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2026/10/27

皆川泰三コレクションのコプト織


いつか現地でコプト織を見たいという夢が叶った後に、コプト織に出会うきっかけとなった展覧会の図録を久しぶりに開いてみた。

『古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録』(以下『コプト織展図録』)は、トルコのチャタル・フユックという遺跡からは前6500年頃の亜麻の織物が発見されている。
エジプトでは前4000年頃の遺跡から亜麻を用いた麻織物が出土している。エジプトで毛織物が普及したのはローマの版図に組み入れられてからのことである。一説によれば、キリスト教徒が毛織物の技術を持ち込んだとも言われている。経糸は従来の麻を用い、文様を織り出す緯糸は羊毛を用いる事も行われた。そのような方式が広まったのは3-4世紀のことと言われる。
シリアのパルミラの建築装飾と織物の文様が似ていることでもわかるように、互いの文様表現や主題が共通のものであることが多い。
織物に表される主題は、ギリシア・ローマ神話の神々、キリスト教的なシンボルの採用、ササン朝ペルシアの影響がみられる狩猟文、聖樹文と変幻自在であるという。


人物文
『コプト織展図録』は、初期の綴織には、裸体の人物像が多く見られるが、そこには人間の体が最も美しいという意識の強かったギリシアの影響を見ることができる。ギリシア神話の英雄や神々の姿を表現していることもあるキリスト教美術とは思えない裸体表現やギリシア神話のモチーフの採用はギリシア・ローマ文化の残像が見て取れるという。

人物文胸飾り綴織 5-6世紀 27X35
同書は、盾を持ち、つばのある帽子とスカーフのような長い布をまとった男性は踊っているようでもあるという。
主文様よりも帯文様の方が印象的。これは何という文様だろうか? 装飾的な正方形?
古代エジプトの染織美 コプト織 人物文胸飾綴織 皆川泰三コレクション展図録より

女性胸像花文綴織 5-6世紀 17.5X48
多色の緯糸を使い、複雑な文様を織り出したおそらく壁掛けの一部。左右の壺からのびたギザギザの葉はアカンサスで、コリント様式の柱頭にも使われた地中海一帯で見られる植物である。眼の大きな女性は装身具や服の文様表現が細かく、高い技術がうかがえるという。
体は正面向きなのに大きな目だけ左の方を向いている。額や鼻筋などが白っぽい糸で綴られているのは、ローマ時代からの立体感ほを出す隈取りの名残なのだろう。
口の下の黒い円はこの時代の顎の表現であることが、壁画によって知ることができた。
古代エジプトの染織美 コプト織 女性胸像花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

天使鳥文 8-9世紀 9X28
花環を持った天使像はギリシア神話の勝利の女神ニケのようである。このような図像は死に対する勝利のシンボルとして、パルミラの墓のモチーフやイランのターク・イ・ブスタンの入口にも見ることができるという。
時代が下がるとバランスの悪い天使になってしまった。
古代エジプトの染織美 コプト織 天使鳥文綴織 皆川泰三コレクション展図録より


騎馬人物文綴織 6-7世紀 19X20
騎馬人物の図像もコプト織りにしばしば表されるが、 彼らは短い上着、マントをなびかせ、ズボンをはいている。 これは「ペルシア式服装」と呼ばれる。元来ズボンは北方の騎馬民族の服装であった。やがて、その服装は前後頃にはイランのアルサケス朝パルチアで採用された。このような服装がエジプトに波及したのはササン朝ペルシアがエジプトを短期間占拠した7世紀初頭前後(619-629)とされ、そう古いことではない。
ペルシア的服装と呼ばれるズボンの騎士はロマネスク美術にも及んでいるという。
北方騎馬民族の服装であるズボンが、アルサケス朝パルティアに、そしてササン朝ペルシアへと伝播し、10年ほどエジプトに占拠した期間にエジプトに伝えられたとは。
古代エジプトの染織美 コプト織 騎馬人物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

