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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/12/01

アスターナ古墓群の連珠円文に緯錦

 
アスターナ古墓群出土の連珠円文は経錦(たてにしき)よりも緯錦(よこにしき、ぬきにしき)の方が多いかも知れない。

女子俑 緯錦 塑造彩色、木、紙、絹 高30㎝ アスターナ206号墓出土 唐時代(7世紀)
『黄金の道展図録』は、 張夫婦の墓から出土した多数の副葬品のひとつである。張雄は、墓誌の記載によれば、高昌国最後の王・麹文泰の従兄弟にあたり、左衛大将軍などの要職を歴任し、延寿10年(633)、50歳で死去した。また、その夫人は、垂拱4年(688)に死去し、翌年、張雄と同じ墓に追葬された。
この俑は、頭部が塑造、体部が木製、腕が紙製になる。筒袖の襦の上に錦の袖なしの半臂をまとい、裳を着けて綴れの帯をしめる。半臂には、連珠や双鳥など、西方的な文様があしらわれている。
貴婦人の装いそのままの精巧な表現には目を見張るものがあ
るという。
小さな俑に合わせてこのような連珠円文を織ったのだなあと、同展を鑑賞していて感心したものだ。その当時は動物文の連珠円文は中国のものだと思っていたので、中原の錦がはるばると高昌にまで運ばれてきたのだと思った。
この連珠円文は西方風に上下左右に四角い区画を置いている。
双鳥文というが、半臂のため片方の鳥の部分がないのが残念だが、文様が横に滲んでいるので緯錦だろう。  漢人による緯錦とは。

緯錦(よこにしき・ぬきにしき)
操作が煩雑で、織幅や色数、文様の大きさに制約を伴う経錦に替わって、6世紀頃になると、発想を90度転回させ、経糸と緯糸の組織を置き替えた「緯錦」が考案された。経糸のほうは単色とし、杼(ひ)を使って自由に打ち込める多数の緯糸によって文様を表す。中国伝統の経錦が羊毛文化圏である西アジアへ伝播し、太い羊毛でもこの華麗な織物を可能にするための方法が考案された結果、生まれた織技であったと思われるという。
ニヤ遺跡出土の毛織物は西アジアで縦機で織られ、後漢期(後25-220年)に将来されている。 緯織りは絨毯をつむぐ技法からヒントを得たとも聞いたことがある。 連珠団花文錦 緯錦 アスターナ遺跡出土 唐時代(7-8世紀) 新疆ウイグル博物館蔵
『シルクロードの染織と技法』は、赤地に白・緑・藍で、20弁の菊花形花文を納めた連珠円文と、四弁の菱唐花文を織り込んだ緯錦。アスターナからは、ほぼ同文の緯錦が他にも出土しているが、いずれも緯錦による連珠文の完成形といえるという。
連珠円文の中が満開の花文で埋められていて、一体化した花文のようだ。。
北魏(5世紀)の漆絵木棺に画かれていたパルメット風の十字形花文の発展したような文様がこの錦にもある。菱唐花文という表現もあるのか。 獣頭連珠文錦覆面 経錦と緯錦 唐(7世紀前半) アスターナ138号墓出土 新疆ウイグル博物館蔵
『中国★文明の十字路展図録』は、被葬者の面部を覆っていたもので、2種類の異なった錦を上下に縫い合わせ、周縁に平絹を付けている。上段は、小連珠文と十字葉文を規則的に配列した綾組織の経錦で、唐で織られた錦を用いている。下段は、赤地に白、濃紺、緑の緯糸で連珠文内の獣頭などを織り出した綾組織の緯錦である。獣頭は左を向き、口を開けて歯や舌を見せ、目、耳、牙なども表されている。獣頭については猪、或いは熊とされるが、ゾロアスター教の神獣とする説もある。この文様が西に起源し、撚りを加えた経糸を使用して綾組織で織られ、トルファン出土文書に「波斯錦」の記述があることなどから、下段の錦はペルシア産と考えられている。なおアスターナからは連珠文内に同種の獣頭を配した錦が数点出土しているという。
団花文と菱唐花文の経錦は、上の緯錦の連珠団花文錦とほぼ同じデザインだ。同じ図柄の錦が長期にわたって織られていたのだ。
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、ササン朝の文様よりも後代の作品という。ペルシアで連珠円文の錦が製作されるようになるのは、ササン朝滅亡(651年)後だとすると、獣頭連珠円文の方は、ソグド錦だろう。 
中国伝統の経錦とソグドの緯錦を縫い合わせるという、シルクロードの象徴のような覆面だ。  経錦と緯錦の違いはあるが、綾組織という共通点もある。綾組織とはどんなものか。

『シルクロードの染織と技法』は、織物においてもっとも簡単な平織(ひらおり)は、経糸と緯糸が1本置きに交互に、上下に交叉する。これを1本ずつ交互に浮沈させるのでなく、2本以上連続して浮沈させる部分をもつ構造としたものが「綾織」である。光線の反射の変化により、織面に斜文線となって現れるため、「斜文織」とも呼ばれる。
現在知られる最古の遺品として、中国殷墟出土の紀元前18世紀の入子菱文綾があり、綾織の遙かな歴史を物語っている。
東大寺慶讃法要伎楽において、迦楼羅(カルラ)の肩にひるがえる領巾(ひれ)に使用した綾布
 という。 殷の時代からある綾織は、古くから各地に伝わったのだろう。
獣頭連珠文もじっくりと見ると布目が斜めに通っている。白い連珠は、「逆ノの字」になっているものが多いが、中には「ノの字」もある。綾織はソグド錦にも使われていたが、熟練していたわけではなさそうだ。

※参考文献
「シルクロード 絹と黄金の道展図録」 2002年 NHK
「中国★文明の十字路展図録」 2005年 大広
「別冊太陽日本のこころ85 シルクロードの染織と技法」 1994年 平凡社