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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/09/27

コンスタンティヌス帝が創建した宮殿


イスタンブール旧市街の歴史地区には、大きな建造物の裏通りにあって目立たないが、コンスタンティヌス帝が創建したという宮殿が「モザイク博物館」として公開されている。以前に行ったのは30年近く前のことなので、久しぶりに行ってみようと思ったが、調べて見ると修復中だった。

その時に買った『グレートパレス モザイク博物館』(以下『グレートパレス』)は、皇帝宮殿、又は神聖帝国宮殿とも呼ばれていたグレートパレス(大宮殿)は、ビザンティン帝国の都コンスタンティノープルで最大の規模を誇る宮殿であったが、残念ながらかつての偉容をしのばせるものはほとんど残されていない。
330年にコンスタンティヌス大帝(在位324-37)がこの町を都と定めて最初の宮殿を建てたのだったが、当初はヒポドローム(競馬場)につらなる小高い丘の上の、比較的小さな宮殿だった。皇帝達にとっては、馬車競技を見物しにヒポドロームの皇帝席(kathisma)へ赴くためにも、また群衆の間で暴動が始まった時に、いち早く宮殿へ逃げ帰るためにも何かと便利な位置にあったという。
残念ながら、コンスタンティヌス帝が造ったもので現在でも残っているのは、トラムT1線チェンベルリタシュ駅近くに聳える円柱だけ?

同書は、時代と共に宮殿はしだいに大がかりなものになっていった。
海に面した丘陵地帯には、林の中に裕福な市民の住宅が散在していたが、しだいに宮殿に吸収されて、ついには宮殿敷地はマルマラ海にまで達した。409年にテオドシウス二世が、宮殿敷地内に個人の住宅を建てることを禁止したという記録がある。
海岸にはブーコレオンと呼ばれた建物があり、その一部が今も残っている。イスタンブールを訪れる人々の注目を浴びることもなく忘れ去られているが、これがグレートパレスの唯一の遺構である。かつてブーコレオンの波止場には、皇室のヨットやはしけがつながれているのがしばしば見られたことだろうという。


A.Vogt によるコンスタンティノープルのグレートパレス復元図 『グレートパレス モザイク博物館』より 
同書は、城壁に囲まれたグレートパレスの敷地は、約10 万㎡もあったらしい。正門は、列柱に 囲まれた庭に向いた記念門だったが、この庭は、コンスタンティヌス大帝の母、アウグスタ・ヘレンにちなんでアウグスティウムと呼ばれていた。正門は屋根も扉も金めっきでおおわれていたので、チャルケ、つまり真鍮の門と呼ばれていた。門を入ると、高台の木立ちの中にいろいろな宮殿の建物が散在していた。ポロ競技場、屋内乗馬練習場、うまや、プールから個人用競技場まであった。台所や、召使い部屋、皇帝の護衛の詰所、土牢まで備えた建物もあった。しかし、10世紀以降になるとこの宮殿はほとんど使われなくなったという。
➊グレートパレス ➋ブーコレオン宮殿 ➌ヒッポドローム(戦車競技場、現アトメイダヌ広場) ➍アギアソフィア聖堂(現アヤソフィアジャーミイ) ➎アギアイレーネ聖堂(現アヤイレーネジャーミイ) ❻マルマラ海
A.Vogt によるコンスタンティノープルのグレートパレス復元図 グレートパレス モザイク博物館より

➋ブーコレオン宮殿の遺構
バスで何度か前を通った時に撮影したはずなのに写真が見つからない。あっても修復中で壁で隠れていたが。
『望遠郷』は、ビザンティン様式の大きな門チャトラドゥカプ(壊れた門)の遺跡。アカンサスの葉の装飾やユスティニアヌスのモノグラムが柱とドームに彫られている。この門はおそらく、大宮殿専用の港であるブコレオン港への出入口として使われていた門であろう。ブコレオン(雄牛と獅子の宮殿)の名は、かつてあった雄牛を倒す獅子の像に由来しているという。
名称の由来がブーコ(牡牛)とレオン(獅子)だったとは。
イスタンブール ブーコレオン宮殿遺構 グレートパレス モザイク博物館より


東ローマ(ビザンティン)帝国時代の建造物 『世界歴史の旅ビザンティン』より
①グレートパレス ②ブーコレオン港 ③ヒッポドローム ④アギアソフィア聖堂 ⑤アギアイレーネ聖堂 ⑥ゴート人の円柱 ⑦アギイセルギオスケバッコス聖堂(現キュチュクアヤソフィアジャーミイ) ⑧コンスタンティヌス帝の円柱(現チェンベルリタシュの柱) ⑨ヴァレンスの水道橋 ⑩パントクラトル修道院(現モーラゼイレクジャーミィ) ⑪聖使徒聖堂(現ファティフジャーミイ) ⑫パナギアパンマカリストス修道院(現フェティエジャーミイ) ⑬ブランケルナイ宮殿(その一部がテクフル宮殿) ⑭コーラ修道院(現カーリエジャーミイ) ⑮テオドシウスの城壁
東ローマ(ビザンティン)帝国時代の地図 世界歴史の旅ビザンティンより