様々な人物文綴織 5-12世紀 
時代を限定せずに、人物文の断片を集めたものである。初期の裸体の戦士や踊る女性像はヘレニズム的な身体バランスのとれた動きのある造形であるが、次第にデフォルメされて、「ゴーグルのような目」と称される異様に強調された風貌になり、終末期には、あたかもロボットのような体つき(左上)になっていくのがわかるという。
古代エジプトの染織美 コプト織 様々な人物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より


動物文
『コプト織展図録』は、西アジア美術は動物表現の多様さが一つの特徴ともいえるものだが、コプト織りもその伝統を受け継いで、様々な動物が描かれているという。

鳥文
同書は、鳥類の描写も種々様々あり、身近な水鳥系、猛禽の鷲、エジプト人に馴染み深い鳩系、インド的な孔雀などが見られる。古代社会では鳥はあの世と現世を結ぶ使者として尊ばれていたこともあったが、コプト美術の鳥がどのような意味をもっていたのか不明な点も多いという。

水鳥花文綴織 6-7世紀 39X53
アカンサスのようなぎざぎざのある葉に囲まれた水鳥の文様を持つ壁掛けの一部であろう。コプト織りにはこのような水鳥のデザインが多く用いられるが、ナイル河に見られる身近な鳥を登用したのかもしれないという。
私がナイル川で見た鳥はサギ類だった。これはカモかな。アカンサスの葉4枚で水鳥を囲んでいるが、半分の葉が色褪せてしまっている。アカンサスでつくられた輪っかが接するところには四弁花があしらわれて可愛い。子供の服だったのかも。
古代エジプトの染織美 コプト織 水鳥花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

動物文綴織 9世紀 8.5X10.5
ライオンを囲む蔦の文様はかなりデザイン化され、その中には嘴をあけた鳥が織り出されているという。
それぞれの文様が退化していっている。主文のライオンを囲む連珠円文はソグド人が中国に請来した文様だが、それが西方にも伝わっていたのだろうか。中国の織物もエジプトでも出土しているので、それを真似たものかも。
古代エジプトの染織美 コプト織 動物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

鹿花文円形綴織 8世紀 23X26
この時期特有の多色使いのギローシュが周囲をめぐり、中央の円文は鹿が織りだされている。その外側は様式化された植物文が華やかに取り巻いている。上下左右には一見蛸のような文様があるが、これは壺に盛られた花のデフォルメとみるべきであろうという。
ギローシュは組紐文。壺に飾られた花に見えるのは下側のものくらい。それぞれを外側が壺というふうに見るのが正解。
古代エジプトの染織美 コプト織 鹿花文円形綴織 皆川泰三コレクション展図録より


植物文
『コプト織展図録』は、シリアの1-3世紀に栄えた隊商都市パルミラからは中国漢代の絹織物が出土し、最西端の絹織物の出土地として織物研究には欠かせない資料である。そこでよく言われるのは中国の織物には動物文が多く、パルミラ産のものには植物文様が多いということである。また、コプト織りにも多くの植物文があり、これらは単に装飾的効果というだけで採用されたのではない。
ローマ時代のモザイク文様にも柘榴やいちじく、棗椰子、オリーブなどの樹木が描かれ、これは楽園思想の現れとされる。楽園思想はキリスト教、イスラム教では天国、仏教では極楽浄土として信徒の憧憬の地であるが、これらを具体的に表現しようとすると、植物の生い茂る様が最もふさわしいと考えたのだろうという。

カルトネージュ 前6世紀頃 皆川泰三コレクション
『コプト織展図録』は、亜麻布で覆った遺体をさらに亜麻布を何枚も重ねて覆い故人の肖像画や死後の祝福の絵が施された 「いちじくの樹の姿のヌウト女神」と言われるものである。左端の樹の中から体をだしている女神はいちじくの化身で、ヌウトとは天空の女神でもある。このような図像は墓の壁画にもよく使われる題材で、墓の主人に命の食物を与えているのであるという。
古代エジプトの染織美 いちじくの姿のヌウト 皆川泰三コレクション展図録より

