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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2024/07/26

ムスリムの墓廟にある棺


久しぶりにムスリムの墓廟を巡ってきた。

これまでに、ムスリムの墓廟は幾つか見学してきた。そして、ムスリムの墓廟は地上に礼拝するための棺、地下の同じ場所に遺体を納めた棺を置くものと思っていた。

 
『トルコ・イスラム建築』は、サーマーン廟にもカーブス墓塔にも地下室はないが、アナドルのキュンベットの大半には地下室がある。地下室を納棺室、1階を礼拝室として使用するが、埋葬者が多数になると1階も納棺室として使用された。地下室がない場合は、1階が納棺室と礼拝室を兼ねているという。

ブハラのサーマーン廟(923-43)は内部に墓があるが、新しく設置されたものだという。
地下に埋葬されてはいないのだろうか。


エルズルム ウチュ・キュンベット
『トルコ・イスラム建築』は、トゥンジェリは、サルトゥク朝のイッゼディン・サルトゥクのために、1190年頃建てられたと推論している。
北の側面にある入口を入ると0.8ほど高い1階の床面と、1.8mほど地下の地下室に下りる階段がある。1階の天井は球形のドーム、地下室の天井はヴォールト構造であるという。
地下室は遺体を埋葬しているからだろう。


前回にスルタンアフメット廟を見学した時に、「中に入ると緑色の布とターバンのような白い飾りを載せた柩が大小隙間のないほど置かれている。イスラームでは遺体は土葬ということになっているので、実際は地下に、この位置のまま埋葬されている」と記している。
『イスタンブール歴史散歩』は、ブルー・モスクは、7年がかりで1616年に完成した。このモスクの建立に熱心だったスルタンはしきりと工事を急がせたというが、完成の翌年、27歳の若さで他界した。
廟内には緑の布で蔽われた巨大なアフメットⅠ世の柩を中心に、皇妃のキュセム・スルタンや、3人の息子、オスマンⅡ世、ムラトⅣ世、バヤジット皇子らの柩が30数基ずらりと並んで、墓とは思えない賑やかさであるという。
奥がキブラ(マッカの方向)になっていてミフラーブがアーチの奥に造られている。モスクで祈るためだけでなく、頭もマッカの方向を向ける。


イスタンブール滞在の旅の後にオスマントルコ三都の旅に参加した。その時の現地ガイドギュンドアン氏は、ムスリムの墓と埋葬について「イスラームでは、人は土から生まれて土に還るので、建物の中の棺には何も入っていません」と言っていた。
やはり私が思っていたことは正しかったのだ。


ところで、『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN』にはスレイマン大帝(1566年没)を埋葬した時の細密画が記載されていた。

スレイマンの葬儀 『スルタンスレイマンの生涯』より(1580) 細密画家ナッカシュ・オスマン作
二つの墓廟の左側で、天幕を張って地面を掘っている。その下ではスレイマンの棺が担がれてきた。
オスマン画スレイマンの葬儀の細密画 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より

スレイマニエジャーミイでは墓廟も見学してきたが、ヒュッレム(1558年没)の墓廟とスレイマン(1566年没)の墓廟の二つしかなかった。この場面では、スレイマンが埋葬される穴と、その後建造される墓廟とを異時同図で描いているのだろう。

そしてまた、この絵であらたな発見! 廟の入口にはモスクランプが吊られているではないか。
オスマン画スレイマンの葬儀の細密画 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN より


ソコルルメフメトパシャ 1568-69年 細密画部分 ナッカシュ・オスマン画
スレイマン一世の死を悼む大宰相が描かれている。ソコルルメフメトパシャは、スレイマン、セリム二世、ムラト三世の三代の皇帝の大宰相を務めた。最終的には暗殺された。
『ISLAMIC ART』は、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝と同等とみなされていた大宰相ソコルルメフメトパシャの死は、停滞期(1579-1699)の始まりとなったというほどの人物だった。
トプカプ宮殿図書館蔵 ナッカシュ・オマン画 細密画部分 望遠郷より



