ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/12/19
マスジェデ・キャブードのタイル装飾
タブリーズのマスジェデ・キャブードは青いタイル装飾によってブルーモスクとも呼ばれている。
『GANJNAMEH6』は、唯一の紀年銘は玄関の東支柱にあり、870(西暦1465)年を示す。テュルク系黒羊朝のカラ・ユースフの息子であるジャハンシャーの建立とされる。ジャハンシャーの妻ジャン・ベイゴム・ハトゥンあるいは娘のサレヘ・ハトゥンの発願によると言われている。
例外的に町外れに建立されたモスクで、ファサードの両端にタイルで覆われた細いミナレットが建造された。ドームと壁面の内側は、空色・藍色・黄色の極上の彩釉タイルにより、コーランの引用文と植物文様で荘厳されたという。
外壁のほとんどは度重なる地震によってタイルが剥落してしまい、南ドームの東外壁にわずかに残っている。
焼成レンガの幅の広い組紐で作った幾何学文様にはモザイクタイルによる植物文様やカリグラフィーが嵌め込まれている。
大きな浅い5点星を中心にして、方形以外は輪郭が曲線のモザイクタイルがちりばめられ、その間を幅の狭いレンガを並べて埋めている。これまでにない方法だ。
5点星に見えてやはり輪郭は曲線。その中に細く刻んだ空色・紺色・黒・白・柿色の色タイルで蔓草文様を構成している。
カリグラフィーも方形のものと鈴のような形のものがあり、それぞれ書体も変えてある。
黒に見えたタイルは紫かも。
縁の文様帯は、これまでに見てきた蔓草文様に柿色のパルメットが入り込んでいる。
右側の壁の方は全く雰囲気が違って、こんなかわいい方形タイルが並んでいる。
白い方形の入ったタイルはモザイクで、白い枠に植物文様が描かれているのは絵付けタイルだった。
北側にあるファサードの側面。
蔓草文様の間にカリグラフィーが入っている。
緑色のタイルも少し使われているのはわかるが、この面で一番目立つ蔓の線が、どういうわけか土色。おそらく釉薬が剥がれやすい色だったのだろうが、いったい何色だったのだろう?南壁で使われていた5色の中で、ここにない色と言えば柿色くらいのもの。
上の方にはインスクリプション。
付け柱に柿色があった。ここでは柿色はよく残っているし、緑色もあちこちに使われている。
ファサードだけは残っている。
イーワーン左上のモザイクタイルは、やはり柿色の釉薬が剥落している。
その下
インスクリプション帯も柿色だった。
インスクリプションに蔓草は巻き付いているが、大抵は大きく渦巻きながら蔓が分かれていく。それについてはこちら
このように大きく渦巻かない蔓草との組み合わせは珍しい。
螺旋状に上へ伸びる付け柱
イーワーン内左側壁には柿色タイルがよく残っている。
壁龕上部は9点星のある幾何学文様。
その上のインスクリプション帯でも、蔓草は左に向かって伸びるが渦巻かない。
イーワーンはムカルナスはなく、アーチネットの浅い装飾。
カリグラフィーを大きく包む蔓草花を柿色タイルで表し、空色タイルがその中でささやかに蔓を伸ばす。
アーチネットでできた小さな区画にはカリグラフィーが入れられている。
モスク内部
平面図
前廊の浅い壁龕にムカルナスらしきものが。
壁龕は細かな蔓草やカリグラフィーのモザイクタイルで荘厳されている。
前廊から大ドーム室への側壁にもモザイクタイルがあるが、中央のアーチだけは細かなモザイクタイルで、両側はレンガの間地を広くとって手間を省いたような壁面装飾となっている。
大ドーム室側のモザイクタイル。8点星の上下が伸びたような形と斜めにした方形とが、南外壁のようなレンガを並べた壁面に嵌め込まれている、と思ったが、どうやらそれらしく見せる漆喰細工らしい。
その下側の腰壁。
6点星と六角形を離して、その間に様々な幾何学形を作り出している。紺色の組紐の交点に柿色タイルが嵌め込まれているように見えるが、
素焼きタイルかも。
大ドーム室も素焼きタイルも見えるが、モザイクタイルで装飾されている。ドームには全く残っていないが、どんな文様で覆われていたのだろう。
四隅に2つずつある小イーワーンの一つ。
色の薄い箇所は修復タイル。
リュネット(形としてはタンパン、ピンボケ気味)の中心は、3点星を2つ重ねたものにカリグラフィーを組み合わせたものを12の柿色タイルの弧で囲んでいる。
その左右から空色と柿色の蔓が曲線を描きながら伸びて頂点で交わるが、やはり渦巻くているとは言えない。
大ドーム室側の小ドーム室イーワーンには、全く異なるタイル装飾があった。
『GANJNAMEH6』は、イラン暦1301(西暦1922)年、カジャール朝のナデル・ミルザ王子が、小ドーム室について記述している。昔、総ての壁、ドーム内部は金箔で花の文様を表した青いタイルに覆われていたという。
紺色に金箔を貼ったタイルというのは創建オリジナルで、それが復元修復されている。
ではこれはラージュヴァルディーナと呼んでいいのかな。
ラージュヴァルディーナについて『砂漠にもえたつ色彩展図録』で枡屋友子氏は、13世紀後半にイランで始まった技法で、14世紀末まで中央アジアで続けられた。登場初期には中絵付を持つ白釉の上に施されたが、13世紀末までにには、わずかにターコイズ釉の地のものもあるものの、藍色釉の地が大半を占めるようになり、藍色を意味するペルシア語「ラージュヴァルド」から派生した「ラージュヴァルディーナ」という名称がこの技法に対して当時からすでに使われていたようである。これは技術的にはミーナーイー陶器と同じくエナメルで上絵付を施す技法であるが、用いられた色彩は白、黒、赤茶色に限られ、金彩ではなく金箔が貼られたという。
しかし、タブリーズのマスジェデ・キャブードは15世紀末か16世紀初に完成されたモスクなので、ラージュヴァルディーナとは別の技法で作られたものだろうか。
→蔓草文様のモザイクタイル
関連項目
タブリーズ マスジェデ・キャブード(ブルー・モスク)
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
参考文献
「GANJNAMEH6 MOSQUES」 1999年
「砂漠にもえたつ色彩-中近東5000年のタイルデザイン-展図録」 2003年 岡山市立オリエント美術館