配されている。瓔珞を肩にかけた鳳凰の首には宝珠が付されているという。
こんなにも華やかな鳳凰が、瓔珞や宝珠を肩や首に懸けても目立たない。このような賑やかな花枝なら、立派な尾とバランスできている。

蘇芳地金銀絵箱 すおうじきんぎんえのはこ 縦21.4横30.3総高8.8
同書は、底裏はそれぞれ別方向を向く鳳凰と獅子が金泥で重なって描かれる。鳳凰は嘴に鐶から下がる綬帯をくわえ、両翼と尾羽を上へ反らせて飛翔する。その尾羽が手前になるよう箱を回転すると、獅子が向かって左方へ駆けている。鳳凰の綬帯の先端左上あたりが獅子の頭部で、咆吼する口には銀泥で描いた歯が並び、そこから銀泥の霊気が頭上から後方へと渦巻きながら流れる。たてがみも抑揚のある銀泥線で後方へと靡き、右足は宙を駆け左足は地を捉えるように伏せるなど描写は疾走感に溢れる。胴部や後足は鳳凰の首筋から上方へ伸びる線で表し、余白に銀泥線で旋回する霊雲を充填する。鳳凰が、細く息の長い線を交えて優美な姿を表現するのに対し、獅子は猛々しい姿にふさわく、太く短い線を連ねている。こうした描線の差異や図像の重なりなどが画工や製作時期の相違によるものなのか、あるいは、そもそも描画自体が試しではないかなど、検討の余地があるという。
鳳凰の下にいるのは獅子だろうとは見当が付くものの、どれが顔かわからなかった。この説明で、ようやく鼻と銀泥で描かれたという歯がどこにあるのかがわかった。
またこの図が完成品かどうかもわかっていないらしいので、仕方がないことかも。

第65回正倉院展2 漆金薄絵盤(香印座)に迦陵頻伽←
                             →第65回正倉院展4 華麗な暈繝

関連項目
唐の順陵1 麒麟ではなく天禄
第65回正倉院展7 花角の鹿
第65回正倉院展6 続疎らな魚々子
第65回正倉院展5 六曲花形坏の角に天人 
第65回正倉院展1 樹木の下に対獣文

※参考文献
「第65回正倉院展目録」 奈良国立博物館編 2013年 仏教美術協会


2011/12/20

第63回正倉院展2 今年の奈良はカモ類

ヤツガシラが少なかったのに比べ、今年はカモの類が目に付いた。

紅牙撥縷尺 中倉
紅牙撥縷尺は左から花・ヤツガシラ・花、そしてその次がオシドリだった。
花を挟んでヤツガシラと向かい合うように、オシドリは左を向いている。花の上に乗って、左側の鳥が花柄を銜えている。
裏面で一羽だけ飛んでいるのはオシドリではない。この頭部の白いカモは表面にもつがいで登場する。カルガモだろうか。
金銀鈿荘唐大刀 きんぎんでんそうのからたち 北倉 全長99.9鞘長81.5
同展図録は、唐大刀とは中国から舶載された大刀のことで、それを模した国産の飾大刀もこれに含める場合がある。
鞘は木心に薄皮を張り、下地漆を施した後、古式の金蒔絵の技法により鳥獣や唐草文、花雲文などを表している。これは『国家珍宝帳』に「末金鏤」と記される装飾技法で、漆で文様を描き、その上に鑢(やすり)でおろした粗目の金粉を蒔き、さらに透漆(すきうるし)を塗っては研ぎ出す作業を繰り返して文様を浮かび上がらせたものである。平安時代にみられる研出(とぎだし)蒔絵に類する技法で、その先駆的作例として注目されるという。
金箔を細かく切ったものを蒔いてものと思っていたら、NHKの「新日曜美術館」で、蒔絵師が金の塊を鑢でおろしているシーンを見た。工芸品としての金の様々な材料は、全て金箔からつくるのではなく、金塊から直接おろすという方法もあったのだ。
そのような金の1片1片は、金箔を切ったものと比べると立体的になりそうなのは理解できる。それをパラパラと漆で描いた文様の上に蒔くと、立体感のある蒔絵となることもわかった。
正倉院展会場でも、大きく拡大した写真があって、その立体的な重なりがよくわかった。