このランプは金属製のようだが、チニリキョスク(イスタンブール考古学博物館の一つ)に展示されていたモスクランプは陶器製だった。

モスクランプ 1485-1505 高27.2㎝口径19.4㎝胴径18.3㎝ イズニク
これを見て思ったのは、こんなもので照明になったのだろうかということだった。実際にモスクでは小さなガラスの器しかみたことがなかったし。
『トルコの陶芸 チニリキョスクより』は、オスマントルコ初期の陶磁器ランプの形は、14、15世紀シリア、エジプトのマムルーク朝のガラスランプを手本としている。モスクや廟などで使われたものだが、このような宗教的な建物はほとんど石やレンガの耐火建築なので、たくさんのモスクランプが今日まで残されたのだった。
長い鎖で天井から吊り下げられたモスクランプは、照明器具としての実用性よりも、象徴としての意味が大きい。
コーランの24章34節・・・アラーこそ天と地の光。その光はミヒラプのランプのごとく・・・にそのヒントがあるという。 
陶器のモスクランプは特別なものだったのだ。


ついでにソコルルメフメトパシャジャーミイのものを

モスクランプ 1570頃 高47.5 口径28 胴径31 底径17㎝ イズニク
同館図録は、洋梨形の胴部と、上に広がった頸部は別々に作ってからつないだもの。白地に多彩色の絵を付けてから透明釉をかけてある。
トルコブルーの地のメダリオンの中央に小さな八弁の花を置き、その周りに黒のルーミが見える。この浮き出しのメダリオンは三つ葉のモチーフに囲まれ、同じものが頸の接合部の細いトルコブルーの帯の下にも使われている。
ランプは大宰相ソコルルメフメットパシャのために、高名な建築家シナンが建てたモスク(1571-72)の落成式の贈物として作られたものであるという。
モスクランプは贈答用などにも造られた。


また『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、この細密画の左隅にあるメジャー棒を持っている人物はスィナンであると考えられているという。
オスマン画スレイマンの葬儀の細密画 ミマールスィナン像 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

ギュンドアン氏の言葉も記憶に残したいが、このような細密画が残っていると、当時のさまざまなことがわかる。




関連記事
スルタンアフメット廟1 8つのペンデンティブ

参考文献
「トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士書房インターナショナル
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「トルコの陶芸 チニリキョスクより」 1991年 イスタンブール考古学博物館
「ISLAMIC ART THE MUSEUM OF TURKISH AND ISLAMIC ARTS」 ANATOLIAN CULTURAL ENTREPRENEURSHIP 2019
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版

2018/03/13

イランに残るレンガ建築


イランでは多くのレンガ建築を見学した。タブリーズのアゼルバイジャン博物館で『IRAN THE ANCIENT LAND』という巨大な本を見つけた。重くてスーツケースの重量に響くとは思ったが、思い切って買ったのは、そこには今まで知らなかったレンガや石材で造られた建造物が沢山載っているからだった。ただ残念なのは、その建立時期他の詳しい説明がないことだ。

水車場? 時代不明 ラザヴィー・ホラサーン州ホスローヴジェルド
焼成レンガで幾何学文様を描いていて、古そうなミナレットに見える。モスクが崩壊してミナレットだけが残り、水車場に転用されたのでは?

ゴンバデ・カーブース ズィーヤール朝(1006年) 高72m ゴレスターン州(カスピ海東部)の同名の町
世界遺産オンラインガイドは、ゴンバデ・カーブースは、焼きレンガで製作されていますが、世界で最も高い完全レンガ造りの塔として、知られています。ちなみに高さは、土台部分の高さを含めると約72mもあります。
この塔があるのは、ズィヤール朝の首都、ジョルジャーンの古代都市の北方3kmにあたります。土台部分には、碑文から、1006年、当時の君主であったカーブース・ブン・ワシュムギールの命により建造されたことがわかります。
塔の形は、土台部分は、十角形、先端部分が円錐形とユニークな形になっています。内部の装飾は、ムカルナス様式の初期のものとされています。設計には、黄金比Φの近似値である1.618の比率も用いられているのだそうで、高い水準の土木技術があったことがわかります
という。

『イスラーム建築の世界史』は、そびえる建築-墓塔の中で、1006年建設のゴンバディ・カーブースは、時代の画期を象徴する塔状の高い墓建築(墓塔)で、以後中央アジアからアナトリアにかけてたくさんの墓塔が建設される。
高さ55mにも達する塔で、円錐状の屋根を戴く。塔身の部分を垂直に走る鰭状のフリンジが分節し、塔身の下部と上部だけにインスクリプション(銘文)が入り、シンプルで現代的造形に近いという。
同書は、室内は円形だが、外側に10本のフリンジを設けているため、壁面は十点星となる。
ゴンバディ・カーブース以後の墓塔の建設は、トルコ系遊牧民王朝の広がりと重なる。墓塔の誕生と浸透には、トルコ系遊牧民が故地において多神教を奉じた時のトーテム・ポールのような柱への信仰、あるいは彼らが住んでいたテントの造形が影響を及ぼしたともいわれる。十点星のフリンジは、太陽や彗星の光芒を象徴したとされる。武力を重んじるダイラム人、ゾロアスター教に根ざす太陽信仰、トルコ王家から嫁いだ妻など、いろいろな要因が重なって、この塔の造形が選ばれたと推察されるという。

