ティグラン・ホネンツが1215年に聖ゲオルギウスに献堂した教会は、内壁はフレスコ画で埋め尽くされていた。
3:右壁最下段はキミシス(聖母の死)が大きく表されている。その左側壁に、赤い長方形の箇所がある。
体をそらせた白っぽい動物が左右対称に4匹描かれている。
ピンボケだが、それぞれが丸い輪の中に描かれ、翼のある鳥のようにも見える。
これはシームルグ文という意匠ではないのだろうか。それはササン錦にあったはず。
シームルグ文 イラン、ターケ・ボスターン大洞内奧浮彫 7世紀前半
『古代イラン世界2』は、今日、イランの地でサーサーン朝ペルシア錦(324-641)とされるものの出土例は知られていない。それを具体的に知りうるのが有名なターケ・ボスターンの摩崖に掘鑿された大小二洞の大洞内壁に刻まれた浮彫(7世紀前半)の織物とみられるものの模様である。それは確実にサーサーン朝ペルシア後期の錦(サミット)の模様と言ってよい。
それら文様は身分や位階にもとづいて区別されて用いられていたと考えられる。その最高位に位置づけされているのがシームルグ(センマーヴ)文であっただろう。シームルグは犬の頭、孔雀の尾、グリフォンの羽、獅子の脚などいろいろな現実、非現実的な動物の部分から構成された霊獣である。ゾロアスター経典『アヴェスタ』においてはサエーナ・マラゴー(サエーナ鳥)と記され、鷲・鷹・隼などと同様の猛禽をあらわすとされる。
・・・略・・・ 王にのみこの神聖にして怪異な文様が用いられたのであろうという。
シームルグ文は王だけが使うことのできる文様だった。
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、ササン朝の織物ないしその伝統をくむものは、エジプト、カフカス地方、新疆ウイグル自治区などの古墓から出土している。
しかしながら、ターキ・ブスタン大洞(7世紀前半)の国王猪狩り図の王侯の衣服 ・・略・・ などの装飾文様と比較すると、いずれも形式的に発達したもの、すなわちササン朝の文様よりも後代の作品である蓋然性が大きいという。
ササン朝期に王だけが使うことができたシームルグ文。ササン朝滅亡後は高貴な文様の錦として下り続けられ、その1枚が近隣のアニにもたらされたことをこの壁画は物語っているのかも知れない。
その布が13世紀前半の教会に描かれているということ、そして、人物の衣服ではなく、幕のような幅広の長方形の中に表されているということは、アルメニアのキリスト教徒にとって、この東方よりもたらされた錦は、8月15日のキミシス、聖母が眠りについた祝日の礼拝にのみ使用された、特別な布だったのではないだろうか。
※参考文献
季刊文化遺産13 古代イラン世界2」(2002年 (財)島根県並河万里写真財団)
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」(2000年 小学館)