御袈裟箱袋は臈纈染だった。同展図録は、スタンプ捺しの方法によるという。臈纈染は型捺しと手描きの2種類が考えられる。
大歌茶臈纈絁半臂 おおうたちゃろうけちあしぎぬのはんぴ 南倉 丈99幅71
半臂とは、その名の通り短い袖がついた上衣で、裾には襴と称するスカート状の裂がつく華やかな衣。
襴は茶地に花卉文を臈纈染した絁が用いられている。
右襟の裏の記名により、大仏開眼会で演じられた大歌で着用されたという。
この作品は展示ケースに水平におかれていたので、大勢の観覧者の後ろでしか見られなかったため、見にくいことこの上なかった。
親切にも、壁面上方に大きな写真パネルがあったので、それを眺めるに留まった。花卉文が手描きか型染めかを実物で確認したかったのに。
地面に近いところら出ている葉を花卉文ごとに見ると、それぞれ異なって見えるので、手描きだろう。
不思議なのは、地面から生えた植物がすべて上下同じ方向に描かれているのに、それを衣服の上下に使わず、横方向に縫い合わせていることだ。そのようなことに頓着しなかったのが、天平人だったのだろうか。
華鬘残欠 けまんざんけつ 南倉 長約190幅約85
絁製の華鬘である。華鬘はインドにおいて貴人に捧げられた花輪に起源があるとされ、仏教に取り入れられ、堂内の長押等に懸ける荘厳具となった。
本品の構造は中央の田字形に、アケビ属らしい蔓茎を芯とした二条の輪形の帯の根元を挿し込み、田字形の上方に吊り帯を作り、田字形の下方と左右の輪形の三箇所に剣先形の帯を二条ずつ下げている。銘より、これらは佐保山陵で行われた聖武天皇の葬儀で用いられた花華鬘であったことがわかる。花華鬘は長さ5m近い長大なものであったことになるという。
長い柱のようなものから吊り下げて用いられたのだろうか。
田字形と輪形の帯は赤と青の絁に臈纈染の羅を貼り、吊帯は夾纈染の絁、剣先形帯は絁に夾纈染の羅を貼っているという。
表裏で異なる文様や配色の布を用いると、このように結び目が映える。
特に、羅は目が粗いので、染められると文様が柔らかく現れている。この羅は、赤や青の表側の縁にまで及び、パイピングのような効果を出している。
一方、絁の方は目が細かいので、小さな文様もはっきりと染まる。菱形の四弁花文は手描きなのか型押しなのか。手描きのように少しずつ文様が違って見えるが、型に蠟を浸けて捺すと、その時々で分量が異なり、一つずつ違って見えたかも。
本品のように帯を結び合わせて作られた華鬘は、敦煌莫高窟第285窟及び第294窟(ともに中国・西魏)の壁画に天蓋の飾りとして描かれているのを見ることができるという。
天蓋に吊り下げられているものは辟邪だと思っていたが、華鬘の部品だったのか。
第285窟についてはこちら
紅臈纈絁等雑貼 べにろうけちあしぎぬとうざっちょう 南倉 長149.5幅56.8厚1.8
臈纈とは、奈良時代に盛んに行われた染め技法の一つである。文様を染め抜くために、熱して溶かした蠟を版型につけ、裂に捺して防染したもの。
文様は、主文と副文が交互に配されており、主文には翼を広げて片足を上げた鳳凰の姿とそれを丸く囲む葡萄唐草が表され、また副文には葡萄の房のような飾りがついた花文が華やかに表現されている。このような西方からの葡萄唐草の文様と、中国に固有の瑞祥動物である鳳凰の組み合わせは、8世紀の中国における東西文化の融合を表しているといわれているという。
連珠円文に鳳凰を入れずに、葡萄唐草を巡らしている。連珠円文は染色ではなく、織物の文様なのだろうか。
奈良時代の臈纈染はやっぱり型捺しだった。手描きは後の時代の技法のようだ。
※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2011/12/27
