お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
ラベル 生命の樹 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 生命の樹 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026/03/24

フリギア テラコッタの建築装飾


アンカラのアナトリア文明博物館にはフリギア時代の建物のレプリカ展示があった。
同館図録は、フリギア人は西アナトリアの伝統的形式により幾何学文様のテラコッタで屋根を飾り、床は多色のモザイクで飾った。この博物館にある最高のテラコッタパネルはゴルディオンとパザルリから出たものである。パネルには兵士、ライオンと牛の戦い、人間、鳥、馬、生命の樹.の両側に立つ山羊などが彫られているという。

それはチョルム考古学博物館やアラジャホユック博物館の写真パネルと似ていた。その上屋根は丸瓦と平瓦を組み合わせた日本の古い寺院のような本瓦葺きみたい。

最上部には丸い盾と槍を持って行進する脚の長い兵士たち

アラジャホユック博物館では兵士たちの行進の場面のテラコッタ断片と復元図が展示されていた。丸い盾は、ギリシアで使われていたと記憶しているが、フリギア人も丸い盾を使っていたようだ。

兵士たちの行進の段の下には草食獣とライオンが向かい合う場面が2段にわたって繰り返されているのは、チョルム考古学博物館のテラコッタの断片と似ている。

菱形の石畳文が囲んでいるのは、向かい合う鳥頭グリフィンと人面グリフィン、その下には木の枝を持って向かい合うケンタウロス。その下段には生命の樹に後肢を掛けて向かい合う草食獣が表されている。

アラジャホユック博物館では浅浮彫で向かい合って生命の樹に寄りかかる草食獣が表されたテラコッタの壁飾りがあった。彩色の痕跡もある。


そしてゴルディオン博物館には建物の壁面装飾用の部品の展示コーナーがあったが、これまで見てきたものとは違っていた。
『GORDION MUSEUM』は、新フリギア城塞の建築様式の特徴は、テラコッタ(焼成粘土)製の屋根瓦、雨樋、そして装飾的な壁板の使用である。建築用テラコッタは、アナトリアやギリシアで前7世紀中頃から前6世紀初頭まで使われていたという。

樋口と屋根の端飾り
穴があいた樋口の奥には穴があいていて、屋根の端飾りに沿って雨水が集まり、ここから下に落ちるようになっている。屋根の端飾りはこれまで見たことのないモティーフだが、何を表現しているのか想像できない。

菱形石畳文の軒樋
屋根の傾斜に沿った側面の装飾

屋根の端飾り
小さな生命の樹を間に向かい合う豹の文様。このような対獣文


そして石畳文や斜め石畳文 図録の写真とは上下が逆
同書は、菱形と渦巻き文様をあしらったテラコッタという。
白地に赤と黒に塗り分けられたモティーフが並ぶ。
 
菱形を組み合わせたテラコッタ 図録の写真とは上下が逆

石畳文の装飾的な壁板 
図録の写真とは上下が逆


渦巻き文様と小花文様の軒樋




関連記事


参考文献
「GORDION MUSEUM」 Republic of Turkey Ministry of Culture

参考にしたもの
ゴルディオン博物館の説明パネル

2018/02/02

ギーラーン2 土偶と金製品、装身具


殊に思い入れのあるギーラーンでの出土品は円形切子碗だ。
(写真はタブリーズのアゼルバイジャン博物館にて)

