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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/09/01

南禅寺界隈 天授庵


ⓓ金地院の次はⓖ天授庵へ。

南禅寺界隈 地図 Google Earth より
ⓐねじりまんぽ ⓑ何有荘 ⓒ對龍山荘 ⓓ金地院 ⓔ南禅寺中門 ⓕ南禅寺山門 ⓖ天授庵 ⓗ水路閣 ⓘ水路 ⓙⓚ蹴上発電所取水口 ⓛ蹴上放水所 ⓜ蹴上インクライン ⓝ蹴上船溜 ⓞ 蹴上義経地蔵 ⓟびわ湖疏水船 蹴上乗下船場 


❹中門より外を眺める。
人力車には気が付いていなかった。

東山に向かって上り坂に❻天授庵がある。

❺南禅寺山門


❻天授庵の通用門


天授庵の栞は、天授庵は南禅寺の開山第一世大明国師無関普門禅師を奉祀する南禅寺の開山塔であり、山内で最も由緒のある寺院である。 凡そ700年前の文永元年(1264)亀山上皇は当地の風光を愛されて離宮を営まれ、禅林寺殿と号された。たまたま正応年間(1288頃)妖怪の出現に悩まされ給ふたが、これを一言の読経を用ふるでなく、唯だ規矩整然と坐禅するのみで静められた当時の東福寺第三世大明国師の徳に深く帰依されて自ら弟子の礼をとり法皇となられ、正応4年(1291)離宮を施捨して禅寺とされ、大明国師を奉じて開山となし給ふた。これが南禅寺の開創であるという。

門を入った所にある地図
❶通用門 ❷庫裡 ❸方丈(本堂) ❹正門 ❺東庭 ❻南庭 ❼澄心庭 ❽普門殿 ➒大書院 ➓小書院 ⓫求巳庭 ⓬茶室松関亭


❷庫裡
切妻屋根で何階建てかに見える梁と柄の重なりの禅宗寺院らしい建物。厨房であったり、僧の宿坊だったりするみたい。静かな前庭。
栞は、文安4年4月22日(1447)の南禅寺大火に類焼し、幾ばくもなく再び応仁の兵火に見舞はれた後は復興の事もなく荒廃の侭130年余を経過した。慶長年間に至り世情の安定と共に伽藍の復興が盛んとなるに及び一山の僧達は協議の結果開山塔天授庵の復興を当時五山の間に屈指の名僧と言はれた当時の南禅寺住持たる玄圃霊三和尚に一任するに至った。
霊三はその弟子雲岳霊圭をして天授庵主とし、知友であった細川幽斎に天授庵の復興を懇請したのであるという。

拝観しようと入ったら立ち入り禁止の結界が。でも建物の中に静謐な空気が満ちている。


邪心に満ちた私はガラス戸越しの庭園を撮影してしまう。これは
➒大書院の南にある庭やね。


❸方丈の北側へ。ここも結界だらけ。

北側の庭には、正方形の石を斜めに並べた石畳と、縁側の外にも斜め格子に敷き詰められた塼。

反対側から
栂尾の高山寺にもある斜めに置いた飛び石のこの意匠には、石畳の両側に石の枠はない。帰りはこの石畳を楽しく踏み踏み。


❹正門
通用門よりも小さな門は新緑のもみじに隠れている。

小さな松の周りに重圏文の浅い
砂紋。南禅寺ではこんな風に箒目を浅くつくるように統一されているのかも。というよりも、昔はこんなあっさりしたものだったような。


❺方丈東庭へ。この縁側には結界がなかった。ということは上がって庭を見ても良かったのかな。
栞は、東庭は枯山水で正門より本堂に至る幾何学的な石畳を軸として配するに数箇の石と白沙を以てし、これに緑苔を添えたものである。二条の石畳の中で正門より本堂に至るものは恐らく暦応4年当庵創建当初のものと思はれるが一方の短いものは幽斎の廟所に向ふもので、慶長十五年幽斎歿後に設けられたものであるという。

