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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/08/11

刺繍による仏画


中国では仏画に刺繍を用いるということが行われていた。

刺繡楊柳観音像 元時代、元貞元年(1295)頃 愚極智慧賛 淡黄平絹地、刺繡 縦59.8横37.7㎝ 京都国立博物館蔵
『宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録』は、補陀落山をあらわす海中の巌上に、くつろいだ姿で坐す楊柳観音。観音菩薩が住むという補陀落山の様相が、金色まばゆく刺繍されているという。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

金の平箔糸の繍技が卓越している。右半身を覆う衣の全体には変り輪違い文様を詰め、その縁に亀甲文様、右肩から左腕をめぐり腹にかかる衣には、全体に菱繋ぎ文様を詰め、縁は渦文様、左肩から胸へ垂れる衣と袴には平箔糸が斜めに配され、それぞれ、黄糸による駒繡風の綴じが0.5-1㎜の間隔でほどこされている。金の平箔糸は幅約0.5㎜で、断面が二層になる分厚い紙を支持体としており、竹紙の一種と考えられる。また通例の駒繍では金糸の端を基布の裏にて処理するが、本作では各区画の際で端正に切り揃えてあるという。
とても細かい文様で、単眼鏡を忘れていたこともあり、暗い展示室ではそれぞれを確認することができなかった。
亀甲文様についてはこちら
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 


拡大してもよく分からないので検索していると、京都国立博物館の学芸員をされていた切畑健氏の元貞元年賛刺繡楊柳観音像(京都国立博物館蔵)についてというページを見つけた。

まず同ページは、肉身部は無撚りのきわめて細い糸を用いて、繊細な刺し繍いとする。色は黄で金色を意図すると考えられる。
特に注目されるのはその着衣の刺繍で、特殊な金糸を用いて、間隙なく駒繍糸の綴じあげによって纏いつめているという。
同ページの挿図1で胸元に下がる瓔珞と刺し繍い肉身部が確認でき、挿図3で右肩に掛かる大衣の縁部にくるくると伸びる大まかな蔓草文様(唐草文様)もよく見える。挿図4により藍色の三条に分かれた垂髪の間に菱繋ぎ文が見えてきた。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 

もう少し下まで見ると、中心から6枚の花弁が開いたような変わり輪違い文が見えてきたのも、同ページの挿図2のおかげ。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

同ページは、袴は左肩と同じく斜のつめ繍(ただし立てた左足は竪の平行繍)、表着の縁部には小亀甲を纏いつめるという。
斜のつめ繍や竪の平行繍は探しやすいが、同ページの指図5のおかげで、左手首上の葉っぱのような縁部に小さな亀甲文を見つけた。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

左の方を見ると、挿図4の菱繋ぎ文や挿図3の唐草文もある。
京都国立博物館蔵 刺繍楊柳観音像部分 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より 


前回の元時代にも登場する善財童子では多様な年頃に善財童子が登場したが、この善財童子は童子形と言っても良いだろう。
同ページは、善財童子の頭光によればもとは同じく金糸の綴じあげであらわされたものが、すっかり剝落した状態と知られる。
波は平金糸1本の綴じ上げと、萌葱糸の割り刺繍を交互に配して表わすという。
青海波文様のように交互に波頭が配される波文がいい感じ。
京都国立博物館蔵 刺繡楊柳観音像 宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録より

なお、この一幅は用いられている俵装の裂地もきわめて優秀で、早くより大切にされて来たことがうかがわれるのであると切畑健氏も述べておられる。




関連記事

参考サイト

参考文献
「宋元仏画 蒼海を越えたほとけたち展図録」 2025年 京都国立博物館


2025/09/16

超 国宝展 深大寺蔵釈迦如来倚像


以前から見たいと思っていた深大寺蔵釈迦如来倚像に初めてお目に掛かった。思いの外小さな仏像だった。

釈迦如来倚像 銅造鍍金 像高(坐高)60.6㎝ 飛鳥時代(7世紀) 東京・深大寺
『超 国宝展-祈りのかがやきー展図録』(以下『超 国宝展図録』)は、関東伝来の古代金銅仏中の白眉と称すべき像で、7世紀後半に盛行をみた台座に腰かけて両足を垂下する如来倚像の一遺品。着衣を通した体軀のみずみずしい肉付けにも、洗練された造形感覚が発揮されるという。
大衣は涼州式偏袒右肩に着ていて、内着の僧祇支は見えないけれど、お腹の膨らみに違和感が。
東京・深大寺蔵釈迦如来倚像 超 国宝展-祈りのかがやきー展図録より

