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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/05/26

ローマ時代 円形劇場


アイザノイの円形劇場はローマ時代に造られたとされているが、ギリシア時代の劇場のように観客席は斜面を利用して造られている。

オルケストラはほぼ円形のようで、観客席は180°以上になっている。 説明パネルより


ローマ時代の円形劇場 『イラスト資料 世界の建築』より
『イラスト資料 世界の建築』は、演奏場は半円形の大きさに縮小し唱歌隊の使用を廃して貴賓席となり、現代劇場の特別席に相当した。踊るためには使用されなかった。その結果、舞堂はますます重要となり、観覧者の注意はここに集中したという。
❶テアトロン(観客席) ❷ディアゾマ(通路) ❸オルケストラ(演奏場) ❹スケネ(ギリシア時代は支度部屋、ローマ時代は舞堂)

上:代表的ギリシア劇場の配置と構造 下:ローマ時代のオランンジュの円形劇場 配置と構造 イラスト資料 世界の建築より


エフェソス(トルコ)円形劇場 1995年に見学(フィルム時代)
この時は円形劇場の中に入れなかったので詳しい写真はない。
両端に家型のトンネルが見える。ここから観客たちが観覧席へと向かったのだろう。
文化目録のエフェソス古代劇場によると、前3世紀に創建され、後1世紀に改築されて古代世界最大級の規模のよう。


ジェラシュ(ヨルダン)の円形劇場 1997年に見学
(フィルム時代)

一番上まで上って
❸オルケストラと❹スケネを見下ろす。スケネが良く残っていた。

❹スケネに上がっても構わなかった。現在はどうかな?


ボスラ(シリア)の円形劇場 1997年に見学(フィルム時代)
玄武岩の切石で造られた劇場は、もっと黒い印象があったが、意外と白ぽい。

白っぽい円柱は修復材だったとしても、❹スケネはジェラシュの南劇場よりも高い。


一番上まで上がってみた。写真ではかなりの急勾配。今では上れても下りるのがコワい。


❶テアトロンの方が黒いのは、当初のままだからだろうか。日が差しているところは白っぽい。



パルミラ(シリア)の円形劇場 1997年見学(フィルム時代)
上の三つの円形劇場と比べると❶テアトロンは格段に小さい。そのせいか、❹スケネが大きく感じる。

❸オルケストラと❹スケネを隔てる半円形の腰壁に小さな穴があけてあるのは、猛獣とグラディエーターとの闘いの時に猛獣が観覧席に入らないように網を張るための棒を差し込むためのものだとか。



ポンペイ(イタリア)の円形劇場 2010年に見学(デジカメ時代)
『完全復元 ポンペイ 2000年前の古代都市』は、この土地が劇場の建設地に選ばれたのは、溶岩の尾根に立つ古い神殿へとつづく斜面だったからである。とくに古代ギリシアでは、劇場のもつ宗教的意味あいが色濃く、まさに格好の場所だった。階段状の観客席 (カウエア) の2/3は自然の岩山を利用してつくられているが、残りの席はオプス・インケルトゥム (乱層積み)の構造物でたくみに支えられていた。
残された碑文によれば、現存する劇場はホルコニウス十字路の4脚アーチを建設したのと同じホルコニウス一家の出資で修復されたもので、実際の施工には解放奴隷のマルクス・アルトリウス・プリムスがあたったという。
平面図 同書より
Aオルケストラ B下段席 C中段席 D環状入場路 E舞台 F舞台袖通路 Gボックス席
ポンペイの大劇場平面図 完全復元 ポンペイ 2000年前の古代都市より

雨の日だったので石が濡れて黒ずんでいる。

観客席側から見下ろすと、レンガ造りの舞台が割合残っている。ローマ劇場というのは舞台の背面が複雑に造ってある。
その向こうに劇場広場の南列柱廊と屋根が見える。カサマツの向こうの建物は現在のポンペイの町。


オスティア・アンティカ 円形劇場 2017年見学(もちろんデジカメ)
劇場は半円形で舞台の建物は失われている。
『望遠郷 ローマ』は、劇場は、浴場と並んで古代ローマ都市を特徴づける施設である。この劇場はアグリッパによって建てられ、2世紀末にコンモドゥス帝が一部修復させた。この修復後は、 約4000人を収容できたという。現在の外観、とくに階段席と列柱廊は1927年の大修理によるものであるという。


想像復元図
同書は、舞台(オルケストラ)には矩形と曲面の壁龕が交互に設けられ、その上には発掘のさいに見つかった大理石装飾の断片が置かれていたという。
オスティア・アンティカ 劇場の想像復元図 『ANCIENT OSTIA A PORT FOR ROME 』より

