ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2019/11/01
ターラント国立考古学博物館 ガラス
滑石ビーズの首飾り 前550-530年
サイコロのように側面に幾つかの穴がある
蜻蛉玉首飾り 前520-500年
ボタンのように薄い玉を連ねている
ガラス鉢 薄手の鋳造ガラス
説明パネルを写していなかったので年代不明
ガラス鉢断片
縁にはコバルトブルー、器体には透明なレースガラス。もう少し浅いレースガラスの皿(前2-後1世紀)はMIHO MUSEUMの「古代ガラス色彩の饗宴展」で見ていた。本品もエジプトまたは東地中海地域で制作されたものかな。
同展図録は、ベネチアのレースガラスは有名ですが、はるか以前にレースガラスの技法は出現していました。ヘレニズムからローマ時代初期には、そのレース棒で器の口縁を巻いたり、碗型の底から巻き上げたり、碗型の口縁から口縁に向けて平行に往復したりしてレースガラスの器が作られましたという。
壺類
左はアラバスター、右は宙吹きガラス
香水容器 後1世紀 宙吹きガラス 陶製棺より出土
図録の表紙にも載っている鳥形ガラス
図録は、アクイレイアで、あるいはカンパニア州より将来された。軟膏や香水などを保存する。中身を出すには、尾の先端を切ったという。
ガラス容器 後1世紀 ミルフィオリ
容器の底あるいは頂部に、文様につくったガラステッセラをリースのように丸い形にして、3つ象嵌している。
拡大
宙吹きガラスさまざま
最下段中央りの作品
狐の頭部を模したようなリュトン
館内で見落としたガラス作品
金とガラスの耳飾り 前2世紀 1935年オベルダン通り(Via G.Oberdan)の墓より出土
図録は、前3世紀末から前2世紀にターラントターラントの金工芸はその変わらぬスタイルと優美さを保っていたが、それでも東方からの影響は感じられる。新たな需要に応えて色彩豊かな宝石やガラスを嵌め込むことは常時行われたという。
金とガラスの耳飾り 前2世紀 1911年アルミ広場(Piazzad’Armi)出土
図録は、2羽の鳩が美しく装飾された円盤の下に嵌め込まれている。細部を見ると、くちばし、目、尾そして肢は金でできていているという。
ガラスに直接粒金を取り付けているのは初めて見た。
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関連項目
ターラント国立考古学博物館 土器・テラコッタ
古墳出土の玉・ガラス
参考文献
「MARTA IL MUSEO NAZIONALE ARCHEOLOGICO DI TARANTO Catalogo」 2015年 Scorpione Editrice
「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM