お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/04/30

将来されたものを倣う


唐時代には西方より将来された器を陶器で模倣したという。

三彩貼花宝相華文水注 唐時代・7-8世紀 高22.0径12.2㎝ 陶器 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、ギリシャの注酒器である「オイノコエ」に起源をもつ器型です。唐時代、シルクロードを通して西方からの文物が大量にもたらされ、唐三彩にはそうした西方の金属器やガラス器などを写したものもよく見られます。全面に褐釉が施され、胴部以下には緑釉が二重がけされ、さらに藍彩も加えられています。三彩の多色釉装飾は異国趣味の器物と見事にマッチしていますという。
把手の口に近い部分には鐶付状のものが付けられており、陶器はともかく金属製の蓋を付けていたがのかな。
たしかに古代ギリシアのオイノコエに似ているが、時代がかけ離れ過ぎているのでは。

よく似た注口のオイノコエはすぐに見つかった。

動物文様式コリント式三葉オイノコエ コリント中期、前580年頃 高40.0㎝ 土器 ギリシア ギリシアローマ美術館蔵
『ギリシアローマ』は、ぶどう酒入れ。細い首と足は黒い陶土の光沢顔料に覆われ、胴は三層の動物文帯で装飾。豹、フクロウ、水鳥、山羊、鹿、サイレン(半人半鳥)を描き、至るところに刻まれた大小のロゼッタ文、斑文、点文が充満してじゅうたんのような装飾的効果を上げていますという。
これが唐三彩の水注をさかのぼること1000年以上前に制作されたオイノコエ。三彩よりも高台が低く、ずっしりと沢山入りそう。
口は装飾というよりも、注ぎ易さを求めたのだろう。位置や形は違うものの、把手に装飾がある。何かの蓋を取り付けるためのもの、あるいはそれ以前のものを倣った痕跡だろうか。

金属器にこのような三つ葉形の口縁部を持つものはなかったが、興味深い文に出会った。

水差 サーサーン朝、6-7世紀 高35.7最大径12.8㎝、重1130g 銀鍍金 イラン MIHO MUSEUM蔵
『MIHO MUSEUM 南館図録』は、この作品では、胴体と頸部、胴体と台を接合するのに連珠文の装飾を施し、その上下部分を帯状に鍍金している。西洋梨のような形の本体は縦畝文で装飾しているが、円筒形の頸部や台は無文である。湾曲した把手の両端は鴨の頭で装飾され、本体に接合されている。制作されたときには蓋もあった。

ギリシア・ローマ文化とイラン文化はシリアや黒海の北岸や東岸で交流を重ねていた。イランとローマ後期ないしビザンティンの美術様式の折衷・融合がササン朝(224-651)美術で行われた。貴金属製の容器に縦畝文を施すのはアケメネス朝ペルシアやギリシアで前6-前4世紀に行われていたが、さらにセレウコス朝、アルサケス朝の時代(前311-後224)にも西アジアで流行した。ササン朝の銀細工師はこの長年にわたる伝統を継承したようである。しかしながら、この水差の連珠文装飾自体は、ローマ後期の銀製容器の装飾に由来するようである。

同じ頃、中央アジアでもこのような形の水差が制作され、唐時代(618-907)の中国の陶器製水差の型式に影響を及ぼした。

ゾロアスター教のアナーヒーター女神(ナヒド)はターク・イ・ブスタン大洞奥壁上段に浮彫されている。その女神の像は手に水差を持っているが、その水差には波のように曲がりくねった畝状の文様が刻まれているという。
ターキブスタンの大洞(7世紀前半)は内部に立ち入れないため、暗い洞の奥にある浮彫の水差に畝文があるかまでは見分けられなかった。
アナーヒーター女神の浮彫はこちら

そこでふと頭に浮かんだのがコアガラスの香油瓶。でも香油瓶はアラバストロン形なので、ガラス容器をあれこれ探してみると、

片手付小壺(オイノコエ) 前6-5世紀 高11.0最大幅(口縁部)3.3㎝ ガラス 東地中海地域 MIHO MUSEUM蔵
『Ancient Glass展図録』は、紺色のコアガラス製容器。把手は紺色ガラスで作られる。黄色と白色のガラス紐でジグザグ文が施され、表面には施文時の溝がわずかに残っている。全体が美しい銀化で薄く覆われるという。
口縁部も三つ葉形。同時代に土器でもガラスでも大きさの違いはあっても同じ形のものが制作されていた。この形のガラス容器は後の時代にも作られたのだろうか。

