お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2019/11/01

ターラント国立考古学博物館 ガラス


滑石ビーズの首飾り 前550-530年
サイコロのように側面に幾つかの穴がある

蜻蛉玉首飾り 前520-500年 
ボタンのように薄い玉を連ねている

ガラス鉢 薄手の鋳造ガラス
説明パネルを写していなかったので年代不明

ガラス鉢断片
縁にはコバルトブルー、器体には透明なレースガラス。もう少し浅いレースガラスの皿(前2-後1世紀)はMIHO MUSEUMの「古代ガラス色彩の饗宴展」で見ていた。本品もエジプトまたは東地中海地域で制作されたものかな。
同展図録は、ベネチアのレースガラスは有名ですが、はるか以前にレースガラスの技法は出現していました。ヘレニズムからローマ時代初期には、そのレース棒で器の口縁を巻いたり、碗型の底から巻き上げたり、碗型の口縁から口縁に向けて平行に往復したりしてレースガラスの器が作られましたという。

壺類
左はアラバスター、右は宙吹きガラス

香水容器 後1世紀 宙吹きガラス 陶製棺より出土
図録の表紙にも載っている鳥形ガラス
図録は、アクイレイアで、あるいはカンパニア州より将来された。軟膏や香水などを保存する。中身を出すには、尾の先端を切ったという。

ガラス容器 後1世紀 ミルフィオリ
容器の底あるいは頂部に、文様につくったガラステッセラをリースのように丸い形にして、3つ象嵌している。
拡大

宙吹きガラスさまざま
最下段中央りの作品
狐の頭部を模したようなリュトン
館内で見落としたガラス作品

金とガラスの耳飾り 前2世紀 1935年オベルダン通り(Via G.Oberdan)の墓より出土 
図録は、前3世紀末から前2世紀にターラントターラントの金工芸はその変わらぬスタイルと優美さを保っていたが、それでも東方からの影響は感じられる。新たな需要に応えて色彩豊かな宝石やガラスを嵌め込むことは常時行われたという。

金とガラスの耳飾り 前2世紀 1911年アルミ広場(Piazzad’Armi)出土
図録は、2羽の鳩が美しく装飾された円盤の下に嵌め込まれている。細部を見ると、くちばし、目、尾そして肢は金でできていているという。
ガラスに直接粒金を取り付けているのは初めて見た。


ターラント国立考古学博物館 金色の装身具← →ターラント国立考古学博物館 墓の変遷

関連項目
ターラント国立考古学博物館 土器・テラコッタ
古墳出土の玉・ガラス

参考文献
「MARTA IL MUSEO NAZIONALE ARCHEOLOGICO DI TARANTO Catalogo」 2015年 Scorpione Editrice

「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM

2018/04/03

中国にも11-12世紀の粒金細工


タブリーズのバザールで粒金細工をしている人を見かけたことは、今回の旅行の収穫の一つだった。現代ではよみがえった粒金細工の技法は、古代に絶えてしまったものと思っていたからだった。
それをきっかけに久しく手に取ることのなかった、ウイーン美術史美術館で1999年に開催されたカリフの宝物 ファーティマ朝のイスラーム芸術展の図録を開き、イスラーム時代の11-12世紀までは粒金細工という技術が残っていたことを知った。
それについてはこちら

そして今回、『誕生!中国文明展図録』で妙楽寺塔の屋根の上に安置されていた獅子を調べていて、北宋時代の装身具に粒金細工を見つけた。どこかで唐時代以降の粒金細工を見た記憶はあったのだが、発見できて幸いだった。