樹木文綴織 5世紀 64X47.5
木の種類は特定できないが、下図のように壁掛けとして数本織られたうちの一つであろうという。
先に花が咲く枝と葉しかない枝がある。枝の先に咲く花にはグラデーションが、葉は片側が濃く、反対側が薄いなど、細かな織り方が見られる。
古代エジプトの染織美 コプト織 樹木文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

立樹文の壁掛け 高さ222㎝ エルミタージュ美術館蔵
花の配置や葉の縁取りなどは異なるが上図の樹木とよく似ている。木々の間には蔓に巻かれて本物の葉を生やしたコリント式柱頭がのる、見過ごさなければ妙なものが配置されている。
エルミタージュ美術館蔵立樹文の壁掛け 古代エジプトの染織美 コプト織 樹木文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

紺地唐草文浮織 9世紀 63X23
植物文が様式化されている。全面に文様を織りだした中国的な要素が感じられる。衣服であったとすれば見事なものだっただろうという。
中国的な要素とは、柿蔕文のことかな?
古代エジプトの染織美 コプト織 紺地唐草文浮糸織 皆川泰三コレクション展図録より

菱花文綴織 10世紀 55X22(の部分)
はっきりとした文様と色使いで現代的な感じさえする作品という。
上下(あるいは左右)に波文を配し、一つの文様はほぼ同じ大きさの区画に収まっている。真ん中の菱花の中の模様が気になる。
古代エジプトの染織美 コプト織 菱花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

組紐円文浮糸織 10-11世紀 31X28
初期の幾何学紋様に比べて後期になると文様の構成はより複雑で密度の高いものになっていくという。
ムスリムがもたらした幾何学文様や組紐文が熟れてきたのだろう。あるいはムスリムの技術者がいたのかも。
古代エジプトの染織美 コプト織 組紐円文浮糸織 皆川泰三コレクション展図録より

組紐文円形綴織 11-12世紀 10X12
濃い紫の染料は貝紫とよばれている高級品の他にも赤と黄色の染料を混ぜてつくりだされていたことがパルミラの織物などでも知られている。紫が好まれたのはその希少性のためだろうという。
赤と黄色の染料を混ぜて濃い紫色を作っていたとは知らなかった。
古代エジプトの染織美 コプト織 組紐文円形綴織 皆川泰三コレクション展図録より

組紐文綴織 12世紀 27X15
複雑な組紐文の組み合わせである。上下の十字架はマルタ十字と呼ばれるものであるという。
組紐文で八角形をつくり、その中に花文、マルタ十字などが表されている。
古代エジプトの染織美 コプト織 組紐文綴織 皆川泰三コレクション展図録より


綴織はどこで始まったのだろう。
『世界遺産 大シルクロード展図録』は、西方から中央アジアに伝わった綴織(中国では「緙絲(こくし)」と表記)は平織に比べて少し間隔を空けた経糸に、文様におうじた色の緯糸を手作業で折り返して詰めていくので、緯糸が密になり、一見すると絵画のようにもみえます。色の境目には「ハツリ」と呼ばれる縦の隙間がみられる場合が多いです。錦のように大掛かりな織機を必要としませんという。

西方でつくられたものの参考例
半人半馬および武人像壁掛 前2-後2世紀 毛、綴織 縦116.0㎝、横48.0㎝ 1984年新疆ウイグル自治区ホ-タン・ロプ県サンプラ古墓1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
は、この毛織物の断片は被葬者のズボンの一部でしたが、もとは大きな壁掛であったと考えられています。左端に織耳が残っていることから、壁掛の左端にあたることが分かります。帯状の繧繝模様によって上下二段に分かれています。西方の高い綴織技法で制作された壁掛が、ホ-タンにもたらされ、被葬者のズポンに仕立てられたと考えられますという。
西方から請来されたもので、色のグラデーションや、顔に綴られた隈取りなど、当時最高の壁掛けとして東方にもたらされたようだ。


