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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/06/02

青銅大鍋はウラルトゥ


装飾付き青銅の大鍋はウラルトゥが原産だった。

人面鳥付き大鍋 ゴルディオン出土 アンカラのアナトリア文明博物館蔵
人面鳥(ギリシア神話ではセイレン)が四方から大鍋の中をのぞき込んでいる。
説明パネルは、ゴルディオンで出土した青銅製の大鍋は、フリギア金属工芸における最も傑出した発見の一つ。これらの丸い胴体の大鍋の縁には、人や動物を模したものが装飾として施されている。
人頭の魔物で装飾された大鍋は、アッシリア美術の影響を示している。これらの大鍋はウラルトゥの大鍋と非常に類似しており、ウラルトゥから請来されたものと考えられるという。
フリギアの金属工芸といいながら、ウラルトゥから請来されたものとしている。

毛髪や翼の細部を細かい彫りで表現しているし、背中に環付きが残っている。


確かによく似た大鍋がウラルトゥの工芸品として展示されていた。

人面鳥付き大鍋 ウラルトゥ アナトリア文明博物館蔵
フリギア時代にゴルディオンから出土した大鍋とほぼ同じ。こちらには環も残っている。

環のついた人面鳥の翼は1枚1枚が丁寧に彫られていて、ゴルディオン出土品よりも緻密な作りである。


もう一つのタイプは牛の頭がついたもので、牛の肢をかたどった三脚にのっていた。


牛頭付き大鍋 前7世紀初 ウラルトゥ、アルトゥンテペ出土 アナトリア文明博物館蔵
同館図録は、4頭の牛の頭がついて典型的ウラルトゥ風に飾られたこの大鍋はフリギア、ギリシア、イタリアに輸出されていたという。

鳥の形の平たい板が留め金で取り付けられているのに牛の頭部とは。鳥の尾や翼の線刻がない。


よく似たものが平山郁夫氏の所蔵品にもある。
牛頭装飾付き大鍋 前8世紀末-7世紀 トルコ、アルトゥンテペ出土 青銅高20㎝口径26㎝ 神奈川県、シルクロード研究所蔵
『世界美術大全集東洋編16 西アジア』は、二つの牛頭把手の大鍋はウラルトゥ美術を代表する作品である。大鍋の口縁は外側に反り返っている。
このような丸底の把手付きの鍋は西アジアの調理用鍋の典型的な形で、古くから土製のものが使用されていた。その形をまねて金属で大型に製作し、牡牛の装飾把手をつけたのは、特別な儀式に用いられたためと考えられるという。

『ウラルトゥの美術と工芸展図録』は、本来は牛の脚をかたどった三脚の上に据えられ、径1mに達する大きなものもある。口縁のところには雄牛や鳥、神像などの形をした把手が付けられている。このような青銅鍋はフリュギアやエトルリアでも出土しており、ウラルトゥの文化的影響を示しているという。
大鍋の把手は四つと決まっていた訳でもないようで、この大鍋の把手は二つだけ。取れてしまった跡もない。
シルクロード研究所蔵 アルトゥンテペ出土牛頭装飾付き大鍋 世界美術大全集東洋編16 西アジアより

『ウラルトゥの美術と工芸展図録』は、牛頭はおそらく蠟型技法によって製作され、細かい線刻を加えて額の毛並みや後頭部の毛の流れが表現されている。T字形の基部は三つの鋲で留められ、鳥の翼と尾を表し、線刻で羽根の一筋一筋が刻まれている。力強い牡牛の表情がしっかりとした角、ぴんと張った耳、はっきりと刻んだ目や、鼻の皺からうかがわれる。これは牡牛のもつ力への畏れの現れで、魔除けとしてつけられたのであろうという。
アナトリア文明博物館品よりも鳥の翼や尾の表現が丁寧だけれど、何故牛頭の基部が鳥の翼と尾なのだろう。
シルクロード研究所蔵 アルトゥンテペ出土牛頭装飾付き大鍋部分 ウラルトゥの美術と工芸展図録より


アンカラのアナトリア文明博物館の前6千年紀のチャタルフユックの部屋が再現されていた。部屋の壁面にはたくさんの牛の頭が掛けられていた。古来よりアナトリアでは大きな角を持った牛を畏れ、魔除けとするということが、広く行われていたのだろう。