金製アクセサリー 北宋時代(11-12世紀) 金・貴石 縦6.5横7.2厚0.3㎝ 重22.4g 洛陽市邙山宋墓出土 洛陽博物館蔵
『誕生!中国文明展図録』は、金の針金で枠をかたどった後、その内側に、極細の金の針金をよじった細線を複雑に絡み合わせて紋様を形作り、さらに枠の金線上に微少な金の粒を一つ一つ溶接するという、驚くべき高度な技法が駆使された一品である。中心の雨粒形のところとその四方の小円形には、トルコ石などの貴石が嵌め込まれ、贅を尽くした仕立てとなっているという。
金線による蔓草文様がメインだが、その間にロゼッタ文様が4カ所に配されている。
粒金は輪郭に沿って並んでいるほか、ロゼッタ文の蕊のところには部分粒金が盛り上げてある。
金製耳飾り 北宋時代(11-12世紀) 長4.2㎝重2.04g 洛陽市邙山宋墓出土 洛陽博物館蔵
同展図録は、細い金線や極小の金粒を用いた作りは同様で、繊細で手の込んだ技法には目を見張るものがある。萼のついた花の中心に蝶がとまるという、なんとも粋なデザインとなっており、そこには宋時代の奇抜で斬新な造形感覚をうかがうことができよう。花びらや蝶の胴にあたるへこみには、もとは貴石の類が嵌め込まれていたものと考えられる。
耳飾りとしてはかなり大ぶりで豪華な仕立てとなっており、貴婦人などがつけるにふさわしいという。
こちらは半分に表されたロゼッタ文の蕊に、ぎっしりと粒金が熔着されているのだが、ピンボケである。図版自体がピンボケなのだった。

同書は、上の2点のほかに金製の簪、腕飾り、銀製の箸や匙、瓶など、10数点の金銀製品とともに、北宋時代の貴族墓から発見された。細部にまでおろそかにしない丹念で精緻な作りには、当時、この種の物作りの技量がいかに高まりをみせていたか、その実態を垣間見ることができようという。
ひょっとすると、シルクロードあるいは海の道によってイスラーム世界から将来された宝飾品ではないかと思ったが、ファーティマ朝の粒金細工と比べると、宋墓出土のものの方が細工が繊細である。中国では、唐時代以降も絶えることなく粒金細工が受け継がれ、ますますその技術が向上していったのだろう。

また、金線も非常に細かな細工である。これらの作品を見ていて、ふとイスファハーンのバザールなどで見かけた銀の透彫のような製品が、ひょっとすると銀線細工ではないかと思った。
確かに透彫ではなく、銀線で作り出していた。
記憶は不確かだが、金色のものもあったような・・・

       イスラームの粒金細工←

関連項目
中国の古鏡展1 唐時代にみごとな粒金細工の鏡
タブリーズ バザール

参考文献
Fatimidenzeit(カリフの宝物 ファーティマ朝のイスラーム芸術)展図録」 1999年 ウイーン美術史美術館
「誕生!中国文明展図録」 2010年 東京国立博物館・読売新聞社

2018/03/09

イスラームの粒金細工


タブリーズのバザールを通っていると、粒金細工をしている人がいた。
粒金細工は伝統工芸としては伝わっていない技術だと思っていたが、少なくともタブリーズのバザールでは受け継がれているようだ。
粒金の作り方について、『THE GOLD OF MACEDON』は、この装飾技術は前7-6世紀にはかなり人気があった。金の粒が作品の表面に置かれ、ハンダ付けされることによって、装飾モティーフは生まれる。どのように金の粒がつくられたかは定かではないが、最も納得できるのが、熔けた金を水中に落とすというものだ。制作過程の2番目は、表面に金粒を鑞付けすることだ。1933年にH.A.P.リトルデイルが金と銅の合金が熔ける温度(890℃)がそれぞれの金属を別々に溶かす(金の溶融点は1063℃)よりも低いことを実験で確認した。これによって、彼は古代の職人が有機接着剤で金と銅の水酸化合物を混ぜたものを使ったと仮定した。表面を覆うこの粘着性の混合物が粒金を定位置に付けた。作品を熱すると、水酸化銅は金を周囲に纏って合金となり、接合部を鑞付けした。リトルデイルはこの技術を「粒状のしっかりした鑞付け」と呼んだという(専門知識もないので、ええ加減な訳です)。
何かのテレビ番組で、金箔屑のようなものと粒金を熱して、土台に鑞付けしているのを見たことがあるのだが、バザールを移動中にゆっくりと鑞付け場面を見ることはできなかった。