しかし、大刀そのものを見るには、まず列に並ばなければならない。列は長かったが、割合はけがよかったので、5分ほど待つだけで済んだ。その間に超拡大写真なども見ることが出来た。
そしてやっと実物の前に来ると「立ち止まらないで下さい」という係員の連発する声にせかされることになる。その上、作品の保護のため、暗い会場でも一段と照明が落としてあるので、ほとんどその立体的な重なりがわからず、ただ、平たく金の蒔絵があるというのがわかるに留まったのだった。
こういう場合、図録で確認するしかない。大刀には金具を挟んで両面にそれぞれ三箇所に蒔絵がある。オシドリは一番下の両面に描かれている。
どちらも、花枝というよりも、長いリボンの様な物を銜えて飛んでいる。頭が大きく描かれるのがオシドリだ。
おっちゃんは言う、金は光を発するものではない、光を反射するから輝いて見えるのだと。
また、ガラスケースに反射したり、他のものが写り、作品がよく見えない場合もある。正倉院展と言えば奈良国立博物館の目玉なのに、何をやっておるのだと。もっともである。
金でさえほとんど見えなかったのに、銀など全くわからなかった。図録でさえ確認できない。

さて、今年の奈良は正倉院展だけでない。近くの東大寺にミュージアムができて、「東大寺ミュージアム開館記念」展も開催されていた。そのチラシに大きく出ていた写真もカモだった。

金鈿荘大刀 きんでんそうのたち 東大寺金堂鎮壇具内 長64.8
『東大寺大仏 天平の至宝展図録』は、鞘は黒漆地に、葡萄唐草をくわえた花喰鳥を透かし彫りした金板を貼り付け、樺巻(かばまき)しているという。
はっきりと残っているのは金箔を文様に截って貼り付けたのかと思っていたが、金板だったのか。
図録では鳥を特定していないが、私は何故かこの鳥がオシドリだと思い込んでしまった。妙な飾り羽根のあるオシドリだなと。
しかし、この時代にオシドリをこのような描き方をしたものは見たことがない。念のために図鑑を開くと、可能性のあるのはキンクロハジロくらいだった。
『日本の野鳥』は、長い冠羽を垂らし、金色の目をした黒と白の海ガモ類というだけで、飛んでいる時に冠羽がこのように頭から離れて見えるのかどうかわからない。
よく見ると尾羽もくりんと巻いていて、写実的な描写でもないので、ひょっとすると、これはキンクロハジロではなく、オシドリのつもりで描かれたのかも知れない。
確かに鈿荘は、鑢でおろした金粉よりも、金板の方がくっきりとわかる。

※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
「東大寺大仏 天平の至宝展図録」(2010年 東京国立博物館、読売新聞社)
「山渓カラー名鑑 日本の野鳥」(1985年 山と渓谷社)

2011/12/16

第63回正倉院展1  今年はヤツガシラが少ない

正倉院展の楽しみの一つにヤツガシラ探しがある。毎年楽しみにしているが、今年は2点だけだった。


紅牙撥縷尺 こうげばちるのしゃく (ものさし) 中倉 長30.2幅3.0厚0.9
図録は、象牙の表面を色染めし、そこに撥彫(はねぼり)を施して図柄を表す撥縷技法で彩られた物差し。本品は紅色に染めた後に撥彫を施し、随所に緑や黄色の彩色を施す。片面に界線を持つものの細かな目盛りはなく、儀礼用と考えられるという。
それぞれが花枝をくわえているのかと思ったが、上の1羽が長い花枝、というよりも、花枝を模した飾りのようなものをくわえ、後ろの1羽は飛んでいるだけだ。
碧地金銀絵箱 へきじきんぎんえのはこ (献物箱) 中倉
縦27.9横17.5高10.6 ヒノキ製
蓋・身の外面は、地を碧色とし、金泥で花文、銀泥で蝶鳥文や花枝文を描く。
蓋表中央に、一対の鸚哥が花枝を銜える姿を描く。鸚哥は大きな花にのり、花は枝葉を伴って鸚哥を取り囲む花枝文と一体化する。その周囲に蝶文がめぐり、さらに尾長の花喰鳥を上下一対ずつ置くという。
こういう場所に描かれる鳥は、ヤツガシラが定番だと思っていたが、この絵箱はそうではなかった。 


