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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。
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2026/10/27

皆川泰三コレクションのコプト織


いつか現地でコプト織を見たいという夢が叶った後に、コプト織に出会うきっかけとなった展覧会の図録を久しぶりに開いてみた。

『古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録』(以下『コプト織展図録』)は、トルコのチャタル・フユックという遺跡からは前6500年頃の亜麻の織物が発見されている。
エジプトでは前4000年頃の遺跡から亜麻を用いた麻織物が出土している。エジプトで毛織物が普及したのはローマの版図に組み入れられてからのことである。一説によれば、キリスト教徒が毛織物の技術を持ち込んだとも言われている。経糸は従来の麻を用い、文様を織り出す緯糸は羊毛を用いる事も行われた。そのような方式が広まったのは3-4世紀のことと言われる。
シリアのパルミラの建築装飾と織物の文様が似ていることでもわかるように、互いの文様表現や主題が共通のものであることが多い。
織物に表される主題は、ギリシア・ローマ神話の神々、キリスト教的なシンボルの採用、ササン朝ペルシアの影響がみられる狩猟文、聖樹文と変幻自在であるという。


人物文
『コプト織展図録』は、初期の綴織には、裸体の人物像が多く見られるが、そこには人間の体が最も美しいという意識の強かったギリシアの影響を見ることができる。ギリシア神話の英雄や神々の姿を表現していることもあるキリスト教美術とは思えない裸体表現やギリシア神話のモチーフの採用はギリシア・ローマ文化の残像が見て取れるという。

人物文胸飾り綴織 5-6世紀 27X35
同書は、盾を持ち、つばのある帽子とスカーフのような長い布をまとった男性は踊っているようでもあるという。
主文様よりも帯文様の方が印象的。これは何という文様だろうか? 装飾的な正方形?
古代エジプトの染織美 コプト織 人物文胸飾綴織 皆川泰三コレクション展図録より

女性胸像花文綴織 5-6世紀 17.5X48
多色の緯糸を使い、複雑な文様を織り出したおそらく壁掛けの一部。左右の壺からのびたギザギザの葉はアカンサスで、コリント様式の柱頭にも使われた地中海一帯で見られる植物である。眼の大きな女性は装身具や服の文様表現が細かく、高い技術がうかがえるという。
体は正面向きなのに大きな目だけ左の方を向いている。額や鼻筋などが白っぽい糸で綴られているのは、ローマ時代からの立体感ほを出す隈取りの名残なのだろう。
口の下の黒い円はこの時代の顎の表現であることが、壁画によって知ることができた。
古代エジプトの染織美 コプト織 女性胸像花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

天使鳥文 8-9世紀 9X28
花環を持った天使像はギリシア神話の勝利の女神ニケのようである。このような図像は死に対する勝利のシンボルとして、パルミラの墓のモチーフやイランのターク・イ・ブスタンの入口にも見ることができるという。
時代が下がるとバランスの悪い天使になってしまった。
古代エジプトの染織美 コプト織 天使鳥文綴織 皆川泰三コレクション展図録より


騎馬人物文綴織 6-7世紀 19X20
騎馬人物の図像もコプト織りにしばしば表されるが、 彼らは短い上着、マントをなびかせ、ズボンをはいている。 これは「ペルシア式服装」と呼ばれる。元来ズボンは北方の騎馬民族の服装であった。やがて、その服装は前後頃にはイランのアルサケス朝パルチアで採用された。このような服装がエジプトに波及したのはササン朝ペルシアがエジプトを短期間占拠した7世紀初頭前後(619-629)とされ、そう古いことではない。
ペルシア的服装と呼ばれるズボンの騎士はロマネスク美術にも及んでいるという。
北方騎馬民族の服装であるズボンが、アルサケス朝パルティアに、そしてササン朝ペルシアへと伝播し、10年ほどエジプトに占拠した期間にエジプトに伝えられたとは。
古代エジプトの染織美 コプト織 騎馬人物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

様々な人物文綴織 5-12世紀 
時代を限定せずに、人物文の断片を集めたものである。初期の裸体の戦士や踊る女性像はヘレニズム的な身体バランスのとれた動きのある造形であるが、次第にデフォルメされて、「ゴーグルのような目」と称される異様に強調された風貌になり、終末期には、あたかもロボットのような体つき(左上)になっていくのがわかるという。
古代エジプトの染織美 コプト織 様々な人物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より