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関連記事

参考文献
「古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録」 宮下佐江子・坂本和子 1998年 古代オリエント博物館
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年  NHK

2026/10/13

ピラミッドその後


クフ王のピラミッド 第四王朝2代目(前26世紀前半)

クフ王のピラミッドの内部構造図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
❶現在の入口 ❷正規下降通路と盗掘者の掘った通路の交点 ❸上昇通路 ❹水平通路との交点 ❺大回廊 ❻控えの間とされる低く長い通路 ❼玄室
クフ王のピラミッドの内部構造図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


スネフェル王の三つのピラミッドには持送り構造の部屋があったが、その子クフ王のピラミッドには持送り構造は部屋ではなく傾斜のある大回廊に用いられた。
クフ王の父スネフェル王が造った赤いピラミッドでこのような持送り天井の所は部屋だったし、その前に建造された屈折ピラミッドでは持送り天井というものが不完全だった。それがクフ王のピラミッドでは大回廊と呼ばれている長い斜路に用いられ、天井の幅広くも広くなった。

玄室は花崗岩の石でできていて平天井。玄室は幅5.2mなので、それ以上の長さの石板なら平天井になるだろう。


ピラミッドの内部構造はその後どうなっていったのだろう。

ギザ カフラー王のピラミッド 第四王朝4代目(前26世紀中葉) 頂部に化粧石が残る。

カフラー王のピラミッド内部 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
カフラー王のピラミッド内部には、知る限りでは屈折ピラミッドに始まった玄室やクフ王のピラミッドにあった通路の持送り構造はない。
『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『エジプトの教科書』)は、カフラーのピラミッドの内部構造は、2本の通路が途中で合流して玄室へ向かう、いたってシンプルなものである。クフの王の間が地上43mにあったのに対し、カフラーの玄室は地下と地上の境界につくられている。これは、カフラーの治世が太陽信仰(天上世界)と冥界神オシリスへの信仰(地下世界)が融合した時代であったことに関わっていると考えられるという。
カフラー王のピラミッド内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

玄室は日本の家屋にも見られるような切妻構造となっているが、これは持送り構造が進展した技術だろう。
ギザ カフラー王のピラミッド玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

石棺
『エジプトの教科書』は、赤色花崗岩でつくられたカフラーの石棺は、本来、分厚い敷石が敷かれた床にはめ込まれる形で安置されていた。石棺の中に王のミイラはなく、雄牛の骨が入っていた。これは後の時代、王のミイラの代用、またはオシリス神の象徴として捧げられたものであると考えられているという。
後の時代に王のミイラを取り出して牡牛の骨を入れた?
第18王朝のアメンホテプ三世の時代に個別の部屋で始まったサッカラのセラペウムで始まったという、メンフィスでミイラ化され、サッカラの地下墓に花崗岩または玄武岩製の巨大な石棺に納められて埋葬された聖なる牡牛の話(セラペウムの説明パネルより)に繋がるのかな?


ギザ メンカウラー王のピラミッド 第四王朝6代目(前26世紀末)
『エジプトの教科書』は、メンカウラーは父カフラーや祖父クフに続き、ギザにピラミッドを造営した。
ピラミッドの縮小は王権の弱体化が最大の理由とされるが、堅牢な石灰岩の台地がすでに南西の端にしか残っていなかったことも関係しているとされる。
ピラミッド北面にある縦方向の窪みは、イスラム支配だった12世紀にピラミッドを解体して資材を再利用しようとした支配者や、19世紀のダイナマイト爆破によってできたもので、野蛮な破壊行為ではあるものの、皮肉なことに内部構造を知るための大きな手がかりともなっているという。
外装とは化粧石のことだけれど、化粧石が剥がれてしまっても赤く見える。
ギザ メンカウラー王のピラミッド 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