條文装飾把手瓶 3-4世紀 高15.7径10.0㎝ ガラス 東地中海地域あるいはイタリア MIHO MUSEM蔵
同展図録は、現在は色とりどりの銀化に覆われた華やかな器だが、もとは水色の透明ガラス瓶であった。水やワインなどの容器に使用したものであろう。宙吹きで形を作り、胴部に13本の條文装飾をつまみ出す。紐をめぐらせた装飾が付く。平らなガラスの把手が口縁と胴部をつないでいる。頚の紐装飾は、液体を注いだあとのたれ防止にもなるという。
口縁は平たく、把手も口縁部と同じ高さと形は異なる。このような條文装飾はガラス器によく見られるものだが、どうやら金属器の縦畝文を採り入れた装飾らしい。

注口把手付瓶 4世紀 高16.9径10.8 宙吹き 淡緑色 シリア 岡山市立オリエント美術館蔵
『ガラス工芸-過去と現在ー展図録』は、つまみ注口。口縁下部と頸部に糸状装飾が各1つ貼付けてある。胴部にリブ装飾が16ヵ所でみられる。把手は胴部から口縁にむけて1本で付けられている。注口は竿の部分からのひねり出しによって形作られ、内側に折り、最後につまんで注ぎ口を作るという。
同じ頃三つ葉形注口も制作されていた。口縁末端は同じ高さの把手の上に細くなって巻くように終わっている。

単把手付瓶 慶州皇南大塚南墳(458年没)出土 韓国慶州国立博物館蔵
『古代ガラス-色彩の饗宴ー展図録』は、ササン~初期イスラム期で、バクトリアなど中央アジア産とされる一群のガラスもある。東アジアへの流入例としては、新羅第19代の訥祇王(417-458)墓とされる皇南大塚南墳出土単把手付瓶(青色部:カリ4.%、マグネシア3.1%ソーダ18.8%)があるという。
三葉形の注口で、把手はやや下に小さく取り付けられている。中央アジアでは細身の器体が好まれたのだろうか。

貼付文把手 8-9世紀 高14.7幅6.5注口径4.2㎝ 宙吹き 淡緑色ガラス イラン 岡山市立オリエント美術館蔵
『ガラス工芸-過去と現在ー展図録』は、表面銀化。把手付き。糸状巻きつけ、引きのばし脚台。注口部糸状貼付、胴中央部連続S字文様という。
時代は三彩貼花宝相華文水注よりも下がるが、上図のバクトリア制作の容器と形が似ている。注口は三つ葉形でもなさそう。
ということで、三彩貼花宝相華文水注(唐時代、7-8世紀)に直接影響を与えたと思える頃のガラス容器は見つけることはできなかったが、確かにガラス容器に触発されて三彩陶器で制作されただろうことはわかった。


古いものを倣う

関連項目
東洋陶磁美術館 オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった2
ターキブスタン(Taq-e-Bustan) サーサーン朝の王たちの浮彫

参考文献
「Object Portraits by Eric Zetterquist オブジェクト・ポートレイト エリック・ゼッタクイスト 展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
「ガラス工芸 歴史と現代」 1999年 岡山オリエント美術館
「ギリシアローマ」 ギリシアローマ美術館
「MIHO MUSEUM 南館図録」 杉村棟監修 1997年 MIHO MUSEUM
「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM
「MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録」 2001年 MIHO MUSEUM 

2019/04/23

陶磁器で古いものを倣う


唐三彩が後の遊牧民の国家遼や金、元の時代にも受け継がれていったことは以前にまとめたことがある。それについてはこちら
また、本来は皮袋だったものを金属器や陶器で制作したりもされてきた。

皮袋型銀鍍金鶏冠壺 遼時代 高26.5㎝ 内モンゴル自治区赤峰市城子山出土 赤峰市文物工作站蔵
『図説中国文明史8』は、遼代の鶏冠壺は、最初は皮袋であった。木製や金属製のものも発掘されているが、金メッキを施した銀製の鶏冠壺はきわめて珍しい。これは両側面の中央に、頭上に霊芝の生えた神鹿文様がある。製作技法や文様などは唐代の金銀器に由来するものの、造形には契丹の民族的特徴がきわだっているという。
形は真似ても、皮袋のように騎乗するために使うのではなく、屋内で使用するか、飾りとして置かれたものだろう。

双猴緑釉鶏冠壺 遼時代 高20.1内部が24.6口径8.4底径9.2㎝ 赤峰市墓葬出土 赤峰市文物工作所蔵
同書は、この鶏冠壺は、皮袋の形をかたどった原始的な形態を残している。シルクロードを通って、多くの隊商が東西間を行き交い、飼いならされた中国のサルもいっしょに遠い異国へと出かけ、道中の退屈をなぐさめる仲間になった。ラクダの背に乗ったペットのサルの姿は、文物にしばしば見られるという。
口は開くのだろうか。やはり実用品ではないだろう。
それにしても、皮を縫い合わせた凹凸の線や、微妙なへこみなど、本当は皮でつくったのではと思うような質感さえ感じる。