側面は、中央に向かい合って翼を拡げる尾長の花喰鳥一対を置き、銜えられた花枝文の左右に飛鳥を描くという。
右側面には、草花を挟んで向かい合う尾長と花が描かれ、その上を両側から中央に向けて、左右対称に同じ種類の鳥が飛んでいる。鳥は金泥で表され、外から2番目がヤツガシラだ。
左側面の方は、飛鳥の内、中央の蝶の次に飛んでいるのがヤツガシラで、銀泥で描かれている。
どうもこのような碧地の絵箱は以前に見た記憶があると探したら、1985年、第37回正倉院展だった。もう30年近く前のことだったが、ヤツガシラを探して、その図録で見ていたのだった。
碧地金銀絵箱(みどりじきんぎんえのはこ)、当時は「碧地」を「みどりじ」と読んでいた。
それにしても、色も形もよく似た絵箱だ。

※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
「第三十七回正倉院展図録」(1985年 奈良国立博物館)

2010/11/26

第62回正倉院展1 今年のヤツガシラ


エジプトを旅していて、野鳥が多いのは意外だった。そして人が野鳥を気にしないので、野鳥も人を気にすることなく、すぐ近くに飛んできたりした。

アブシンベルでは小神殿側からの帰り道、1羽のヤツガシラが近くに飛んできて、無心にエサを探し出した。なんとかピントを合わせようとしたが、慌ただしく動き回るのに下の写真程度だった。ビデオで録画し出すと一度は飛び立ったが、もっと近くに降りてきて、地面をつつきだした。ビデオには地中のムシを引っ張り出しては食べてるところが映っていた。それまでは空中でエサを捕獲するのかと思っていたので、それも収穫の一つとなった。
新疆でもヤツガシラをよく見かけたが、警戒心が強くてすぐに飛んでいってしまうので、写真に撮ってもピントが合うことはなかった。その写真はこちら
間近でヤツガシラをゆっくり見ることができたので、今年の正倉院展ではヤツガシラは期待できないだろうと思って出かけた。