台座の覆いまたは大衣の衣端は両端から内側に襞が折られていて、中央のギザギザのところで箱襞になっているが、品字形襞ではない。
東京・深大寺蔵釈迦如来倚像 超 国宝展-祈りのかがやきー展図録より


日本の仏像で同時代の如来倚像を探してみると、

伝薬師如来倚像 銅造鍍金 像高28.0㎝ 白鳳時代、7世紀 奈良・正暦寺蔵 
『白鳳-祈りのかがやきー展図録』(以下『白鳳展図録』)は、螺髪を表さず、右掌を前に向け第一、二指を捻じ、左手は膝前に置き、左右の足下に蓮台を踏み分ける如来倚像である。
また、肩幅が広く、胸や腹の括れを表さないが、柔らかい肉身の表現もなされている。階段状の鎬だった衣褶を刻む衣文表現も単調化しない見事なものであるという。
大衣は涼州式ではない偏袒右肩に着ていてやはり僧祇支は見えない。大衣はギザギザがあって、その下の短い椅子覆いの箱襞は一つだけ。
奈良・正暦寺蔵伝薬師如来倚像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より


『法隆寺宝物館』は、白鳳文化の中心をなす天武・持統朝(672-696)には、本格的な律令国家としての体制が整えられ、仏教も全国的な規模で広まった。この時期には、7世紀前半の飛鳥文化期に流行した古い仏像の形を踏襲したり、北周・北斉・隋から唐時代初期(6世紀半ば-7世紀半ば)の中国の像や、朝鮮半島の新しいスタイルの仏像の影響を強く受けながら、それらを取捨選択して、時代の感性にあわせた仏像が次々に作られた。その形はさまざまであるが、みずみずしく伸びやかな表現を示すものが多いのが特色である。
法隆寺献納宝物の小金銅仏はこの時期のものがもっとも多く、多様性に富んだ仏像表現のありかたを知ることができるという。

法隆寺献納宝物N148 如来倚像 銅製鋳造鍍金 像高23.6㎝ 飛鳥時代、7世紀 東京国立博物館蔵
鼻筋は通るが丸顔。この時代のものと同じく耳朶が長い。
着衣は双領下垂式で胸をはだけているが、内側の僧祇支は見えない。丸い腹部が少し見えている。椅子覆いと裙の境目が見分けられないほど襞が煩雑だ。
東京国立博物館蔵法隆寺献納宝物N148 如来倚像 法隆寺宝物館より


法隆寺献納宝物N144 阿弥陀如来倚像(三尊像うち) 飛鳥時代白鳳期 7世紀後半 像高28.4㎝
2本の紐が右肩から下がる大衣を締めているようだが、左肩から脚部にかけて襞が多いが、膝に展開する流れが広がるような衣文線は倚像でこその表現である。
珍しく螺髪で、顔に丸みはあるものの、体躯は細く腹部も出ていない。
法隆寺献納宝物阿弥陀三尊像うち阿弥陀如来倚像 法隆寺宝物館より


三尊塼仏 白鳳時代、7-8世紀 土製 高23.1㎝幅18.5㎝ 川原寺裏山遺跡出土 明日香村蔵
白鳳展図録は、塼仏はすべて同型で起こされた方形三尊塼仏で、倚坐して定印を結ぶ中尊と、左右の脇侍、上方には天蓋と飛天が表されているという。
背もたれのある椅子は、敦煌莫高窟275窟の主尊、菩薩交脚像(北涼、397-439)にも見られるが、後者は三角形のような背もたれだった。腰掛け覆いがないので着衣が分かり易い。ギザギザも品字形襞もない。
身に張り付いたような大衣を偏袒右肩に着ているが、やはり僧祇支は見えない。顔に比べ肩幅が広く、腰は引き締まっている。
明日香村蔵川原寺裏山遺跡出土三尊像塼仏 白鳳展図録より