中国では、唐時代(8世紀)の貼金緑松石象嵌花唐草文鏡に細かな粒金が鏤められているが、これが知る限り粒金細工の最も時代の下がる作品だったが、『Schätze der Kalifen Islamische Kunst zur Fatimidenzeit』という、1999年にウイーン美術史美術館で開かれた特別展の図録には、それよりも後の時代に、イスラーム圏で粒金細工による装身具が制作されていたことを知った。
せっかくなので、『カリフの宝物 ファーティマ朝期のイスラーム芸術展図録』から数点紹介。

ベルト部分 10世紀 サマッラで制作? 粒金と金の撚線 アテネ、ベナキ美術館蔵 
金の撚線は、大きな半球状の突起を作っている。
やや大きめの金の粒が鑞付けされている。

三日月形耳飾り 11世紀 高3.2幅3.2㎝ シリア制作? 粒金・透かし細工 クウェート国立博物館蔵アル・サバーフコレクション
上のベルトでは撚線を使って簡略化した方法で作った半球を、本作品では小さな粒金を積み上げて作っている。
粒金の大きさも、鑞付けする文様によって変え、一番外の枠や透かし細工のS字形渦巻の隙間に付けられた大きな粒金は、ややへしゃがり気味である。

耳飾り 11世紀 高3.3幅2.5㎝ 粒金・撚線・透かし細工 エジプト制作 ベルリン博物館内イスラーム美術館蔵
上の耳飾りと比べると、撚線を使ったり、S字形渦巻を8の字形で済ませたりと、かなりの省略が認められる作品だが、耳に取り付ける金具が残っているのが参考になる。

指輪 11世紀 最大径2.3㎝ エジプト制作 粒金・透かし細工 ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵
指輪なら、輪っかの部分や枠に粒金で飾っても、四角い枠の中には貴石を嵌め込むのが一般的(例えば貴石象嵌金製指輪、4-6世紀)、というよりも貴石の方が重要なのだが、本作品では、それがなくて、矩形の枠内も透かし細工と粒金が占めている。一番内側はアラビア文字のよう。

4連結真珠飾り 11世紀 全体の高2長3.5㎝ エジプトまたはシリア制作 粒金・透かし細工 アテネ、ベナキ美術館蔵
上下に交差する蔓状のものに粒金が日本並んでいる。

ペンダントトップ 11世紀 高5㎝ 粒金・透かし細工 エジプトまたはシリアで制作 アテネ、ベナキ美術館蔵
8の字形は細く小さいが透かしではなく、線状のものが取り付けられている細かな粒金は文様を構成することなく、枠線として使われている。外側にはコイル状の透かし細工が等間隔で並べられていて、ここに紐か鎖を通していたのかなとも思われる。

輪 11-12世紀 径7.3㎝ 粒金・トルコ石 シリア制作 メトロポリタン美術館蔵
大きな半球は打ち出しの中空かも。他の粒金は大きさが揃っているが、頂部がやや扁平になっているものもある。トルコ石を象嵌した外側にはもっと小さい粒金を並べている。 

イスラーム圏では、粒金細工というものが連綿と続けられていたのだろうか。
『ペルシアの伝統技術』は、様々な職人の技術を詳細に記述しているが、粒金細工職人については書かれていない。

               →中国にも11-12世紀の粒金細工

関連項目
中国の古鏡展1 唐時代にみごとな粒金細工の鏡
古代マケドニア6 粒金細工・金線細工

参考文献
「Schätze der Kalifen Islamische Kunst zur Fatimidenzeit(カリフの宝物 ファーティマ朝のイスラーム芸術)展図録」 1999年 ウイーン美術史美術館
「THE GOLD OF MACEDON」 EVANGELIA KYPRAIOU 2010年 