白磁皮嚢壺 10世紀前半 赤峰市アルホルチン旗耶立律羽之墓出土(合同5年、942) 高30.5口径2.6底径11㎝ 内蒙古文物考古研究所蔵
『契丹展図録』は、把手のついた皮袋形の壺である。把手につくようにやや短い直立する口をもち、口縁と胴部の際に環状のものでつけたと思われる円文が並び、胴部にむけて凸帯文で皮袋を縫い合わせた線をおおらかに表している。胴部は最大径が中央にあり、ゆったりと堂々とした形で、裾にむけてすぼまっていき平底になる。釉は底部にはかけず胴部全体にまんべんなく施され、よく溶けており美しい。この種の把手がつく皮袋形の壺は、晩唐時代から邢窯などで遺例が知られる。河北省定窯産の可能性があるという。
同墓には同じ形の黒色の皮嚢壺黒色も副葬されている。
皮嚢壺のは口が金属で作られるのだったと思うが、そんな金属感も出ている。

緑釉鶏冠壺 11-12世紀 高31口径4 赤峰市収集 内蒙古博物院蔵
同展図録は、鶏冠壺とは皮嚢壺と同様に皮袋を模した壺である。細長い身の上部に2つの鶏冠がつくことから、この名がつけられた。鶏冠には皮袋を馬につるすための穴が表現される。この鶏冠の穴が1ヶ所のみのものと本例のように2ヶ所つくものがあり、両例ともに比較的多くの類例を探すことができる。馬の鐙にくくりつけていたとされることから馬鐙壺とも呼ばれる。皮袋を縫い合わせた部分を凸帯線で表現しており、その中を唐草文であろうか、簡略化された文様が大胆に施される。鶏冠の穴が1つのものは契丹時代早期の典型例であり、本品のような穴が2つのものは、中期の鶏冠壺の典型例であるという。
左側だけが鶏冠だと思っていた。三彩釉ではなく、総織部のような釉だ。刻線の文様は、カザフなどの遊牧民の、家畜の角を表した伝統的なものにも見える。

黄釉共命鳥文皮嚢壺 11-12世紀 高22.7胴径12-13㎝ 赤峰市寧城県三座店郷出土 内蒙古文物考古研究所蔵
同展図録は、皮嚢壺、鶏冠壺のなかで器体がやや丸みをおび把手をもつ作品である。底部はごく浅い高台をつくり、胴部最大径が胴部の下部にくるよう丸みを帯びた器体である。注口は直口で皮袋の境の部分に凸線をめぐらし。口縁には連珠文を入れる。環状の把手をもち、皮袋との境には蓮の葉が表現され、把手には指の腹で押したような痕跡が数ヶ所残る。白化粧後、黄釉を胴部下半部までかけ、それ以外は無釉である。契丹時代中期以降の作品。胴部には、人面双頭で蓮の花をもった極楽に住む鳥である共命鳥が描かれる。中国では5世紀後半には珍奇な鳥の一種で仏教説話のエピソードとして広まるという。
共命鳥については、キジル石窟の壁画でみたことをきっかけに昔まとめていたはずと探したが見つからない。
見た目よりも仏教由来の文様が採り入れられた器だった。

上記のものは同時代の別の素材の製品を陶器に写したものだったが、大阪市立東洋陶磁美術館で開催された「オブジェクト・ポートレイト展」で元時代に殷時代の青銅器の形を磁器で再現するということが行われていたものを見た。

青磁管耳瓶 南宋~元時代・13世紀 高20.9径13.0㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、この青銅器時代の形は、元時代の新擬古主義の流行を物語るという。
伝世で殷時代の青銅器が伝わっているとは思えず、何かのきっかけで出土したものが珍重され、磁器でもつくらせることが流行したのだろう。

