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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/04/23

陶磁器で古いものを倣う


唐三彩が後の遊牧民の国家遼や金、元の時代にも受け継がれていったことは以前にまとめたことがある。それについてはこちら
また、本来は皮袋だったものを金属器や陶器で制作したりもされてきた。

皮袋型銀鍍金鶏冠壺 遼時代 高26.5㎝ 内モンゴル自治区赤峰市城子山出土 赤峰市文物工作站蔵
『図説中国文明史8』は、遼代の鶏冠壺は、最初は皮袋であった。木製や金属製のものも発掘されているが、金メッキを施した銀製の鶏冠壺はきわめて珍しい。これは両側面の中央に、頭上に霊芝の生えた神鹿文様がある。製作技法や文様などは唐代の金銀器に由来するものの、造形には契丹の民族的特徴がきわだっているという。
形は真似ても、皮袋のように騎乗するために使うのではなく、屋内で使用するか、飾りとして置かれたものだろう。

双猴緑釉鶏冠壺 遼時代 高20.1内部が24.6口径8.4底径9.2㎝ 赤峰市墓葬出土 赤峰市文物工作所蔵
同書は、この鶏冠壺は、皮袋の形をかたどった原始的な形態を残している。シルクロードを通って、多くの隊商が東西間を行き交い、飼いならされた中国のサルもいっしょに遠い異国へと出かけ、道中の退屈をなぐさめる仲間になった。ラクダの背に乗ったペットのサルの姿は、文物にしばしば見られるという。
口は開くのだろうか。やはり実用品ではないだろう。
それにしても、皮を縫い合わせた凹凸の線や、微妙なへこみなど、本当は皮でつくったのではと思うような質感さえ感じる。

白磁皮嚢壺 10世紀前半 赤峰市アルホルチン旗耶立律羽之墓出土(合同5年、942) 高30.5口径2.6底径11㎝ 内蒙古文物考古研究所蔵
『契丹展図録』は、把手のついた皮袋形の壺である。把手につくようにやや短い直立する口をもち、口縁と胴部の際に環状のものでつけたと思われる円文が並び、胴部にむけて凸帯文で皮袋を縫い合わせた線をおおらかに表している。胴部は最大径が中央にあり、ゆったりと堂々とした形で、裾にむけてすぼまっていき平底になる。釉は底部にはかけず胴部全体にまんべんなく施され、よく溶けており美しい。この種の把手がつく皮袋形の壺は、晩唐時代から邢窯などで遺例が知られる。河北省定窯産の可能性があるという。
同墓には同じ形の黒色の皮嚢壺黒色も副葬されている。
皮嚢壺のは口が金属で作られるのだったと思うが、そんな金属感も出ている。

緑釉鶏冠壺 11-12世紀 高31口径4 赤峰市収集 内蒙古博物院蔵
同展図録は、鶏冠壺とは皮嚢壺と同様に皮袋を模した壺である。細長い身の上部に2つの鶏冠がつくことから、この名がつけられた。鶏冠には皮袋を馬につるすための穴が表現される。この鶏冠の穴が1ヶ所のみのものと本例のように2ヶ所つくものがあり、両例ともに比較的多くの類例を探すことができる。馬の鐙にくくりつけていたとされることから馬鐙壺とも呼ばれる。皮袋を縫い合わせた部分を凸帯線で表現しており、その中を唐草文であろうか、簡略化された文様が大胆に施される。鶏冠の穴が1つのものは契丹時代早期の典型例であり、本品のような穴が2つのものは、中期の鶏冠壺の典型例であるという。
左側だけが鶏冠だと思っていた。三彩釉ではなく、総織部のような釉だ。刻線の文様は、カザフなどの遊牧民の、家畜の角を表した伝統的なものにも見える。

黄釉共命鳥文皮嚢壺 11-12世紀 高22.7胴径12-13㎝ 赤峰市寧城県三座店郷出土 内蒙古文物考古研究所蔵
同展図録は、皮嚢壺、鶏冠壺のなかで器体がやや丸みをおび把手をもつ作品である。底部はごく浅い高台をつくり、胴部最大径が胴部の下部にくるよう丸みを帯びた器体である。注口は直口で皮袋の境の部分に凸線をめぐらし。口縁には連珠文を入れる。環状の把手をもち、皮袋との境には蓮の葉が表現され、把手には指の腹で押したような痕跡が数ヶ所残る。白化粧後、黄釉を胴部下半部までかけ、それ以外は無釉である。契丹時代中期以降の作品。胴部には、人面双頭で蓮の花をもった極楽に住む鳥である共命鳥が描かれる。中国では5世紀後半には珍奇な鳥の一種で仏教説話のエピソードとして広まるという。
共命鳥については、キジル石窟の壁画でみたことをきっかけに昔まとめていたはずと探したが見つからない。
見た目よりも仏教由来の文様が採り入れられた器だった。

