ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2014/06/13
ギリシア雷文
ギリシアには似ているようで、別の文様帯がある。英語では全てをメアンダー文としているようだ。
しかし、卍繋文はメアンダー文とは異なるし、似てはいるが異なる文様帯も含まれている。
卍繋文 アッティカ赤像式アンフォラ 前490年頃 ヴルチ出土 クレオフラデスの画家 ミュンヘン州立古代収集古代彫刻館蔵
黒いサイコロ文の中にX字状に白く抜いて、その中にX字形の線を描いている。黒いサイコロ文と卍が互い違いに横に並ぶ。卍から延びた線が左右の卍に繋がっている。
メアンダー文 アッティカ後期幾何学式アンフォラ 前760年頃 アテネ、ケラメイコス第2あるいは第4号墳墓出土 高さ155㎝ アテネ考古博物館蔵
『ギリシア美術紀行』は、3本一組の水平な線、その数なんと30(32)組、それらによって器面は大小様々のフリーズに分割され、そのフリーズの幅がそれらが配置される器の部分の胴回りの大小と微妙な相互関係にある。12の帯に4種類のメアンダー文様が使われているという。
連続する文様帯に似ているが、よく見ると繋がっていないものが気になった。
それを指すかどうかわからないのだが、ギリシア雷文という用語があるので、ここでは仮にそれらをギリシア雷文と呼ぶ事にして、いつものように遡っていく。
アッティカ派赤像式ペリケ 前340年頃 ロドス島カメイロス出土 大英博物館蔵
黒地に赤い絵の具で、方形の中へと何重にも渦巻いていき、中心から外側へと巻き戻していく。中心部ではこの線自体は繋がっているのだが、外側では左右の文様への繋がりがない。
メアンダー文は、複雑に折れ曲がっていても、内側に渦巻くことはない。
アプリア派赤像式柱形クラテル 前4世紀前半 メトロポリタン美術館蔵
制作地が異なるためか、上図と比べると方形渦巻、つまり雷文はかなりラフに表されている。
やはり中心では繋がるが、隣の文様とは線を画して繋がらない。
アッティカ派赤像式渦形クラテル 前400-390年頃 イタリア、ルーヴォ出土 ナポリ国立考古博物館蔵
隣接する文様を隔てる線はなくなる。
繋がっていないとも言えないが、文様の連続性は感じられない。
アッティカ派赤像式ヒュドリア 前410年頃 大英博物館蔵
一筆書きしたような雷文で、横への連続性もある。しかし、描き損ねかどうか、中心が繋がらないものもある。
アッティカ派白地式レキュトス 前430-420年頃 ギリシア、オロポス出土 ミュンヘン州立古代収集古代彫刻館蔵
白地に黒で描いた線は、左右の文様へと繋がるのではなく、上下の横線に繋がる。
アッティカ派赤像式頸部アンフォラ 前440-430年頃 フェッラーラ国立考古博物館蔵
このあたりになると、繋がっていてもいなくても、それは重要ではないみたいだ。
白地式香油壺レキュトス 前460-450年頃 アテネ出土 高さ40.8㎝ 京都ギリシアローマ美術館蔵
白地に黒い線で表された文様は、雷文の中心で繋がることもなく、隣へと連続もしていない。
白地式レキュトスについてい『ギリシアローマ美術』は、輝く色は死者を照らすという意味があり、前5世紀アテネの人たちは墓地の油を注ぐ儀式のために、白い香油壺を作りました。これは出陣の別れの図。戦士は兜をつけ長い槍、鎧はなく、女性は鎧の代わりに、墓石を飾る長いリボンを手にしていますという。
アッティカ黒像式腹部アンフォラ 前530年頃 エクセキアス ヴルチ出土
前570-550年頃 ダモスの画家 コリントス黒像式ヒュドリア部分 チェルヴェテリ出土 ルーヴル美術館蔵
肩部には、3本の線が直線的に蛇行しながら文様帯をつくっている。
「アキレウスの死を嘆き悲しむネレイスたち」という場面の左右にあるのは、メアンダー文だろうか。柿色の地に黒で描かれる文様帯をメアンダー文に入れるのもどうかと思うが、白で描かれるのは中心へと方形に渦巻くだけのギリシア雷文である。
アッティカ黒像式腹部アンフォラ 前530年頃 ヴルチ出土 ヴァティカーノ美術館蔵
器体の文様帯ではななく、黒絵式の人物の衣裳の文様に、中心に向かう方形渦巻と、中心で繋がっていないものの2種類のギリシア雷文が見られる。
アポロン神殿メトープ 前620年頃 テルモス出土 テラコッタ 高さ55㎝ アテネ考古博物館蔵
こちらも人物の衣裳に表された文様帯。角形の波頭文のような方形渦巻のギリシア雷文で、文様の中央で黒い線も白い線も途切れている。
これまで調べた中では、ギリシア雷文は前620年のものが最も古い。それはメアンダー文の登場よりも時代は下がるが、別の系統の文様帯のように思われる。
卍文・卍繋文はどのように日本に伝わったのだろう←
→アルカイック期の衣文が仏像の衣文に
関連項目
卍繋文の最古はアナトリアの青銅器時代
メアンダー文を遡る
卍繋文の最古は?
雷文繋ぎ文
※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「世界美術大全集4 ギリシア・クラシックとヘレニズム」 1995年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社