『ギーラーン』は、故深井晋司先生が1959年ノウルーズの頃テヘラーンに滞在中、とある骨董屋の店に置かれていた正倉院の円形切子装飾瑠璃碗とよく似たカットグラス碗を見付けたことがきっかけとなっている。当時テヘラーンの骨董屋の間にアムラシュ出土と称されるおびただしい古物が流れこみ、興味をもった先生がそれらを見て歩いていてこのガラス碗に出会ったとのことであった。
その年の7月、調査団のうち4人がアムラシュに調査にでかけたのである。
その結果アムラシュはテヘラーンにあふれている古物の集散地にすぎず、出土地はここから谷ぞいに山深く分け入ったデイラマーン地方であるということが判明した。
一行はラバの背にゆられて2日がかりで現地に到着、ここが先史時代からパルティア・サーサーン朝時代にまでわたる種々な形式の古墓群が密集する地域であり、また村人により徹底的な盗掘が行われていることを調査確認したのであった。
集落の側に古代の墓域が存在するという。
『ギーラーン』は、デイラマーン盆地は西から東に流れるチャークルード川によって刻まれたゆるやかな谷から形成されている。谷の斜面はチャークルード川に流れ込む何本もの支流によって削られた多くの舌状台地が形成され、そこに無数の古墓が営まれていて、この地域が古くから多くの人々の生活の場であったことを物語っている。デイラマーンへは今こそ便利な自動車の通れる道があるが、かつてはラヒーマーバードからチャークルード川、アムラシュからはサールマーンルード川、スィヤーキャルからスィームルード川をそれぞれ徒歩あるいはラバの背で遡るしかなかった。したがってこの盆地は外界から隔絶した独自の文化を有した別世界であったという。
ギーラーン、特にデイラマーンについてこのようなことを知って、一度は訪れたいところの一つとなった。しかし、今では「隔絶した世界」へも道路ができているとはいえ、ホテルから往復する時間はとてもない。それに出土地はすでに埋め戻されてしまっているし。
円形切子碗については、すでに記事にしたことがある。それは天理参考館は、所蔵する切子碗の分析調査で、ローマ製ガラスに特有の成分を確認した。ササン朝ではなく東ローマ帝国で造られた可能性があるということで、成分分析の結果、円形切子碗の中には、地中海域で植物灰の代わりに使用されたナトロン・ガラスのものがあったということだ。
それについてはこちら
こんな僻地でサーサーン朝の当時の高価なガラス器が入っていたことも驚きだが、東ローマ帝国からはるばる将来されたガラス器までも入手していたとは。
しかしながら、デイラマーンでは、現在に至るまで墓しか発見されていない。ひょっとすると、もっと交通の便の良いカスピ海南岸の平野部に拠点を置いて、交易で財をなした人々が、盗掘を避けて、奥山に分け入って墓域を築いたことが想像される。

円形切子碗についは以上で、今回は他のギーラーン州出土品について。

『ギーラーン』は、セフィードルード川流域に展開する古代遺跡のうち、革命前イランの考古当局が調査した重要遺跡のひとつにキャルラーズ遺跡がある。それはラシュトの南55㎞、マールリーク遺跡の対岸に位置し、1967、68、69年の夏の3シーズンの発掘調査によって、前8-6世紀、および前3世紀に年代付けられる古代墓が見出された。発掘者ハーキャミーの報告によれば、岩盤を抉った楕円形墓と石造の矩形墓があるという。

『ギーラーン』は、発掘時の出土状況について詳細な報告がないのは残念だが、キャルラーズ遺跡出土の「古拙なつくりの女性像」と呼ばれる副葬土製品は「アムラシュ土偶」の名で今日多く流伝している同製品の形象土器の、あるいは唯一確たる出土事例かも知れないという。
三重の同心円状のものは目だけにとどまらず、肩、膝、臍などにもある。手は重ねることなく、上下にして胸に付けている。碗釧も刻まれていて、金属の耳飾りまで付けている。頭上のものは髪だと思っていたが、冠か帽子かも。
タブリーズのアゼルバイジャン博物館にも似た女性像が展示されていた。

女性像 テラコッタ 前1千年紀 ギーラーン州ロスタマバード(Rostamabad)出土 
渦巻形の目に見えたが、キャルラーズ出土の古拙なつくりの女性像と同じく三重の同心円文だった。他にも3箇所に同心円文がある。
やはり手は上下にし、碗釧や耳飾り、そして冠のようなものを付けている。

土偶 前1千年紀 高45.0幅15.1㎝ 中近東文化センター蔵
目と他に5箇所に二重の同心円文。
顔はフクロウのようなつくり。耳は見えない。

土偶 前1千年紀 高42.4幅14.0㎝ 中近東文化センター蔵
三重の目は他の同心円文よりも大きい。大きな耳には飾りはついていない。
腕はややずれているが上下に置いている。
同じ時代、同じ地方なのに、作風の異なった女性像もあった。