動物文
『コプト織展図録』は、西アジア美術は動物表現の多様さが一つの特徴ともいえるものだが、コプト織りもその伝統を受け継いで、様々な動物が描かれているという。

鳥文
同書は、鳥類の描写も種々様々あり、身近な水鳥系、猛禽の鷲、エジプト人に馴染み深い鳩系、インド的な孔雀などが見られる。古代社会では鳥はあの世と現世を結ぶ使者として尊ばれていたこともあったが、コプト美術の鳥がどのような意味をもっていたのか不明な点も多いという。

水鳥花文綴織 6-7世紀 39X53
アカンサスのようなぎざぎざのある葉に囲まれた水鳥の文様を持つ壁掛けの一部であろう。コプト織りにはこのような水鳥のデザインが多く用いられるが、ナイル河に見られる身近な鳥を登用したのかもしれないという。
私がナイル川で見た鳥はサギ類だった。これはカモかな。アカンサスの葉4枚で水鳥を囲んでいるが、半分の葉が色褪せてしまっている。アカンサスでつくられた輪っかが接するところには四弁花があしらわれて可愛い。子供の服だったのかも。
古代エジプトの染織美 コプト織 水鳥花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

動物文綴織 9世紀 8.5X10.5
ライオンを囲む蔦の文様はかなりデザイン化され、その中には嘴をあけた鳥が織り出されているという。
それぞれの文様が退化していっている。主文のライオンを囲む連珠円文はソグド人が中国に請来した文様だが、それが西方にも伝わっていたのだろうか。中国の織物もエジプトでも出土しているので、それを真似たものかも。
古代エジプトの染織美 コプト織 動物文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

鹿花文円形綴織 8世紀 23X26
この時期特有の多色使いのギローシュが周囲をめぐり、中央の円文は鹿が織りだされている。その外側は様式化された植物文が華やかに取り巻いている。上下左右には一見蛸のような文様があるが、これは壺に盛られた花のデフォルメとみるべきであろうという。
ギローシュは組紐文。壺に飾られた花に見えるのは下側のものくらい。それぞれを外側が壺というふうに見るのが正解。
古代エジプトの染織美 コプト織 鹿花文円形綴織 皆川泰三コレクション展図録より


植物文
『コプト織展図録』は、シリアの1-3世紀に栄えた隊商都市パルミラからは中国漢代の絹織物が出土し、最西端の絹織物の出土地として織物研究には欠かせない資料である。そこでよく言われるのは中国の織物には動物文が多く、パルミラ産のものには植物文様が多いということである。また、コプト織りにも多くの植物文があり、これらは単に装飾的効果というだけで採用されたのではない。
ローマ時代のモザイク文様にも柘榴やいちじく、棗椰子、オリーブなどの樹木が描かれ、これは楽園思想の現れとされる。楽園思想はキリスト教、イスラム教では天国、仏教では極楽浄土として信徒の憧憬の地であるが、これらを具体的に表現しようとすると、植物の生い茂る様が最もふさわしいと考えたのだろうという。

カルトネージュ 前6世紀頃 皆川泰三コレクション
『コプト織展図録』は、亜麻布で覆った遺体をさらに亜麻布を何枚も重ねて覆い故人の肖像画や死後の祝福の絵が施された 「いちじくの樹の姿のヌウト女神」と言われるものである。左端の樹の中から体をだしている女神はいちじくの化身で、ヌウトとは天空の女神でもある。このような図像は墓の壁画にもよく使われる題材で、墓の主人に命の食物を与えているのであるという。
古代エジプトの染織美 いちじくの姿のヌウト 皆川泰三コレクション展図録より

樹木文綴織 5世紀 64X47.5
木の種類は特定できないが、下図のように壁掛けとして数本織られたうちの一つであろうという。
先に花が咲く枝と葉しかない枝がある。枝の先に咲く花にはグラデーションが、葉は片側が濃く、反対側が薄いなど、細かな織り方が見られる。
古代エジプトの染織美 コプト織 樹木文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

立樹文の壁掛け 高さ222㎝ エルミタージュ美術館蔵
花の配置や葉の縁取りなどは異なるが上図の樹木とよく似ている。木々の間には蔓に巻かれて本物の葉を生やしたコリント式柱頭がのる、見過ごさなければ妙なものが配置されている。
エルミタージュ美術館蔵立樹文の壁掛け 古代エジプトの染織美 コプト織 樹木文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

紺地唐草文浮織 9世紀 63X23
植物文が様式化されている。全面に文様を織りだした中国的な要素が感じられる。衣服であったとすれば見事なものだっただろうという。
中国的な要素とは、柿蔕文のことかな?
古代エジプトの染織美 コプト織 紺地唐草文浮糸織 皆川泰三コレクション展図録より

