これまでアカンサスや花弁文について見てきたパルミラは、シルクロードの要衝として栄え、複数の墓からは地元の毛織物の他にインドの綿織物や中国の絹織物が出土している。
『季刊文化遺産1隊商都市パルミラ』で坂本和子氏の「羊毛文化と絹文化の遭遇」が記載され、暈繝が用いられた染織品について触れられている。パルミラに最も早く現れた絹織物は前9年の塔墓から出土した平絹ということである。その後石畳文などの綾、雲気や龍を織り込んだ経錦、そして鎖縫いで刺繍したものも将来したことが発掘調査でわかってきたようだ。
下図は3本の鉤爪を持つ霊獣を暈繝調に刺繍した織物の断片である。

しかし、272年に滅亡するパルミラ王国でも暈繝を用いた毛織物があることに驚いた。下図は花葉文綴織とされている。植物文様の間に3段の横縞が見られるが、その1つ1つをよく見ると確かに暈繝になっている。坂本和子氏はもう1つ花葉文綴織を紹介しているが、それは上下の文様が異なるものの、3段の横縞とその中の暈繝は全く下図と同じである。



毛織物圏のパルミラでは植物文、波頭文、暈繝縞などが主な文様で、絹織物圏の中国の文様は龍、雲気、霊獣、顔面文、吉祥文字の特徴があった。織技術においても、色文様を表すのにパルミラは綴織技法であり、中国は経錦であった
と記している。ということは暈繝はパルミラ起源らしい。
また、坂本氏は「暈繝の手法は、ビザンティン美術で天空を表すのにしばしば用いられている」とも記している。シナイ山のアギア・エカテリニ修道院のアプシスモザイク(565-566年)に、天空ではないがキリストが囲まれているマンドルラが暈繝で表されていた。キリストの足元にいるペテロが転がっている地面は緑の暈繝となっていた。


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※参考文献
「季刊文化遺産1隊商都市パルミラ」 1996年 (財)島根県並河蔓里写真財団
「中国美術全集6染織刺繍1」 1996年 京都書院
「世界美術大全集6ビザンティン美術」 1997年 小学館
「ビザンティン美術への旅」 益田朋幸 1995年 平凡社