2018/02/09

イラン国立博物館 印章


円筒印章はコインと同様に小さいので、限られた時間でじっくり鑑賞することが困難だが、そこに刻まれている文様や場面は興味深い。
『オリエントの印章』は、円筒印章は粘土板やその封筒、あるいは壺、容器、扉等を封印する大型の粘土塊を広く印で覆うのに適しているという。

円筒印章 前3千年紀 石製 スーサ出土
7は複数の人物が登場する何かの場面、10は長い角のある動物を大きく表したもの

スタンプ印章・円筒印章 前3千年紀(9は中期、2・8は後半) 石製、8のみ石膏 スーサ出土
2は椅子に座る神に礼拝する3人、8はジグザグ文様だけで構成されている。⑨は立ち上がった動物が背中合わせとなり、それぞれ人と闘っている。

スタンプ印章 前3千年紀 石製 スーサ出土
1はライオン頭部形の印章で、その印影もライオン頭部
2-4も動物を表しているらしいが、3の蛇以外はわからない。4は羊の群かも

円筒印章 前2千年紀 石製(5はビチューメン=瀝青) スーサ出土
人物や神の場面、総てではないかも知れないが楔形文字の文もある
1・3・6には椅子に座る神が登場する。

円筒印章 前2千年紀 ファイアンス製(5はヘマタイト=赤鉄鉱) 1はスーサ出土、2-4はチョガ・ザンビール出土、5はルリスターン出土
④を除いて人物の登場する図と文で構成されている。
『ペルシャ文明展図録』に記載されているものを古い順に見ていくと、

円筒印章:舟の上の神 前2200-2000年 ハマダーン州出土 黒石 高3.1径1.8㎝
『ペルシャ文明展図録』は、両先端が反り返った葦舟に乗り、左に縦襞の長衣を身につけた人物(神)が天を仰ぐように座る。船上の右にはもう一人の小柄な人物がおり、先端の丸い櫂で舟を漕いでいるという。
円筒形の石だけ見ると、とても印影のようなものが表されているようには思えない。 

円筒印章:謁見の場面(集合写真⑤) 前1800-1600年 高2.2径1.5㎝ 赤鉄鉱 ルリスタン州出土
『ペルシャ文明展図録』は、楔形文字で所有者が刻まれ、「ワラド・ネルガル。ワラド・イリーの息子、ナラーム・スィーンのしもべ」とある。右に縦ひだの長衣を着て角飾りのついた冠をかぶった女神が、うやうやしく両手をあげている。左で礼拝を受けているのは、膝までの服を身に着け、肘を曲げて棍棒をもつ独特のポーズの男性、低位の神の礼拝を受け、権威の象徴である棍棒を持つ人物は王と思われる。この2人の向き合う図は古バビロニア時代のメソポタミアでは典型的なモチーフ。あらかじめ図柄を彫っておき、注文により銘文を刻むのである。メソポタミアで作られた印章であろうという。
銘文が短いので印影に隙間ができている。
ナラム・シーンはアッカド王朝時代の王(在位前2254-18年頃)で、その戦勝記念碑はエラムの王(在位1185-55年頃)によって略奪され、スーサに運ばれている。ということは、この円筒印章は、アッカド王朝滅亡後にメソポタミアで造られたものということになるのかな。

円筒印章:宴会の場面(集合写真①) 前1300年頃 ファイアンス 高4.4径1.3㎝ フーゼスターン州スーサ出土
『ペルシャ文明展図録』は、銘文の内容は「生は神のもとに、救いは王のもとに(ある)。私の神よ、私は貴方を求める」。椅子に座る人物は何かを飲食しており、その前に立つ人物は手をかかげて礼拝のボーズを示している。上には菱形モティーフとうずくまる草食獣が表されるという。
この円筒印章の持ち主が立っている人物で、崇拝している神に供え物をしたい気持ちを表しているのだろう。