リヨン、フルヴィエールの丘 円形劇場
❻スケネは残っていない。
同書は、劇場の上には、総督の住居であると考えられている豪華な宮殿が建てられており、おそらく前16-13年にリヨンに滞在していたアウグストゥスの住居であると考えられている。
古い仮説によれば、この原始的な建物には当初、屋根付きギャラリーに囲まれた2段分の階段しかなく、その収容人数は5000人の観客を超えなかった。ハドリアヌス帝の治世下、120年頃にに拡張され、3列目の観覧席が追加され、収容人数は1万席に増加した。
1980年に行われた建物の再読により、別の仮説が提唱され、最初の劇場には当初から3段の観覧席があったが、もともと木造だった上部のギャラリーは後から石段に置き換えられたという。
遙か昔に見学したときは雪でよく見えなかった。
リヨン、フルヴィエールの丘のローマ劇場跡 Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyonより

ローマ劇場の復元模型
今はなくなってしまった舞台壁。最後の状態では、直径108mのこの劇場はガリア最大の部類にランクされているという。
フルヴィエール、ローマ劇場の復元模型 Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyonより


ところで、ギリシアの円形劇場は斜面を利用してオルケストラ(観客席)を建造したが、ローマ時代の円形劇場はどんな構造になっているのか。
それはフランスのカオールで、現在は地下駐車場の工事中に発見されたローマ時代の円形劇場の遺構にあった説明パネルの図面で理解できた。
説明パネルは、円形闘技場は、舞台を巡る観客席の段は外側のアーケードの層に呼応している。最も大きなものは、3-4層のアーケードがあり、57mもの高さがあった。ディヴォナの円形闘技場は、後1世紀中葉に建造され、高さ5.5m長さ55mが保存されており、半円アーチの大きな壁面を見ることができる。扶壁で支えられ、後部に広い出入口と呼ばれる通行用の開口部があるという。



関連記事

参考サイト

参考文献
「イラスト資料 世界の建築」古宇田實・斎藤茂三郎 1996年 マール社
「Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyon」Editions aux Arts 2000年

2026/05/19

円形劇場 古代ギリシア時代


アイザノイの円形劇場はギリシア時代の劇場のように観客席は斜面を利用して造られている。何故もっと先まで行ってオルケストラを見下ろさなかったのだろう。

幸い説明パネルに航空写真があった。オルケストラはほぼ円形のようで、観客席は180°以上になっている。 


『イラスト資料 世界の建築』の円形劇場の配置と構造は、ギリシア時代の代表的円形劇場は、演奏場あるいは舞踏場は唱歌隊と踊り手の専用であった。観覧席の境界内はだいたい2/3円であった。舞堂すなわちスケネは俳優の支度部屋となり演奏場の上にたいへん高くなっていたという。
アイザノイの円形劇場は2/3円よりも角度が小さいけれど・・・
❶テアトロン(観客席) ❷ディアゾマ(通路) ❸オルケストラ(演奏場) ❹スケネ(ギリシア時代は支度部屋、ローマ時代は舞堂)
ギリシア時代の代表的な円形劇場 配置と構造 イラスト資料 世界の建築より

ローマ時代の円形劇場(南仏オランンジュ)について同書は、演奏場は半円形の大きさに縮小し唱歌隊の使用を廃して貴賓席となり、現代劇場の特別席に相当した。踊るためには使用されなかった。その結果、舞堂はますます重要となり、観覧者の注意はここに集中したという。
❶テアトロン(観客席) ❷ディアゾマ(通路) ❸オルケストラ(演奏場) ❹スケネ(ギリシア時代は支度部屋、ローマ時代は舞堂)

ローマ時代のオランンジュの円形劇場 配置と構造 イラスト資料 世界の建築より


アイザノイの円形劇場平面図 現地説明パネルより
❶テアトロン(観客席) ❷ディアゾマ(通路) ❸オルケストラ(演奏場) ❹スケネ(支度部屋)
ギリシア時代の代表的円形劇場と比較してみると、❸オルケストラは円形でなくなっているが、❶テアトロンは半円以上ある。ローマ時代になると半円になるので、その中間のアイザノイの円形劇場は、古代ギリシア時代に造られたものを、ローマ時代になっても改修しながら使っていたのかも。あるいは、ギリシアの円形劇場からローマの円形劇場への過渡期とか。


❹スケネが残っている円形劇場は少ないが、アイザノイでは部分的に黒っぽい石積みが残っている。

スケネ立面図 説明パネルより
半円アーチが使われているので、それが創建時のものならローマ時代やね。


わずかだが、私が見学したギリシアの円形劇場を時代順に並べてみると、

アテネ ディオニュソス劇場 創建前5世紀末、最終改築後1世紀? 
『世界歴史の旅ギリシア』は、アテネのディオニュソス信仰は、僭主ペイシストラトスの時代にボイオティアとの国境に位置するエレウテライから勧請されたもの。前5世紀には、木造の観客席を備えた本格的な劇場として、アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスらの悲劇、アリストファネスらの喜劇などが上演された。劇場はリュクルゴスによって前330年頃に大理石で改修され、さらに後1世紀のローマ皇帝ネロの時代に改築されたという。 
古代ギリシアの観覧席が木造だったとは。