押出如来三尊像 銅板押出 縦26.3㎝横18.1㎝ 白鳳時代、7世紀 奈良當麻寺奥院蔵
同展図録は、三本に枝分かれする反花蓮華座上に三尊があらわされ、中央に偏袒右肩で禅定印をとる倚像、右脇侍に通肩で袖内で拱手するような形をとる如来形、左脇侍に合掌する菩薩形をあらわす。
中尊の丸みのある顔立ちや素朴で明解な衣文表現は、白鳳期の押出仏に共通し、方形三尊博仏のようなめりはりの付いた顔立ちやプロポーションとは異なった趣を見せる。 
また、飛鳥時代(7世紀前半)風の菩薩や如来形を脇侍に配するなど、中国伝来の博仏には見られない特異な尊像構成となる点で、日本化した図像による押出仏と位置づけられるという。
涼州式ではない偏袒右肩の倚像で僧祇支は見えない。頭光と身光に分かれた光背と共に倚坐し、定印を結ぶ。顔や体躯に丸みはあるが、腹部は引き締まっている。 川原寺の塼仏の方が造形がシャープ。
奈良・當麻寺蔵押出如来三尊像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より


如来倚像は敦煌莫高窟の北涼時代(397-439)の窟にもあった。

敦煌莫高窟272窟(北涼)西壁の本尊
涼州式偏袒右肩の如来倚像。通肩に着ていた大衣をぐっとゆるめて胸をはだけ、右腕を出しているとも解釈できる。僧祇支は色彩を変えて描かれている。
深大寺本と比べると肩幅は広いが腰が締まり、がっしりしている。
敦煌莫高窟272窟西壁如来倚像 『敦煌への道上 西域道編』より


正暦寺像の頭部 
『白鳳展図録』は、上瞼が美しい弧を描く見開かれた目と、鋭い鼻筋、きつく結んだ口元を表す顔立ちには、小像とは思えない堂々たる風格が感じられる。二重瞼の表現は、多武峰伝来十一面観音菩薩立像のような請来仏に倣ったとみられ、初唐様式の影響もうかがえるという。
若くてきりっとした顔と言える。
奈良・正暦寺蔵伝薬師如来倚像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より

こうした造形は、旧山田寺仏頭 にも通じるものがあり、むしろ白鳳金銅仏の一典型を示すものといえようという。

山田寺仏頭は天武14年(685)完成とされ、正暦寺像と同じ頃に造られていて、言われてみれば眉から鼻筋、更に口元にかけての表現は似ているが、頬の丸みが違うのだろうか、二つの像が似ているとは思わなかった。 
興福寺国宝館蔵山田寺仏頭 冊子興福寺より

深大寺像の頭部
『超 国宝展図録』は、鼻梁から左右上方へと大きな弧を描く眉と、まっすぐに引かれた下瞼とがつくる表情は、どこまでも明るくほがらかで、口角をすこし上げた口もとは、やさしい微笑をたたえるという。
眉から鼻筋にかけての造りは正暦寺像に似ている。
東京・深大寺蔵釈迦如来倚像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より

その若やいだ容貌は、法隆寺観音菩薩像(夢違観音)を典型とする、中国・初唐様式の影響を受けた飛鳥時代後期の作品に通ずるという。

観音菩薩立像(夢違観音)銅造鍍金 像高86.9 白鳳時代(7-8世紀) 奈良 法隆寺
『白鳳展図録』は、上腹部に刻まれた肉のくびれを表す単純な刻線や、着衣に表される交互に対向する左右対称の衣文形式、また正面の裙折り返し部に見える品字形の衣文などは、前代の残滓ともいうべき古様な表現で、概して新旧両様の混在が認められる。その意味においては、白鳳時代も終わりに近づいた頃、7世紀末から8世紀初頭にかけての造立とみなすべきであろうという。
奈良・法隆寺蔵夢違観音像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より