円筒印章:宴会の場面 前1300年頃 高4.9径1.6㎝ ファイアンス チョガー・ザンビール出土
『ペルシャ文明展図録』は、前作品とほとんど同じ内容の楔形文字の銘文がある。椅子に座る人物は右手の小壺から酒を飲んでいる。人物の前の脚付きの卓には魚が載せられ、その上には星がある。上段には角のある動物2頭が表されているという。
こちらでは持ち主は描かれていない。 

円筒印章:宴会の場面(集合写真③) 前1300年頃 高5.3径1.5㎝ ファイアンス チョガー・ザンビール出土
『ペルシャ文明展図録』は、「(この)印章を携える者を(自由に)宮殿に出入りさせるように」と記されている。立った人物は右手に酒壺を持っている。人物の前の脚付きの卓には魚が載せられている。蝿のようなモチーフも見られる。円筒の両端にくびれが作り出された珍しい形で、何かが巻き付けられていたのかもしれないという。
王あるいは雇い主、神官などから与えられた円筒印章だろう。

円筒印章:水神(集合写真④) 前1100-800年 高4.1径1.5㎝ ファイアンス チョガー・ザンビール出土
『ペルシャ文明展図録』は、角飾りのついた冠をかぶった人物(神)が2人、立て膝をついて座っている。頭上にはそれぞれ蝿、太陽がある。2人の人物の間には上下2つずつの壺があり、2人の人物及びその他の方向に水が流れ出している。壺から流れ出る水はメソポタミアの水神に関わるモチーフという。
どのような人物が所持していたのかわかりにくいモティーフだ。水神を祀る神殿の神官かな。

円筒印章:動物文 前1100-800年 高5.2径1.9㎝ 練りラピスラズリ 西アーザルバーイジャーン州ハサンルー出土
『ペルシャ文明展図録』は、古代オリエントで強い動物とされる牛とライオンが向き合って人間のように立ち上がっている。両者の間にサソリ、蛇、太陽、月、三日月、鳥がある。楔を組み合わせた星、交差する蛇、意味不明のモチーフなど、きわめてユニークな図柄も見られる。上下端部に斜線装飾帯が入るという。
こんなに楽しい場面を円筒印章にするとは、一体どんな人物だったのだろう。

円筒印章:祭祀の場面 前700年頃 高4.2径1.9㎝ 瑪瑙・青銅 ギーラーン州アマルルー出土
『ペルシャ文明展図録』は、聖樹を中心にイナンナ女神と王侯が向き合い、アッシュル神のいる有翼円盤から延びる光を握っている。王侯の後ろには学問の神ナブーが蛇形ドラゴンに乗っている。背後にナブー神のシンボルである楔と上に7つ星(星座スバル)と三日月がある。この作品はメソポタミアからイランに持ち込まれた新アッシリア時代の印章の優品で、上部に青銅の金具がついており、垂直に吊していたことがわかるという。

円筒印章:動物を捕らえる王侯 アケメネス朝(前550-330年) 緑泥岩? 高3.0径1.4㎝ ファールス州出土
『ペルシャ文明展図録』は、翼のある山羊を両手で取り押さえるアケメネス朝ペルシャの王侯。このような架空の動物を、王侯が退治する場面がしばしば描かれた。瑪瑙や玉髄製の印章もある中で、あまり高価でない石材を使用しているのは、アケメネス朝本流の作品ではないからかもしれないという。

円筒印章:ライオンと闘う王侯 アケメネス朝 緑泥岩? 高2.7径1.3㎝ ファールス州パサルガダエ出土
『ペルシャ文明展図録』は、王侯が倒立したライオンと戦っている。上には三日月、その隣上方には、4枚の翼のあるアケメネス朝の祖先神あるいはゾロアスター教の善神アフラ・マズダー神が描かれている。その下には8本スポークの車輪がある。大英博物館蔵の戦車に乗ってライオンを狩るダレイオス1世の円筒印章が知られているが、本作品と何らかの関係があるのかもしれない。印章の質と間遠な配置から地方作と思われるという。