亜ぎ(匕の下に天に近い文字)觚 商後期(前13-11世紀) 通高31.0口縁径17.9重量1.56㎏
『泉屋博古 中国古代銅器編』には3点が記載されている。この作品は、胴がさらに細くなり、口も極端に外に開く。圏足は末端で強く開き下に高台が付く。胴・圏足の稜飾は太く大きい。文様は頸部に蕉葉文、頸付け根に鳥文、胴部に饕餮文、圏足付け根に蛇文、その下に饕餮文がほどこされる。饕餮文は眼・眉・角・口・胴・足の各部が分離するタイプである。これら文様はすべて、薄肉彫り様に表現されていて、その隙間に渦巻地文が充塡される。地文は精緻で文様輪郭もシャープに鋳出されていて美しい。圏足内側に「亜ぎ」銘があるという。
磁器ではここまで凹凸を付けて、細身に仕上げることはしていない。技術的に無理だったのか、あるいは南宋-元時代の人の好みだったのかも。

大阪市立東洋陶磁美術館の『オブジェクト・ポートレイト展』に展示されていた青磁象嵌菊蓮花文瓜形水注は、前年秋の『高麗青磁ーヒスイのきらめき展』(以下『高麗青磁展図録』)でよく似た瓜形水注と並んで展観されていた。

青磁象嵌菊蓮花文瓜形水注
高麗時代・12後半-13世紀前半 高19.9幅22.1X15.4㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、弾けそうに膨らんだ胴に稜線をいれ、瓜形にした水注である。太めの小さな注ぎ口と把手が付く。稜線によって立体感をあたえられた胴の各面には菊花文と蓮花文を交互に配し、肩には小さな如意頭繋ぎ文、胴裾には蓮弁文が象嵌技法で施されている。注ぎ口を包むように蓮の葉文の輪郭が白黒象嵌で施され、その葉脈が陰刻で細く線刻されている。透明で落ち着いた灰青緑色の釉色により、蓮花文と菊花文が鮮やかに映る。形や文様表現、釉色とともに、象嵌瓜形水注の中でも優品といえようという。

青磁象嵌菊牡丹文瓜形水注 李王家(職)美術品製作所(工場) 1915-20年代頃 高19.9幅23.5X13.2㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、本作は高麗青磁として安宅コレクションに入ったものであるが、1915-20年代頃に李王家(職)美術品製作所(工場)で制作された高麗青磁の再現品であることが今回新たに判明した。その理由の一つは、共箱である漆塗りの木箱の内部が作品の形に合わせてきっちりと収納されるいわゆる「仕込み」になっており、これは他の工芸品の再現品にも見られる箱であるとともに、また蓋の裏面中央に「京城 李王家美術工場造」の丸いシールが貼られている点にある。高麗青磁と見紛うほどの釉色や造形の出来映えとともに、象嵌技法による文様表現には高麗青磁らしさも見せており、一見してその差異は分からないものであるという。
左が20世紀第1四半期に制作されたもの、右が12世紀後半-13世紀前半のもの

しかし細部の特徴に、高麗青磁との違いが見て取れる。まず、水注の胴には8本の稜線をいれ高麗青磁の水注に典型的な瓜形をなしているが、ややボリューム感に欠け、胴に走る稜線はその彫りが単純な線となっており、各面に立体感がない。さらに、胴には菊花文と牡丹文が白黒象嵌によって精巧に施されているが、その文様が器形に比べ、格段に大きいのがわかる。また、肩に見られる如意頭繋ぎに垂飾文が、そして本来胴裾にあるべき蓮弁文は、胴の下部に置かれ、こうした文様構成は高麗青磁では通常見られないという。
写すだけでは飽き足らず、陶工の創意が入ってしまうのだろうか。つくらせた人や時代の好みでもあったのだろう。

                →陶磁器で将来されたものを倣う

関連項目
中国の唐時代の三彩と各地で模倣された三彩
オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった2
オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった1

参考文献
「高麗青磁ーヒスイのきらめき展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
「Object Portraits by Eric Zetterquist オブジェクト・ポートレイト エリック・ゼッタクイスト 展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
「図説中国文明史8 遼西夏金元 草原の文明」 稲畑耕一郎監修 2006年 創元社
「草原の王朝 契丹 美しき3人のプリンセス 展図録」 九州国立博物館編集 2011年 西日本新聞社
「泉屋博古 中国古代銅器編」 2002年 泉屋博古館

2019/04/16

東洋陶磁美術館 オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった3


館内図(同館リーフレットより)