土偶 前1千年紀 高13.0幅7.5㎝ 中近東文化センター蔵
小像だが、腰がもっと強調されている。腕はなくフクロウ形の顔は鳥形と言えるほど幅がない。頭上には冠らしきものはのせている。

土偶 前1千年紀 高34.8幅16.7㎝ 中近東文化センター蔵
顔には目だけでなく、鼻梁の下には穴と口、更に顎が表される。腕も少し出ている。

土偶 前9-8世紀 高18.3幅7.8㎝ 中近東文化センター蔵
小像で耳と口に穴があいている。頸は異様に長い。

金製容器 キャルラーズ出土
『ギーラーン』は、金製、金銀製容器はその形状、あるいは装飾にマールリーク遺跡出土の金製容器との類似が注目される資料であったという。
下部には大角鹿が器表をめぐり、その上にはガゼルを倒したライオンのような肉食獣などが表されている。

動物装飾杯 前1000年頃 エレクトラム 高17.5径13.0㎝重225.4g ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、金と銀の天然合金であるエレクトラム製のゴブレット。口縁部と底部に組紐文様を配置し、胴部の2段の文様帯にそれぞれ四足獣の行進する姿が描かれている。引き締まった体軀、すらりとした頸や足から、一見すると馬のようにもみえるが、尾などみる限り牛を表した図像にもみえるという。
マールリークはコブウシ形象土器が発掘によって出土している遺跡である。ギーラーン州のアスタラでは、牛の群が通り過ぎるのを傍で見ていたが、コブのない牛に混じってコブウシもいたが、どちらかというと少数派だった。だからコブのない牛を表すのは不思議なことではない。
金製ガゼル装飾杯 前1000年頃 金 高20.0径13.7㎝重229.0g ギーラーン州マールリーク出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、胴部にガゼルの生涯を4段構成で表した金杯。最下段から、母ガゼルの乳房にすがる子ガゼル、立ち上がって生命の樹をはむ若ガゼル、ガゼルの敵である猪、猛禽についばまれるガゼルの死体、と4つの情景が浮彫と繊細な線刻で表現される。マールリーク遺跡からは15点にのぼる金杯が出土しているが、本作は当時の死生観や精神性をうかがうことのできる点で貴重であるという。
高杯 ギーラーン出土 金製 前1千年紀前半 高8.9㎝ 中近東文化センター蔵
『古代イラン秘宝展』は、主なモチーフとなっている組み紐文は古代オリエントで頻繁に使用された文様であり、マルリーク出土品にも類例が見られる。ただ、組み紐文のみが主要なモチーフとされているものは存在しない。また脚部を有する小金杯は比較的珍しいという。

かなり以前に組紐文についてまとめた時に取り上げた作品。

耳飾り:前1千年紀 装身具:前7世紀-紀元前後 金 出土地不明 中近東文化センター蔵
金冠は、葉形と壺形に切ったものを帯に取り付けてある。
これまで見てきた歩揺冠(1世紀第2四半期 ティリヤ・テペ6号墓出土)とも異なるし、アレクサンドロス大王の父フィリポス2世が被っていたかも知れないマケドニアの花冠(前4世紀後半 ヴェルギナ第2墳墓出土)とも違う。この地の独自の文化の賜物かも。

首飾り 前1千年紀 金 重45.0g キャルラーズ出土 イラン国立博物館蔵
『ペルシャ文明展図録』は、円筒形56珠、卍形3珠、球形31珠のビーズを綴った首飾り。ギーラーンでは金製品の出土が数多く報告されるという。
薄板に打ち出しで粒状の列を作った円筒形の珠、そして粒金で菱形文や輪郭を象った卍形の珠という、細密な技法を駆使した装身具である。
残念だが、実物は同館見学時には展示されていなかった。
首飾り 前1千年紀 瑪瑙、ガラス ネスフィ出土 イラン国立博物館蔵
トルコ石の代替として使われたのはファイアンスではなくガラスだった。結び目近くの目玉が目立つ。
緑色のものは透明ガラスのようだ。透明ガラスは、西アジアでは前8世紀中頃たら製作が始まった(『MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録』より)ということで、それ以降の作品だろう。
首飾り 前1千年紀 瑪瑙・ガラス・土製品 ネスフィ出土 イラン国立博物館蔵
途中から2連になり、しかもその間に梯子のような仕切りがある。どう見ても左右対称ではない上に、大きなペンダントトップは施釉の土製品に見える。