チェヘル・ドゥフタラン塔とジャファール聖人廟 セルジューク朝(11世紀) セムナーン州ダムガーン
コトバンクのピール・イ・アーラムダールの解説(『世界大百科事典第2版』(平凡社)の抜粋)は、後代に再建されたマスジド・イ・ジャーミーはイラン最古のミナレット(1006)を擁する。また,近郊にはセルジューク朝の円筒形墓塔ピール・イ・アーラムダール(1026)とチヒール・ドゥフタラーン(1054-55)があるという。
こちらがチェヘル・ドゥフタラン塔
焼成レンガを嵌め込んだアラビア文字の銘文や幾何学文様の装飾がある。

円塔 イルハーン朝? セムナーン州シャールード(エマームルード)近郊メフマンドウスト
網籠のようなレンガ積みの円塔の上部に、レンガの小片だけで幾何学文様やアラビア文字の銘文を構成している。ダムガーンの墓塔よりも以前に建造されたものかも。

ゴンバデ・アラヴィヤーン セルジューク朝(1038-1308年) ハマダーン州(イラン北西部)ハマダーン
アラヴィー家の墓廟。
レンガ積みで表面に浮彫漆喰で幾何学文様などの装飾を施している。

トゥグリル・ベク廟 セルジューク朝(在位1038-63年) テヘラン近郊レイ
『イスラーム建築の世界史』は、煉瓦造で20前後で縦条(フリンジ)で分節されるという。
すっきりとした円筒の上部には簡素なムカルナスの装飾がつく。

ハラカン(Kharaqan)の墓廟群 セルジューク朝(1067・1093年) カズウィーン近郊
レンガの小片を組み合わせた幾何学文様などの装飾が廟の表面を覆う。どちらも二重殻ドームの外側が崩落し、内側のドームが見えているのだろう。
大きい方の廟 高15径4m 
8面で角に付け柱があるが、円柱とドームはどのように繋がっていたのだろう。
レンガで作った幾何学文様が剥がれているのは惜しまれるが、レンガ積みが見えるという利点もある。
トルクメニスタンのメルヴにあったムハンマド・イブン・ザイド廟(12世紀)内部のレンガ装飾に似ているような。

赤いドーム 11世紀 東アーザルバーイジャーン州(イラン北西部)マラーゲ
PARS TODAYの化粧タイルは、ターコイズブルーのレンガの上に書かれた最も古いクーフィック体の例は、イランの考古学博物館に収蔵されており、11世紀のものです。その中にターコイズブルーのタイルが使用された古い宗教的な建物には、イスファハーンのセイイェドモスク、マラーゲの赤いドーム、ゴナーバードのジャーメモスクがありますという。
正方形から八角形に移行しているが、ドームは見えない。四隅のムカルナスが見える建物としてはヤズドのダヴァズター・イマーム廟(1037年)と共通するが、こちらは付け柱が巡ったり、空色タイルが嵌め込まれたりと装飾性の高い墓廟である。

フラグの母の廟 イルハーン朝(13世紀) マラーゲ
焼成レンガと空色タイルの組み合わせのように見えるが、薄過ぎるので浮彫漆喰かも。
石材で建て、焼成レンガと空色タイルで装飾している。

金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ) 13世紀後半 西アーザルバーイジャーン州オルーミーイェ
下部は石材、上部は焼成レンガ。この造りからすると、表面には浮彫漆喰かタイルで装飾されていたのだろう。
入口イーワーン
タイル装飾も残っている。
ミフラーブには透彫の漆喰装飾(1277年)があるのだが、この図版からは想像できない。

マスジェデ・ジャーメ 1307-08年 ナタンズ
後方は八角形平面のシェイフ・アブドルサマド廟で、大きな八角錐の屋根が載る。
その手前に見えているのが金曜モスク。空色タイルが嵌め込まれたミナレットは1本。

