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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/09/03

ソコルルメフメトパシャ Sokullu Mehmet Paşa が建てたもの


オスマン帝国の最盛期スレイマン大帝の統治時代には数名の大宰相がいたが、最後の大宰相はソコルルメフメトパシャだった。その後スレイマン大帝の息子セリム二世、孫のムラト三世と三代のスルタンに仕えた。
『Architect Sinan His Life,Works and Patrons』(以下『Architect Sinan』)は、ソコルルメフメトパシャは、スレイマン大帝の皇子たちの間での王位争いでセリムの側につき、バヤズィト皇子と戦った軍を指揮して大勝利を収めた。その資質から将来有望な婿候補とみなされていたパシャは当時既婚者であったため、取り決めにより、妻と離婚したソコルルメフメトパシャは56歳で皇帝の婿となった。大宰相に任命されたソコルルメフメトパシャは、スレイマン大帝の死後即位した義父のセリム二世の統治下でもその職を務め、スルタンと妻のエスマハンに忠実だったという。
同書はエスマハンについては詳述しているのに、何故かソコルルメフメトパシャについては寡黙過ぎるように思う。


また同書には、ソコルルメフメトパシャ(1505-79)がスルタンに報告する様子を描いた細密画も記載されていたが、描かれた年代がわからないので、描かれたスルタンがスレイマン大帝(1494-1566)か次のセリムⅡ(1524-74)なのかは不明。スルタンと同じくらいの年齢として描かれているので、スレイマン大帝の壮年期頃のものかも、 
ソコルルメフメトパシャがスルタンに報告する様子を描いた細密画 Architect Sinan His Life,Works and Patrons より


ソコルルメフメトパシャ 1568-69年 細密画部分 ナッカシュ・オスマン画
スレイマン一世の死を悼む大宰相が描かれている。上図よりも顎髭が多いので、こちらの方が年を取っている。
トプカプ宮殿図書館蔵 ナッカシュ・オマン画 細密画部分 望遠郷より


ソコルルメフメトパシャが建てたものでこれまで行ったところは、旅編のカドゥルガ地区のソコルルメフメトパシャジャーミイと、エユップ地区のソコルルメフメトパシャ廟とメドレセだけだが、イスタンブールでも別のところにモスクを建てたり、橋を架けたりしているので、今回は分かる範囲で年代順(書物によって異なる場合がある)にまとめておくことにした。

① イスタンブール、エユップのソコルルメフメトパシャ廟 1560年(Architect Sinan』より)、1569年(現地の説明パネルより)
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② リュレブルガズ Lüleburgaz、 ソコルルメフメットパシャ・キュッリエ(複合施設)1565-70Architect Sinan説)、1569年完成
『トルコ・イスラム建築』は、イスタンブルとエディルネの中間にある町リュレブルガスは、イスタンブルとヨーロッパ側の領土を結ぶ街道上にあり、最も繁栄した宿場町だったであろう。そこに、1565-78年大宰相を務めたソコルル・メフメット・パシャ が建設したキュッリエで、1569年に完成している。大規模なキャラバンサライと共に、街道の両側に多数の商店を配置しているのが特徴的であるという。
モスクに商業施設を付属するのは、その使用料をモスクと複合施設の運営に充てるためで、ワクフと呼ばれている。道路の両側に商店が並んでいるものを④アラスタという。
リュレブルガス ソコルルメフメットパシャ・キュッリエシ(複合施設)平面図 トルコ・イスラム建築より

平面図以外図版がないのが残念だけれど、⑤キャラバンサライ以外は Google Map で見ることができます。
リュレブルガス ソコルルメフメットパシャ・キュッリエシ(複合施設) Google Earth より

③ ブユクチェクメゼ Buyukcekmece ソコルルメフメトパシャジャーミイ Sokollu Camii Kulliye 1567年
外から見た説教壇(ミンバル)ミナレット
Architect Sinanは、ミマールスィナンが建てた二つの説教壇ミナレットのうちの一つで、もう一つは、スィナンが慈善事業として依頼したイスタンブールのファティ地区にあるミマールスィナンのマスジドの説教壇ミナレットであるという。
イスタンブールの目立たないところにミマールスィナンのマスジドがあるのをGoogle Earth で確認したので、何時の日にか、修復中だったところと共に行ってみることにしよう。ついでにブユクチェクメゼにも行ってみたいが、バスでどう行ったら良いのだろう。
イスタンブールの遠距離バス乗り場 Otogar から76O番の Cihangir Mahallesi 行きのバスに乗り、İstanbul Üniversitesi-Cerrahpaşa Avcılar Kampüsü まで1時間強。
クチュクチェクメゼ Küçükçekmece 西岸にアヴジュラル Avcılar  イスタンブール大学のキャンパスがあるのでそこが終点みたい。そこから303A Silivri Son Durak 行きに乗り換えて30分ほどでブユクチェクメゼの停留所下車か。この系統のバス停がどこにあるかをじっくりと探してみよう。
せっかくなのでリュレブルガズ Lüleburgaz にも行ってみたいけれど、バス路線はないみたい。
ブユクチェクメゼ ソコルルメフメトパシャジャーミイ 外部より見たミナレット THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より 