    ギーラーン1 コブウシ←

関連項目
新沢千塚出土カットガラス碗は白瑠璃碗のコピー?
正倉院の白瑠璃碗はササンかローマか
黄金のアフガニスタン展2 ティリヤ・テペ6号墓出土の金冠
組紐文の起源はシリア

参考文献
「ギーラーン 緑なすもう一つのイラン」 1998年 中近東文化センター
「ペルシャ文明展 煌めく7000年の至宝 図録」 2006年 朝日新聞社・東映事業推進部
「古代イラン秘宝展-山岳に華開いた金属器文化-」 2002年 岡山市オリエント美術館
「MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録」 2001年 MIHO MUSEUM 

2017/10/31

サーサーン朝 帝王の猪狩り図と鹿狩り図


ターキ・ブスタン大洞はイーワーン式洞窟のファサード、奥壁の上下に高浮彫の図像がある。
詳細についてはこちら
そして、左右側壁下半分には国王の猪狩りと鹿狩りの浮彫がある。

左壁 猪狩り図
『世界美術大全集東洋編16』は、長方形の枠の中に幔幕を巡らし、そこで大がかりな狩りを行う帝王を描写している。この狩りが湿地で行われていることは多数の葦の存在によって明白であるが、ターキ・ブスタンには今も清水が湧き出る泉があるから、その水が潤す遺跡周辺は当時、湿地帯となっていたのであろう。また、周辺には狩り場の囲みを想起せしめる土塁の跡がある。それゆえ、この狩りはこの地域で行われた蓋然性が高いという。
斜めから部分的にしか写せていないが、象に乗って猪を追う者たち、舟に乗る者もいて、追い詰められた猪の群れが逃げ惑う場面が、壁面を覆い尽くしている。
全体図
弓矢を構える国王は、現状では雨水の浸入で白く変色した部分に辺り、見ていても判別できなかった。だから洞窟内で撮影された『世界美術大全集東洋編16』の図版は非常に助かる。
同書は、狩りの概要はまず、画面左端のインド象に乗った勢子たちが猪の群れを追い立てることから始まる。多くの猪が重層法(上下遠近法)で描写されている。その猪を帝王たちが待ち構えて射るのである。殺された猪は従者たちが集め、それらをインド象に乗せて幔幕の外に運び出す。そして、その後に宴会が催されたのであろうという。
同書は、画面の中央には小舟に乗った帝王が合弓を引き絞って猪を射殺しようとしているが、すでに殺された獲物が2頭大きく描写されているという。
王の前で斜め下に向かっている大きく表された2頭の猪は、すでに殺されたものだった。
この帝王の向かって右方には同じく小舟に乗り、合弓と矢を持つ王侯が描写されている。その外観は帝王とほぼほぼ同一であるが、円形頭光で荘厳されている点が異なる。これは帝王のフラワシ(霊魂のようなもの)ど、春分の日近くになると天上から降下するといわれる
ので、春の豊饒祈願祭(ファルヴァルディーガーン祭)に帝王と一緒に、農民の敵たる猪を殺害する儀式に参加していることを表していよう。この狩りは帝王の栄光を称えるためのものであるから、狩りは帝王とそのフラワシだけで行われ、他の人々はそれを許されてはいない。楽士が小舟から奏楽し、他の臣下か帝王たちの「偉業」を賛美しているという。
2隻の小舟に乗っているのは竪琴を引いている楽士たち。