アナトリアの東部にあったウラルトゥで製作された青銅製鼎あるいは大鍋はギリシアに請来されて、東方化様式というものが生まれたが、ウラルトゥではなかった大きなグリフィンやライオンの頭部が付属するものだった。

大鍋 オリンピア出土 前670年頃 オリンピア考古博物館蔵
『OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS』は、東方の原型を受け継いだライオン頭部、グリフィン、セイレンが周囲を巡るという。
幾何学様式では垂直の把手だったのが、背中に鐶付きのついたセイレンとなる。これはウラルトゥの把手の一種である人面鳥をそのまま受け継いだのではないのかな。

円錐形の台 前8世紀 青銅製 オリンピア考古博物館蔵
同書は、前700年頃からそれまでのギリシア式の鼎に代わって、オリエント直輸入の形式が登場する。比較的平らな釜を円錐形の台脚に載せる着脱式のタイプで、この新型の釜の原産地は主な出土地である東アナトリアのウラルトゥないし中央アナトリアのゴルディオンとも考えられるが、北シリア地方の石造レリーフとの様式上の類似点も多く、詳細はなお不明である。
いずれにせよこのオリエント製の鼎は東方化時代に入ったばかりのギリシア人の想像力を強く刺激したらしい。ギリシアの主な神域であるオリンピアやデルフィ、サモス島のヘライオンで多数の類品が出土し、また幾何学時代最末期のアテネでこの新型の鼎を模した器形の陶器が登場し、あるいはこの釜を描いた後期幾何学式や初期プロト・コリントス式陶器画も存在するという。
その大流行したオリエント様式の鼎の台脚には、行進する有翼精霊の間に、ポリュフェモスの画家が人物の足の間に描いた「一本の木」によく似たものが描かれている。
それは、花というよりも蕾のようなもので、2段ある葉は渦巻いている。


別の鼎の図
この図からは4枚の翼のある4名の上にはザクロの実のようなものが巡り、精霊は左手で松毬状のナツメヤシの雄花のようなものを持ち行進している。翼の下には小さな植物の芽、脚の間にはちょっと成長した植物が、そして精霊の間にはもっと大きくなった植物が表されているが、ギリシアに運ばれたナツメヤシの実を見て、ナツメヤシはこんな風に出来るものと思って描いたのだろうか。実際のナツメヤシは文字通りヤシなので、どんどん高く成長して、雌雄異株で、人が雄株を雌株に包んでいるのを何かの番組で見たことがあるが、干した実(英語ではデーツ)しか知らないギリシア人が、こんなものかと思ってナツメヤシの成長の様子を描いたのではないだろうか。


大鍋 デルフィ出土 前7世紀 デルフィ考古博物館蔵
口縁周辺に突起物が取り付けられた痕跡はないが、背後の想像復元図ではそのようになっている。三脚の台はウラルトゥのものと同じ牛の足なので、造られた時は牛の頭が付いていたのでは。

その想像復元図
(何故かオリンピアの鼎と同じ)
ギリシアで造られた大鍋は牛の頭ではなく、外側を向いた3つのグリフィン頭部と内側を向いた3つのライオン頭部、そしてセイレン型の鐶付が付いてにぎやかになる。
『DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM』は、東方様式の奉献品は、新たな鼎のタイプ、おそらく北シリア地域を起源とするものに取って代わった。鎚打ちの大鍋は持ち運ぶことができ、縦溝飾りのある三本の脚に支えられた輪っかに載せた。縁の周りは、牡牛、ライオン、そしてもっとよくあるグリフィンやセイレンのような想像上の動物で飾ったという。
また、幾何学様式時代の鼎の把手は垂直に固定された大きな円形のものだったが、東方化様式の時代になるとそれはなくなってしまう。一見把手はわからないが、一対のセイレンの背中に小さな鐶付(かんつき)があり、そこに小さな輪(鐶)が通してある。
デルフィ考古博物館蔵 デルフィ出土大鍋想像復元図 前7世紀 DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM より 