境内からは、ムアッジンがミナレットに上る階段がある。小さな集落なので、この高さで祈りへの呼びかけが十分だったのだろう。説教もここで行われていたのか。奥の瓦屋根がスレイマン大帝が造ったキャラバンサライ。
ブユクチェクメゼ ソコルルメフメトパシャジャーミイ 内部より見たミナレット Architect Sinan His Life,Works and Patrons より

同書は、このモスクもマスジドとしている。ジャーミイよりも小規模のものをトルコではマスジドと呼ぶので、礼拝所とした。右端は木造のようで、内部も木造。
この建物にドームはあるのだろうか。
ブユクチェクメゼ ソコルルメフメトパシャジャーミイ Architect Sinan His Life,Works and Patrons より

ちょっと寄り道するが、この町は交通の要衝だったようで、その礼拝所の向かいにはスレイマン大帝が同じくミマールスィナンに建てさせたキャラバンサライ
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、キャラバンサライは、元々鉛で鋳造された屋根のため、「クルシュンルハン」(鉛の宿)とも呼ばれている。石灰岩で造られ、「中庭のない屋根付きタイプ」と呼ばれるキャラバンサライに分類されるこの建物は長さ48m、幅22.3 mであるという。
ブユクチェクメゼ スレイマン・キャラバンサライ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


ブユクチェクメゼ橋 建設者はスレイマン大帝 建築家はミマールスィナン
なんと登ったり下ったりと通行に不便な橋だ。
ブユクチェクメゼ スレイマン橋 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

『トルコ・イスラム建築紀行』は、イスタンブル西方にあるビュユック・チェクメジェ湖とマルマラ海との間の浅瀬に架けた橋。 イスタンブルとヨーロッパ側の領土を結ぶ、オスマン帝国で最重要の街道上の橋という。
ブユクチェクメゼ スレイマン橋 トルコ・イスラム建築紀行より

高い箇所は船が航行していたんやね。現在は自動車は通れないようだが、人はかまわないらしい。渡ってみたいな。
右奥にスレイマン大帝のキャラバンサライが見えている。
ブユクチェクメゼ スレイマン橋 トルコ・イスラム建築紀行より


ブユクチェクメゼ Büyükçekmece の町
ブユクチェクメゼの町とミマールスィナンが造った橋・キャラバンサライ・マスジド Google Earth より



④ イスタンブール、エユップのソコルルメフメトパシャ・メドレセ 1571年、1568年(『Architect Sinan His Life,Works and Patrons』説)
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⑤ イスタンブール、カドゥルガ ソコルルメフメトパシャ・ジャーミイ 1571年、
ただし『Architect Sinan His Life,Works and Patrons』は、③ イスタンブール、カドゥルガ エスマハンとソコルルメフメトパシャ夫妻のモスク Ismihan Sultan-Sokollu Camii 1567年としている。

ミフラーブ壁とペンデンティブまでイズニクで焼かれたタイルがみごとに敷き詰められているが、、両脇の壁面には円形のカリグラフィー以外は石の壁のまま。
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⑥ 新市街のアザプカプ Azapkapı ソコルルメフメトパシャジャーミイ 1577年、
『Architect Sinan His Life,Works and Patrons』は、造船所に近いカスンパシャのモスクは、ソコルルが亡くなる前に建築家ミマールスィナンに依頼したもの。1546-49年に海軍総司令官を務め、大宰相の任期中、レパントの海戦で壊滅した海軍をカスンパシャで一冬で再建するよう命じたこの有名な政治家は、海を見下ろす形で同じ場所にモスクを再び依頼したことは、パシャの過去と海と造船所への愛着を表している。モスク建設の碑文は、モスクが造船所の作業場に近い場所にあることを強調しているという。
アザプカプ ソコルルメフメトパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