❶テアトロン(観客席) ❷ディアゾマ(通路) ❸オルケストラ(演奏場) ❹スケネ(支度部屋)説明パネルより

各時代に改築あるいは補修された擁壁 説明パネルより

❸オルケストラ全景
四角形の石を敷き詰めたものが古代ギリシアのもので、その中、もっと小さな石を並べた菱形部分があるのがローマ時代のものだろう菱形は珍しいのでは。

前から見たオルケストラ(合唱隊が演技や歌を披露する場所)



❶テアトロン
いつものように強引なパノラマ合成

当時右上方では復元作業中だった。これは劇場の最上部には、トラシュロス合唱隊記念碑の土台の跡があるというものかな。

テアトロンとオルケストラの間には広い通路。

オルケストラに近いところには背もたれのある貴賓席。



平面図と復元(説明パネルより、一部欠けてしまった)
現在、舞台の部分に残っているのは3世紀のファイドロスの演壇で、その前面にはディオニュソスの生涯が浮彫りにされているという。


ファイドロスの演壇 後2世紀 ローマ帝国時代
『South Slope of the Acropolis』は、後5世紀初め、第一執政官ファイドロスは演壇に改修した。2世紀の建物のディオニュソスの生涯の主なできごとを表した浮彫を用いたという。

説明パネルは、ローマ時代の社会政治的変化は、舞台建築に大きな変化をもたらした。舞台はより高くなり、広々としたプロセニアム(プルピトゥム)と、精緻な建築装飾とディオニュソス神の神話に登場するサテュロス像で飾られたファサードを備えるようになったという。
ディオニュソスではなくサテュロスという説も。

中央の踞って天井を支えているのはヘラクレスだと思っていた。


エピダウロス 円形劇場 前4-2世紀
『古代ギリシア遺跡事典』は、ギリシアでもっとも保存状態の良いこの劇場は、前4世紀に建造された後、前2世紀に現在見ることができる形に拡張されたという。

同書は、
観客席は水平通路(ディアゾマ)を挟んで二層からなり、下層に34列、上層に21列設けられた弧状の座席は、さらに上下方向の階段によって下段は12、上段は22のブロックに区分されている。収容能力は、少なくとも12000人と見積もられているという。
現地ガイドのジョージさんは、上の方は前3世紀、下の方は前4世紀に造られたといっていた。
①テアトロン ②ディアゾマ(通路) ③オルケストラ ④スケネ
エピダウロスの円形劇場 ギリシア時代 古代ギリシア遺跡事典より


スケネでは修復作業が行われていた。

環状の大理石によって囲まれたオルケストラは、直径約20mの円形で、古代ギリシア本来の形状を伝える数少ない例となっている。中心には円形の石があるが、その機能はよく分かっていないという。
現地ガイドは、中心の石の上で、いろんな高さで手を鳴らして、どの位置で一番音が響くかを教えてくれた。それは人の背丈ほどの位置だった。
席が埋まるほど人が入っている時が、反響が一番良いように設計されていたのだそうだ。
若者達が、石の上で熱唱していた。終わると拍手喝采。

その石も大理石みたい。



デルフィ アポロンの聖域 ギリシア時代の円形劇場 前4-3世紀
『古代ギリシア遺跡事典』は、観客席には35列の大理石製の座席が設けられており、約5000人を収容したと推定されているという。エピダウロスの方は12000人だった。

ピュティア祭での演劇や音楽の競演が華々しく催された劇場で、デルフィの民会議場としても用いられていた。前4世紀に建造され、前2世紀半ばにペルガモン王国のエウメネス2世によって修復されたという。

劇場の名称 現地説明パネルより
①テアトロン ②ディアゾマ(通路) ③オルケストラ ④スケネ

『古代ギリシア遺跡事典』は、アポロン神殿の北西側へ上がって行くと、神域の最高所を占める劇場に至るという。

同書は、標高596mの劇場の最上部からは、アポロンの神域全体とアテナ・プロナイアの神域も見はるかす見事な眺望が開けているという。
オルケストラの形が帆立貝型というのがやっとわかった。オルケストラの向こうのほとんど基壇のものがアポロン神殿。




関連記事

参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「South Slope of the Acropolis」 Kaiti Kyriakopoulou  Association of Friends of the Acropolis

参考にしたもの
現地説明パネル