『白鳳展図録』は、大きな単髪を結い上げ、白鳳期の菩薩像に多い三面頭飾を戴く。三面のうち正面の飾りには化仏坐像が表され、本像が観音菩薩像であることを示している。
眼の上瞼の表現が左右で異なっている点も注意されよう。左眼のそれは直線に近く、右眼ではこれが弧を描くように見える。前者は奈良時代、後者は白鳳時代に多い形式であり、意図的なものではないかもしれないが、このようなところにも過渡的性格が読み取れそうに思える。
表面に施された鍍金と、頭髪に塗られた群青彩を、部分的ながら今も見ることができるという。
奈良・法隆寺蔵夢違観音像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より

『白鳳展図録』のコラム「法隆寺夢違観音像・深大寺釈迦如来像の頭部仕上げについて」は、非常に興味深いものだった。
夢違観音像後頭部について同展図録は、その後頭部全面に細かな刻み目状のものが見える。鋳放ちの状態ではなく、鋳造後に人為的につけられた刻み目である。ヤスリ(鑢)目であろう。地髪及び宝髻、つまり頭髪部のみに限って見え、他の部位にはない。これは何を意図した仕様であろうか。 
想像の域を出ないのだが、鍍金せず彩色(群青)を施す部位であることを考慮すれば、その剥落を防ぐための所為ではあるまいか。滑らかな面であればあるほど顔料が剥落しやすいことは容易に推測しうる。効果が如何ほどのものであったかの評価はむずかしいが、ともかくも群青の残存を今日なお肉眼で確認しうるのであるという。
この文を読まなければ緑青が出ているとしか思わなかっただろう。
奈良・法隆寺蔵夢違観音像 白鳳-祈りのかがやきー展図録より


深大寺像前頭部
同展図録は、全面にタガネ(鏨)目があることがわかるが、さらに目を凝らすと、夢違観音像ほど密ではないものの、やはり表面にヤスリによると思われる細かな刻み目が認められる。
同像は現在、螺髪をともなわない。この点については既往の見解には二説ある。ひとつは、頭部の全面に認めうるタガネ目を、螺髪接着のための仕様とみる。もうひとつは、タガネ目を螺髪に代わる頭髪の表現とみる。
 いずれの説においても、タガネ目については言及しながらヤスリ目についてはふれていない。しかし、別製の螺髪を貼り付けた可能性はやはり検討すべきかと思われ、その場合、螺髪の脱落を防ぐためには、接着面の摩擦係数を高める必要があるだろう。ヤスリ目の凹凸は、螺髪接着のためのひとつの工程だったかもしれない。ただし、もしそうだとしても現状は螺髪をひとつとしてともなわないので効果のほどは定かでないし、また接着の痕跡も皆無である。
あるいはそれとも、本像の場合も夢違観音像と同様、ここにかつて群青が塗られており、その剥落を防ぐ意識で施されたヤスリ目であっただろうか。が、現状は顔料の痕跡も認められない。よって今のところ、いずれとも解釈を定めがたいといわざるをえない。とはいえ、タガネ目のみならずヤスリ目までの人為的な処置がある以上、螺髪も顔料もともなわない現状をもって最終の完成形とはみなしがたいのではないだろうかという。
東京・深大寺蔵釈迦如来倚像 開館120年記念特別展 白鳳-祈りのかがやき-展図録より