帝王猪狩り図 7世紀 ストゥッコ 84X142㎝ チャハル・タルカーン・エシュカバード出土 フィラデルフィア美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16』は、テヘランの南ライからほぼ30㎞の地点には先史以来イスラーム時代に至る遺跡が点在しているが、そのなかにササン朝末期の城塞遺跡があり、アメリカの調査団によってその一部が発掘され、宮殿などの壁画を飾っていたストゥッコ装飾が断片ではあるが大量に発見された。ストゥッコはササン朝時代において、テシフォンやキシュの宮殿建築の装飾や塑像の素材として早くから使用されていた。この作品はその一部で、帝王の猪狩りを描写したものである。画面の周囲にはさまざまな植物文や動物文が配されているが、これらはササン朝の美術ですでに用いられていたものである。繰り返しの多い文様はすべて型押しで制作されているという。
同書は、中央の狩猟文はターキ・ブスタン大洞左壁の狩猟図を簡略化したものと考えればよかろう。帝王の名は特定できないが、おそらくホスロー2世などの王冠形式をモデルとしているのであろう。画面上段の連珠文の中の猪頭は軍神ウルスラグナの化身で吉祥、戦勝や大地の豊饒をもたらすと考えられていた。下段の有翼人物胸像はしばしば、ササン朝のスタンプ印章の図柄にも用いられているが、おそらく、同種の牡牛羊文と同じく、若者に変身したウルスラグナ神の化身であろうという。

ターキ・ブスタン大洞右壁
『世界美術大全集東洋編16』は、帝王鹿狩り図は、帝王が秋(秋分の日)に行う公式の行事(ミスラカーナ祭=豊饒感謝祭)を表すという。
なるほど、大きな角の鹿が列をなして疾駆している。
とはいえ、実写では外から斜めに見るしかないので、わかりにくい。やはり『世界美術大全集東洋編16』の図版が頼り。
国王の右の人物群像をはじめ、浮彫がおわっていないものが目につく。完成を見ない内に王朝が滅んでしまったのかも。
最下段の角のない鹿だけが首にリボンを巻いている。そしてこの鹿は枠外にもう一度登場していて、その下の人物は横向きになって立っているが、これは何を表しているのだろう。


サーサーン朝末期ともなると、王を含め人物像はずんぐりとしてしまうみたい。

            →ターキ・ブスタン大洞に見られるシームルグ文

関連項目
ターキブスタン サーサーン朝の王たちの浮彫
銀製皿に動物を狩る王の図
アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成

※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館
現地で買った絵葉書

2016/01/26

タイルの花瓶や釣鐘のようなものは生命の樹


ヒヴァで宮殿や墓廟、メドレセそしてモスクの絵付けタイルを見て歩いた。最後にイスラム・ホジャのメドレセのファサードで、イーワーンの半ドームのタイルを見ていて、花瓶かと思っていた形が、生命の樹に思えてきた。

イスラム・ホジャのメドレセ ファサード 1908-10年創建
取り敢えず、花瓶型と呼ぶことにする。

ヒヴァのメドレセでは、このようなイーワーンがよく見られた。

モハメド・ラヒム・ハンのメドレセ ファサード 1871年創建
生命の樹というよりは、どちらかというと、瓢箪のよう。

モハメド・アミン・ハンのメドレセ ファサード 1845-55年創建
『旅行人ノート⑥』は、1851-55年にかけてムハンマド・アミン・ハーンの命により建設された。当時は町でも最大のマドラサという。
同じく瓢箪型。

アラクリ・ハンのメドレセ ファサード 1834-35年創建
『旅行人ノート⑥』は、ヒヴァでは第2の規模を持つ。これといった特徴はなく、オーソドックスな造りという。
こちらは花瓶型樹に近い。

タシュ・ハウリ宮殿の妃の間4 天井に近い文様帯 1825-42年
柱礎のような形なのに、アイワンの3壁上部にこの形が並んでいて不思議な気がした。柱礎ではなかったのだった。しかし、こういう形について、どの本にも名称がないので、仮に釣鐘型とする。
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi3NMIgqZFSJMgG0Wv6V6R28-mOzYN_u57Dieol56e2mH5GMb-DnBrJ25eWxuWOiLVp4fWRhYHgMG22DMgbIp32A2eSDZaZrnC9XoAMWXi22OcO9buwuuISolgYgGd9xdR0MBRw/s1600/P5070901.jpg">
クニャ・アルクのモスク "腰壁 1825-42年
釣鐘型に括れがある。