菱花文綴織 10世紀 55X22(の部分)
はっきりとした文様と色使いで現代的な感じさえする作品という。
上下(あるいは左右)に波文を配し、一つの文様はほぼ同じ大きさの区画に収まっている。真ん中の菱花の中の模様が気になる。
古代エジプトの染織美 コプト織 菱花文綴織 皆川泰三コレクション展図録より

組紐円文浮糸織 10-11世紀 31X28
初期の幾何学紋様に比べて後期になると文様の構成はより複雑で密度の高いものになっていくという。
ムスリムがもたらした幾何学文様や組紐文が熟れてきたのだろう。あるいはムスリムの技術者がいたのかも。
古代エジプトの染織美 コプト織 組紐円文浮糸織 皆川泰三コレクション展図録より

組紐文円形綴織 11-12世紀 10X12
濃い紫の染料は貝紫とよばれている高級品の他にも赤と黄色の染料を混ぜてつくりだされていたことがパルミラの織物などでも知られている。紫が好まれたのはその希少性のためだろうという。
赤と黄色の染料を混ぜて濃い紫色を作っていたとは知らなかった。
古代エジプトの染織美 コプト織 組紐文円形綴織 皆川泰三コレクション展図録より

組紐文綴織 12世紀 27X15
複雑な組紐文の組み合わせである。上下の十字架はマルタ十字と呼ばれるものであるという。
組紐文で八角形をつくり、その中に花文、マルタ十字などが表されている。
古代エジプトの染織美 コプト織 組紐文綴織 皆川泰三コレクション展図録より


綴織はどこで始まったのだろう。
『世界遺産 大シルクロード展図録』は、西方から中央アジアに伝わった綴織(中国では「緙絲(こくし)」と表記)は平織に比べて少し間隔を空けた経糸に、文様におうじた色の緯糸を手作業で折り返して詰めていくので、緯糸が密になり、一見すると絵画のようにもみえます。色の境目には「ハツリ」と呼ばれる縦の隙間がみられる場合が多いです。錦のように大掛かりな織機を必要としませんという。

西方でつくられたものの参考例
半人半馬および武人像壁掛 前2-後2世紀 毛、綴織 縦116.0㎝、横48.0㎝ 1984年新疆ウイグル自治区ホ-タン・ロプ県サンプラ古墓1号墓出土 新疆ウイグル自治区博物館蔵
は、この毛織物の断片は被葬者のズボンの一部でしたが、もとは大きな壁掛であったと考えられています。左端に織耳が残っていることから、壁掛の左端にあたることが分かります。帯状の繧繝模様によって上下二段に分かれています。西方の高い綴織技法で制作された壁掛が、ホ-タンにもたらされ、被葬者のズポンに仕立てられたと考えられますという。
西方から請来されたもので、色のグラデーションや、顔に綴られた隈取りなど、当時最高の壁掛けとして東方にもたらされたようだ。


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関連記事

参考文献
「古代エジプトの染織美 コプト織 皆川泰三コレクション展図録」 宮下佐江子・坂本和子 1998年 古代オリエント博物館
「世界遺産 大シルクロード展図録」 学術監修・責任編集石松日奈子 2023年 東京富士美術館
「シルクロード 黄金の道展図録」 2002年  NHK

2026/04/07

シヴリヒサルのウルジャーミイ ミフラーブと説教壇の装飾


シヴリヒサルのウルジャーミイには素晴らしい漆喰装飾のミフラーブとキュンデカリの説教壇があった。


ミフラーブはマッカ(メッカ)のカーバ神殿に向かって礼拝する方向を示す大切なもの。アンカラのアスランハネジャミイではモザイクタイル、そのほかにも全面タイルで覆われたり、大理石で造られるなど、荘厳されてきたのだが、この礼拝室のミフラーブは漆喰装飾でさまざまな文様を表しているのだが、それが和紙のようなな、柔らかな質感の漂うものだった。
SIVRIHISAR BELEDIESI の Sivrihisar Great Mosque UNESCO World Heritage は、建設に使用された材料を考慮すると、14世紀から15世紀のオスマン建築に属することがわかる。ミフラーブは、成形技法による漆喰装飾が施されているという。

同ページは、1440年にヒズルベイによって行われた修復で設置されたこのミフラーブは、表面にムカルナスを施した漆喰でできているという。
ということは、アナトリアセルジューク朝期ではなく、オスマン帝国第6代皇帝ムラト二世(1453年にコンスタンティノープルを攻略するメフメト二世の父)の治世につくられたものだ。