D室から階段を降りて日本の陶磁器のE室へ。入口から3点のゼッタクイスト氏の写真が見えている。

写真だけ見ると、壺が並んでいるのかと思った
須恵器蹄脚円面硯 奈良時代・8世紀 高10.6径28.5㎝ 米田吉右衛門氏寄贈
説明パネルは、中国唐時代の円面硯を模したものと思われます。金属器を思わせるシャープな造形感覚は、7世紀以降の須恵器の一つの特徴です。同種の硯は宮殿・官衙・大寺院などの遺跡からの出土例が多く、儀式用など特別なものであったと考えられます。本作は大阪府の陶邑窯で出土したと伝えられており、須恵器円面硯を代表するものの一つといえますという。
脚部の付け根は丸みがあるが、台に下りたものは驚くほど鋭角なもの
エリック・ゼッタクイスト 58.3X85.4㎝
同展図録は、日本への仏教の流布に伴い、隋時代の様式からの直接的な影響を受けて、この大きな円面硯は、均等に配された房状の脚により、円形の台座から持ち上げられている。脚を覗き込むと壺の形が見つかった。脚の間の空間として姿を変えた輪郭は、曲線を描きながら小さく消えていくという。
私がこの写真を見て感じたことと全く同じだ
しゃがんで狙ったが、壺の形を撮影することはできなかった

奥のケースの2点

緑釉手付瓶 平安時代・10世紀 高22.5径12.3㎝ 
説明パネルは、日本の緑釉陶器は7世紀後半に朝鮮半島の技術的影響の下に誕生しました。平安時代、緑釉陶器は「青瓷(あおし)」とも呼ばれ、儀式用調度の一つでした。金属器を思わせるシャープな造形と薄づくりの成形は、卓越した轆轤技術によるものです。緑釉はほとんどが剥落し、胴部下方にわずかに残存して往時の鮮やかな彩りを想像できます。大阪の平瀬家に伝来のものですという。
黒っぽい緑釉の痕跡は認められる。もう少しこの辺りにライトが当たっていたら、もっと鮮やかな色に見えたかも
エリック・ゼッタクイスト 88.5X45.6㎝
同展図録は、本作は、新たな造形の表現形式をもたらした、中国から日本へ仏教が広まった時期の重要な作品である。把手の形状に注目すると、その末端は、上向きの三角形に仕上げられており、これが隋及び唐時代の金属器から影響を受けた仏教儀礼のための作品だということを伝えているという。
上の端の細い線はどんな角度から撮影したのだろう
頸付け根の二重の磚あたりにも緑釉が残っているが、鮮やかな色ではなかった
肩部で終わる把手に稜があることが、隋から唐にかけての金属器の特徴だったということらしい

須恵器長頸瓶 奈良時代・7世紀末 高35.4径27.4㎝
説明パネルは、須恵器は5世紀前半に朝鮮半島から伝わった新しい技術によってつくられた灰黒色の硬質土器です。長頸瓶は奈良時代に盛んに作られましたが、これほど大形のものは少なく、須恵器中の名品の一つといえます。高火度焼成のため肩などに降りかかった灰が自然釉となっています。奈良県天理市萱生で出土したと伝えられていますという。
昔々、某考古学研究所でアルバイトをしていた頃、自然釉はかかっておらず、正に灰黒色で硬く焼き締まっていて、とても格好いい大きな長頸壺を見たことがある。他の土器片同様にケースに入れられ、収蔵庫行きというのが、ものすごく残念だった。
エリック・ゼッタクイスト 87.5X36.8㎝
同展図録は、本作の極端な形状は、今日ではモダンに感じられる純粋に日本の造形表現である、初期の弥生土器を思い出させる。しかし、朝鮮半島に学んだ、より洗練された焼成技術によって、日本の陶工はこうしたシャープなエッジの、この威厳のある瓶の輪郭に特徴づけられるような、大胆に幾何学的な形を制作できるようになったのであるという。
この形なら、遠くからでも須恵器の長頸壺
右半分を切り取ったら

絵唐津草鳥文向付(5客) 
桃山時代-江戸時代・17世紀前半 唐津窯 高7.4-8.2径12.3-13.3㎝
説明パネルは、絵唐津とは鉄絵文様が施された唐津焼のことです。薄手できめの細かい赤みを帯びた素地に、鉄絵で草や鳥の文様が簡略に描かれており、その上から長石釉を掛けています。所々の長石釉の釉だまりは乳白色を呈しています。轆轤づくりで、口の形を微妙に変えており、高台が丁寧に削り出されています。良質の向付が生産された伊万里地区の窯の製品と考えられますという。
エリック・ゼッタクイスト 56.0X131.4㎝
同展図録は、これらの中世日本の器にみられる葉っぱのような形をした口縁から、私は睡蓮の葉を連想した。この器を水に浮かぶかのように配慮し、同時代の禅画に倣って、口縁部を水墨による素描のように表現したという。
墨のかすれなどもあって、とても写真とは思えない。5客というと円形に配置したり、3・2或いは逆にして二列にすることしか考えたことはないが、1点を離して、水に浮か葉の自然な様子が思い浮かぶ
5客のうちの1点
見込にツバメのような鳥が飛ぶ様子が簡略に描かれているが、それが写し切れていなかった
織部切落四方手鉢
桃山時代・17世紀初 美濃窯(織部) 高18.5幅22.2X18.3㎝ 
説明パネルは、桃山時代の織部には様々な茶陶が見られます。この手鉢は長方形の二辺の中央を一段削り取る「切落」という手法が見られます。大きく弧を描く把手と、底には美濃窯独特の環状に折り曲げた脚が四方に付きます。白泥上に鉄絵で描かれた干柿や唐草などの文様は、織部独特の斬新なデザイン感覚を見せています。岐阜県土岐市の元屋敷窯の製品と考えられますという。
エリック・ゼッタクイスト 78.5X55.6㎝ 
同展図録は、この遊び心に富んだ茶陶の把手は、籠の把手の形をしているが、滝のようにも見える精細な装飾が施されている。不揃いな彫りの表現に触発され、20世紀初頭のドイツ表現派の木版画風に表現したという。
右手前から写したのだろう
やや向きと角度がちがうので、滝の落口の勢いが全くでていない