新薬師寺薬師如来像について同展図録は、盗難によって今所在不明となっている新薬師寺薬師如来像は、模造233の作品解説にもふれたように、法隆寺夢違観音像にも深大寺釈迦如来像にも似たところのある像だが、残されている写真を見ると、その頭部には深大寺像と同様のタガネ目が施されていることがわかる。微細な部分を確認することは困難なのだが、あるいはこの像の頭部にもヤスリ目が施されていなかったか、というのが筆者の想像である。これら三像の作風の共通は、制作工房を同じくする可能性を考えさせるレベルである。この点に関する結論を導くに際し、ヤスリ目という特徴ある細部の仕様の有無は重要なポイントとなるのではないか。いつの日かこの像が再び世に現れ、様々な学術的調査が実施できることを願ってやまないという。
この特別展には行くことが叶わず図録を取り寄せたので、「模造233の作品解説」は知ることができないが、幸い奈良国立博物館の収蔵品データベースに、小さな画像だが薬師如来立像(香薬師像模造)があった。首回りの大きな通肩の大衣は薄く、体型が浮かび上がるほど。大衣の襞は上方では繋がっているが、やがて左右から出た衣文線は途中でなくなる茶杓形になっていく。
ヤスリ目によって深大寺釈迦如来倚像、法隆寺夢違観音像、新薬師寺薬師如来立像の三点の制作工房が同じではないかという岩田茂樹の推察が学術的調査によって認められる日を待っています。




関連記事

参考文献
「超 国宝-祈りのかがやきー展図録」 奈良国立博物館編集 2025年 奈良国立博物館・朝日新聞社・NHK奈良放送局・NHKエンタープライズ近畿図録

「敦煌への道上 西域道編」 石嘉福・東山健吾 1995年 日本放送出版協会
「開館120年記念特別展 白鳳-花ひらく仏教美術-展図録」 2015年 奈良国立博物館
「法隆寺宝物館」 1999年 東京国立博物館

2025/09/09

超 国宝展 中宮寺蔵菩薩半跏像に品字形の襞


久しぶりに釈迦金棺出現図が見たくなって奈良国立博物館の「超・国宝展」に行ったら、チケットを事前予約してきた人たちの長蛇の列で、何と仏像館の裏側が最後尾だった。途中で振り返るともっと長くなっている。

でも鹿があちこちにいて、ちょっと枝分かれした二歳のオジカを間近で見ることがてきたし、


当日チケットを購入した人たちが最後尾へと急ぐのを見たり、ある特別展では当日券を買った人の列の方が短くて、早く入館していたという話を聞いたりしてヒマを潰した。


でも、やっぱり鹿たちを見ているのが一番。鹿は子供の頃だけ鹿の子があると思っていたのが、成獣になっても鹿の子は残ることをこの歳になって気付いた。



30分ほどで入館でき、受付ホールに入るとこの垂れ幕が掛かっていた。館内は撮影禁止だったが、このホールだけはOK。
中央の「超 国宝」の垂れ幕の両側には法隆寺の百済観音立像と中宮寺の菩薩半跏像

しかも図録の表裏も同じく法隆寺の百済観音立像と中宮寺の菩薩半跏像
「超 国宝」の英語が「Oh! KOKUHO」とはね。


百済観音立像については以前記事にしたので、今回は中宮寺の菩薩半跏像について少しばかり。
仏像についてよく分かっていなかった頃に中宮寺に出かけて以来の半跏像との再会は、ケースにも入れられず、間近で見ながら360°見てまわることのできる、願ってもない機会だった。

菩薩半跏像(伝如意輪観音) 飛鳥時代(7世紀) 木造彩色 像高(坐高)87.9㎝ 奈良・中宮寺蔵
『超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録』(以下『超 国宝展図録』)は、像全体が円錐形におさまるような形を構成しており、柔和さと同時に威厳も感じさせる。その絶妙な表現により、飛鳥時代の木彫像を代表するのみならず、日本の仏教彫刻の中でも特に魅力的な像として著名であるという。
裙と台座の椅子覆いの境目はじっくり観察しないと見分けられない。
奈良・中宮寺蔵菩薩半跏像 超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録より

こんな時菩薩の傍をを一巡できて助かった。裙には品字形の襞がなく、榻座覆いの裾にだけある。当時、実際に品字形襞を丁寧に作り出すために、この榻座のように上部を紐で縛っていたのかも。
奈良・中宮寺蔵菩薩半跏像 超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録より


