ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2019/10/18
ターラント国立考古学博物館 土器・テラコッタ
『世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、前8世紀以来、イタリア半島南部(現在のカンパニア州以南)およびシチリア島にはギリシア人によって植民された都市が繁栄し、西方ギリシア文化圏を形作っていた。製陶はほとんど行わず、ギリシア本土からの輸入-当初はペロポネソス半島東北端の都市コリントスで作られたコリントス陶器、その後アッティカ陶器-でまかなっていた。それが前5世紀後半に突如として赤像式陶器の製造が開始され、以来約1世紀間活況を呈した。南イタリア陶器誕生の動機としては、前443年にアテナイ人を中核とした植民都市トゥリオイがターラント湾沿岸に建設され、アテナイの陶工が移住してきたことなどが指摘されている。
南イタリア陶器画はアッティカの陶工の指導の下に始められたから、初期には手本の忠実な写しのごとき作品が多かったが、しだいに独特の画風が地方ごとに形成された。現在までのまところオーストラリアの学者A.D.トレンドールの研究によってルカニア(現バジリカータ州の古名)、アプリア(現プーリア州の古名)、カンパニア、パエストゥム、シチリアの五大流派の存在が明らかにされている。
五大流派のうち最も早く始まったのがルカニア派とアプリア派という。
円盤形アクロテリオン 前6世紀
アクロテリオンは三角破風の頂点に設置される飾り。おそらくペルセウスがゴルゴン(メドゥーサ)を仕留める場面。
上の説明から、アッティカで作られたものが将来されたことになる。
アンテフィクス(軒瓦留め) 前6世紀 アッティカで製作
人物あるいは神々の顔面が多い。
アンテフィクス 前4世紀
側面を見ると軒丸瓦のよう。彩色のものもある。
これが前4世紀後半のものなら、アプリアで作られ始めたものということになる。
競技者たちの墓に副葬されていた赤絵式の土器類 前6世紀末-前5世紀初頭
ギリシアからの輸入品
上左端 赤絵式カリクス・クラテル 前410-400年頃 アッティカ式
幾何学文様を組み合わせたような、この時期にしては不思議にな作品。イタリアにやって来たアッティカの陶工から学んだアプリア人の陶工が作ったということだろうか。
何故か土器や青銅器、青銅製動物像、鉄剣などに混じって金のペンダントが。それについては後日
リース 前4世紀半ば 鍍金テラコッタ
葡萄の実やドングリ、花などをテラコッタでつくつて金メッキしたものらしい。銅製ワイヤーで繋いでいるが、人物が身に着けたのではないだろう。
青銅製ヒュドリアのリース 前330年頃 テラコッタに鍍金した実
同館図録は、ヒュドリアの頸部に銅鍍金のギンバイカの葉と、テラコッタに鍍金した実のリースが取り付けられている。ターラントで火葬が再び導入された最も早い例である。同時にもっと古い埋葬が行われたという。
先ほどの鍍金テラコッタのリースもこんな風に骨壺を飾っていたのかも。
玉座の副葬品 前350-325年 彩色テラコッタ
前面にはライオンの獣足、背もたれには鳥の装飾がある。
肘掛けには女性の頭部も。
赤絵式の壺類
『世界美術大全集4』は、アプリア派はルカニア派にやや遅れて、前430-20年頃タラスで起こった。この派はモニュメンタルな大きさと豪華さ、ポリクロミーへの好みを示し、終始一貫して南イタリア陶器画の主導的地位にあって最大の流派を形成した。アプリア陶器には「華麗な様式」と呼ばれる大型陶器のほかに「簡素な様式」とよばれる小型陶器の系列もあり、むしろ後者のほうが数は圧倒的に多かったという。
アプリア式赤絵式渦形クラテル 前330年頃 ダリウスの画家彩絵
説明パネルは、頸部には、フィラエ盃と杖を持ったディオニソスが、松明とカンタロス盃を持ったサテュロスと、王冠と聖具箱そして飾り紐のある月桂樹の枝を持ったマイナスの間に坐っている。
胴部には、ナスコスと呼ばれる葬礼用の建物の中で、尖った兜と飾り紐が描かれ鎧、ベルト、短い肩掛けを着け、槍と盾、尖った兜を持った若い人物が描かれる。
建物の周りには、献酒用のフィラエ盃や葬礼用のリースなどを持つ男女が描かれるという。
この立派な器は骨壺だった。クラテルでも把手が口縁部のところで渦を巻いたようなタイプは渦形クラテルと呼ばれている。
『世界美術大全集4』は、アッティカのタロスの画家とプロノモスの画家の作品は高さ75㎝に達する渦形クラテルで、両作品ともこのアプリア地方のルーヴォから出土していることは、器形といいポリクロミーといい、アプリアの陶器画家たちに影響を与えたことを推測させる。
多数の人物を2層に配するやり方も、手本はアッティカ陶器画に求められるが、アプリア派ではこれを好んで用い、3層にまで発展させる。
アプリア派のポリクロミーは白と黄、暗赤色が主体で、限られた色数によって、特に白と黄を多用して華やかさを印象づける。白と黄の使用には立体の陰影やハイライトの効果も意識されていて、絵画的といえる。
ブロンズの像が安置されている神殿にみられるように、アプリア派の陶器画家は場面設定に建築を用いるのを好む。
アプリア派の華麗な様式は後期のダレイオスの画家のアプリア・バロックともよばれる1mを超える大構図において爛熟に達するという。
アプリア式赤絵土器の本拠地なのに、これだけしか写していなかった。
→ターラント国立考古学博物館 金色の装身具
関連項目
ターラント国立考古学博物館 墓の変遷
ターラント国立考古学博物館 ガラス
参考文献
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「MARTA IL MUSEO NAZIONALE ARCHEOLOGICO DI TARANTO」 2015年 Scorpione Editrice