ジャバリエ・ドーム 時代不明(14世紀?) ケルマーン州(イラン南東部)ケルマーン
『ペルシア湾北岸遺跡と採集陶磁器』は、ゴンバディ・ジャバリエ。墓か、ゾロアスター教の建物か不明。平面8角形の石製建築で、天井はドーム建築。内部には何もないという。
切石積みではなく、小さな石を積み上げている。
八角形の墓廟としては、スルタニーエのオルジェイトゥ廟(ゴンバデ・スルタニエ、1313年完成)があり、似ている。ジャバリエ・ドームは八角形の各角が面取りされている分、時代が下がるように感じる。

ハムドッラー・モストウフィー廟 14世紀 カズウィーン州(イラン北西部)カズウィーン
Wikipediaは、イルハン朝の歴史家、著述家(1281-1344)。「撰史」(ターリーヘ・ゴズィーデ)、「ネズハトルゴルーブ」、「ザファル・ナーメ」などがある。廟は青緑色の円錐ドームをもち、銘はスルス体でモストウフィー家の家系と作品が記されており、ガズヴィーンの建築の中でもひときわ目立つという。
円錐形の屋根はクニャ・ウルゲンチのスルタン・テケシュ廟(1200年没)に似ている。

エステルとモルデカイの廟 時代不明(14世紀?) ハマダーン
Wikipediaは、ペルシア王にユダヤ人のエステルと称する王妃と、モルデカイという宰相がいたことは、史実にもとる、とされている。
ユダヤ教の後の解釈では、モルデカイとエステルは夫婦ということになっている。2人の墓とされるものが、イランのハマダン(エクバタナ)にある。ここも重要なユダヤ人コミュニティーの1つだった
という。

極端な二重殻ドームで空色タイルのシンプルな文様が嵌め込まれる。建物の角には付け柱が付く。

シェイフ・ジェブライル廟 14世紀 アルダビール州(イラン北西部)アルダビール
シェイフ・ジェブライルについて『IRAN THE ANCIENT LAND』は、シェイフ・サフィー・ユッディーンの父という。
二重殻ドームで、その形がイスファハーンのスルタン・バフト・アガー廟(1356年)に似ているので、14世紀の建物とした。
所々に素朴な空色タイルが嵌め込まれている。

シャイフ・ハイダール廟 時代不明 アルダビール州メシュキン・シャフル
円形の墓廟
入口付近にはモザイクタイルの装飾が残っているが、上部の絵付けタイルの帯は修復によるものかも。

金曜モスク(マスジェデ・ジャーメ) 14世紀? セムナーン州バスターム
外観は不明。
内部は美しい浮彫漆喰で覆われる。
ミフラーブ
ミフラーブの上部
2種類のアラビア文字の銘文と植物文様の組み合わせ。
ミフラーブの壁龕
尖頭アーチ内の浮彫漆喰は、イスファハーンのマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)西翼小礼拝室にあるオルジェイトゥのミフラーブ(イルハーン朝、1310年)の装飾をもう少し平面的にしたよう。ちょっと時代が下がるのかも。
以前のオルジェイトゥ廟のタイル装飾を受け継いだ廟という記事で、同じバスタームで近隣に建立されたシェイフ・バヤズィド廟(1313年)のタイル装飾について記したが、それとよく似た空色タイルと浮彫タイルの組み合わせが、この金曜モスクのどこかに残っているらしい。
ということは、同じタイル職人が金曜モスクの装飾も手がけたとみられるので、14世紀前半の建立なのだろう。

カスハーネ(カシャーネ?Kashaneh)塔 イルハーン朝(1256-1335年) バスターム
Google Earthで見ると、バスタームの金曜モスクの傍に立っている。
20を越えそうなフリンジの上部には焼成レンガと空色タイルによる装飾がある。

金曜モスク イルハーン朝(14世紀) ファルマード
浮彫漆喰によるアラビア文字の銘文が尖頭アーチの枠を装飾し、薄いアーチ内の壁面には、組紐で区切られた幾何学形の区画の中に植物文様の漆喰が嵌め込まれている。
スルタニーエのオルジェイトゥ廟(1307-13年)の2階の天井では、もっと幅の広い組紐の中にさまざまな植物文様(イスリーミー)の浮彫漆喰の埋め木が嵌め込まれている。オルジェイトゥ廟で天井のそれぞれに趣向を凝らした装飾を見上げた時は、唯一無二のものだと思ったが、それは、このように受け継がれていたのだった。