菩薩半跏像と言えば比較されるのは何といっても広隆寺像。
『日本の美術455 飛鳥白鳳の仏像』は、救世観音像とほぼ同時期の宝冠弥勒像は、日本では他に例がない赤松を用いた一木彫刻であり、また表現が朝鮮三国時代の金銅仏そのままであることから、これは飛鳥彫刻における渡来様式の典型的造像とされる。宝冠弥勒像は垂飾にした腰帯の部分などには樟材が使用されているから、制作地が日本であることは間違いないという。
こちらは榻座に丸みがなく、懸かる着衣はいくぶん平板に表されるが、右膝下に二段にわたって品字形襞が表されている。
京都・広隆寺蔵菩薩半跏像 飛鳥時代前期 日本の美術455 飛鳥白鳳の仏像より 

そしてもう一体は
菩薩半跏像 銅造鍍金 高句麗(6世紀後半) 通高83.2㎝ ソウル、国立中央博物館蔵
『世界美術大全集東洋編10 高句麗・百済・新羅・高麗』で姜氏は、この像は、宝冠に日輪と三日月が結合した特異な形式を示している。正面から見ると、弾力性のある身体の曲線が大きく強調され、正面では腰部を細くするものの、過大な頭部と下半身を弾力性をもって連結させている。天衣は両肩と台座下部で鋭利に反転しており、身体の流れに沿ってしなやかに密着している。
また、両膝の褶(ひだ)と背面の椅子覆いは、それぞれS字形とU字形によって変化を出している。制作地に関しては、百済、新羅などさまざまな説があるが、身体と天衣の力に満ちた勢いは、高句麗古墳壁画、とくに四神図に見られる激しい動勢と類似し、筆者は高句麗仏と考えているという。
右膝側の衣端に品字形襞がある。
ソウル国立中央博物館蔵菩薩半跏像 銅造鍍金 高句麗(6世紀後半) 世界美術大全集東洋編10 より  

『超 国宝展図録』は、下半身にまとう衣はリズミカルで様式化された衣文を表しつつも、足と衣の関係には整合性があり、飛鳥時代前期の様式美と飛鳥時代後期の写実性とを併せ持った造形といえるという。
奈良・中宮寺蔵菩薩半跏像 超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録より

法隆寺金堂四天王像うち広目天立像 飛鳥時代(7世紀)
直立不動の姿勢で立つ。着衣も左右対称で、四段の品字形襞もまた乱れがない。中宮寺本よりも以前に造られたことがうかがえる。まさに「飛鳥前期の様式美」である。
法隆寺金堂四天王像うち広目天立像 国宝法隆寺金堂展図録より

それに比べて法隆寺の釈迦三尊像(戌子年 628)は、品字形襞に動きが見られ、細かな襞まで再現されている
。それは鋳造という型を使ったものだからできた技なのかも。
金堂中の間 釈迦如来坐像 法隆寺 日本仏教の黎明展図録より

中国では、

天水麦積山石窟62窟正壁一仏二菩薩像 北周(557-581)
ゆったりした大衣は長く台座にまで垂れている。中宮寺本では裙と椅子覆いだが、62窟の本尊は大衣と襞の多い裙で、以前は「凝った品字形衣文」と思っていたが、品字形襞が崩れている。
麦積山石窟62窟正壁如来坐像 北周 『中国石窟 天水麦積山』より

敦煌莫高窟435窟南壁(北魏 439-535)には裳裾に品字形襞が描かれていた。しかも一段多い。
敦煌莫高窟435窟南壁壁画 中国石窟 敦煌莫高窟1より

如来坐像 雲崗石窟第35-1窟西壁下層仏龕 雲崗後期(北魏 493-524)
分厚く重そうな双領下垂式の長衣の裾だろうか、結跏趺坐した膝の下に品字形襞が並ぶ。
雲崗石窟35-1窟西壁下層仏龕如来坐像 中国石窟 雲崗石窟2より

南朝にも
天王立像 四川省成都市万仏寺址出土 南朝時代(6世紀) 砂岩 中国国家博物館蔵 
『中国国宝展図録』は、襟の立った長袖コート状の鎧を身につけ、腰にベルトを締める。裾に規則的に刻まれた下衣の襞がのぞいている。大きな肩布をはおり、その下に胸甲らしいものの輪郭線が表される。
法隆寺金堂四天王像(飛鳥時代)は、上に述べたような形式を備えており、その関連が注目される
という。
やや崩れた品字形襞が表されている。