金角湾より
同書は、1938-41年に、このモスクは全面的な修復工事を受け、その間に地上階のアーチと扉は壁で覆われ、ソンジェマアトイェリ(遅れて来た人が礼拝する場所)はアタチュルク橋の影に隠されたという。
アザプカプ ソコルルメフメトパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

平面図 『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』より
❶礼拝室入口 ❷主ドーム ❸ミフラーブ ❹ミンバル(説教壇)❺側廊 ❻女性用マッフィル ➐ミナレット
同書は、このモスクは、セリミエの八角形プランの別の解釈で、八角形の各角に半ドームまたはトロンプが追加されている。ソンジェマアトイェリ(遅れて来た人が礼拝する場所)は壁で囲まれており、モスクはリュステムパシャモスクの場合と同様に、倉庫として機能する地下室の上にあるという。
アザプカプ ソコルルメフメトパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

ミフラーブ壁
❺側廊には円柱が2本ずつ、入口側にも2本の円柱、ミフラーブの両脇に2本の付柱、合計8本の柱でドームの下のペンデンティブを支えている。八つのペンデンティブには凹みがなく、なめらかな円形になっている。
また、カドゥルガのソコルルメフメトパシャジャーミイは、リュステムパシャジャーミイほどではないが、タイルが石積みの壁面と調和して用いられていたが、ここではペンデンティブやミフラーブ上部程度になっている。
アザプカプ ソコルルメフメトパシャジャーミイミフラーブ壁 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より

それでもミフラーブ壁周辺には色鮮やかなステンドグラスが並んでいる。
アザプカプ ソコルルメフメトパシャジャーミイミフラーブ周辺 Architect Sinan His Life,Works and Patrons より

❺側廊と❻マッフィル
二つのペンデンティブの間には石材の幾何学文様の透彫が美しい。
アザプカプ ソコルルメフメトパシャジャーミイ THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


アプルル ソコルルメフメトパシャ橋 建築年不明
アプルルはリュレブルガズから直線距離で西南西へ18㎞ほどの小さな集落。ここにもソコルルメフメトパシャは橋を架けている。
『THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN』は、シナンによって建設された最も広い範囲の橋で、中央のアーチの湾は20.5m。頂点が一つで、五つのアーチがあり、長さは130mという。
東トルコを旅した時に、アルトゥク朝朝期のマラバディ橋を見た。真ん中が高くなって、両側が下り勾配で、通行に不便な橋だと思ったが、船の航行のためだと最近気がついたが、このような形にするのは一般的だったようだ。
ソコルルメフメトパシャ橋 THE ARCHITECT AND HIS WORKS SİNAN より


ソコルルメフメトパシャは現ボスニア・ヘルツェゴビナのヴィシェグラード Višegrad で生まれ、デヴシルメでイスタンブールにやってきた。
1577年には故郷のドリナ川にミマールスィナンに橋を建てさせている。これはスレイマン大帝の孫ムラト三世(在位1574-95)の時代に当たる。
残念ながら手持ちの本にはその図版がない。橋の名称を『Architect Sinan』はVishengrad Drina Brige としている。

実はこの橋のことを知ったのは、旅でご一緒になった方からだった。その方はボスニア・ヘルツェゴビナを旅して、ヴィシェグラードで橋とモスクを建てたのがソコルルメフメトパシャであることを知ったのだそう。しかし、モスクについては同書に記述はない。


『Architect Sinan His Life,Works and Patrons』は、1579年10月12日、ソコルルメフメトパシャは自宅で第2回ディヴァン会議の最中に精神に異常をきたした男に短剣で刺されて暗殺されたという。
サファヴィー朝の刺客など諸説ある。

また『ISLAMIC ART』は、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝と同等とみなされていた大宰相ソコルルメフメトパシャの死は、停滞期(1579-1699)の始まりとなったという。


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参考文献
「ISLAMIC ART THE MUSEUM OF TURKISH AND ISLAMIC ARTS」 ANATOLIAN CULTURAL ENTREPRENEURSHIP 2019
「THE ARCHITECT AND HIS WORKS SINAN」 REHA GÜNAY 1998年 YEM Publication 
「Architect Sinan His Life, Works and Patrons」 Prof. Dr. Selçuk Mülayim 2022年 AKŞIT KÜLTÜR TURIZM SANAT AJANS TIC. LTD. ŞTI