ミフラーブは頂部が5段のムカルナス、その下が7面の壁龕になっている。

斜めからの眺め

5段のムカルナスも複雑で装飾的な浮彫になっているが、ムラト二世がエディルネに建立したムラディエジャミイの入口上のムカルナスにやや似ていると言えるかも。


頂部の開花した花のような突起は何だろう。

上部も浅浮彫の文様で荘厳されている。漆喰なのに和紙のような柔らかな風合いに見えるのは、その中に植物文様が浅く彫られているからだろうか。


ミフラーブの中は組紐文による幾何学文の中に植物文様が彫られていて、まるでアスランハネジャミイ(アンカラ、13世紀末)のミフラーブのタイル装飾や説教壇のキュンデカリでつくられた組紐文による幾何学文に似ている。


同ページは、ミフラーブを囲む最も外側の最初の帯には、スルース体のカリグラフィーがあり、2番目の帯にはブドウの房と枝からなる植物のモチーフがあり、3番目の帯には絡み合った五角形からなる五点星と十点星のモチーフがあるという。

撮影した本人が何か分からなかったややピンボケのこの写真はブドウの房や葉だった。



続いてキュンデカリの説教壇(ミンバル)
Sivrihisar Great Mosque UNESCO World Heritage は、アナトリア・セルジューク朝時代の最も傑出した説教壇の一つと言える。ホラサンル・イブン・メフメトが釘を一切使わず、キュンデカーリ技法を用いて手作業で製作した。クルミ材で作られたこの説教壇は、セルジューク朝時代の木工技術の貴重な作品の一つであり、幾何学的な断面の中に突き出したルーミーとパルメットの精緻な象嵌細工、透かし彫りの手すりや格子が特徴。この説教壇は1924年にクルチ・メスジト・モスクから移設されたという。
漆喰装飾のミフラーブよりもずっと古いものだが、他のモスクにあったものだった。

側面上

説教壇上部
一見木材を幾何学的に組み合わせただけに見えるが、それぞれが薄い板を重ねたキュンデカリの部材だ。

周囲は浮彫の蔓草文様だが、その内側は三つの菱形が上下左右に展開して、まるで折り紙で六角形の隙間をつくったよう。これは何という技法だろう。ただの透彫と浮彫?

階段の手すりのところには、透彫による六角形と六点星だが、その裏側は大きな六角形が繋がっている。


キュンデカリは2種類あって、左端は六角形と対角線、右の階段下は対角線のある八角形とその隙間の四点星との組み合わせ。

世界のモスクのモスクの特徴。建築や装飾からモスクを読み解くでは、トルコでは、接着剤や釘などを一切使用せず、木片ピースを組み合わせるキュンデカリ Kündekari と呼ばれる技法で作られたミンバルがある。その技法は、日本の伝統技術でもある組子と通じるところがあるという。


左端の六角形と対角線


階段部の対角線のある八角形と四点星
キュンデカリの組紐文の間の三角形と変形四角形は左右対称の蔓草文様の浮彫。

キュンデカリの部材が八方から交わったところ。

キュンデカリの部材の集合部その2

変形四角形の部品が剥がれてしまった箇所

その変形四角形の部品 逆方向


説教壇の扉にも丁寧な細工が施されている。
同ページは、扉にはアヤテル・キュルシ(コーラン第2章「牡牛の章」第255節)が彫られている。アブジャド暦に基づいて1245年に建造されたものと理解できるという。
一番外のコの字形の部分にインスクリプション

頂部のコの字形の帯にカリグラフィー。扉にもカリグラフィーが彫られている。

枠にはカリグラフィーだけでなく、地に一重蔓の蔓草文様が彫られている。扉上部のスパンドレルを一重蔓の蔓草文様が埋めている。

上の枠にも一重蔓の蔓草文様とカリグラフィーが浮彫されている。

扉の小さな区画には植物文様の浮彫だけのものも。

参考サイト

参考にしたもの
現地説明パネル

2026/03/10

アスランハネジャミイのタイルとキュンデカリ


何故か斜めになってしまったミフラーブは、モザイクタイルと漆喰装飾が素晴らしい。
かなり前にモザイクタイルに興味を持った時に買い求めた『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』という書物に記載されていたミフラーブの一部の図版でしか知らなかったものを、長い時を経てようやく現地で見ることができた。