リバート(イスラーム神秘主義の施設)時代不明 ホラサーン州サング・バスト

以降は省略。ずっと時代は下がって、

太陽の城 アフシャール朝(1736-96年) ラザヴィー・ホラーサーン州マシャド
アフシャール朝の首都だったマシャド(マシュハド)にあるという石造の建物。
沢山のフリンジのあるバスタームのカスハーネ塔などの塔を模したような短い円塔が、おそらく八角形の建物の中央から出ている。

アヴィセンナ廟 1954年 ハマダーン
まるで、ゴンバデ・カーブース(1006年)のフリンジと円錐ドームだけを残して内部が見えるように造られたような建物で面白いのでここにあげた。



関連項目
マスジェデ・ジャーメ オルジェイトゥのミフラーブ
スルタニーエのオルジェイトゥ廟(ゴンバデ・スルタニエ)
オルジェイトゥ廟の漆喰装飾3 華麗なるドーミカル・ヴォールト
クニャ・ウルゲンチ3 スルタン・テケシュ廟
ムハンマド・イブン・ザイド廟の焼成レンガ装飾
オルジェイトゥ廟のタイル装飾を受け継いだ廟

参考サイト
「ペルシア湾北岸遺跡と採集陶磁器」 金沢大学考古学紀要26 2002,27-47. 佐々木花江・佐々木達夫
世界遺産オンラインガイドのゴンバデ・カーブース
PARS TODAYの化粧タイル
コトバンクのピール・イ・アーラムダールの解説(『世界大百科事典第2版』(平凡社)の抜粋)

参考文献
「IRAN THE ANCIENT LAND」 ペルシア語のため出版社他は不明
「岩波セミナーブックスS11 イスラーム建築の世界史」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「イスラーム建築の見かた」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版

2018/03/06

ラスター・ステイン装飾ガラス1


ラスター彩の起源はガラスだった。
『世界史リブレット76イスラームの美術工芸』は、後期ローマ・ガラスとサーサーン・ガラスの伝統を引き継いだイスラーム・ガラスであるが、8世紀後半ころから新しい発展が始まった。その最初を飾るのが、ラスター・ステイン装飾ガラスである。イスラーム・ガラスのなかでも一際目を引くラスター装飾は、陶器に先駆けてガラスにほどこされた。ラスター彩とは、金属化合物の顔料で彩画した装飾のことであるが、ガラスでは、陶器と異なり、顔料がガラスのなかに染み込んだステインと呼ばれる状態になるので、ラスター彩ではなく、ラスター・ステインと呼ぶ。
ラスター・ステイン装飾ガラスのもっとも古い例の一つは、カイロのイスラーム芸術博物館にある碗で、アラビア文字で「ミスルのフィヤラ工房で163年製作」と書かれている。エジプトでミスルとはフスタートのことを指し、コプト数字で記された(ヒジュラ暦)163年は、西暦になおすと779年であり、これは、製造地と製造年を示す貴重な史料であるという。

ラスター・ステイン装飾ガラス碗 アッバース朝、8世紀 高13.5径9.5㎝ 制作地エジプト カイロ、イスラーム美術館蔵
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、このガラス碗の主要文様は、胴部のパルメット文であるが、小葉が深くくびれているなどイスラーム以前の古典的なパルメット文の形態を強くとどめている。銘文の下の帯文にも、古典的な蔓草文が見られる。見込みの部分の花文は、金属器の凹凸のある花形見込みを写したものと考えられるという。
一色に濃淡があり、深みのある文様となっている。
ラスター・ステイン装飾ガラスはこれ一点しか知らなかったが、先日掘り出した『カリフの宝物展図録』に3点載っていた。

ラスター・ステイン装飾ガラス碗 8-9世紀 ニューヨーク、コーニングガラス博物館蔵
『イスラームの美術工芸』は、このあと、ラスター・ステインの技法は、9世紀にイラクに伝わり、多彩ラスターを生み、さらに、陶器にも応用され、イスラーム陶器でもっとも華やかなラスター彩陶器を登場させたという。

ラスター彩陶器出現直前のラスター・ステイン装飾ガラスかも。
ナツメヤシの葉を表したような横線の多い縦線がジグザグに配し、その間の三角の空間には葡萄の房と思われる文様が描かれる。
線は濃い色で、葡萄の粒は薄い色で表され、2色の顔料が使われている。