円筒印章:動物を捕らえる王侯 アケメネス朝 玉髄・金 高3.3径1.3㎝ 伝ギーラーン州ルードバール出土
『ペルシャ文明展図録』は、この印章には特に翼が長い有翼円盤がある。その下では、倒立したライオンの後ろ足を、王侯が捕らえている。脇には(同じ?)王侯が右手に短剣を持ち、有翼人頭山羊の角を捉えている。この作品には細粒金細工による三角文で飾られた金のキャップが上下端に付く。紐を通す環がキャップ側面に付き、首飾りのように身に付けていたことがわかる。印章というよりも装身具の一部であったかもしれないという。
この粒金細工はいつの時代にか失われた技術だと思っていたが、タブリーズのバザールで作っている人を見かけた。

これらの印章を見る限り、有翼円盤がペルシアで登場するのは前700年の作品で、アッシュル神のいる有翼円盤と解説されている。その後アケメネス朝になると翼の長い有翼円盤が表されるが、『ペルシャ文明展図録』は、アケメネス朝の初期にはアフラ・マズダーの像は描かれなかったとするする考えもあり、先祖霊フラワフルである可能性も指摘されているという。
ペルセポリスなどで見た有翼円盤はアフラ・マズダー神だと思い込んでいた。

イラン国立博物館 クロライト製品← →イラン国立博物館 チョガー・ミシュという遺跡

関連項目
円筒印章に取り付けられているもの
円筒印章の転がし方
イラン国立博物館 彩釉レンガの変遷
イラン国立博物館 サーサーン朝のストゥッコ装飾

参考文献
「ペルシャ文明 煌めく7000年の至宝 図録」 2006年 朝日新聞社・東映
「大英博物館双書 古代を解き明かす4 オリエントの印章」 ドミニク・コロン 1998年 學藝書林

2018/02/02

ギーラーン2 土偶と金製品、装身具


殊に思い入れのあるギーラーンでの出土品は円形切子碗だ。
(写真はタブリーズのアゼルバイジャン博物館にて)

『ギーラーン』は、故深井晋司先生が1959年ノウルーズの頃テヘラーンに滞在中、とある骨董屋の店に置かれていた正倉院の円形切子装飾瑠璃碗とよく似たカットグラス碗を見付けたことがきっかけとなっている。当時テヘラーンの骨董屋の間にアムラシュ出土と称されるおびただしい古物が流れこみ、興味をもった先生がそれらを見て歩いていてこのガラス碗に出会ったとのことであった。
その年の7月、調査団のうち4人がアムラシュに調査にでかけたのである。
その結果アムラシュはテヘラーンにあふれている古物の集散地にすぎず、出土地はここから谷ぞいに山深く分け入ったデイラマーン地方であるということが判明した。
一行はラバの背にゆられて2日がかりで現地に到着、ここが先史時代からパルティア・サーサーン朝時代にまでわたる種々な形式の古墓群が密集する地域であり、また村人により徹底的な盗掘が行われていることを調査確認したのであった。
集落の側に古代の墓域が存在するという。
『ギーラーン』は、デイラマーン盆地は西から東に流れるチャークルード川によって刻まれたゆるやかな谷から形成されている。谷の斜面はチャークルード川に流れ込む何本もの支流によって削られた多くの舌状台地が形成され、そこに無数の古墓が営まれていて、この地域が古くから多くの人々の生活の場であったことを物語っている。デイラマーンへは今こそ便利な自動車の通れる道があるが、かつてはラヒーマーバードからチャークルード川、アムラシュからはサールマーンルード川、スィヤーキャルからスィームルード川をそれぞれ徒歩あるいはラバの背で遡るしかなかった。したがってこの盆地は外界から隔絶した独自の文化を有した別世界であったという。
ギーラーン、特にデイラマーンについてこのようなことを知って、一度は訪れたいところの一つとなった。しかし、今では「隔絶した世界」へも道路ができているとはいえ、ホテルから往復する時間はとてもない。それに出土地はすでに埋め戻されてしまっているし。
円形切子碗については、すでに記事にしたことがある。それは天理参考館は、所蔵する切子碗の分析調査で、ローマ製ガラスに特有の成分を確認した。ササン朝ではなく東ローマ帝国で造られた可能性があるということで、成分分析の結果、円形切子碗の中には、地中海域で植物灰の代わりに使用されたナトロン・ガラスのものがあったということだ。
それについてはこちら
こんな僻地でサーサーン朝の当時の高価なガラス器が入っていたことも驚きだが、東ローマ帝国からはるばる将来されたガラス器までも入手していたとは。
しかしながら、デイラマーンでは、現在に至るまで墓しか発見されていない。ひょっとすると、もっと交通の便の良いカスピ海南岸の平野部に拠点を置いて、交易で財をなした人々が、盗掘を避けて、奥山に分け入って墓域を築いたことが想像される。