また玄室が地下に戻っている。
同書は、入口は地上4mにあり、通路の先は水平な装飾部屋につながっている。さらに通路を進むと三つの落とし戸の先に前室、その奥に玄室がある。花崗岩でつくられた玄室の天井は緩やかに湾曲しており、花崗岩を削って装飾を施したものとされているという。
ギザ メンカウラー王のピラミッド内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

『エジプトの教科書』は、花崗岩でつくられたメンカウラーの玄室は、これまでの東西方向と違い、南北に向いている。もともと石棺が置かれていたが、発見時に英国へ輸送する途中に海に沈んだという。
驚いたことに玄室の天井が平たいが穹窿(ヴォールト)構造になっている。石を曲面に彫って切妻構造のように頂部であわせることによって、やや尖頭ぽい浅いアーチが並んでいて、ヴォールト天井というよりも、変形切妻構造なのだろう。
メンカウラー王のピラミッド玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より


ウナス王のピラミッド 第五王朝最後の王(前24世紀中葉)
ウナス王のピラミッドは、サッカラの階段ピラミッド複合体の南西にある。
『世界美術大全集2エジプト美術』は、下降通路の突き当たりに入り口の間、そして3つの落とし格子戸を含む水平通路を通ると前室、そしてその左手に3つの小室、右手奥には棺の置かれた玄室を設けるというものであるという。

玄室は切妻構造で、カフラー王のピラミッド玄室の切妻構造よりも鋭角で、切妻の天井とそれを支える側壁にギャップがある。
サッカラ ウナス王のピラミッド玄室 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

同書は、ウニス王のピラミッドにおいて初めて、玄室など内部の墓室壁面一面に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれる宗教上の呪文が記されたヒエログリフや、当時の宮殿のファサードを模した偽扉、そして天井には星を象った模様などが刻まれるようになったという。
ウナス王のピラミッド玄室 世界美術大全集2 エジプト美術


センウセレト二世のピラミッド 第12王朝3代目(前19世紀初)
『エジプトの教科書』は、第12王朝の王センウセレト二世は、日干し煉瓦を用いて初の巨大ピラミッドを造営した。造営地に選ばれたのは、ハワラ運河がナイル河谷からファイユーム盆地へ流入するアル・ラフーンの黄色石灰岩の丘で、この時代にファイユーム地方の干拓、灌漑事業が本格化していたことやヌビアとの交易が盛んだったことが関係しているという。
ラフーン センウセレト二世のピラミッド 神秘のミステリー! 古代エジプトの教科書より

内部構造と玄室 『エジプトの教科書』より
日干しレンガで造られたが、玄室の周囲は石材で造られ、2枚の石材でつくった幅広のアーチを並べてヴォールト天井になっている。
ヴォールト天井はポンペイのスタビア浴場控え室(古代ローマ、前2世紀)あたりが最古のものだと思っていた。
ギザ センウセレト二世のピラミッド 内部構造と玄室 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

その後古代エジプトのファラオの墓でこのような石板を曲面に切り出したヴォールト天井の玄室は受け継がれていったのだろうか。



関連記事
古代ローマ 窓ガラスの作り方にスタビア浴場控え室のヴォールト天井があります。

参考文献
「世界美術大全集2 エジプト美術」 1994年 小学館
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫 1998年 河出書房新社

2026/10/06

階段ピラミッドからクフ王のピラミッドへ


それまでは日干しレンガを積んだ台形のマスタバだった王墓を、石積みのピラミッドにしたのは第三王朝のジェセル王(前2668 -49頃)で、最初のピラミッドとされている。
こんなピラミッドがどのように進化してクフ王のピラミッドになっていったのだろう。