金銅菩薩立像 西晋~五胡十六国時代(4世紀初め) 高33.6㎝ 伝陝西省三原県出土 藤井斉成会有鄰館蔵
『中国の金銅仏展図録』は、束ね上げる髪、もみ上げ、口髭、耳や首の飾り、宝櫃を両側から喰わえる獣頭付きの胸飾、腕釧、それらはいずれもガンダーラの菩薩像にみられる。出土地は古都長安の近く(陝西省三原県)と伝えられるが、黒眼に象嵌のあとを残す眼やサンダルの着用などは独特であり、地肌のクレーター状の多孔から鉛含有量が多いと判断されるなど中央アジアとする説も古くからある。本像のように左手に瓶を持つ菩薩はガンダーラでは弥勒菩薩とされるという。
体のバランスはかなり違うが、上のガンダーラの菩薩立像とよく似た仏像で、顔も東アジアっぽくない。当時中央アジアで暮らしていたイラン系の民族によってつくられたものだろう。
裙も短めだが、その衣がジグザグに垂れたり、襞の端がジグザグに表されたりと、ガンダーラの影響を強く受けている。ただ、ジグザグの衣文線は様式化され、天衣の端にはびっしりと並んでいる。
仏像や仏画の制作は、技術の高い工人を現地に呼び寄せて造らせたりするが、このような持ち運びできる像は、もたらされた場所でコピーをつくることができるという点で、伝播に貢献している。

そして品字形襞に近いものはガンダーラの仏像にもすでにあり、

菩薩立像 後2-3世紀 パキスタン、シャーハバーズ=ガリー出土 片岩 高さ120㎝ ギメ美術館蔵
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、菩薩像はインドの王侯貴族をモデルとしている。写実的な顔、筋肉の描写、襞の表現はギリシア美術に由来する。立像の場合は、ギリシアの神像の立脚遊脚の原理を導入して、身体に微妙な動勢を与えているという。
裙は広い布を巻き着けているためか、大きくギザギザに垂れ、そこに襞の端がギザギザの衣文で表される。

それどころかギリシアのアルカイック期に三段の品字形襞が描かれていた。

アッティカ赤像式アンフォラ 前490年頃 ヴルチ出土 クレオフラデスの画家 ミュンヘン州立古代収集古代彫刻館蔵
キトンの襞は、左右対称に、規則正しくジグザグに描かれているが、薄手の襞の歩く度に揺れる様がよく表現されている。それは脚の線まで描き込んで、立体感さえ感じられるように入念に描かれたものだった。
このような衣文を見ていると、中国の北魏時代の仏像や、日本の飛鳥・白鳳時代の仏像に見られる衣文の、平たい衣が規則的なジグザグ文で表されるのとの違いがよくわかる。
ミュンヘン州立古代収集古代彫刻館蔵ヴルチ出土アッティカ赤像式アンフォラ 世界美術大全集3 エーゲ海とギリシアアルカイックより

さて、上半身に目を向けると、胸のあたりに細かな凹凸がうかがえるのは年輪だろう。
奈良・中宮寺蔵菩薩半跏像 超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録より

『超 国宝展図録』は、肩幅の広い体型に胸や背中の起伏や繊細な指などに柔らかい質感が感じられるという。
首の両側には細い垂髪が伸びて肩に添う蕨手は、右肩は二段、左肩は三段と左右対称を崩している。
同じ菩薩半跏像でも小さな念持仏の法隆寺献納金銅仏158号(7世紀 韓半島三国時代 20.3㎝)は左右とも二段の蕨手であることから、請来された菩薩半跏像を倣った日本の仏師の創意工夫だろう。
奈良・中宮寺蔵菩薩半跏像 超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録より


『超 国宝展図録』は、漆黒の身体に浮かぶ柔和な微笑みは、目の輪郭を刻まないおぼろげな表情と相俟って神秘的であるという。
眉間には薄らと白毫があるが描かれたものだろうか、それとも何かを貼り付けていた痕跡だろうか。