銀平脱合子(琴柱や弦の容器) 正倉院北倉 径15.1高5.1
同展図録は、蓋上面には、6本の蔓を放射状に伸ばす花文の周囲に、6羽の含綬鳥と折枝文を各6箇交互に並べ、身の立ち上がりには雲文15箇を並べている。含綬鳥の意匠には数種のバリエーションがあり、オシドリとヤツガシラの存在が確認できるほか、サンジャクと推定される鳥も含まれるという。
この作品は見えなかった。低い位置に展示されているので、人越しにまず見えず、近づいても暗いので見えなかった。年々目が見えにくくなってきたので、若い頃のように目を凝らして穴の空くほど見るということができなくなり、昨今は、見難いものは図録で確かめようと、すぐに諦めるようになってきた。
また、黒地に銀というと、作った当初、あるいは手入れの行き届いていた頃は確かに映えただろうが、銀はすぐに黒くなってしまうので、こんな作品は図録で見る方がよくわかる。
ヤツガシラは上面には2羽(矢印)いた。他の種類の鳥も点対称でそれぞれに同じ種類の鳥が配置されて、3種の鳥が2羽ずつ描かれている。ところが位置は点対称でも、向きは点対称にはなっていない。もう一つこの作品の不思議なところは、異種の鳥が向かい合う対偶文となっていることだ。おそらく異種の鳥が向かい合う対偶文を3対巡らせるとこのようになってしまったのだろう。こういう配置の仕方から、これは日本でつくられたものではないかと思う。
図録には文様拡大の図版があり、蹴彫と毛彫による細く丁寧な描写が確認できる。しかし、肝心のヤツガシラの体が途中で切れているのが残念。
黒柿蘇芳染金絵長花形几 正倉院中倉 縦33.6横51.5高9.8
天板側面には金泥で花枝文及び左行する蝶鳥文を描き、華足は金銀泥で葉脈を描くとともに暈かしを入れる。
天板裏面に「戒壇」の墨書が認められ、東大寺戒壇院に納められたものであることがわかるという。
鳥は尾の長いもの短いものと2種類あるが、どちらも頭の形からヤツガシラだろう。
吹絵紙(吹絵を施した紙) 正倉院中倉 吹絵紙 縦29.5横41.0
色料を霧状に吹き付けることによって彩色された装飾紙である。文様はあらかじめ型を置いて白抜きで表されている。紙は白色で、表面には磨かれた痕跡が残る。
籬(まがき)をめぐらした樹木を中心に、鳥・鹿・蝶や、花卉、軽業師(人物が頭上にのせた棒の先に、もう一人の人物が逆立ちで乗る)を配する。文様はいずれも左右対称を意識して配置されているという。
左右対称なら同じ型を2枚つくり、表裏にして置けばよいと思うのだが、左右の文様はそれぞれに切り抜いたらしく、微妙に異なっている。
軽業師は気づかなかった。解説を読んで探すと蝶の隣に見つけた。樹木だと思っていたものだったが、蝶よりも小さいので笑ってしまった。
その下に羽を広げているのが、頭の形からヤツガシラではなだろうか。
正倉院宝物は舶載品がほとんどと思っていたが、成分分析などから9割が当時の日本でつくられたものだということになってきた。今回の目録にはどちらで作られたものか明記されていないものが多い。黒柿蘇芳染金絵長花形几は紫檀に似せて作られたので日本製だろう。
吹絵紙は軽業師というモチーフが中国的なように思う。その上、こんなに小さいのにバランスを取りながら立っている様子がみごとに表されていて、直にこのような光景を見てきた人物ならではの表現だろう。従って、吹絵紙は唐で作られたものではないだろうか。
蛇足だが、上段の鹿は宙を駆け回っているようで、クリスマスのトナカイに見える。

※参考文献「第62回正倉院展図録」(奈良国立博物館監修 2010年 財団法人仏教美術協会) 