サッカラの階段ピラミッド
ジェセル王の階段ピラミッドについて詳しくはこちら


ジェセル王の子セケムケト王について『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』(以下『図説古代エジプト1』)は、階段ピラミッドを計画するが未完に終わるという。

第四王朝スネフルによる初めての真正ピラミッド
『図説古代エジプト1』は、カイロから約130㎞南に、不思議な形をした異形ピラミッドが建っている。第三王朝最後の王フニの時代に未完成に終わり、 息子スネフルが完成させたと言われているという。


ピラミッドの外観

スネフェル王のピラミッド 『神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書』(以下『エジプトの教科書』)より
同書は、スネフェルは、ピラミッド発展の重要な通過点となる4基のピラミッドを造営した。そのうちの1基が、王都メイドゥムに建造した7段の階段ピラミッドの階段部に新たに石を積み、真正ピラミッドとして再生させた「ジェド・スネフェル〈スネフェルは不朽なり〉」である。しかし、完成時、トゥーラ産の化粧石で覆われていた美しいピラミッドの外装は新王国時代に崩落し、「崩れピラミッド」となってしまうという。
ナイル川流域と河岸段丘との段差に凄く近い。
スネフェル王のピラミッド 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

葬祭殿
河江肖剰氏のユーチューブ【内部大公開】謎多きメイドゥムのピラミッド!過酷な地下通路にも潜入(エジプト・崩れピラミッド・スネフェル王・建造方法・遺跡・考古学)では、葬祭殿から参道も造っていたが、河岸神殿は造られなかったと言っていた。
上の写真でその参道となるはずだった細い通路が見える。当時はナイル川が浸食していなかったので、河岸までは近かったはず。
メイドゥムのピラミッド葬祭殿入口 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

葬祭殿の内部はとても狭い。
メイドゥムのピラミッド葬祭殿内部 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


スネフェル王はその後屈折ピラミッドと赤いピラミッドを造っている。

屈折ピラミッド
『古代エジプトの教科書』は、壁面が白く装飾されているが、ピラミッドはもともと白い石灰岩の化粧石で覆われており、日の光を受けて輝いていたといわれている。
底辺長 188m、高さ105mの屈折ピラミッドは、当初傾斜角度60度の急な角度の真正ピラミッドを目指していたが、地盤沈下を危惧し 55度に変更。さらに基礎部から45mに達したところで傾斜は43度になり、そのまま緩やかな「屈折ピラミッド」となってしまったという。
詳しくはこちら

赤いピラミッド
『古代エジプトの教科書』は、赤みがかった石灰岩でつくられたスネフェル最後のピラミッドである「赤ピラミッド」は、屈折ピラミッドの北2㎞の地点に造営された。底辺の長さ220m、高さ105mの赤ピラミッドの傾斜角度は、屈折ピラミッド上部とほぼ同じ43度である。屈折ピラミッド建造時の失敗を活かしたものと考えられるという。
これが最初の正四角錐のピラミッド。屈折ピラミッドのような化粧石は残っていない。
詳しくはこちら

クフ王のピラミッド
そしてスネフェル王の子クフは巨大なピラミッドを造った。巨大過ぎてピラミッドがカメラに収まるような写真を撮るのは困難。
『古代エジプトの教科書』は、クフの大ピラミッド複合体は、前王スネフェルのピラミッド複合体に比べても大規模な葬祭神殿をもち、ナイル川と参道をつなぐ河岸神殿、 衛星ピラミッド、三人の王妃たちのピラミッドによって構成される。
葬祭神殿は一辺の幅が50mを超える大神殿だったが、現存するのは黒色玄武石の床の一部や花崗岩の柱の受け口のみであるという。
詳しくはこちら