ラスター・ステイン装飾ガラスリュトン 9-10世紀 ニューヨークコーニングガラス博物館蔵
すでにラスター彩陶器が作られるようになっても、ガラス器も作られていたようだ。
口縁部と把手は薄い黄色のガラスが使われ、白の器体にラスター・ステインで植物文様らしきものが描かれている。ぼんやりした文様に見えるが、細い線はしっかりと描かれている。
テヘランのガラス陶器博物館に展示されていたゴルガーン出土のラスター彩容器(10-13世紀)の文様に似ている。

ラスター・ステイン装飾ガラス碗 11世紀 ベルリン美術館内イスラーム美術館蔵
形もゆがみ、文様も粗雑になってしまった。ラスター彩陶器の方が高級感があるので、ガラスの方には力が注がれなくなっていったことを示すような作品だ。ラスター・ステインが使われた最後期のガラス器かも。


      ファーティマ朝のラスター彩陶器← →ラスター・ステイン装飾ガラス2

関連項目
イランガラス陶器博物館でラスター彩の制作年代を遡ると

参考文献
「Schätze der Kalifen Islamische Kunst zur Fatimidenzeit(カリフの宝物 ファーティマ朝のイスラーム芸術)展図録」 1999年 ウイーン美術史美術館
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「世界史リブレット76  イスラームの美術工芸」 真道洋子 2000年 山川出版

2018/03/02

ファーティマ朝のラスター彩陶器


初期ラスター彩をまとめ終えて、イランやイスラーム美術関連の書物を本棚に戻していた時、黒い背表紙の『Schätze der Kalifen Islamische Kunst zur Fatimidenzeit』という図録に気付いた。
両親がウイーン美術史美術館で見つけて買ってきてくれたもので、当時イスラーム美術に惹かれていた私にはありがたいものだったが、タイトルが『カリフの宝物 ファーティマ朝のイスラーム芸術』いうことくらいは分かっても、文が総てドイツ語で書かれているため、なので全く読めずに図版を見るだけに終わっていたものだった。
それを20年近くたって開いてみると、ラスター彩陶器がたくさん載っているので、その中から、古い時期で、面白い図柄のものを少し取り上げてみた。

『世界史リブレット76イスラームの美術工芸』は、イスラーム・ガラスのなかでも一際目を引くラスター装飾は、陶器に先駆けてガラスにほどこされた。
このあと、ラスター・ステインの技法は、9世紀にイラクに伝わり、多彩ラスターを生み、さらに、陶器にも応用され、イスラーム陶器でもっとも華やかなラスター彩陶器を登場させたという。
『世界美術大全集東洋編17』は、ラスター彩陶器は、9世紀頃からイラクやエジプトで制作され始めた。鉛釉に酸化錫を加えて造られた錫白釉の技法が確立したことによって、ラスター彩の技法も発展した。ラスター彩は、白釉陶器の上に、銀や銅の酸化物あるいは硫化物で絵付けをして、再度低火度の還元炎で焼成する彩画技法で、表面に金属的な光沢をもった被膜ができることによって、金属的な輝きを発する。金属的な発色は黄色に近い金色から、銅褐色の茶色までさまざまである。また初期ラスター彩には金、黄、茶などの複数のラスター彩が一緒に用いられた多色ラスター彩と、金または銅褐色1色を用いた単色ラスター彩があるという。
おそらくアッバース朝が衰えて、分立したファーティマ朝がラスター彩の陶工たちを首都カイロに呼び寄せて、エジプトでラスター彩陶器の制作を再開したのだろう。

ラスター彩陶器 10世紀 高8.8径28.2㎝ エジプト、アル・バフナサ制作 カイロ、イスラーム美術館蔵
船が見込みいっぱいに描かれている。漕ぐたくさんの櫂が船の下に出て、泳ぐ魚が上から見た構図で描かれている。

ラスター彩陶器 10世紀 高7.8径23.5㎝ エジプト制作 クウェート国立博物館蔵アル・サバーフコレクション
画面を三分割しているのはクーフィー体の同じ文で、その間に描かれているのは蕾だろうか。中心に三つ葉状のものがあるので、そこから伸びた植物を表しているのだろう。