上記のものは同時代の別の素材の製品を陶器に写したものだったが、大阪市立東洋陶磁美術館で開催された「オブジェクト・ポートレイト展」で元時代に殷時代の青銅器の形を磁器で再現するということが行われていたものを見た。

青磁管耳瓶 南宋~元時代・13世紀 高20.9径13.0㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、この青銅器時代の形は、元時代の新擬古主義の流行を物語るという。
伝世で殷時代の青銅器が伝わっているとは思えず、何かのきっかけで出土したものが珍重され、磁器でもつくらせることが流行したのだろう。

亜ぎ(匕の下に天に近い文字)觚 商後期(前13-11世紀) 通高31.0口縁径17.9重量1.56㎏
『泉屋博古 中国古代銅器編』には3点が記載されている。この作品は、胴がさらに細くなり、口も極端に外に開く。圏足は末端で強く開き下に高台が付く。胴・圏足の稜飾は太く大きい。文様は頸部に蕉葉文、頸付け根に鳥文、胴部に饕餮文、圏足付け根に蛇文、その下に饕餮文がほどこされる。饕餮文は眼・眉・角・口・胴・足の各部が分離するタイプである。これら文様はすべて、薄肉彫り様に表現されていて、その隙間に渦巻地文が充塡される。地文は精緻で文様輪郭もシャープに鋳出されていて美しい。圏足内側に「亜ぎ」銘があるという。
磁器ではここまで凹凸を付けて、細身に仕上げることはしていない。技術的に無理だったのか、あるいは南宋-元時代の人の好みだったのかも。

大阪市立東洋陶磁美術館の『オブジェクト・ポートレイト展』に展示されていた青磁象嵌菊蓮花文瓜形水注は、前年秋の『高麗青磁ーヒスイのきらめき展』(以下『高麗青磁展図録』)でよく似た瓜形水注と並んで展観されていた。

青磁象嵌菊蓮花文瓜形水注
高麗時代・12後半-13世紀前半 高19.9幅22.1X15.4㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、弾けそうに膨らんだ胴に稜線をいれ、瓜形にした水注である。太めの小さな注ぎ口と把手が付く。稜線によって立体感をあたえられた胴の各面には菊花文と蓮花文を交互に配し、肩には小さな如意頭繋ぎ文、胴裾には蓮弁文が象嵌技法で施されている。注ぎ口を包むように蓮の葉文の輪郭が白黒象嵌で施され、その葉脈が陰刻で細く線刻されている。透明で落ち着いた灰青緑色の釉色により、蓮花文と菊花文が鮮やかに映る。形や文様表現、釉色とともに、象嵌瓜形水注の中でも優品といえようという。

青磁象嵌菊牡丹文瓜形水注 李王家(職)美術品製作所(工場) 1915-20年代頃 高19.9幅23.5X13.2㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
『高麗青磁展図録』は、本作は高麗青磁として安宅コレクションに入ったものであるが、1915-20年代頃に李王家(職)美術品製作所(工場)で制作された高麗青磁の再現品であることが今回新たに判明した。その理由の一つは、共箱である漆塗りの木箱の内部が作品の形に合わせてきっちりと収納されるいわゆる「仕込み」になっており、これは他の工芸品の再現品にも見られる箱であるとともに、また蓋の裏面中央に「京城 李王家美術工場造」の丸いシールが貼られている点にある。高麗青磁と見紛うほどの釉色や造形の出来映えとともに、象嵌技法による文様表現には高麗青磁らしさも見せており、一見してその差異は分からないものであるという。
左が20世紀第1四半期に制作されたもの、右が12世紀後半-13世紀前半のもの

しかし細部の特徴に、高麗青磁との違いが見て取れる。まず、水注の胴には8本の稜線をいれ高麗青磁の水注に典型的な瓜形をなしているが、ややボリューム感に欠け、胴に走る稜線はその彫りが単純な線となっており、各面に立体感がない。さらに、胴には菊花文と牡丹文が白黒象嵌によって精巧に施されているが、その文様が器形に比べ、格段に大きいのがわかる。また、肩に見られる如意頭繋ぎに垂飾文が、そして本来胴裾にあるべき蓮弁文は、胴の下部に置かれ、こうした文様構成は高麗青磁では通常見られないという。
写すだけでは飽き足らず、陶工の創意が入ってしまうのだろうか。つくらせた人や時代の好みでもあったのだろう。

                →陶磁器で将来されたものを倣う

関連項目
中国の唐時代の三彩と各地で模倣された三彩
オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった2
オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった1

参考文献
「高麗青磁ーヒスイのきらめき展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
「Object Portraits by Eric Zetterquist オブジェクト・ポートレイト エリック・ゼッタクイスト 展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
「図説中国文明史8 遼西夏金元 草原の文明」 稲畑耕一郎監修 2006年 創元社
「草原の王朝 契丹 美しき3人のプリンセス 展図録」 九州国立博物館編集 2011年 西日本新聞社
「泉屋博古 中国古代銅器編」 2002年 泉屋博古館