2009/12/29

韓半島の連珠文


 
日本の瓦に連珠文があったなら、韓半島にも連珠文のめぐる瓦はあるだろう。

蓮華雲文塼 瓦製 扶余窺岩面外里出土 幅28.0 百済(6-7世紀) 国立扶余博物館蔵
『国立中央博物館図録』は、仏教の隆盛に伴って発達した瓦当は、百済文化の特性をよくあらわしているがとりわけ熊津時代以後に中国梁の影響を受け作られた蓮花文瓦当から百済的様式が成立する。蓮弁内に装飾のない単弁様式が大部分で、蓮弁の端が曲がりながらしなやかに隆起しているのが、一般的な様式であるという。
百済の軒丸瓦には連珠に囲まれたものは見つけることができなかった。
『法隆寺日本仏教美術の黎明展図録』は、扶余にある外里遺跡からは8種類の文様塼が床に敷かれた状態で検出された。瓦が伴出することなどからも、寺院跡であったと推測される。
出土した文様塼はもともと壁を荘厳する壁塼であったと考えられている。中央に単弁八葉の蓮華文を小さく置きその周囲に雲文を配し、さらに外側を連珠円文で丸く囲う。これとよく似た文様が中国の南京でも出土した例があり、六朝の強い影響を受けて成立した文様であろう。四隅には花弁状の装飾があり、磚を並べると十字形の花文が形取られる。木笵(木型)によって作られたもの
という。
間地に十字形の花文が配されるものは、アスターナ出土の人物駱駝文錦(6世紀)や、固原出土の人物故事図漆絵木棺(北魏、5世紀)など中国に先例が見られる。鬼面瓦 皇龍寺出土 統一新羅(7-8世紀) 国立慶州博物館蔵
アケメネス朝のロゼット文の装飾タイル(前550-330年)に似た円文が周囲を巡っている。太宰府政庁東北台地出土の鬼面紋鬼瓦(7世紀末-8世紀初)は瓦に鬼の顔が押し込まれるように大きく表されているが、皇龍寺のものは耳やたてがみのようなものまで表され、頭上には蓮華らしきものまである。
下方左右にある植物文は、十字形の花文が変化したものだろうか。 軒丸瓦 慶州雁鴨池出土 統一新羅(7-8世紀)  国立慶州博物館蔵
『世界美術大全集10』は、統一新羅瓦の始まりは、679年創建の四天王寺と、そのころ造営が開始された雁鴨池に使用された瓦からである。統一新羅瓦はそれまでのやや硬さを見せる古新羅瓦とは大きく違い、まさに華麗・繊細という表現がぴったりするという。
やっと見つけた蓮華文の連珠文軒丸瓦には、蓮華が八重に咲いていた。同書の解説には書かれていないが、瓦につやがあるので、緑釉瓦だろう。
『慶州で2000年を歩く』は、月城と道路を挟んで別宮の雁鴨池がある。新羅時代には「月池」と呼ばれていた。674年に王宮の中に池を掘り、山を築き木を植えて、珍しい鳥や獣を放したという。王の跡継ぎが生活していた建物の一部で、慶州に来た使節をもてなす迎賓館としても使っていたという。 
雁鴨池は統一新羅の宮殿のなかでも華やかな場所だったので、このような装飾的な瓦が作られたのだろう。 軒丸瓦 慶州雁鴨池出土 統一新羅(7-8世紀)  国立慶州博物館蔵
連珠に見えたが、拡大すると珠と珠の間に線が通っている。連珠文も変化していくのだなあ。
中央には鳳凰のような鳥の対偶文が岩の上に留まっている。自然描写のようで、瓦の文様では珍しいのではないだろうか。鳥の姿も、これまで見てきた連珠双鳥文にあらわされた孔雀や鴨でなど異なっている。
2羽の鳥は互いに中央の茎を銜えている。茎の先にはふっくらした五弁花があり、それを中心に、藤の花のようなものが両側に垂下している。これも連珠文の変化したものだろうか。
中国の影響から抜け出た統一新羅の独創的な文様かも。  八重咲きの蓮華の瓦は日本には見当たらない。また統一新羅で連珠文のめぐる瓦が679年以降に作られたのなら、久米寺出土軒丸瓦が7世紀前半なので、韓半島から将来されたのではないようだ。
日本の連珠蓮華文瓦は中国から直接もたらされたのだろうか。

※参考文献
「世界美術大全集10 高句麗・百済・新羅・高麗」(1998年 小学館) 
「慶州で2000年を歩く」(武井一 2003年 桐書房)
「国立中央博物館図録」(1986年 通川文化社)
「国立慶州博物館図録」(1996年 通川文化社)
「法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録」(1996年 奈良国立博物館)

2009/12/04

アスターナ出土の連珠動物文錦はソグド錦か中国製か

 
連珠円文の内側に動物意匠を表した錦はササン朝ペルシア製ではなくソグド製であるという。しかし、同じ作品を中国製としている文献もある。ソグド錦という決め手はどこなのだろう。