持送り構造について

ジェセル王の階段ピラミッド
持送り構造を試みたのかも知れないが成功しているとは言えない。下部中央辺りのやや赤みがかった箇所が天井になるのかな。

メイドゥムのピラミッド
ジェセル王のピラミッドにはなかった持送り構造で重量軽減という工夫がされる、その最初のもの、と下の写真を見る限りではそうコメントするしかない。
河江肖剰氏のユーチューブ【内部大公開】謎多きメイドゥムのピラミッド!過酷な地下通路にも潜入(エジプト・崩れピラミッド・スネフェル王・建造方法・遺跡・考古学)で、所々に創建時に木材が組み込まれており、それで石棺を持ち上げる予定だった可能性があること、正面奥壁の壁龕(証明で光っている箇所)は石棺を安置する場所ではないことなどが分かった。
その手前の床に石材の棺床らしきものがあるが、ただの石の床を造る途中だったのかも。
天井部分まで持送り構造がきちんと造られていた。 
メイドゥムのピラミッド玄室 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

ダハシュールの屈折ピラミッド
現在は木製の階段が設けられている高い天井の部屋?は、平面長方形の四方の壁が持送り構造になっている。

墓室の天井
王の墓室にしてはかなりラフな天井への持送り構造。先に造られたメイドゥムの崩れピラミッドよりも技術的に明らかに劣っている。またたぐずれるのを恐れて、慌てて天井を完成させたのだろうか。

ダハシュールの赤いピラミッド
持送り構造は、第1前室、第2前室、そして玄室と3箇所あって、部屋の天井になっている。これは玄室の持送り構造で、部屋の天井としては完成度が高いが石棺があるはずの下部は大きな石がごろごろ。

スネフェル王の子クフ王のピラミッド
玄室には持送り構造はなく、大回廊と呼ばれる長い斜路に用いられている。
天井頂部の天板が幅広くとられている。この下からのライトアップが効果的。


内部構造について

サッカラの階段ピラミッドについて『エジプトの教科書』は、階段ピラミッドは3年ごとに計6回の拡張工事を繰り返して造営されたのかもしれない。増設によって複雑化した内部は、マスタバ墳墓から掘られた7m四方、深さ28mの竪坑を中心に、埋葬室、王の部屋、倉庫、後世の盗掘者が掘った通路が全長約5.7㎞にわたって混在し、迷宮のようである。
中央の埋葬室からいくつかの通路が伸び、そのうちの一つが青タイルで装飾された王室へと続いているという。

A入口  
当初より南側に入口があったが、途中で増築したことにより、この場所に新たに入口と階段が設けられたという。

B玄室と石棺 
埋葬室は花崗岩のブロックを4段積んでつくられた金庫状の巨大な建造物で、3.5tの花崗岩で蓋がされていた。ミイラの一部が発見されているがジェセルのものとは特定されていないという。

C王のレリーフとタイル
来世との往来ができる3枚の偽扉には再生・復活のセド祭で走る王のレリーフが彫られ、原初の海ヌンを彷彿させるファイアンス製の青緑のタイルで装飾されていた。南墓にも似た施設があり、比較的よくタイルが残っているが、ピラミッド内部のタイルははぎとられ世界中に散らばっているという。

中央の埋葬室からいくつかの通路が伸び、そのうちの一つが青タイルで装飾された王室へと続いているという。
❶増築によってふさがれた入口 ❷古王国時代?の盗掘者が掘った通路 ❸食糧貯蔵倉庫 ❹労働者のための階段 ❺中央の竪坑 
サッカラの階段ピラミッド内部構造 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より 

今回は竪坑から下に安置されたジェセル王の巨大石棺を見下ろしただけだが、実は石棺よりもその青色ファイアンスタイルとセド祭で走るジェセル王の浅浮彫が見たかったのだ。
見学可能な年もあって、旅の友の一人は見たことがあるそうで、またエジプト在住の人が、かなり詳しくブログの記事にしておられて、羨ましく思いながら拝見させていただきました。
そのページの一つがこちら