ラスター彩キリン文皿 10世紀末-11世紀初 径24㎝ エジプト制作 アテネ、ベナキ美術館蔵
キリンは綱で繋がれ、綱を引く人も描かれているが、ラクダや馬のように荷役に適していると思えない。珍しい動物として飼われていたのだろう。その背後に樹木が描かれているのは、キリンが木よりも高いことを表しているのかな。 

ラスター彩皿 11世紀初 高6.5径21㎝ 
「ムスリム イブン アル・ダッハーン」の銘がこの文字のどこかにあるらしい。 
平面に描かれているのでメビウスの輪のように裏返っては見えないが、上下に交差して一筆書きの5点星のような帯を作っている。その中にはほぼ正五角形ができている。イスラームらしい文様である。

ラスター彩グリフィン文皿 11世紀 高6.8径29㎝ エジプト制作 カイロ、イスラーム美術館蔵
同じく「ムスリム イブン アル・ダッハーン」という陶工の署名があるというが、文字はグリフィンの前に書かれているだけなので、分かり易い。
グリフィンは鳥頭ライオン身で、嘴から何かが出ている。
くっきりとした発色と丁寧な描き方で、ガラス陶器博物館にあったニーシャープール出土のラスター彩鉢(10世紀)を思わせる。

ラスター彩陶皿断片 11世紀  径28㎝ エジプト制作 アテネ、ベナキ美術館蔵
口縁部には蔓草の巻きヒゲの中に、鳥が一羽ずつ、留まったり、啄んだりとそれぞれ異なる動きを見せる鳥が描かれて楽しい。見込みには細い区画に明確ではないさまざまな文様が置かれているらしい。

ラスター彩人面鳥文皿 11世紀 高7.5径27.2㎝ エジプト制作 カイロ、イスラーム美術館蔵
仏教の迦陵頻伽とは全然違う人面の鳥が、尾を交差させて振り向いている。何故しかめっ面をしているのだろう。その間から伸びているのはやっぱり生命の樹かな。

ラスター彩皿 11世紀 高6.3径20.5㎝ エジプト制作 クウェート国立博物館蔵アル・サバーフコレクション
4枚の蓮弁を中央に十字形ができるように配置して描かれている。蓮弁の葉脈は縦に通らず、小さな蓮弁を幾つか描き込んだように感じる。

ラスター彩陶器断片 11-12世紀 高7.2幅11.3㎝ エジプト制作 カイロ、イスラーム美術館蔵
エジプトでは古くに分離したキリスト教の一派、コプト教徒が暮らしているので、明らかにキリストとわかる正面向きの人物像が描かれたラスター彩陶器も作られたようだ。

6点星文のラスター彩皿 12世紀 高7径28㎝ エジプト制作 カイロ、イスラーム美術館蔵
見込みには6点星の中に鳥と蔓草が描かれる。幅広の口縁部には、アラビア文字と蔓草が丁寧に描かれている。コーランの章句だろうか。


ファーティマ朝(909-1171)が衰えた後、12世紀後半からラスター彩陶器の制作が始まるのがペルシアのセルジューク朝なのだった。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、カーシャーンの陶工一族の祖先は、ラスター彩技法を独占してイスラーム地域内を移住していた陶工たちであったと考えられ、彼らは12世紀の70年代頃、ファーティマ朝エジプトからカーシャーンに至ったらしい。その移住の原因の一つにファーティマ朝末期の政治不安があったようであるという。
また、『世界美術大全集東洋編17』は、西方イスラーム世界のスペインでは、13世紀初期からマラガで焼かれたとされている。確証はないが、ナスル朝におけるラスター彩陶器の起源は、おそらくファーティマ朝が1171年に滅亡した後に、移住してきたエジプトの陶工にあると考えられるということで、14世紀初期のアルハンブラの壺の図版をあげている。
ラスター彩の陶工には、エジプトから東に向かってペルシアに至った者たちと、西に向かってスペインに至った者たちの2つの集団があったのだ。


初期のラスター彩陶器はアッバース朝とファーティマ朝←
                     →ラスター・ステイン装飾ガラス

関連項目
イランガラス陶器博物館でラスター彩の制作年代を遡ると
日本の迦陵頻伽

参考文献
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 1999年 小学館
「世界史リブレット76  イスラームの美術工芸」 真道洋子 2000年 山川出版
「Schätze der Kalifen Islamische Kunst zur Fatimidenzeit(カリフの宝物 ファーティマ朝のイスラーム芸術)展図録」 1999年 ウイーン美術史美術館