連珠猪頭文錦 アスターナ325号墓出土 緯錦 顕慶6年(661年)以前 新疆ウイグル自治区博物館蔵
ソグド錦の代表とされる作品である。
しかし、『中国美術大全集6染織刺繍Ⅰ』は中国製と見ているようだ。黄色の綾地に濃紺・灰緑・白色の綾文で文様を織り出している。連珠の円環内には猪頭文があり、連珠の環の上下に方文を、左右両側には小連珠円環と花を飾っているという。
唐時代の制作としているのは、顕慶6年の墓誌が出土しているからだろうか。織り方の特徴などは書いていない。
『シルクロード絹の道展図録』は、332号墓出土。緯錦。主文は上下に方形文を置いた連珠円文で、円圏内には牙をむき出しにした厳めしい猪の頭のみが横向きに納められている。隣の連珠円文とは四弁花文を置いた小連珠円でつなぐ。
ササン朝ペルシアにみられる意匠のひとつである
という。
制作地を特定していないなあ。  連珠華冠鳥文錦 アスターナ332号墓出土 緯錦 唐 新疆ウイグル自治区博物館蔵
『中国美術大全集6染織刺繍Ⅰ』は、黄色の綾地に、濃紺・白・灰緑色の綾文で文様を織り出している。連珠円環内には鳥文を飾っており、その鳥は口に連珠をくわえて、頭には華冠をかぶり、首と翼に連珠を飾っている。非常に華麗であるという。
こちらも上下に方形を、左右に小連珠円を配している。
キジル石窟出土の鴨連珠円文壁画(7世紀)やトルファン出土の連珠紋錦(時代不明)と比較してみると、キジルが首飾りとすると、アスターナは耳飾り程度、トルファンはもっと小さい。
キジルの風にたなびく2本のリボンは、トルファンは1列で2つの三角を繋いだものになっている。アスターナは三角というよりもV字形が3つずつ2列になって横に伸びている。同書では華冠と見ているようだ。
カモの体には、キジルは胸・羽の付け根・尾の付け根の3箇所に連珠帯があるが、トルファン・アスターナ共に尾の付け根にはない。しかし、アスターナは体の表現がキジルより自然だ。トルファンは大きな円文となっている。
キジルは足の下に連珠帯があるが、トルファン・アスターナ共に何も踏んでいない。またキジルの足は平たいが、トルファン・アスターナ共に大きな爪のあるしっかりとした足に表現されており、蹴爪がある。 大鹿文錦 緯錦 アスターナ332号墓出土 唐(7世紀前半) 新疆博物館蔵
『中国美術大全集6染織刺繍Ⅰ』は、黄色の綾地に濃紺・果緑・灰緑色の綾文である。円環の中央には頭を高くして歩いている姿の鹿文があり、周りには連珠文を、その上下左右には花を飾っている。文様の様式は、ササン朝ペルシア時期の錦とすこぶる類似するという。
やはり中国製とみている。 
『シルクロード絹の道展図録』は、連珠文を巡らした円圏内に、頸に付けたリボンをなびかせ、胸を張るごとく堂々と行進する雄々しい姿をした1頭の鹿文を納める。頸にリボンを表す文様は、ササン朝ペルシアで流行した意匠といえる。なお、隣の連珠円文帯とは中央に方形を置いた小連珠円でつないでいる。織りの技法は、漢代の錦の伝統を受け継いだ経錦(たてにしき)ではなく、西方に起源のある新出技法の緯錦(ぬきにしき)となる点が注目される。この技法は、中国内地では唐代に入ってから織られるようになるという。
同図録も唐とみているようだ。
ササン朝で6世紀に猪頭文はすでに成立していたが、『古代イラン世界2』で横張和子氏(古代オリエント博物館)は、連珠円文意匠はサーサーン朝錦としては例外とさえ見えるのである。錦に表されたのはソグドの方が早かった。それを典型的にしたのはむしろソグド錦であったとして、この大鹿文錦を挙げている。 この3つの連珠動物文錦は綾地だが、それは中国製の決め手とはならないのだった。それについてはこちら
黄色の地に似たような地味な色遣いの緯錦であることも共通しているので、同じ土地で織られたのだろう。中国製となると、中国の連珠文錦とは全く異なる表現なので、高昌近辺の制作かなとも思った。
いずれ成分分析が進み、どこで制作されたか特定できるだろう。今のところは、この中では一番新しい文献ということで、「古代イラン世界2」の横張和子氏の説をとって、これらはソグド錦としておこう。

