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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/04/30

将来されたものを倣う


唐時代には西方より将来された器を陶器で模倣したという。

三彩貼花宝相華文水注 唐時代・7-8世紀 高22.0径12.2㎝ 陶器 住友グループ寄贈(安宅コレクション)
説明パネルは、ギリシャの注酒器である「オイノコエ」に起源をもつ器型です。唐時代、シルクロードを通して西方からの文物が大量にもたらされ、唐三彩にはそうした西方の金属器やガラス器などを写したものもよく見られます。全面に褐釉が施され、胴部以下には緑釉が二重がけされ、さらに藍彩も加えられています。三彩の多色釉装飾は異国趣味の器物と見事にマッチしていますという。
把手の口に近い部分には鐶付状のものが付けられており、陶器はともかく金属製の蓋を付けていたがのかな。
たしかに古代ギリシアのオイノコエに似ているが、時代がかけ離れ過ぎているのでは。

よく似た注口のオイノコエはすぐに見つかった。

動物文様式コリント式三葉オイノコエ コリント中期、前580年頃 高40.0㎝ 土器 ギリシア ギリシアローマ美術館蔵
『ギリシアローマ』は、ぶどう酒入れ。細い首と足は黒い陶土の光沢顔料に覆われ、胴は三層の動物文帯で装飾。豹、フクロウ、水鳥、山羊、鹿、サイレン(半人半鳥)を描き、至るところに刻まれた大小のロゼッタ文、斑文、点文が充満してじゅうたんのような装飾的効果を上げていますという。
これが唐三彩の水注をさかのぼること1000年以上前に制作されたオイノコエ。三彩よりも高台が低く、ずっしりと沢山入りそう。
口は装飾というよりも、注ぎ易さを求めたのだろう。位置や形は違うものの、把手に装飾がある。何かの蓋を取り付けるためのもの、あるいはそれ以前のものを倣った痕跡だろうか。

金属器にこのような三つ葉形の口縁部を持つものはなかったが、興味深い文に出会った。

水差 サーサーン朝、6-7世紀 高35.7最大径12.8㎝、重1130g 銀鍍金 イラン MIHO MUSEUM蔵
『MIHO MUSEUM 南館図録』は、この作品では、胴体と頸部、胴体と台を接合するのに連珠文の装飾を施し、その上下部分を帯状に鍍金している。西洋梨のような形の本体は縦畝文で装飾しているが、円筒形の頸部や台は無文である。湾曲した把手の両端は鴨の頭で装飾され、本体に接合されている。制作されたときには蓋もあった。

ギリシア・ローマ文化とイラン文化はシリアや黒海の北岸や東岸で交流を重ねていた。イランとローマ後期ないしビザンティンの美術様式の折衷・融合がササン朝(224-651)美術で行われた。貴金属製の容器に縦畝文を施すのはアケメネス朝ペルシアやギリシアで前6-前4世紀に行われていたが、さらにセレウコス朝、アルサケス朝の時代(前311-後224)にも西アジアで流行した。ササン朝の銀細工師はこの長年にわたる伝統を継承したようである。しかしながら、この水差の連珠文装飾自体は、ローマ後期の銀製容器の装飾に由来するようである。

同じ頃、中央アジアでもこのような形の水差が制作され、唐時代(618-907)の中国の陶器製水差の型式に影響を及ぼした。

ゾロアスター教のアナーヒーター女神(ナヒド)はターク・イ・ブスタン大洞奥壁上段に浮彫されている。その女神の像は手に水差を持っているが、その水差には波のように曲がりくねった畝状の文様が刻まれているという。
ターキブスタンの大洞(7世紀前半)は内部に立ち入れないため、暗い洞の奥にある浮彫の水差に畝文があるかまでは見分けられなかった。
アナーヒーター女神の浮彫はこちら