クニャ・アルク、モスクのタイル2 腰壁
下すぼまりで蓮弁にも見える。

パフラヴァン・マフムド廟ハナカ ドーム 1810年建立
先が尖っているが花瓶型としよう。
非常に細かく左右対称に渦巻く蔓草文が描かれている。

クニャ・アルク謁見の間 腰壁 1804年再建
渦巻が大きく、それが犬の顔を表しているように見えてしかたがない。
下1/3は古く、それに修復タイルの絵を合わせている。括れのある釣鐘型かな。

このような形は他の街のモスクや墓廟の装飾に使われていた。

シルドル・メドレセ ファサードイーワーン頂部 サマルカンド 1636年
幅広のもの、細いもの、括れのあるものなどに左右対称の植物文が入る。
ヒヴァのものほど細かくはない、というよりも単純に、モザイク・タイルで蔓草を表している。

コク・グンバズ・モスク シャフリサブス 1434-1435年
括れのある釣鐘型。
ミフラーブの両側に描かれたフレスコ画。シルドル・メドレセのものよりも文様は細かい。

アミール・ザーデ廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 1386年
括れのある釣鐘型。
ハフト・ランギーとも思えない。

トマン・アガ廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 1405-06年
これは何型?
下部に壺が置かれ、そこから左右対称に生命力を感じる植物が表される。蔓草と言えるのかどうか。渦は巻いていない。様々な種類の花が描かれている。壺や水盤から植物が伸びる様子を描いたものは、テッサロニキのアヒロピイトス聖堂でも見られた。

シリング・ベク・アガ廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 1385-86年
括れのある釣鐘型。
小さな鉢から左右対称に蔓草が伸びているが、渦は巻かない。

シャディ・ムルク・アガ廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 1372年
括れのある釣鐘型。
断面で表された水盤から、左右対称に植物文が表される。その隙間は小さな葉が埋めている。
 
クトゥルグ・アガ廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 1360-61年
括れのある釣鐘型。
壺や水盤は見られず、コバルトブルーの蔓が左右対称に伸びる。上方には渦巻も見られる。

ウスト・アリ・ネセフィ廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 1360-70年
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、何といっても注目せねばならないのは、ハフト・ランギー技法の出現で、先のサファヴィー朝技法の先駆けとなった。その初例は管見の限りシャーヒ・ズィンダーに見受けられるという。
『世界のタイル・日本のタイル』は、鮮やかな色彩を用いた明快な文様が特徴のクエルダ・セカは、油性の顔料で輪郭を描いたのち、各面を色釉で塗りつぶして焼成したものである。顔料は燃えてしまうため、輪郭線が色釉の部分よりも凹んだ状態で残るという。
ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例で、括れのある釣鐘型。
色とりどりの、複数の花が、左右対称に表される。壺や水盤はない。

ホジャ・アフマド廟ファサード サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群 14世紀半ば
括れのある釣鐘型。
左右対称に伸びる空色の蔓草は、上方で一度渦を巻く。壺も水盤もない。

ヒヴァの花瓶型や釣鐘型のものは、輪郭が重要なのではなく、その中に生命力あふれる植物を表したものだった。これは生命の樹といって良いのでは。



関連項目
ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例はウスト・アリ・ネセフィ廟
ハフト・ランギーの起源は浮彫タイル
テッサロニキ7 パナギア・アヒロピイトス聖堂2 モザイク1

※参考文献
「ウズベキスタンの歴史的な建造物」 A.V.アラポフ 2006年 SANAT
「UZBEKISTAN The Great Silk Road TOURIST MAP」 Cartographia 2009年
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「砂漠にもえたつ色彩展図録」 2003年 岡山市立オリエント美術館
「世界のタイル・日本のタイル」 世界のタイル博物館編 2000年 INAX出版