セイレン 前625-600年頃 青銅製
東方様式の鼎を飾った。東方のモデルに影響を受けたギリシア工房の特徴的な作品。
女性の頭部をした有翼のセイレンは、オデッセイの冒険で知られるセイレンに似ているので、便宜上付けられた名称である。ギリシアの工人たちが東方のものを真似て、自身の作風へと換えていく過程を示している。アーモンド形の目、肉付きのよい頬、だんご鼻をした東方の怪物の顔だちは、強さと生命力のある人物像の表現となったという。
これまでの人面鳥は翼の上に腕が表現されていたが、このセイレンは腕が翼の下にあるみたい。
デルフィ考古博物館蔵 デルフィ出土青銅製大鍋の装飾セイレン 前7世紀 DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM より


脚のとれた大鍋 
残念ながら説明板を写していなかったので、制作年代は不明
他の大鍋が壊れて残った上下を繋いだような形。

翼を広げた鳥形の青銅板が付けられていた。付けるための穴や小さなリベットが残っている。どんな頭部が付いていたのだろう。



イタリア(エトルリア)で出土した大鍋

兵士と動物のレベス(宗教儀式用大釜) 前7世紀 イタリア、パレストリーナ(ローマの東方)、ベルナルディーニの墓出土 銀、鍍金 ローマ、ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵
『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』は、外面は上下3段に分割されており、下段は戦車に乗る人物と楯や槍を持つ兵士の行進、中段は騎馬人物と武器を持つ兵士の行進、上段は水鳥が並んでいる。いずれもエジプトのモティーフを手本としているが、細部に曖昧なところがあり、エジプト人の手によるものではないことは確かである。事実、パレストリーナ出土の他の1点にはフェニキア文字でかつての所有者の名前が刻まれている。
銀製の本体に鍍金を施したこの容器がレベスと称されるのは、口縁近くから蛇を模した6本の突起があるためで、宗教儀式における大釜としてギリシアやエトルリアで用いられたという。
外側を向いた6匹の蛇が口縁部を飾っている。
銀に金の鍍金とは、よほど大切な儀式に使用されたのだろう。
ヴィッラ・ジュリア国立博物館蔵兵士と動物のレベス 前7世紀 パレストリーナ、ベルナルディーニの墓出土 世界美術大全集 古代地中海とローマより
 
ウラルトゥ請来の牡牛の頭部や人面鳥の控えめな造形が、ギリシアやエトルリアではこんなにおどろおどろしいライオンやグリフィンの装飾になったとは。




関連記事

参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」2000年 小学館
「DELPHI ARCHAEOLOGICAL MUSEUM」 DIANA ZAFIROPOULOU 2012年  ATHENS
「OLYMPIA THE ARCHAEOLOGICAL SITE AND THE MUSEUMS」 OLYMPIA VIKATOU 2006年 EKDOTIKE ATHENON S.A.
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」 1997年 小学館

2017/02/14

再び鍑 ウズベキスタン歴史博物館より


ウズベキスタン歴史博物館は鍑の宝庫だった。
サカの青銅製大鍋 前6-4世紀 フェルガナ渓谷出土
リング状の把手が4つ、その間にオオツノヒツジが1頭ずつ配される。見込みは平たい。
『STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN』(以下図録)は、古代のゾロアスター教で必須のもののは死者に敬意を表して行われる食事の準備である。おそらく食事が作られたであろう前4世紀の青銅製大鍋が展示されている。大鍋はルグムベク(Lugumbek)で1939年に大フェルガナ運河の建設の際に考古学的な調査で発見された。3本の足(1本は壊れていた)の上に円筒形の胴がある。口縁には虹のような筋のある4つの輪が縦に付いていて、その間には山羊の像が時計回りの向きについている。早い時期から山羊は太陽の力を体現する「太陽」の動物と見なされてきた。縁に取り付けられた輪もまた太陽のシンボルだった。祭儀の食事を分かち合うことは、季節毎の祭や新年の祭儀に受け継がれているという。
南ロシアでも口縁部に動物がついた鍑が発見されている。やはり祭儀用の特別なものだったのかも。
それについてはこちら

上の展示ケースの右側には小さな鍑などが展示されているが、動物が象られたものはない。
小型の鍑 前6-4世紀 青銅製
上は円錐形の台がついている。
下は大きな持ち手が特徴だが、片方は失われている。半円のような紐あるいは蛇のような浮彫装飾が見られる。そして台も足もない。
中型の鍑 前6-4世紀 青銅製
上は小さな円錐形の台がつく。
下は珍しく浅い鍑で、足はなく把手も小さい。