そこでふと頭に浮かんだのがコアガラスの香油瓶。でも香油瓶はアラバストロン形なので、ガラス容器をあれこれ探してみると、

片手付小壺(オイノコエ) 前6-5世紀 高11.0最大幅(口縁部)3.3㎝ ガラス 東地中海地域 MIHO MUSEUM蔵
『Ancient Glass展図録』は、紺色のコアガラス製容器。把手は紺色ガラスで作られる。黄色と白色のガラス紐でジグザグ文が施され、表面には施文時の溝がわずかに残っている。全体が美しい銀化で薄く覆われるという。
口縁部も三つ葉形。同時代に土器でもガラスでも大きさの違いはあっても同じ形のものが制作されていた。この形のガラス容器は後の時代にも作られたのだろうか。

條文装飾把手瓶 3-4世紀 高15.7径10.0㎝ ガラス 東地中海地域あるいはイタリア MIHO MUSEM蔵
同展図録は、現在は色とりどりの銀化に覆われた華やかな器だが、もとは水色の透明ガラス瓶であった。水やワインなどの容器に使用したものであろう。宙吹きで形を作り、胴部に13本の條文装飾をつまみ出す。紐をめぐらせた装飾が付く。平らなガラスの把手が口縁と胴部をつないでいる。頚の紐装飾は、液体を注いだあとのたれ防止にもなるという。
口縁は平たく、把手も口縁部と同じ高さと形は異なる。このような條文装飾はガラス器によく見られるものだが、どうやら金属器の縦畝文を採り入れた装飾らしい。

注口把手付瓶 4世紀 高16.9径10.8 宙吹き 淡緑色 シリア 岡山市立オリエント美術館蔵
『ガラス工芸-過去と現在ー展図録』は、つまみ注口。口縁下部と頸部に糸状装飾が各1つ貼付けてある。胴部にリブ装飾が16ヵ所でみられる。把手は胴部から口縁にむけて1本で付けられている。注口は竿の部分からのひねり出しによって形作られ、内側に折り、最後につまんで注ぎ口を作るという。
同じ頃三つ葉形注口も制作されていた。口縁末端は同じ高さの把手の上に細くなって巻くように終わっている。

単把手付瓶 慶州皇南大塚南墳(458年没)出土 韓国慶州国立博物館蔵
『古代ガラス-色彩の饗宴ー展図録』は、ササン~初期イスラム期で、バクトリアなど中央アジア産とされる一群のガラスもある。東アジアへの流入例としては、新羅第19代の訥祇王(417-458)墓とされる皇南大塚南墳出土単把手付瓶(青色部:カリ4.%、マグネシア3.1%ソーダ18.8%)があるという。
三葉形の注口で、把手はやや下に小さく取り付けられている。中央アジアでは細身の器体が好まれたのだろうか。

貼付文把手 8-9世紀 高14.7幅6.5注口径4.2㎝ 宙吹き 淡緑色ガラス イラン 岡山市立オリエント美術館蔵
『ガラス工芸-過去と現在ー展図録』は、表面銀化。把手付き。糸状巻きつけ、引きのばし脚台。注口部糸状貼付、胴中央部連続S字文様という。
時代は三彩貼花宝相華文水注よりも下がるが、上図のバクトリア制作の容器と形が似ている。注口は三つ葉形でもなさそう。
ということで、三彩貼花宝相華文水注(唐時代、7-8世紀)に直接影響を与えたと思える頃のガラス容器は見つけることはできなかったが、確かにガラス容器に触発されて三彩陶器で制作されただろうことはわかった。


古いものを倣う

関連項目
東洋陶磁美術館 オブジェクト・ポートレイト展は楽しかった2
ターキブスタン(Taq-e-Bustan) サーサーン朝の王たちの浮彫

参考文献
「Object Portraits by Eric Zetterquist オブジェクト・ポートレイト エリック・ゼッタクイスト 展図録」 2018年 大阪市立東洋陶磁美術館
「ガラス工芸 歴史と現代」 1999年 岡山オリエント美術館
「ギリシアローマ」 ギリシアローマ美術館
「MIHO MUSEUM 南館図録」 杉村棟監修 1997年 MIHO MUSEUM
「古代ガラス 色彩の饗宴展図録」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館編 2013年 MIHO MUSEUM
「MIHO MUSEUM 古代ガラス展図録」 2001年 MIHO MUSEUM