浄土堂は北側の小さな開口部から入る。



大きな光背のある仏像の場合、背中側は衣文などの彫刻が施されないことが多いが、この阿弥陀三尊は背後まできっちりと彫り込まれているので、前面からだけ拝むために造られたのではないことがわかる。また阿弥陀さんの頭光も身光も透かした簡素なもので、背後からの光が通るようになっている。
浄土堂は、春分秋分の日に行くと夕方真西に来た太陽の赤い光が差し込んで、雲に乗った阿弥陀三尊があたかも迎えに来たようであると、どこかで聞いたり読んだりした記憶がある。
それはこのような光景になるのだろうか?しかし、これでは逆光で、何者がやってきたのかわからないのではないかという気もする。
お寺の人はいろんな人が来て、感激して、自分が来たその時が最高だと書いているだけです。いつ来てもいいんです。強いて言えば7・8・9月が阿弥陀三尊像が一番よく見えるでしょうと言っていた。


『大勧進 重源展図録』は、供養具や供物などを置いた。天板の形は三日月形で、輪郭は花弁状の切れ込みを入れている。天板の正面と左右に、先端が蕨手状に巻き返った長い脚が付けられている。天板の下方で三脚を結ぶ横材が渡され、天板と横材が作る間に格狭間(こうざま)を作っている。格狭間はいわゆる蝙蝠形格狭間(透かしの形が蝙蝠に似ているため、この名がある)で、同様の意匠の持ち送りを脚にも取り付けているという。
同展に行った時、この蝙蝠形格狭間というものを初めて見た。面白い形だと思ったが、鎌倉時代以降流行するのだそうな。

重源さんが宋に行ったのは12世紀後半だろう。その頃の阿弥陀三尊像はたくさんは残っていないようだ。一番近い頃の阿弥陀三尊像は普悦画(京都府、清浄華院造)のものだが、あまりにもぼんやりとした描き方のため、来迎雲があるのかないのかわからない。そして、こちらはそれぞれが踏割蓮華に乗っているが、浄土堂の阿弥陀三尊像はそれぞれ1つの蓮台に乗っていて、その蓮台が更に沸き立つ雲に乗っている。

その像は「大勧進 重源展」で見たような気がするが、どんな像だったかなあ。
外に出て裏側に回り蔀戸を見た。

※参考文献
「日本建築史図集」 日本建築学会編 1980年新訂第1版 彰国社
「大勧進 重源展図録」 2006年 奈良国立博物館
「世界美術大全集東洋編6 南宋・金」 2000年 小学館