続きの展示ケースには左端に3つの鍑があった。

鍑 前6-4世紀 青銅 サカ
画面から切れているが大きな鍑。口縁部が外に反っているが破損部もあり、把手も欠けてる様子。足はなかったのかな。半円形の装飾が巡る。
鍑 前6-4世紀 青銅 スキタイ
サカとスキタイは同じイラン系の民族だったはず。
横に張った立派な形なのに、円錐形の台は小さく低い。いや、もっと高かったかも。把手が縦に付いているのも、竹の節のような装飾があるのも珍しい。ブハラのアルク内博物館に展示されていた鍑(サカの大鍋、前4-2世紀)にもこのタイプの把手があり、形状も似ている。
鍑 前6-4世紀 青銅
残念ながらプレートの写真がピンボケだが、同じ展示ケースに入れられているので同じ時代にした。
円錐形の台が付くが、把手が破損していてどんな形だったか不明。口縁部はすっぱりと切ったようなできあがり。

高貴な女性の墓の副葬品 康居(KANGYUI、前2-1世紀) サマルカンド州コクテパ出土
図録は、前3-2世紀、半遊牧民の康居(アヴェスタにはKANGKHA)には、従属する5つの小さな勢力があった。スース(キッシュ・シャフリサブス)、フム(ザラフシャン流域)、ユニ(シャーシュ・タシケント)、ギ(ブハラ)そしてイェガン(ウルゲンチ・ホレズム)という。
鍑 前2-1世紀 青銅 
円錐形の足付きで、口縁部が反っている。

矢印の矢狭間のある城壁裏には鍑が2つ
鍑 前6-4世紀 青銅 サカ
把手は横向きが一対、縦向きも一対付いているらしい。内側り向こう側に歪な形の痕跡があるのが、その縦向きの把手を取り付けた跡ではないだろうか。どうも把手の高さが一定していないような。
口縁部に紐状の出っ張りがあり、胴部には平行でない3本の線が陽刻されている。円錐形の台が付く。
鍑 前6-5世紀 青銅
円錐形の台が付くくらいで、これといった特徴がない。

         →再びオッスアリ ウズベキスタン歴史博物館より

関連項目
マルグシュ遺跡の出土物3 祭祀用土器が鍑(ふく)の起源?
フン以前の鍑(ふく)はサルマタイとスキタイ
ファヤズ・テパ講堂出土の仏三尊像 ウズベキスタン歴史博物館より


参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 
「STATE MUSEUM OF THE HISTORY OF UZBEKISTAN」 ウズベキスタン歴史博物館図録 2013年 PREMIER PRINT

2016/09/30

始皇帝と大兵馬俑展8 陶鍑


以前から騎馬遊牧民や鍑という青銅製の鍋に興味を持っていたが、始皇帝と大兵馬俑展で陶製の鍑に出会うとは思いも寄らなかった。

陶鍑 陶製 高16.8幅24.5奥行20.0㎝ 戦国時代(前5-4世紀) 黄陵県寨頭河48号墓出土 陝西省考古研究院蔵
同展図録は、鍑は把手と高台をもつ深めの容器であり、肉などを煮炊きするのに用いる。その分布は北方ユーラシアに広がることから、遊牧文化圏の所産と考えられるが、材質は基本的に青銅であり、土器で仕上げた例はたいへん珍しい。胎土は灰色であるが、表面に白土で塗膜を施している。全体的になめらかで明るい印象をもつ。こうした遊牧文化圏の青銅器が土器へと転写されている点に、西戎文化の多元性がかいまみえるという。
当時、青銅器がどの程度普及していたのだろう。ある程度以上の階級の人物でないと青銅器を持つことができなかったということはなかったのかな。
この陶鍑の把手は上部が角ばっている。似た把手をもつ鍑が、シベリアのトゥバで出土している。