F室はペルシアの陶器が並んでいた。
現在は別の方面をまとめているが、イスラーム陶器、ペルシア陶器は懐かしい思いで見て回り、写真も写していった。
懐かしい陶器も並んでいる。
白地多彩鳥文盤 11-12世紀 高5.7径28.8㎝ ゴルガーン 高田早苗氏寄贈
説明パネルは、赤褐色の胎土に白化粧をし、太い黒線で鳥や花を描き、赤、黄、緑の顔料で彩色した盤です。黒線には白泥で連珠が加えられます。このような文様構成の鉢類は、イラン北部マーザンダラーン地方のサーリー周辺で出土したという情報から、かつては「サーリー手」と呼ばれていましたが、現地では未だ窯址は確認されていません。一方で東部のゴレスターン地方ゴルガーン遺跡で類品が多数出土しており、産地としての可能性はこちらの方が高いとされています。本器はこの種のものでもかなり大型の部類に属すものです。大きな嘴と頭頂部の飾りを持つ特徴のある鳥は、サーサーン朝の金属器や織物などに表されていたゾロアスター教の吉祥の鳥の姿を継承したものと考えられますという。
イラン、タブリーズのアゼルバイジャン博物館にもあった鳥文の楽しい陶器。
それについてはこちら
ラスター彩幾何学文鉢 9-10世紀 高7.4径22.4㎝ メソポタミア 高田早苗氏寄贈
説明パネルは、錫白釉器の上に酸化銀、酸化銅などの金属顔料で絵付けをして低火度で二次焼成したものです。文様部分が金属のように輝くことから、ラスター彩(luster=輝き)と呼ばれています。8-9世紀頃に、ガラスの装飾技法を基にしてメソポタミアで始まったとされる技法で、ペルシアでは12世紀以降、特に発達しました。初期のものは複数の金属顔料を用いて文様を描いたものが多く、本作品もこの時期のものに属します。内面は放射状線を四方に描き、その間に幾何学文を配し、外面は三箇所に二重円圏を描きその内外を線状の文様で埋めていますという。
初期のラスター彩陶器についてはまとめたことがあるが、このような幾何学文様のものも、鮮やかな色彩のものも初めてみた。
初期のラスター彩陶器についてはこちら

そして韓国陶磁器の展示室へ白磁角杯 朝鮮時代・15世紀 径5.5幅18.8㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、角形の杯は、もともと遊牧民族が酒などを飲むのに用いていました。朝鮮半島では新羅土器や高麗青磁にも作例がありますが、本作では流麗で端正な造形から、王室用と考えられます。「世宗朝(1419-50)の御器はもっぱら白磁を用いた」という記録もあり、この角杯のような格調高い白磁が製作されていたのでしょうという。
何故か写真と反対の向きに展示されていのだった。
角杯よりはリュトンと呼ぶことが多い。リュトンについては以前まとめたことがある。それについてはこちら
エリック・ゼッタクイスト 80.3X179.1㎝
同展図録は、この形は、おそらく最初期の人類に起源を持ち、その後何千年も同様に琴線を刺激してきた。今回もその繰り返しになるが、根本的な美の理解によって、人類は密接に結ばれていることの証であるという。
上写真のように角形を置くよりも、動物の角として眺めているよう