ところが説教壇が列柱に隠れているし、

ミフラーブは斜めに写してしまったし、何をしているのやら。まあ何時ものことだけれど。


気にせずに細部を見ていこう。タイルだけでなく漆喰装飾も採り入れられている。

上から 
漆喰装飾  盛り上がった透彫の文様は蔓草にはならず、並んでいるだけ。
漆喰装飾  葉の先が丸まった蔓草の細い文様帯
タイル装飾 五角形の黒い(濃紺かも)タイルを囲む水色の組紐文
漆喰装飾  細く流れるような流麗に渦巻く蔓草文を背景にコーランの章句が浮彫されている。スルス体だろうか。このような一重に渦巻く蔓草にコーランの章句が表される例としては古いのかなと思ったが、以前まとめたアラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきものを久しぶりに開くと、イランのセルジューク朝の方が早かった。

コーランの章句は着色されていたみたい。


漆喰装飾とタイル装飾の組み合わせ、その中心には大きな円形蔓草文様

地文には黒の六角形と水色の九角形の組紐文が細かな幾何学文をつくり出している。その隙間には六点星から五角形まで様々な形に仕上げられた漆喰が嵌め込まれているのだが、それぞれの部品に穴が開けられているのは何故だろう?その方が強度が増すのかな。

この盛り上がり花や葉の小さな穴は透彫だが、蔓草は高浮彫だ。



その下には6段のムカルナス

ムカルナスの両側のスパンドレルには水色の蔓草文と、花を蕾から満開まで描き分けた黒い植物文様。

上から1-3段目

4-6段目
それぞれのムカルナスには水色と黒のタイルによる工夫を凝らした文様で荘厳している。

上から4段目の右端

その左となり

更に左隣のムカルナス


ムカルナスの下と両側の壁面

ムカルナスと組紐文のモザイクタイルとの間の文様帯には水色タイルの一重のゆったりと渦巻く蔓草に黒いタイルのコーランの章句が並ぶ。


様々な形に植物文様が透彫された素焼きタイル、両端の柱は透彫のような浮彫漆喰
イルハーン朝、スルタニーエのオルジェイトゥ廟(1313完成)にあるイーワーンのスパンドレルよりも早く造られているが、こちらの方が完成度が高い。入口の壁面のモザイクタイルには細かな浮彫の漆喰装飾が嵌め込まれているが、その頃それを素焼きタイルと思っていたことに気が付いた。
左右の円柱の漆喰装飾もみごと。

六角形の素焼きタイルを中心に置いて、無限に広がる3色のタイルの組紐文の中に嵌め込まれた漆喰装飾。ひょっとすると素焼きタイルかと思うが、
İSLAM ANİSKLOPEDİSİ のAHÎ ŞERAFEDDİN CAMİİは、アナトリアで最も美しいセルジューク様式のミフラーブの一つであるミフラーブには、ムカルナスで装飾された壁龕になっていて、表面はモザイクタイルで覆われ、装飾には漆喰も使用されているというので、やはり漆喰装飾なのだろう。

組紐文は側面にも続いているように見えるが、黒い組紐は続いていても、水色の組紐は境目が合っていない。


ミンバルも素晴らしいキュンデカリ Kündekari technique の細工だ。
AHÎ ŞERAFEDDİN CAMİİは、説教壇はクルミ材で作られている。別の碑文によると、1290年にメフメト・ビンによって奉献され、アブー・バクルという大工によって造られたという。
この碑文のおかげで、トルコ独特のキュンデカリという技法で造られたこの説教壇は、私が見た中では最古のものということが判明した。

頂部下側面
世界のモスクのモスクの特徴。建築や装飾からモスクを読み解くは、キュンデカリ技法についてトルコでは、接着剤や釘などを一切使用せず、木片ピースを組み合わせるとしているが、釘が目立つのは修復によるものだろう。横の割れ目か木材の継ぎ目が気になるが、

薄い板を重ねた組紐文が一部抜けているので、板を継いだのではないようだ。


階段下の側面

少なくとも薄い板を重ねた組紐文は割れておらず、内側の植物文様の部品とそれを囲む枠は割れている。


階段の手すりは薄い板を重ねた部材を組み合わせただけで、さまざまな幾何学文様を構成している。一部ガラスが嵌め込まれているようだが、古い時代のものではないだろう。

浮彫蔓草の葉にくっついているのは朝露かも。


最下部は透彫に見えるが浮彫。


多柱式の礼拝室にモザイクタイル、そしてキュンデカリと、忘れられないモスクの一つです。



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参考サイト

参考文献
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London