鍑 青銅 前7世紀末 アルジャン2号墳出土

同展図録は、ここでは、中国西北部で牧畜を主な生業とし、青銅器や玉器による中国の伝統的な祭祀儀礼や漢字を受容しなかった、中国側から見て「野蛮」な集団を一括して「西戎」と呼ぶ。
秦と「西戎」とのかかわりは密接である。秦の初期の都城が置かれたと考えられる甘粛省礼県では、「西戎」の暮らしていた痕跡が数多く見つかっている。秦と「西戎」は、互いに明確な境界線を設けて住み分けていたのではなく、雑居と呼ぶにふさわしい様相を呈していた。
多くの民族や集団が暮らす中国大陸で初めて統一国家を打ち立てたのが、「雑居」に早くから慣れ親しんだ秦であったのは、決して偶然ではないであろうという。

余談だが、春秋戦国時代の青銅製鍑が秦の都城から出土している。
雍城出土の鍑は春秋戦国時代のものとされているので、雍城に都があった前677年から櫟陽に遷都した前383年までに製作されたものとする。
北方ユーラシアの鍑と大きく異なるのは、肩部に文様帯がめぐっていることで、その文様はS字形の双頭有舌螭龍が二重に絡んで構成されている(『泉屋博古中国古銅器編』より)という螭文であることから、他の地域から請来されたものではなく、当時の中国でつくられたものである。
器体もアルジャン2号墳出土の鍑よりもずっと薄く、中国の鋳造技術の高さを示している。しかし、丸い把手の上に突起があるのは、同古墳出土の大きい方の鍑と共通していて、当時の秦と騎馬遊牧民に交易などの交流があったことが窺える。

         始皇帝と大兵馬俑展7 繭形壺←

関連項目
積石塚は盗掘され易い
春秋秦の雍城出土の鍑が最古?
始皇帝と大兵馬俑展6 馬の鞍
始皇帝と大兵馬俑展5 銅車馬と壁画の馬
始皇帝と大兵馬俑展4 銅車馬と文様
始皇帝と大兵馬俑展3 銅車馬
始皇帝と大兵馬俑展2 青銅器で秦の発展を知る
始皇帝と大兵馬俑展1 満を持した展覧会

※参考文献
「始皇帝と大兵馬俑展図録」 2015年 NHK・朝日新聞社

2016/03/29

マルグシュ遺跡の出土物3 祭祀用土器が鍑(ふく)の起源?


トルクメニスタンのマリという街に、メルヴやマルグシュの遺跡の出土品が展観されていた。
その中で鍑好きの私の目を惹いた土器がある。しかも、鍑は青銅製なのに、トゴロク遺跡で発見されたものは土器だった。

祭祀用容器 前3-2千年紀中頃 トゴロク1号神殿出土
分厚い器体の広い口縁部には動物が乗っている。
マルグシュ遺跡でヴィクトールさんが見せてくれた図面には、人物や動物が口縁部に取り付けられた容器の図版が幾つかあり、その上に英文の解説があった。それを適当に訳すと、
原則的に壺は無文で、特殊な場合にのみ波状の刻文や出っ張った注ぎ口の装飾がある。もっと希に見られるのは口縁部に立体的な像が付けられたものだ。その場合はどれも同じ形式で、1本の木の両側に1対の山羊を象っている。これは明らかにシリア-アナトリア系で、マルギアナの土器では山羊が後ろ肢で立っていることがある。
北ゴヌールの拝火神殿で、木に留まる鳥が刻まれた土器が見つかった。儀式用の土器の一つに中央の木の両側に1対の山羊が立ち、木の枝には2羽の鳥が留まっていた
という。

北ゴヌールの拝火神殿から出土したものは見つけることはではなかったが、トゴロク1号神殿から出土した容器は展示されていた。
この容器の口縁部には左側には3頭、右側には2頭の動物が取り付けられているが、樹木はない。紐状のものは何だろう。
『シルクロードの古代都市』には異なった方向から写した図版があり、また底はすぼまっていることもわかる。

タシケントのウズベキスタン国立歴史博物館には、やはり口縁部に動物が取り付けられた青銅製の鍑が展示されていた。大きな容器を青銅でつくるようになってからも、祭祀用のものには動物が取り付けられたものを使用することが受け継がれてきたのだろうか。


サカの青銅製大鍋 前6-4世紀 フェルガーナ渓谷出土
リング状の把手が4つ、その間にオオツノヒツジが1頭ずつ配される。見込みは平たい。
細い足が3本か4本だが、寸胴な点が共通する。