黒釉瓢形瓶 高麗時代・12-13世紀 高38.9径19.3㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、瓢形瓶は中国に始まりますが、高麗時代には上下を引き伸ばしたような流麗な形を取るものが多くなり、独自の造形として発展しました。器の全面に黒釉を二重掛けし、黒色や褐色など、色の変化を見せています。黒釉瓢形瓶の大作はごく少なく、数点を数えるに過ぎません。高麗時代の黒釉は、青磁窯で一緒に焼かれましたという。
エリック・ゼッタクイスト 199.5X51.3㎝ 
同展図録は、ある種の形は、何もない空間が鏡のように反転した者の形になる。この現象は、瓢形の輪郭線に沿ってダイナミックに現れるという。
ちょっと遊んでみると、
左右反転して間にできた瓢形は、なんとも言いようのない、ずんぐりした形です
二重掛けした釉薬の色合い

白磁瓜形水注・承盤
高麗時代・12世紀 水注:高18.6径16.6㎝ 承盤:高8.9径18.4㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、本作のような瓜形水注を高麗人はとりわけ好んだらしく作例は少なくありません。しかしこのように充実感に満ち、深い刻み目のあるものはわずかです。承盤に湯を入れて酒や茶が冷めないようにするのは宋時代の風習ですが、本作もそれに習ったのでしょう。高級白磁の生産地・全羅北道扶安郡柳川里窯で焼かれたものとみられますという。
エリック・ゼッタクイスト 56.6X71.6㎝
同展図録は、優雅な瓜形水注には、把手の上部に小さな鐶があり、それは蓋にある同様の鐶と結ばれていたのだろう。これらの輪っかと、把手のかたち造る空間は、シンプルな、コールダーのようなモダニストの構成を形成するという。 
こんな感じかな
瓜の刻み目だけでなく、縦に浅い畝のような凹凸がある
承盤の高台はゾウの足のようで味わい深い

次は

青磁象嵌菊蓮花文瓜形水注
高麗時代・12後半-13世紀前半 高19.9幅22.1X15.4㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、本作は典型的な瓜形水注で、菊花と蓮折枝文を交互に配しています。菊の花を酒に浮かべる菊花酒は、古くから長寿の酒として人々に好まれ、蓮もまた、その葉に酒を注いで茎から飲む趣向があり、盃に見立てた蓮の葉を「荷杯」「荷盞」「象鼻杯」などと呼びますという。
エリック・ゼッタクイスト 57.2X42.6㎝
同展図録は、典型的な高麗時代の形をしたボディから伸びる、注ぎ口の間の空間は、造形の有機的な起源を実証する、線の装飾を作り出しているという。
黒い液体が上から流れてきて、今にも雫が落ちそう
ゼッタクイスト氏の狙ったところがまあまあ撮影できた
本作も、注ぎ口を包み込むように蓮の葉文が施され、荷杯の遊びを意識しているかのようです。底部まで丁寧に釉が施され、高台内に6つの硅石目跡が見られますという。
この辺りまでくるとさすがに集中力にかけてきたみたいで、注口の側から見ていなかった。でも説明パネルを写していたので、注口と把手を囲む蓮の葉文はわずかに見えるものの、高台の目跡と高台を巡る蓮花文がわかった。

青磁象嵌葡萄唐草文瓢形水注 ケースは写していたが、拡大しては撮影していなかった
高麗時代・13世紀 高36.4幅17.4X16.3㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、灰青緑色の澄んだ釉色が、葡萄唐草文様と瓢箪の形を際立たせている。瓢形水注は13世紀頃には日本へもたらされたことが、対馬や鎌倉などでの出土例から分かり、日本でも早くから好まれたようであるという。
この蓋の形が急な屋根のようで、上端に穴がある。把手の穴(鐶)と組紐のようなもので繋がっていたのだろうか
細めの葡萄の葉が弧を描く蔓に並び、その中に色とりどりの実がなっている
エリック・ゼッタクイスト 94.1X58.0㎝
同展図録は、本作の把手は、二本の紐状の土を練り合わせて作られている。斜めから強く光をあてると、巻き目の凹凸が強調される。てっぺんの鐶と、ボディに繋げるために引き伸ばされた部分とともに、古代の龍の洞窟拓本のようだという。
鐶はここでは龍の耳
龍の頭は写真のようには見えない