30年前に入ったのは、トルン小路 Torun Sk. にある地味な入口からだったが、現在はアラスタバザール Arasta Bazaar という商店街の一店舗のようなところが博物館の入口になっているのだとか。
『世界歴史の旅 ビザンティン』は、ブルーモスク周辺が初期の皇帝たちの居住した大宮殿跡である。世界屈指の大建築であったはずだが、その遺構は今日まったく残っていない。一帯には土産物屋と小さな工場が並び、諸行無常の感慨にふけるのも難しいほどであるという。
全くその通りで、当時タクシーで連れてきてもらったものの、これが博物館?と訝しんだものだった。右の壁がアラスタバザール
イスタンブール モザイク博物館の入口 グレートパレス モザイク博物館より


『グレートパレス』は、後世のビザンティン皇帝達は、マンガナ宮殿やブラケルナイ宮殿のような、もっと小さい宮殿を好んで住んだし、そうすることによって、広大なグレートパレスを維持する経費も節約できたのだった。宮殿跡から出土した陶器などから、1150年代にはすでに荒廃していた建物もあったと推測される。
その上、第4回十字軍という名目のラテン人占領軍によって、グレートパレスもまた徹底的に略奪されたばかりか、しばらくの間はこの新しい支配者の居城として使われていた。帝国末期になると、グレートパレスは完全に忘れ去られた存在となり、新規工事のための建築資材置き場として利用されたりしていた。オスマン帝国に征服されてからは、残っていた建物もすべて新しい建物の中に組みこまれてしまった。
もし、17世紀まで生き残った建物があるとしたら、それは今のアラスタバザール、つまりブルーモスクに付属した商店街の地下に埋まっているのかもしれないという。
アラスタバザール。「アラスタ」とは通りを挟んだ両側に商店が並ぶもの。複数の通路がある商店街は「ベデステン」。
イスタンブール アラスタバザール グレートパレス モザイク博物館より



同書は、1951-55年、D. T. ライスがこのあたりの組織的な発掘にとりくんだ。さまざまな困難を排しつつ、列柱に囲まれた約3700㎡の庭園がまず発掘された。現在、モザイク博物館に展示されているモザイクのほとんどは、ここで発見されたものである。250㎡ほどのモザイク舗道が見つかったが、これはこの庭にあったモザイクの約1/6程度にすぎないと思われる。一部を除いては、それぞれの描かれた場面は独立した構成になっているという。



大宮殿庭園の舗床モザイク
同書は、とりわけ重要なのは、幅5m、長さが45mほどの舗道のモザイクであり、その部分をそのまま保存した上に現在のモザイク博物館が建てられた。この部分のモザイクは、他とは比較できないほどすぐれている。おそらく、宮殿の工房の腕利きのモザイク師の仕事だったのだろう。
グレートパレスのモザイクは、その品質、技術、テーマにおいてシチリア島のピアッツァアルメリーナの別荘のものと肩をならべるほどの稀有な例である。正確な年代づけはできないが、様式から判断しておそらく500年前後に作られたものと思われるという。
ピアッツァアルメリーナのカザーレ荘の舗床モザイクは、4世紀初頭とされている。

この当時、モザイク技術は新しい宗教、キリスト教のニーズに応えて進歩し始めた頃であり、宗教的ではない床モザイクなどにも、東方の影響が見られる。モザイク師達はキリスト教徒だったにちがいないが、テーマはヘレニズム時代の装飾レパートリーから選ばれたもので、特に難解な意味を持つものでもなく、純粋に美を目的として作られたものといえよう。狩りの場面や動物たちの戦い、羊飼いや子供たち、いなかの生活から神話までいろいろあるが、さそりの尾と角を持ったトラのような空想上の動物が特に注目を引くという。

それぞれ勝手な方向に描かれるのではなく、右側を正面にして様々なテーマがまとめられている。
イスタンブール グレートパレス モザイク1 グレートパレス モザイク博物館より


左上:草食獣に爪を立てる獅子グリフィン 
この他にも弱肉強食の場面にはグリフィンが登場することが多い。

右上:虎に長槍で向かう二人の兵士



続きの通路
左より右へと変化するモティーフ。グリフィンから家畜の群れ、作業する人物に、武具を盛って立つ兵士も登場するが、それぞれの動物や人には関係なく表されているのが特徴。
イスタンブール グレートパレス モザイク2 グレートパレス モザイク博物館より

通路の見学路の写真
イスタンブール グレートパレス 舗床モザイクの見学路 グレートパレス モザイク博物館より

左壁のモザイク画 
渦巻くアカンサスの葉の中に鳥がいる。


通路よりは広いので休憩の椅子などが置かれていたのかも。右の通路へと続く。
ここにもグリフィンが二頭登場するが、それとは無関係に人々の日常の暮らしが表されている。
イスタンブール グレートパレス モザイク3 グレートパレス モザイク博物館より


通路の続きと広くなったところ。この先に壁があって行き止まり。
ほとんどが人々の日常の暮らしの描写だった。
イスタンブール グレートパレス モザイク部分4 グレートパレス モザイク博物館より