ところでこのような双髻がある仏像は他にもあっただろうか。
奈良・中宮寺蔵菩薩半跏像 超 国宝国宝-祈りのかがやきー展図録より

敦煌莫高窟285窟正壁の龕楣には蓮華化生童子がたくさん描かれているが、どれも双髻の間がかなり開いている。髪を束ねるには、このような間隔の方が自然かも。中宮寺本の双髻は、よく分からないまま、手本となった仏像などを真似たのでは。
285窟の蓮華化生童子 敦煌莫高窟陳列館内のコピー窟で撮影


また『仏像のかたちと心 白鳳から天平へ』に興味深い図版と文があった。
同書は、飛鳥・白鳳時代の木彫像はほとんどが頭、体部を一木造とするが、この像は寄木造であることが大きく相違する。それも平安時代後期に流行する定朝様の計画的で規範的な寄木造ではなく、積み木式のきわめて特殊な工法である。中宮寺像の特殊な寄木造は、一回限りの仏像を制作するために工夫された、いわば臨機応変の技法と考えられる。
頭部、体部、両脚部、台座、両手をそれぞれ別に作り、これらを積み上げて接いでいる。とくに変わっているのは、両脚部と台座の前面の部分を別の材で作ることである。この前面と後半の材は接合部分をそれぞれ階段状に作り、双方を組み合わすように接いでいるという。
西川氏はそれぞれの部材に記号を付けている。
西川杏太郎氏作図中宮寺菩薩半跏像図解 仏像のかたちと心 白鳳から天平へ

短く引用するつもりだったが、非常に面白いので続きを。
こうした特殊な技法は他にまったく例がない。理由は明らかではないが、神の宿る神木など特別な樹木を使用したため、前面部の材を十分にとることができなかったのかも知れないという。

同展図録は何の木か明記していないが、『太陽仏像仏画Ⅰ 奈良』に、樟材数個を不規則に寄せた、独特の寄木造りの像である。丸味のある柔らかいポーズは止利様の像とは大きくへだたり、時代も飛鳥末期の作と思われるという文を見つけた。
クスノキは大きな木なので。全身の高さが100㎝に満たない像なら一木造の大きさをとれただろう。

『仏像のかたちと心 白鳳から天平へ』は、材と材の間に補正材を挟めば、頭や上体の角度を調整することが可能である。頭、体部ではその必要が発生せず変更は行われていない。しかし、右手は工夫されている。右手は肩の位置から先を体軀部とは別の材としているが、両材の接ぎ面には間に薄い材を入れて形の調整が行われているのである。これは右手の中指(第三指)先が右頬に自然に触れるための工夫である。中宮寺像では思惟の自然で徴妙な表現が重要視されたからである。制作にあたり、全体の姿と技法について事前に十分に検討されたと考えられる。しかし、同時に微妙な角度調整などは現場合わせで実施することがはじめから考えられていたのであろう。その成果が、自然な頭部や体部の表現、それに思惟する右手の表現にあらわれているという。
この方が現実味があるが、美しい指先の広隆寺像は一木造なのに。

                   →超 国宝展 深大寺蔵釈迦如来倚像

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参考文献
「超 国宝-祈りのかがやきー展図録」 奈良国立博物館編集 2025年 奈良国立博物館・朝日新聞社・NHK奈良放送局・NHKエンタープライズ近畿図録
「日本の美術455 飛鳥白鳳の仏像」 松浦正昭 2004年 至文堂
「中国石窟 天水麦積山」 天水麦積山石窟芸術研究所 1998年 文物出版社
「世界美術大全集東洋編10 高句麗・百済・新羅・高麗」 1998年 小学館
「太陽仏像仏画シリーズⅠ 奈良」 1978年 平凡社
「仏像のかたちと心 白鳳から天平へ」 金子啓明 2012年 岩波書店
「法隆寺宝物館」 1999年 東京国立博物館
「開館120年記念特別展 白鳳-花ひらく仏教美術ー展図録」 2015年 奈良国立博物館