関連項目

ササン朝の首のリボンはゾロアスター教
連珠円文は7世紀に流行した

※参考文献
「中国美術大全集6 染織刺繍Ⅰ」 1996年 京都書院
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 2000年 小学館
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 2002年 財団法人島根県並河萬里写真財団   

2009/11/24

西域にも連珠円文

 
西域の定義にもいろいろあるが、今回は新疆ウイグル自治区内として、出土あるいは発見された連珠文を集めた。

如来坐像 ホータン地方出土 6世紀頃 ストゥッコ 高15.8㎝幅16.5㎝ 東京国立博物館蔵 
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、腹前で両手を組み合わせた坐像は、連珠文のある蓮台の中心に置かれ、茶褐色などの彩色がわずかに残っている。組み合わされた両手の下方には、ハッダのストゥッコ製如来坐像によく見られるような、楕円形の円弧を重ねた衣文が表現されている。大谷探検隊によって将来されたという。
ホータンは西域南道にある。ホータン(和田)の位置はグーグルマップでこちら
バーミヤンには小さな連珠円文に囲まれた仏坐像があったが、それよりも前のものだ。
蓮台に乗るのではなく、外側には蓮弁がめぐっているのも珍しい。小さな連珠と蓮弁は光背を表しているのだろうか。 人物パルメット文三耳壺 カシュガル市ヤウルク寺院遺跡出土 6-7世紀 高57㎝口径28.5㎝
『絹と黄金の道展図録』は、胴部に冠をかぶった人物の顔と、瓶と杯を持って跪いた人物の2種類のメダイオンを5つずつ交互に配し、肩部に植物文様を表している。下にはパルメット文が巡る。メダイオンはスタンプによって型押ししたものを貼り付けたもので、細かい連珠文によって縁取られるという。
カシュガルは西域南道と西域北道が合流する、西域の最も西の端にある町だ。カシュガル(喀什)はグーグルマップでこちら
メダイヨンの縁を一周する細かな連珠円文は、ソグド錦やファレーラよりも、硬貨やメダイヨンの縁飾りに近い。
パルメットの様々な文様が3段めぐり、メダイヨンの装飾帯の隙間にも入り込んでいる。西方の雰囲気のある作品である。 瑞鳥文様柱断片 トムシュク、トックズ=サライ大寺院B出土 粘土 高23.0幅22.5厚3.5 6-7世紀初
『シルクロード大美術展図録』は、建築装飾の一部。連珠文が巡る円形の中に、羽を広げ、何かをくわえた鳥が大きく表され、その下部に、アカンサス風の植物文が左右に対置されている。こうした文様構成は明らかにササン朝美術の影響を受けているが、鳥の形態はむしろ中国伝統の鳳凰に近く、東西文化の混淆がうかがわれるという。
トムシュクはカシュガルの東方にある。トムシュクはグーグルマップでこちら
軒丸瓦かと思ったら、柱の一部だった。
トサカのある猛禽のように力強い鳥が何かをくわえて、葉っぱのようなものの上に立っているように見える。
連珠は一つ一つ彫りだしたのか土を丸めて嵌め込んだのかわからないが、不揃いなので型による成形ではなさそうだ。 舎利容器 6世紀末-7世紀初 クチャ地方出土 木造布貼 高32.3㎝胴径38.3㎝ 東京国立博物館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、本品は大谷探検隊が将来したものであるが、正確な出土地は判明していない。スバシ出土の可能性が高い。
蓋には、連珠文で囲まれた4つの円形の区画に有翼の天使が描かれ、そのうちの2体は琵琶を奏し、ほかの2体は笛と箜篌を奏している。そのあいだに形式化された山と、向かい合ってくちばしで花綱をくわえる2羽の鳥が配置されている。蓋や身の縁に連珠の文様が配されており、西方の意匠を多くとどめる
という。
有翼天使を囲む連珠円文には上下左右に四角形が配されていて、バーミヤン第167窟の連珠円文と共通する特徴だ。製作時期も似ているので、この時期に広く流行した連珠円文かも。スバシはスバシ仏寺遺址のことだろう。