円形切子碗についは以上で、今回は他のギーラーン州出土品について。

『ギーラーン』は、セフィードルード川流域に展開する古代遺跡のうち、革命前イランの考古当局が調査した重要遺跡のひとつにキャルラーズ遺跡がある。それはラシュトの南55㎞、マールリーク遺跡の対岸に位置し、1967、68、69年の夏の3シーズンの発掘調査によって、前8-6世紀、および前3世紀に年代付けられる古代墓が見出された。発掘者ハーキャミーの報告によれば、岩盤を抉った楕円形墓と石造の矩形墓があるという。

『ギーラーン』は、発掘時の出土状況について詳細な報告がないのは残念だが、キャルラーズ遺跡出土の「古拙なつくりの女性像」と呼ばれる副葬土製品は「アムラシュ土偶」の名で今日多く流伝している同製品の形象土器の、あるいは唯一確たる出土事例かも知れないという。
三重の同心円状のものは目だけにとどまらず、肩、膝、臍などにもある。手は重ねることなく、上下にして胸に付けている。碗釧も刻まれていて、金属の耳飾りまで付けている。頭上のものは髪だと思っていたが、冠か帽子かも。
タブリーズのアゼルバイジャン博物館にも似た女性像が展示されていた。

女性像 テラコッタ 前1千年紀 ギーラーン州ロスタマバード(Rostamabad)出土 
渦巻形の目に見えたが、キャルラーズ出土の古拙なつくりの女性像と同じく三重の同心円文だった。他にも3箇所に同心円文がある。
やはり手は上下にし、碗釧や耳飾り、そして冠のようなものを付けている。

土偶 前1千年紀 高45.0幅15.1㎝ 中近東文化センター蔵
目と他に5箇所に二重の同心円文。
顔はフクロウのようなつくり。耳は見えない。

土偶 前1千年紀 高42.4幅14.0㎝ 中近東文化センター蔵
三重の目は他の同心円文よりも大きい。大きな耳には飾りはついていない。
腕はややずれているが上下に置いている。
同じ時代、同じ地方なのに、作風の異なった女性像もあった。

土偶 前1千年紀 高13.0幅7.5㎝ 中近東文化センター蔵
小像だが、腰がもっと強調されている。腕はなくフクロウ形の顔は鳥形と言えるほど幅がない。頭上には冠らしきものはのせている。

土偶 前1千年紀 高34.8幅16.7㎝ 中近東文化センター蔵
顔には目だけでなく、鼻梁の下には穴と口、更に顎が表される。腕も少し出ている。

土偶 前9-8世紀 高18.3幅7.8㎝ 中近東文化センター蔵
小像で耳と口に穴があいている。頸は異様に長い。

金製容器 キャルラーズ出土
『ギーラーン』は、金製、金銀製容器はその形状、あるいは装飾にマールリーク遺跡出土の金製容器との類似が注目される資料であったという。
下部には大角鹿が器表をめぐり、その上にはガゼルを倒したライオンのような肉食獣などが表されている。