正門から東庭へ続く石畳は途中で直角に曲がって終わる。

方丈の庭は幅が広い。小堀遠州の作庭と言われているらしいが、栞にはその名はない。

新緑に目が向きがちだが、苔も美しい。小さなキノコのような胞子体がびっしり。



南端で通路は二つに分かれる。左手を行けば墓所で、順路には右手へ。


この道もまた違ったデザインで、


➒大書院前の庭に繋がっていた。この庭の緑が庫裡の入口から見えていたのだろう。


建物に近寄らず、すぐに❻南庭の池へ。
栞は、書院南庭は庭園の根本的構想或は設計とも言ふべき地割の上から見ると明らかに鎌倉末期から南北朝時代の特色を備えて居る。特に中央の出島にそれが顕著である。即ち書院側より長大な出島を作り、向い側からやや小さい出島を配し、之等をさながら巴形に組み合はせる事によって東西大小の二池を区切って居る処、又大小の出島を作り池庭の汀の線に多くの変化を見せて居る事、或は東池を西池より小にしたれになだらかな斜面の堤を設けるなど、東池瀧組俯近の石組に残る手法と共に暦応四年本庵創建当時に作庭されたものであることを物語って居るという。

❼澄心庭
池は睡蓮の葉に覆われていると言っても良いくらい。

白い睡蓮の蕾。一つだけ開きかけている。

満開のものも。


赤い矢印に従って歩いていると、こんな灯籠が。

池の中に飛び石があったので喜んで渡らせて戴く。竹の手すりがついているので安心して渡れました。

戻る時に対岸から撮影した飛び石と手すり 

飛び石に足を置く前に池を写しておく。

近くのほぼ満開の睡蓮。
黄色い雄蕊は長さがばらばら

どちらかというと花は満開のものよりも開きかけのものが好きなのだが、それは母の影響なのかも。
葉はくるくる巻いた状態で水面に出て、だんだん開いて水面に浮かぶことは分かったけれど、茎が長過ぎたら水中で曲がるのだろうか。


池を過ぎると石が無造作に積まれて苔生していた。何かに使うためだった石かな、池を掘っていて出てきた石かも。

栞は、西池に蓬莱島を設け石橋を作るなど明治初年に著しい改造を行った為一見すると明治調が強く感じられるのが惜まれるという。
こんな橋は明治以降のものだった。

戻る時に対岸から撮影。 気付かないうちに通路は高くなっていたみたい。


水は意外と透明

細い枝なのに大きな梅の実。こんなのを撓わというのかと検索してみると、実りの重みで枝が下がっている様子を意味するようで、この木は細くても撓っていない。


花菖蒲?カキツバタ?アヤメ?


風変わりな灯籠をもう一つ発見。

枯山水の庭の裏側に回れなかったので、方丈の建物を撮影できなかった。柿葺きの屋根が見たかった。


      南禅寺界隈 金地院←    →南禅寺界隈 水路閣



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参考にしたもの
天授庵の栞

2026/08/25

南禅寺界隈 金地院


梅雨の晴れ間に南禅寺界隈にやってきた。いつも通り過ぎるだけだったので、時間を気にしなくて良い時に、金地院や天授庵を見学し、ついでに水路閣の方にも行ってきた。

南禅寺界隈 地図 Google Earth より
ⓐねじりまんぽ ⓑ何有荘 ⓒ對龍山荘 ⓓ金地院 ⓔ南禅寺中門 ⓕ南禅寺山門 ⓖ天授庵 ⓗ水路閣 ⓘ水路 ⓙⓚ蹴上発電所取水口 ⓛ蹴上放水所 ⓜ蹴上インクライン ⓝ蹴上船溜 ⓞ 蹴上義経地蔵 ⓟびわ湖疏水船 蹴上乗下船場 