近くには似た形の土器もあった。
土器 前7-5世紀 出土地不明
やはり分厚い器体で、動物はいないが、鳥にも見えるものが黒で描かれている。土器は祭祀用ほど重要でない場合に使われたのかな。

トゴロク21号神殿 平面図
『シルクロードの古代都市』は、「要塞」の外側、東側の隅に、平面図では大小2つの円が見えるが、ここが火の祭壇であった。小さい円の部分には聖火を燃やした後の聖灰が積もっていたという。

同書は、大きな円の内部は構造が複雑であった。まず深さ3m、幅7mの穴を掘り、その穴底を焚火で焼いて清めた後、その上に十字形に日干煉瓦の壁を積み上げて空間を4セクションに分け、それぞれにフーム(大きな甕)を5個逆さに高さ1m以上にして埋め込み、土をかけて平らにし、その上に50㎝の半円形に煉瓦を積み、真ん中を炉にした。これが祭壇であったという。
伏せて置かれたフームは、トゴロク1号出土の祭祀用容器に似た圏足である。口縁部に向かって開いたベルのような形のものはチャンかも知れないが、寸胴形容器もある。
もし祭祀用で、トゴロク1号出土の土器のように動物が口縁部に付属しているとしたら、それをわざわざ下に向けて埋める意味がわからない。あるいは、以前は祭祀に用いられたが、動物などが破損したために、下向きに埋められたのかも。
同書は、この祭壇の「要塞」をはさんで反対側に鎖のように長くのびた5つの四角形の部屋があり、その壁が炎でひどく焦げていた。この部屋とならんで、低い壁に囲まれた天井のない2つの台があった。この壁もひどく焦げていたので、ここには常時火があった可能性がある。時空を越えて、現代のゾロアスター教徒の儀礼もほぼ同じであるという。 
常に火のある台から煙が立ち昇っている様子が想像復元図に描かれている。

同書は、サリアニディほか多くの研究者は、トゴロク21号の宗教がゾロアスター教の源流、つまりツァラトゥストラによって改革される前の原(プロト)ゾロアスター教だと考えているという。

それならば、後世に青銅でつくられるようになった鍑もまた、ゾロアスター教の祭儀に使われたものだったのだろうか。

尚、タシケントのウズベキスタン国立歴史博物館には青銅製の鍑が幾つか展示されていた。それについては後日

         マルグシュ遺跡2 青銅製印章←
                       →マルグシュ遺跡の出土物4 モザイクの聖櫃

関連項目
マルグシュ遺跡の出土物5 女神像
マルグシュ遺跡の出土物1 青銅製車輪の箍(たが)
マルグシュ遺跡4 王族の墓巡り
マルグシュ遺跡2 王宮
積石塚は盗掘され易い
フン以前の鍑(ふく)はサルマタイとスキタイ
フン族に特徴的なものは鍑(ふく)らしい


※参考文献
「シルクロードの古代都市 アムダリヤ遺跡の旅」 加藤九祚 2013年 岩波書店(新書)

2014/08/15

ギリシアとヘレニズムの獣足



獣足の椅子というのを見た記憶がある。昨年のギリシア旅行でも、獣足の付いた箱という妙なものを見かけた。

黄金製骨箱 前4世紀後半 ヴェルギナ第2墳墓主室出土 ヴェルギナ考古博物館蔵
四角い金属の箱なのに、獅子の獣足が付いているとは。王の権威の象徴として、骨箱に獣足を付けたのだろうか。それともただの流行か。


せっかくなので、獣足を遡ってみると、

詩人を訪ねるディオニュソス(詩人のみ) 後1世紀(原作前1世紀前半) ローマ出土 大理石 高さ91㎝ 大英博物館蔵
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』(以下『世界美術大全集4』)は、臥台の上の上半身裸の男はすでに宴会を始めており、臥台下の喜劇の仮面(略)は、男が詩人であることを示唆している。右側には食べ物や酒杯を載せた小卓が置かれている。この小卓の3本の支柱はライオンの脚を象っているという。
かなり写実的に浮彫された壁面だが、円卓の三脚を表現するのはこれが限界だろう。足の先だけが付いているのならすっきりしているのに、このテーブルの脚は全体がライオンの後肢になっている。当時の流行だろうか。