このどこかに見逃したものも写っていた
青磁印花蓮池水禽文方形香炉 
高麗時代・12-13世紀 高13.3幅27.4X27.3㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、現存する高麗青磁で方形の香炉はまれですが、ボストン美術館の方形香炉が代表作です。陶范による型押し技法を用い、側面の、花樹木のまわりを鷺などが泳ぐ水禽文は、詩情ゆたかな自然を感じさせます。底部の内面に赤色耐火土目跡が残ります。全羅北道扶安郡柳川里窯址で同片が出土していますという。
角があっても揺らぎがその緊張感を緩和する
エリック・ゼッタクイスト 56.0X56.0㎝ 
同展図録は、薄い器壁を全く歪みなく焼成することは、極めて困難である。本作は焼成中に生じたゆがみにより、意図したよりはるかに興味深い造形が造られた。この不完全性は、過去何世紀にもわたり日本の茶人にとって魅力的なものであり、私たちの現代の美学にも、同様に心に響くものがあるという。
完璧すぎると近寄りがたく、すぐにその場を離れてしまいたくなるが、不完全なものは味わいがあり、何時までも見ていたい
背が低いので、この高さから見るのが精いっぱい。底部もかなり歪みがあった
脚は獣足ではないが、龍の頭部にも見えるし、アカンサスの葉が翻っているという風にも
四方の蓮池水禽文の一つ。サギはいつも立っているが、調べてみると本当に泳ぐらしい

さて、見逃していたもの

まず、ずっと気になっていたこの写真
青磁陽刻双鶴文枕 エリク・ゼッタクイスト 124.9X288.8㎝
同展図録は、本作の芸術性は、そのかすかに窪んだかたちにある。圧迫感のある枠の中心に作品を配することで、その曲線と不完全さが立ち現れる。閉じられた空間に、ふくらみと丸みが明かされることで、作品に生命を与えているという。
昨秋の「高麗青磁ーヒスイのきらめき展」で見ていたので、見当はついたがなかなか探しだせなかった。ケース全体では写していたのに。
幸い「高麗青磁ーヒスイのきらめき展」で撮影した写真があった。
高麗時代・12世紀 高9.2幅21.5㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、京都の大徳寺芳春院に伝来したものとされるが、枕の一方を四角く切り抜き、横に立てて花入れとしている。もともと唐物として日本に流入したと思われるこの「青磁陽刻双鶴文枕」は、唐物と「わび茶」の見立て、という両方の性質を備えつつ、その価値転換をあざやかに象徴する希有な伝世品といえようという。
本来は横にして使う道具を「立ててみたらどうだろう」という遊び心
頸を絡め、羽根を菊の花のように広げる二羽の鶴
斜めから見ると四角い穴が
説明パネルには落としの写真
立てて置くと確かに花入れ。どんな花が似合うのだろう

最後にもう一点

高麗時代・12世紀後半-13世紀前半 高33.3径16.5㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、本作のような面取の力強い傑作は多くなく、迫力に満ちた作行きである。象嵌技法による胴の8面の文様は、装飾過剰に陥らず、菊文と牡丹文を1枚ずつ交互にほどこした端麗な趣であり、形態の本質を生かしつつ造形の妙を見せる。しかも落ち着いた灰青緑色の釉色が文様を引き立てている。口脇に鐶状のつまみがつき、本来は蓋を伴っていたものと考えられるという。
どんな蓋があったのだろう。同展では鶴首瓶は5点出ていたが、他に2点鐶が付いていた
エリック・ゼッタクイスト 147.6X58.3㎝
同展図録は、力強く美しい形によって作られる単純なポジとネガの輪郭線は、頸の先端にみられる鐶状のつまみがなければ、退屈なものになってしまったかもしれない。蓋を固定するための、この小さな突起は、長く華麗な頸の約5分の4という理想的な場所に位置している。というのも、写真の黒色面が、不思議な顔つきの仮面を付けた肖像へと早変わりするのであるという。
確かに背景を黒くすると人の横顔にも見えるが、
そうでなければ、蓋を固定するための鐶だったのか、単なるアクセントだったのか、謎の物体である
東洋陶磁美術館で陶磁器の鑑賞をするときは、あまりの名品の多さに途中から集中力に欠けてしまうのが常であるが、今回はゼッタクイスト氏の写真の作品を探すという楽しみのおかげで最後までわくわくしながら見ることができたと思っていた。
ところが、最後の3点はうっかり見逃していた。しかも、ロビーに大きな写真が掲げられていたものを、展示室のどこにあるのだろうと探していたというのに。
全く茶人ではない私だが、どこかに不完全さを求めていたのだろうか。

オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった2←      →陶磁器で古いものを倣う

関連項目
オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった1
角形リュトン
アゼルバイジャン博物館 面白い動物が描かれた陶器
初期のラスター彩陶器はアッバース朝とファーティマ朝

参考文献
「Object Portraits by Eric Zetterquist オブジェクト・ポートレイト エリック・ゼッタクイスト 展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
ゼッタクイスト氏の青磁八角瓶の写真をもっと部分的に切り取って、書の作品のような表紙です
裏は飛青磁