第63回正倉院展4 緑色に染める
ところが、碧地金銀絵箱と同じように、緑色系のものは「碧」という文字がなかった。
御袈裟箱袋 おんけさのはこのふくろ 北倉 長178.0幅54.0
同展図録は、表は霞襷魚鳥文臈纈絁、裏は浅緑絁を用いて、それぞれ2幅ずつ継いだものを袷せにして風呂敷風に四角く作り、対角を繰り返して縫い綴じている。破損が無く文様が色鮮やかに残り、宝庫の染織品の中では保存状態が最も良いものの一つであるという。
「碧」は緑ではなく、青色系を示す文字のようだ。
臈纈文様は、白の霞襷文の中に黄の濃淡の魚・鳥文を置き、地を緑に染めている。溶蠟を裂地に置くのは、スタンプ捺しの方法による。金属製の凸版型が用いられたと考えられている。染色の順番は、絁を薄い白茶に染めて、霞襷を蠟捺し、裂地全体を薄い黄色に染めて、霞襷の枠の中に魚・鳥文を一つ飛ばしに蠟捺し、裂地全体を黄色に重ね染めして、霞襷の枠内の空いた部分に魚・鳥文を蠟捺しして、最後に裂地全体を藍で染めているという。
自然界には様々な緑色で溢れているのに、染色するには、現在でも先に黄色に染めて、それを青で染めないと緑色には染めることができなかったのか。
NHKの『新日曜美術館』で、聖武天皇が着用した袈裟を紹介していた。
七条織成樹皮色袈裟 しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ 北倉 縦139幅245
袈裟は仏教の僧侶が身につける衣服の一つで、、「濁った色」という意味のサンスクリット語「カーサーヤ」の音写である。端布を寄せ集めて作ったもの(糞掃衣)が本義とされ、出家者が日常身につける粗末な衣服であったが、仏教の東漸に伴い仏教者を象徴する意味を持つものとなり、華美なものも作られるようになった。
この袈裟は、7枚の裂を横に並べて継ぎ合わせた七条袈裟で、紺綾(こんのあや)の裏地がつく。七条の裂は、全体に淡い樹皮色を呈しており、まるで小さな端布を縫い綴ったようであるが、これは織成と称する特殊な織りの技法で文様が表されているからであるという。
7枚の裂の繋ぎ目に、裏地と同じく紺綾の裂が使われている。「碧色」ではなく「紺色」だ。
同番組では、藍は奈良時代に中国から日本にもたらされた染料と言っていた。
その織り方は、文緯(もんぬき)と地緯(じぬき)の糸を一越交替に織り入れた、平組織の織物である。文様を表す文緯は、織り幅の全体には通らずに文様の部分だけに綴織で織られており、紺・緑・黄・白・茶・赤などの絹糸を撚り合わせた杢糸を用いて、樹皮色の斑文様を表現するという。
このような様々な色が配されたものを「樹皮色」と呼ぶのも面白い。しかし、「樹皮色袈裟」は、少し違うものだったが、数年前に出陳されていた。正確には、「七条刺納樹皮色袈裟」と呼び、今回のような1枚の織物ではなく、不規則な形に切って重ね細かく刺縫いしたものだった。
また、複雑な織り方をしているので、拡大しても、どれが緑色とは見分けられない。
NHKでは、カリヤスという草を使って黄色に染めた後、藍で染めると緑色になると言っていた。
市の歴史講座「仏教の信仰と美術」で、毎回熱心に話をされる奈良博の西山厚氏によると、黄色はカリヤスだけでなく、キハダなども使われる。現代でも、緑色に染めるには、黄色に染めてから青色に染めないと、緑色には染まらないという。
正倉院展では、文様、様々な織り方など、古代の技巧を凝らした染織品を見るのも楽しみの一つだが、今回は緑色は黄色・青色と2段階を経ないと染まらないというのが一番の驚きだった。
※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
「新日曜美術館 天平の色 きらめく宝物 ~第63回正倉院展~」(NHK 2011年11月6日放送)