劇場の肘掛け椅子 前2世紀 大理石 幅約70㎝ トルコ、プリエネ
ギリシアやローマの劇場では、一般席と、貴賓席があった。これは後者の方で、ライオンの後肢が足から脛にかけて椅子の脚に表され、それが後方で渦巻になって終わっている。その上に別の石材で腰掛けと肘掛けが作られているのだが、肘掛けの端は何本かの溝のある渦巻になっていて、ライオンの前肢にも見え、席全体でライオンを表しているらしい。
足置き台は獅子の脚の間に設けられている。

アッティカ派赤像式渦形クラテル 前400-390年頃 プロノモスの画家 イタリア、ルーヴォ出土 高さ75㎝ ナポリ国立考古博物館蔵
『世界美術大全集4』は、画面上層中央のクリネ(臥床)に座した演劇の神ディオニュソスとその妻アリアドネを中心にして俳優、楽師、詩人たちがずらりと一堂に会しているという。
そのアリアドネが足を置く台が獣足。左側には短辺の獣足が2本向かい合せに描かれている。長辺では同じ方向に2本あって妙な印象を受ける。左側が後肢、右側が前肢を表していると思えば、納得できる。

犬と猫とで遊ぶ人々(部分) 前510年頃 クーロス像台座浮彫り アテネ出土 高さ32㎝ アテネ国立考古博物館蔵
向かいに坐って犬をたきつける人物は背のない四脚の椅子に坐っているが、このネコを向かわせる人物は折り畳み椅子らしきものに坐っている。その脚の先がネコ科の足になっている。

墓碑浮彫り 前550-540年頃 スパルタ近郊クリュサファ出土 大理石 高さ87㎝ ベルリン国立古代美術館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』(以下『世界美術大全集3』)は、死者たる男女はライオンの脚をかたどった豪華なエジプト風の玉座に座っているという。
ライオンの前肢と後肢が玉座の部品に使われている。足置き台は薄い板状のもの。

ヘラクレスの神化 前570-560年頃 アテネ、アクロポリスの破風飾り 石灰岩 高さ94㎝ アクロポリス美術館蔵
『世界美術大全集3』は、アルカイックのアクロポリスには二大神殿のほかに、所在および機能とともに不明ながら、破風彫刻をもつ小建築物が多数存在していたことを、残存の破風そのものが物語っている。
主題はヘラクレスの12の功業を完了した後の「ヘラクレスの神化」である。ひときわ大きく威厳をもった有髥のゼウスが完全に横向きで玉座に座し、左手を上げながら、ヘラクレスを吟味するかのように見据えているという。 
玉座の脚は獣足では全くない。パルメット文や小さな渦巻文を切り出している。玉座の前に足置き台がある。

レリーフ・ピトス 前680年頃 ティノス島出土 ギリシア、ティノス考古博物館蔵
同書は、鳥の頭をかたどった背当て付きの玉座にゼウスが座り、その頭頂部から兜と槍で身を固めたアテナ女神が上半身をのぞかせている。 ・・ひげがないからゼウスではなく ・・ 誕生場面にはちがいないという。
アテナはゼウスの頭から生まれたのだった。
玉座の背当ては先が鳥の頭の華奢なつくりなのに、脚はかなり太くて頑丈そうだ。果たしてこれが獣足だろうか?


大鍋の鼎 東方化様式時代(前8世紀末-7世紀) 青銅製 デルフィ出土 デルフィ考古博物館蔵
ギリシアではその前の幾何学様式の時代には、大鍋に直接長い板状の足を取りつけた鼎が作られたが、東方化様式の時代になると、大鍋と鼎が別々に作られるようになった。その三脚の土付きは草食獣の足となっている。
これはアッシリアから出土した三脚台とそっくりの形だった。アッシリアではこのような草食獣の足だけでなく、ライオンの足も出土しているので、ギリシアにも同時に将来されただろう。

ギリシアでは、東方化様式の時代に将来された獣足が、椅子や家具の脚の一つとして生き残っていったようだ。

  獣足を遡るとエジプトとメソポタミアだった←

関連項目
仏像台座の獅子4 クシャーン朝には獅子座と獣足
古代マケドニア1 ヴェルギナの唐草文
ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋

※参考文献
「ベルギナ 考古学遺跡の散策」 ディアナ・ザフィロプルー 2004年 考古学遺跡領収基金出版(日本語版)
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館