この日月が光背の上にある図は以前に見たことがあるが、北魏時代のものだった。
仏三尊像部分 北魏時代 山東省広饒県埠城店出土 山東省石刻芸術博物館蔵
『中国山東省の仏像展図録』は、舟形光背の外側に6体の楽天が舞い、頂の左右には日月を持つ天人風の人物が見える。本像が出土したのと同じ広饒県の博物館には無銘ながら光背上部に日月を持つ人物を配した作品が数点伝えられている。本像はこれら山東省初期の石造仏教彫像の一つであるという。
天人風の人物が光背頂部の左右に顔を出し、それぞれの手に太陽と月を持っている。このような図が山東省における初期(北魏時代)の仏像光背に付属するのは、この地域独特の古い信仰が残っていたからだと思っていた。
同書は、幅の広い舟形光背の上辺に、天人風の人物が日月を持って微笑んでいる。三尊の顔も目はアーモンド方に作りながら、ふっくらとした頬と古拙の微笑(アルカイックスマイル)をたたえる口が彫られているという。
人物の微笑みは北魏から東魏・西魏時代の仏教美術の特徴。
北魏が滅亡して山東省は東魏に次いで北斉に、彬県大仏寺のある陝西省は西魏の後北周に、その後北周が北斉を滅ぼし、北周の皇帝から禅定を受けた楊堅が立てた隋が中国を統一し、その後李淵が隋を滅ぼして唐に。
山東省では東魏から隋に至るまで、日月を伴う光背は残っていないので、これは山東省の北魏時代までの特徴と思っていた。
それが唐時代になって、長安郊外の石窟に表されるとは。しかも、人の顔はなく、日月とそれを持った手のみ。ということは、北魏時代に流行して領土一帯に伝播したのだろうか。
阿修羅像 北魏時代後期 甘粛省慶陽北石窟寺
奥の右手に太陽、左手に月を持っているように見える。
『慶陽北石窟寺』は、165窟の阿修羅は顔が3つで腕は4本。一本の手は太陽を持ち、一本の手は月を持ち、一本の手は金剛杵を持ち、一本の手は降魔杵を持ち、足は海水を踏み、頭の上は山岳となり、両側の顔は忿怒面という。
これが阿修羅とは😂
頭の上は山岳表現となっているが・・・
時代は下がるが、敦煌莫高窟第249窟には阿修羅像が描かれている。
阿修羅像 西魏時代(535-556) 敦煌莫高窟第249窟天井西側
明らかに阿修羅の右手は日を、左手は月を持っている。阿修羅の頭の上には山岳が重なり、その上に胸壁と門が描かれている。
明らかに阿修羅の右手は日を、左手は月を持っている。阿修羅の頭の上には山岳が重なり、その上に胸壁と門が描かれている。
敦煌莫高窟第249窟天井西側阿修羅像 西魏時代(535-556) |
北魏時代の阿修羅像なら雲崗石窟がある。
3つの顔をもつ阿修羅は右手に月、左手に太陽を持っている。日月の左右は決まっていなかったのかも。
彬県大仏寺 羅漢洞に渡海文殊群像←
雲崗石窟第10窟前室北壁須弥山 北魏時代中期(470-494)
『雲崗石窟』は、須弥山は山が重なり、両側に鳩摩羅天と阿修羅が彫られているという。
雲崗石窟第10窟前室北壁須弥山 北魏時代中期(470-494) |
雲崗石窟第10窟前室北壁阿修羅像 北魏時代中期 |
彬県大仏寺 羅漢洞に渡海文殊群像←
関連項目
参考文献
「開棺10周年記念特別展 中国・山東省の仏像-飛鳥仏の面影-展図録」 2007年 MIHO MUSEUM
「慶陽北石窟寺 The North Grotto Tempe at Qingyang」 甘粛省文物工作隊・慶陽北石窟寺文管所 1985年 文物出版社
「敦煌石窟精選50窟鑑賞ガイド」 劉永増 と樊錦詩 2003年 文化出版局
「雲崗石窟」 山西雲崗石窟文物研究所・龍治国 1995年 人民中国出版社