右端のウサギに襲いかかる犬や果樹、ウサギを籠で捕らえようとする人、草を食む角の大きな草食獣のパネルは記載されていた。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


『グレートパレス』には様々なモザイク画の図版があり、当時フィルムカメラだった当時の写真はデジタルカメラと違って枚数は少ないが何枚か写していた。それらとモザイクの図とを比べると、この図面の中にないものが多いのはどういう訳だろう。
せっかくなので少しばかり。

重い荷物を担がされて暴れる馬に蹴られて飛ばされる人物
人と馬の筋肉は誇張が見られる気もするが立体感をもって表される。
同書は、これらのモザイクの仕上がり具合を見ると、当時のモザイク師達が材質についてよく知りぬいていた事がうかがえる。虫の喰ったように並べられた白大理石のテッセラ(切りばめ細工)を背景として、その上に様々な石やガラスやテラコッタで図案を描いた。テーマは古めかしいが、図案の輪郭を強調し、人物像を様式化して描く傾向は、後にビザンティン式といわれた特徴がすでにめばえていることを示しているという。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より

そしてモザイクが剥落してしまった素地が意外にも平たくされていないのにもびっくり。平たい石が並んでいるのかと想像してたが、こんな丸みのある石を敷き詰めていたとは。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


J.M.ハスウェルによるローマ式モザイクの断面図
テッセラと比べると、この図では石が小さすぎるように見えるが、でこぼこの下地にテッセラを並べている様子がうかがえる。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


ゾウの鼻で頸を絞められるライオン
ライオンに比べてゾウが小さすぎる。

『世界歴史の旅 ビザンティン』は、白い大理石片を並べて背景とし、非キリスト教的主題が展開する。狩猟、神話、異国の風景、子供の遊び、現実、空想を含めた種々の動物などが、相互の脈絡なく散りばめられている。技法も主題内容も、古代ローマの皇帝や貴族が好んだものと変わりない。
ビザンティン帝国は無数の聖堂をつくり、それをキリスト教主題の壁画で飾った。今日我々に伝わるのは聖堂のみだが、こうした世俗の美術もまた並行して制作されたのであったという。
ライオンの前肢の指の肉付きの良いこと。見たことのない動物を描くのは大変だっただろうが、モザイク画の見本帳のようなものがあったことを何かの本で知った。
子供のころから動物や自然のドキュメンタリー番組を見るのが好きだったが、ゾウがライオンの首を絞めるのは見たことがない。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


ラクダに乗る子供たち
小さなラクダにはコブがない。その割に前の子供が鳥を持っていたりして描写が細かいところもある。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より

色ガラス褪せたとはいえ、この写真を撮っていたので、モザイクの図面にないものは、通路の壁に展示されていたことが分かった。


文様帯のモティーフ

モザイク画には中央の大きな区画と、その縁の文様帯で構成されている。その文様帯には色鮮やかな人の顔などがある。この顔がこのモザイク博物館を代表する「顔」となっているようだ。
鼻筋などの照隈、くぼんだ目などが立体感を醸し出している。それよりも緑色の髭!この色はガラスのテッセラではないのかな。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


葉の広いアカンサス唐草の中に人あるいはギリシアやローマ神話の神の顔。
その上下に細い文様帯が続く。

文様帯はリボンが規則的に回転し、その表裏で色を違えて、しかも中央部に白色を入れて色の濃淡で立体感を出している。
人物あるいは一人の神の顔も立体感をもって描写されている。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より

この二つの多神教の神の顔(6世紀初頭)とアヤソフィア聖堂後陣の聖母子像(イコノクラスム終了後、9世紀半ば)のマリアの顔と比べてみると、マリア像はテッセラが大きいこと、眉や目の周辺の描き方がラフになっている展など、イコノクラスム期(聖像破壊運動期、726-843)でモザイク師が仕事ができなかったための技術の低下は否めない。
アヤソフィア聖堂後陣聖母子像のマリア 


アカンサス唐草文様
渦巻くアカンサスの葉から伸びてブドウが実をつけている。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


『グレートパレス』で虫の喰ったように並べられた白大理石のテッセラ(切りばめ細工)を背景として、その上に様々な石やガラスやテラコッタで図案を描いたというが、ここには金箔ガラスが嵌め込まれているような輝きがある。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


こんな建物も。下の二箇所のアーチから勢いよく水が出ている。
イスタンブール グレートパレス モザイク画 グレートパレス モザイク博物館より


このモザイク博物館は現在も改装中のよう。イスタンブールの美術館・博物館は改装されて、これまでの展示品で埋め尽くされたようなところではなく、数は減らしてじっくりと見られるようになってきた。どんな風になるのか楽しみ。




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参考文献
グレートパレス モザイク博物館」 英語からの翻訳 原田武子 1988年 A Turizm Yayınları Ltd.
「世界歴史の旅ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「イスタンブール 旅する21世紀ブック望遠郷」 編集ガリマール社・同朋舎出版 1994年 同朋舎出版
「NHK日曜美術館名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」 1993年 講談社