これはINAXタイル博物館のレプリカ展示

実物はここまで青緑色ではないが、上の壁面ほど真っ青でもなかった(同博物館蔵)


メイドゥムの崩れピラミッド
『エジプトの教科書』は、内部構造はシンプルで、周極星(沈むことのない星)につながる北の入口と下降通路、持ち送り構造の玄室で構成される。また、王を太陽神とみなす太陽信仰の台頭を反映して、ピラミッドの東側に初めて葬祭神殿が建設された。
近年の調査で、玄室のほかにも持ち送り構造をもつ二つの部屋が発見された。この二つの部屋の用途は明らかになっていないという。
ギザのピラミッド群が東側に河岸神殿が設けられたのはスネフェルのピラミッド複合体を継承したからだった。
階段ピラミッドは地下深くに玄室を設けたが、崩れピラミッドは近くではなく、地面すれすれに造られている。
メイドゥムのピラミッド断面図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より

この内部も見学できるのだそう。
メイドゥムのピラミッド内部構造 神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書より

ダハシュールの屈折ピラミッド
屈折ピラミッドの内部構造 『エジプトの教科書』より
同書は、内部構造には、これまで地下にあった玄室を地上よりも高くもち上げる試みが見られる。また、周極星につながる北と、太陽が沈む西の二つの入口が設けられた。北側の長く傾斜した通路は持ち送り構造の前室と玄室につながる。西側通路は盗掘除けを経て、もう一つの玄室に通じている。
玄室が地上より高い位置にあることも、王を太陽に近づけるためと考えられるという。
これまで、マスタバも含めて墓室は地下に造られたが、このピラミッドから地上に造られるようになった。
ダハシュール 屈折ピラミッドの内部構造 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


ダハシュールの赤いピラミッド
『エジプトの教科書』は、持ち送り構造の天井をもつ2部屋や、その奥にある玄室の部屋すべてが基礎部より高い場所につくられているという。

赤のピラミッドの構造図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
赤のピラミッドの構造図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


クフ王のピラミッドの内部構造図 『図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇』より
❶現在の入口 ❷正規下降通路と盗掘者の掘った通路の交点 ❸上昇通路 ❹水平通路との交点 ❺大回廊 ❻控えの間とされる低く長い通路 ❼玄室
ということになっているが、外に王妃たちのピラミッドがあるので、階段ピラミッドの南の墓のように、「王の魂(カー)のための象徴的な埋葬施設」
クフ王のピラミッドの内部構造図 図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇より


石棺

ジェセル王の階段ピラミッド
高さが3mある最大の石棺と言われている。詳しくはこちら
河江肖剰氏のユーチューブ【完全保存版】巨大ネクロポリス“サッカラ”の遺跡群をエジプト考古学者が巡る(階段ピラミッド・南の墓・考古学・歴史・遺跡・ミステリー・古代文明)は、丸いものの下は巨大な石の栓があって、距離の一番近い石の間から見えるという。

スネフェル王が造った崩れピラミッド、屈折ピラミッドそして赤いピラミッドには石棺は残っていない。

クフ王のピラミッド
棺の縁は欠けたり、摩滅したりしている。

盗掘に遭っているので、石棺はからったぽ。それよりも花崗岩という硬い石の内部を掘り抜いて造られているというこの時代の技術力の凄さ。


メイドゥムの崩れピラミッドとサッカラの階段ピラミッドの南の墓は見学が可能なようで、階段ピラミッドの地下の通路も年によっては見学できることもあるらしい。条件が整えば行ってみたいものだ。




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参考サイト

参考文献
「図説古代エジプト1 ピラミッドとツタンカーメンの遺宝篇」 仁田三夫編 1998年 河出書房新社
「神秘のミステリー! 文明の謎に迫る 古代エジプトの教科書」 河江肖剰監修 2023年 ナツメ社