帯文様に楕円形の小連珠円文が描かれている。主文を囲むわけでもなく、ただの文様帯になってしまったものと、主文を囲む連珠円文の2種類がこの容器に表されている。
この作品も西方風かなと思ったが、有翼天使の頭部に中国の唐子風の剃り残しがある。クチャ近辺で製作されたというよりも、クチャより東方のどこかで製作されて将来されたものかも。  寄進者像壁画 7世紀 キジル 高150 ベルリン国立インド美術館蔵
キジル石窟の第8窟(十六帯剣者窟)から採取されたもの。中心柱窟とよばれる構造の窟で、奥に中心柱とそれをめぐる廻廊を設けている。この壁画は廻廊の右側廊内側に描かれていた。人物は、いずれも右襟を大きく折り返した筒袖の長衣を着て、腰には長剣と短剣とを帯びた騎士の姿である。長衣は青や緑の地に連珠円文や十字花弁文などで飾られている。これらの人物像は石窟を寄進したクチャ国の貴族たちの姿を表したものだろうという。
左の人物は長衣の縁取りに連珠円文が並んでいる。主文には青の中に白が残っているので、何か文様があったようだ。右の人物の長衣は、逆に連珠円文で埋め尽くされた服地に無地の布で縁取りしてある。主文はないらしい。どちらの連珠円文も、上下左右に四角形や小連珠円文はない。
キジル石窟はこちら 鴨連珠円文壁画 7世紀 キジル 縦52横110 ベルリン国立インド美術館蔵
『三蔵法師の道展図録』 は、キジル石窟の第60窟(最大窟)からドイツ隊によって採取されたもの。正壁に大仏を取り付けていた大きな石窟で、その側壁にベンチ状の台を設け、そこに仏像が並べられていた(現在欠)。この壁画はその台の前面を飾っていた。連珠を円環形に配し、内部に首飾りをくわえる鴨を描いたもので、互いに向き合うように2つずつメダイヨンがセットになっている。頸にリボンを翻した鴨はデザイン化した表現で、バーミヤーンをやアフラシアブの壁画に近い。連珠円文と呼ばれるこの意匠は、ササン朝ペルシアに起源があるが、7世紀前後に中央アジアで流行したという。
別々の連珠円文にいるカモが向かい合っている。カモの模様は左右で微妙に異なっているが、胸・羽・尾羽に連珠帯があるのは共通している。首飾り、首には風にたなびくリボン、足の下には連珠という特徴がある。
また、上下左右には小連珠円があって、内部の文様は宝珠状である。 仏立像 トユク石窟第41窟 伏斗式天井南側 高昌郡ないし高昌国期(327-640年) トルファン東郊
「中國新疆壁畫全集6」は、體態略呈「S」形という。やや三曲法となっているので、敦煌莫高窟第57窟南壁の有名な菩薩立像(初唐、618-712年)と同時期だろうか。7世紀前半あたりだろう。
この窟を見学した時は、蓮華文が並んでいるのだと思ったので、この文様帯は特に注意してみることもなかったが、今は連珠円文が並んでいるように見える。
外周線はないが、内側の円と連珠が真円にはほど遠い描き方となっている。中に文様があるのかわからない。また右の文様帯には連珠円文ではないが、内部に文様が描かれている。そのような織物もササン朝ペルシアから将来されていたのか、あるいは、連珠円文の主文が連珠円文と分離してしまったのだろう。
トユク石窟はトルファン郊外の火焔山の小さな谷にあります。火焔山はこちら 新疆ウイグル自治区には当時オアシス国家のようなものが点在していた。それぞれの地には、枠に囲まれた連珠円文だけでなく、様々な連珠文が伝わっていたようだ。

関連項目

ササン朝の首のリボンはゾロアスター教
連珠円文は7世紀に流行した

※参考文献
「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道展図録」 1999年 朝日新聞社
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「シルクロード大美術展図録」 1996年 読売新聞社
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 NHK
「中國新疆壁畫全集6 栢孜克里克・吐峪溝」 1995年 新疆美術攝影出版社