動物装飾杯 前1000年頃 エレクトラム 高17.5径13.0㎝重225.4g ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、金と銀の天然合金であるエレクトラム製のゴブレット。口縁部と底部に組紐文様を配置し、胴部の2段の文様帯にそれぞれ四足獣の行進する姿が描かれている。引き締まった体軀、すらりとした頸や足から、一見すると馬のようにもみえるが、尾などみる限り牛を表した図像にもみえるという。
マールリークはコブウシ形象土器が発掘によって出土している遺跡である。ギーラーン州のアスタラでは、牛の群が通り過ぎるのを傍で見ていたが、コブのない牛に混じってコブウシもいたが、どちらかというと少数派だった。だからコブのない牛を表すのは不思議なことではない。
金製ガゼル装飾杯 前1000年頃 金 高20.0径13.7㎝重229.0g ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、胴部にガゼルの生涯を4段構成で表した金杯。最下段から、母ガゼルの乳房にすがる子ガゼル、立ち上がって生命の樹をはむ若ガゼル、ガゼルの敵である猪、猛禽についばまれるガゼルの死体、と4つの情景が浮彫と繊細な線刻で表現される。マールリーク遺跡からは15点にのぼる金杯が出土しているが、本作は当時の死生観や精神性をうかがうことのできる点で貴重であるという。
高杯 ギーラーン出土 金製 前1千年紀前半 高8.9㎝ 中近東文化センター蔵
『古代イラン秘宝展』は、主なモチーフとなっている組み紐文は古代オリエントで頻繁に使用された文様であり、マルリーク出土品にも類例が見られる。ただ、組み紐文のみが主要なモチーフとされているものは存在しない。また脚部を有する小金杯は比較的珍しいという。

かなり以前に組紐文についてまとめた時に取り上げた作品。

耳飾り:前1千年紀 装身具:前7世紀-紀元前後 金 出土地不明 中近東文化センター蔵
金冠は、葉形と壺形に切ったものを帯に取り付けてある。
これまで見てきた歩揺冠(1世紀第2四半期 ティリヤ・テペ6号墓出土)とも異なるし、アレクサンドロス大王の父フィリポス2世が被っていたかも知れないマケドニアの花冠(前4世紀後半 ヴェルギナ第2墳墓出土)とも違う。この地の独自の文化の賜物かも。

首飾り 前1千年紀 金 重45.0g キャルラーズ出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、円筒形56珠、卍形3珠、球形31珠のビーズを綴った首飾り。ギーラーンでは金製品の出土が数多く報告されるという。
薄板に打ち出しで粒状の列を作った円筒形の珠、そして粒金で菱形文や輪郭を象った卍形の珠という、細密な技法を駆使した装身具である。
残念だが、実物は同館見学時には展示されていなかった。
首飾り 前1千年紀 瑪瑙、ガラス ネスフィ出土 イラン国立博物館蔵
トルコ石の代替として使われたのはファイアンスではなくガラスだった。結び目近くの目玉が目立つ。
緑色のものは透明ガラスのようだ。透明ガラスは、西アジアでは前8世紀中頃たら製作が始まった(『MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録』より)ということで、それ以降の作品だろう。
首飾り 前1千年紀 瑪瑙・ガラス・土製品 ネスフィ出土 イラン国立博物館蔵
途中から2連になり、しかもその間に梯子のような仕切りがある。どう見ても左右対称ではない上に、大きなペンダントトップは施釉の土製品に見える。

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関連項目
新沢千塚出土カットガラス碗は白瑠璃碗のコピー?
正倉院の白瑠璃碗はササンかローマか
黄金のアフガニスタン展2 ティリヤ・テペ6号墓出土の金冠
組紐文の起源はシリア

参考文献
「ギーラーン 緑なすもう一つのイラン」 1998年 中近東文化センター
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」 2006年 朝日新聞社・東映事業推進部
「古代イラン秘宝展-山岳に華開いた金属器文化-」 2002年 岡山市オリエント美術館
「MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録」 2001年 MIHO MUSEUM