御袈裟箱袋 おんけさのはこのふくろ 北倉 長178.0幅54.0
同展図録は、表は霞襷魚鳥文臈纈絁、裏は浅緑絁を用いて、それぞれ2幅ずつ継いだものを袷せにして風呂敷風に四角く作り、対角を繰り返して縫い綴じている。破損が無く文様が色鮮やかに残り、宝庫の染織品の中では保存状態が最も良いものの一つであるという。
「碧」は緑ではなく、青色系を示す文字のようだ。
臈纈文様は、白の霞襷文の中に黄の濃淡の魚・鳥文を置き、地を緑に染めている。溶蠟を裂地に置くのは、スタンプ捺しの方法による。金属製の凸版型が用いられたと考えられている。染色の順番は、絁を薄い白茶に染めて、霞襷を蠟捺し、裂地全体を薄い黄色に染めて、霞襷の枠の中に魚・鳥文を一つ飛ばしに蠟捺し、裂地全体を黄色に重ね染めして、霞襷の枠内の空いた部分に魚・鳥文を蠟捺しして、最後に裂地全体を藍で染めているという。
自然界には様々な緑色で溢れているのに、染色するには、現在でも先に黄色に染めて、それを青で染めないと緑色には染めることができなかったのか。
NHKの『新日曜美術館』で、聖武天皇が着用した袈裟を紹介していた。
七条織成樹皮色袈裟 しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ 北倉 縦139幅245
袈裟は仏教の僧侶が身につける衣服の一つで、、「濁った色」という意味のサンスクリット語「カーサーヤ」の音写である。端布を寄せ集めて作ったもの(糞掃衣)が本義とされ、出家者が日常身につける粗末な衣服であったが、仏教の東漸に伴い仏教者を象徴する意味を持つものとなり、華美なものも作られるようになった。
この袈裟は、7枚の裂を横に並べて継ぎ合わせた七条袈裟で、紺綾(こんのあや)の裏地がつく。七条の裂は、全体に淡い樹皮色を呈しており、まるで小さな端布を縫い綴ったようであるが、これは織成と称する特殊な織りの技法で文様が表されているからであるという。
7枚の裂の繋ぎ目に、裏地と同じく紺綾の裂が使われている。「碧色」ではなく「紺色」だ。
同番組では、藍は奈良時代に中国から日本にもたらされた染料と言っていた。
その織り方は、文緯(もんぬき)と地緯(じぬき)の糸を一越交替に織り入れた、平組織の織物である。文様を表す文緯は、織り幅の全体には通らずに文様の部分だけに綴織で織られており、紺・緑・黄・白・茶・赤などの絹糸を撚り合わせた杢糸を用いて、樹皮色の斑文様を表現するという。
このような様々な色が配されたものを「樹皮色」と呼ぶのも面白い。しかし、「樹皮色袈裟」は、少し違うものだったが、数年前に出陳されていた。正確には、「七条刺納樹皮色袈裟」と呼び、今回のような1枚の織物ではなく、不規則な形に切って重ね細かく刺縫いしたものだった。
また、複雑な織り方をしているので、拡大しても、どれが緑色とは見分けられない。
NHKでは、カリヤスという草を使って黄色に染めた後、藍で染めると緑色になると言っていた。
市の歴史講座「仏教の信仰と美術」で、毎回熱心に話をされる奈良博の西山厚氏によると、黄色はカリヤスだけでなく、キハダなども使われる。現代でも、緑色に染めるには、黄色に染めてから青色に染めないと、緑色には染まらないという。
正倉院展では、文様、様々な織り方など、古代の技巧を凝らした染織品を見るのも楽しみの一つだが、今回は緑色は黄色・青色と2段階を経ないと染まらないというのが一番の驚きだった。
※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
「新日曜美術館 天平の色 きらめく宝物 ~第63回正倉院展~」(NHK 2011年11月6日放送)
登録:
投稿 (Atom)