この辺りは地下鉄を乗り継いで、蹴上駅から地上に出てねじりまんぽで蹴上インクラインをくぐって、

前回見つけた坂道からインクラインの線路を見ようと思ったら、立ち入り禁止になっていた。

金地院と天授庵を見学した後に水路閣からもどって来ようと、

いつもの通りを歩いて、少し左へと曲がるいつも美しい門構えと前庭の何有荘を通り過ぎて、



拝観したいと思いながら時間がなくて延び延びになっていた金地院へ。


周遊図
最初は池泉回遊式庭園で、方丈の庭が枯山水になっている。

斜めの石畳を通って、

唐様の明智門をくぐる。
あの明智光秀が、母の菩提を弔うために大徳寺に建てたものを、明治になって金地院に移建したという。


方丈に行く前に

池泉回遊式庭園へ。弁天池と手前の半夏生、右手には石橋

半夏生の白い花のような葉とまだほとんど咲いていない花穂


水面を覆い尽くす睡蓮の葉

睡蓮の蕾は淡いピンクだけれど、満開の時は薄くなるのだろうか。

ヤマアジサイ


池をぐるりと回り込むと、左下から這うように成長して、やがて身を起こして、枝も好きなように伸ばしている木に気が付いた、何という木だろう。こういう木を切らないのもええなあ。


ふと見ると、参道にさまざまなアジサイの咲く東照宮の楼門が。

向こう側からこの灯籠を見つけて、やがて反対側から見えた。


その先に待っていたのは東照宮


何時もねじりまんぽからつづく道を通ると東照宮の門があったけれど、こんな建物があるとは。


その敷地を通ってもう一つの門から出て行く。


苔の生えたお寺らしい風景に戻った。


上からは切石だけが見えていたけれど、その間を石ころが詰まっていた。


その後は飛び石に。


足許が安定したところで見えてきたのが鶴亀の庭。橋の先にも飛び石があるので、そこを歩いてみたかったが、石橋の手前に結界に行く手を阻まれた。

方丈も木立の間から見えてきた。反りの少ない柔らかな風合いの茅葺き屋根の建物。

かなり以前に作成された図面(方丈にあった)

かなり以前に撮影された写真を補正(方丈にあった)
栞は、金地院は応永年間(1394-1428)に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺である。慶長の初め崇伝長老が南禅寺塔頭に移建して現在に至っているという。
すっきりした建物だが、池泉回遊式庭園を巡っている時は、こんな風に、樹木に阻まれて全体を見ることはできなかった。


開山堂 
崇伝長老の塔所にして、後水尾天皇の勅額を掲ぐ、左右両側には十六羅漢像が安置してあるというが、特別拝観の時刻が気になって通り過ぎた。 

水の流れに何か動くものが。

あ~やっぱりアメンボやん、久しぶりに見たなあ。思いのほか沢山いてあちらこちらに波紋をつくっている。


ガクアジサイなのかヤマアジサイなのか見分けられないけれど、アジサイ系の花が涼しげ。

萼も花も白い


花の木は低いのが多いので


上から写せるのがうれしい。


池の手前には小さなツツジ

枝が余りにも短すぎるし、葉も小さいけれど、こんな種類があるのかも。


やっと方丈前の鶴亀の庭へ。
栞は、寛永七年(1630)小堀遠州の作。桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水にして、古来名声高き庭園である。その広さに於て、又その豪壮なる意匠に於ていつの時代にも人々の心に迫るものがある。
前面の白砂は宝船を象徴すると同時に海洋を表わす。右が鶴島左が亀島である。
背景の大刈込は、幾重にも折りかさなる山々で深山幽谷を現すという。

白砂の模様がやわらかでいい感じ。熊手で深い線がつくられている庭も多いが、私はこんな風に浅い方が好き。いつまでも見ていられる。


亀島
石組よりも、その上にうねるように成長した松が目を奪う。

鶴島の鶴は首が長い。


長方形の大きな平面石は東照宮の遥拝石という。
方丈の本尊という地蔵菩薩を礼拝するための石だと思っていた。
中間に群仙島を象る石を点在せしめ、前方には崖地を利用して蓬莱石組を立つという。


方丈の間より


方丈は廊下側だけ撮影できた。

木戸の細い線のデザインが気に入った。

東西に渡された梁に、部分的に海老虹梁が架けられている。

書院を飾る長谷川等伯の老松図や猿猴捉月図などの襖絵を鑑賞したが、撮影禁止だった。


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参考にしたもの
金地院の栞