ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/12/22
蔓草文様のモザイクタイル
タブリーズのマスジェデ・キャブード(ブルーモスク)には細かな植物文様のモザイクタイルの壁面装飾があった。
これはティムール朝から受け継いだ技術で、ひょっとするとサファヴィー朝のモスクへと受け継がれたものではないかと思われる。
植物文様のモザイクタイルについて『砂漠にもえたつ色彩展図録』で深見奈緒子氏は、シャーヒ・ズィンダーにイランで熟成した植物文のモザイクタイルが出現するのは1372年建立のシーリーン・ビカー・アガー廟が最初であるという。
サマルカンドのシャーヒ・ズィンダ廟群に初めてモザイクタイルで造られたとされるが、中央アジアではこれが現存最古のモザイクタイルで、イランでもこれより古い植物文様のモザイクタイルは残っていない。
この廟について『中央アジアの傑作サマルカンド』は、1385-86年の建造としている。
最初ということで、主に左右対称な植物文様である。
入口上部のインスクリプション帯には空色の蔓草が渦巻いている。
インスクリプション(銘文)と渦巻く蔓草についてはこちら
グル・エミール廟(1404-05年)は、ティムールが戦死した孫ムハメド・スルタンのために建立した墓廟だが、後にティムール自身の墓廟となったものだ。
表門の尖頭アーチ上スパンドレルには、空色と白色の蔓が渦巻いている。
その上のインスクリプション帯では空色の蔓草が渦巻いている。
ウルグベクのメドレセ(1414-20年)はティムールの孫ウルグベクによって建立された。
『シルクロード建築考』は、1420年に建てられたウルグ・ベクのメドレッセは、当初イスラム教の学林として開校されたが、のちウルグ・ベク自らも講師となり、また多くの一流学者によって、天文学、数学、哲学などの講義も行われたという。
18世紀の地震によって、二階の部分や教室のドームは崩壊し、ミナレットは3本だけが、かろうじて補強されて余命を留めているという。
ファサード、ピーシュタークのスパンドレルは、地震で亀裂が入っているが、柿色と空色の蔓草が渦巻くモザイクによるタイル装飾が今も残っている。
インスクリプション帯には空色の蔓草が渦巻く上に銘文を置いている。
その半世紀ほど後にマスジェデ・キャブードが建立された。その間のタイル装飾については不明。
マスジェデ・キャブードについて『GANJNAMEH6』は、記録によると、ブルーモスクは870(西暦1465)年に完成したが、付属の建物は建設が続いていた。872年、ウズン・ハッサンによってジャハンシャーが殺害された後は、建設が中断した。ウズン・ハッサンの息子スルタン・ヤアクーブが完成させたという。
その後ティムール朝のモザイクタイル装飾は黒羊朝、続いて白羊朝へと受け継がれた。あるいは、ティムール朝のタイル職人を招聘してこのマスジェデ・キャブードの建立に従事させたのかも。
違いは蔓草が渦巻かないことだが、空色の蔓草よりも勢いのある蔓草は釉薬が剥がれているが、
それが柿色なのは、別の箇所に残る色で判明。やや色が薄いが、これはウルグベクのメドレセの組み合わせと同じ。
この面でも柿色は剥落している。インスクリプションが柿色で蔓草が空色の組み合わせは、シリング・ベク・アガ廟ですでに現れている。
イーワーン頂部に残るモザイクタイルは、空色の控えめな蔓草の上に花を表したような文様が柿色で描かれ、その中にカリグラフィーが入り込む。
アーチネット下のモザイクタイル。
アラビア文字もペルシア文字も右から左へと書いていくので、蔓草も右から左へと伸びていく。しかし、ここでも蔓草は渦巻くことはない。
サファヴィー朝は黒羊朝を滅ぼした白羊朝を滅亡させた。
『クロニック 世界全史』は、1501年、イスラム神秘主義のサファヴィー教団の長、イスマーイール1世(14)が、アク・コユンル(白羊)朝を破ってアゼルバイジャン地方を征服し、タブリーズに入城した。イスマーイール1世はシャーの称号を冠して君主の座に就き、ここにサファヴィー朝が成立したという。
しかしながら『ペルシア建築』は、サファヴィー朝の統治は颯爽たるシャー・イスマーイール1世(1499-1524年)の登場とともに始まった。そして数々の建築を産み出した。しかし現在では、そのほとんどがすでに消滅してしまった。
シャー・アッバース1世(1589-1627年)の治世に移ると、いよいよサファヴィー朝建築の偉大な時代が幕を開くという。
イスファハーンの王の広場南に入口のあるマスジェデ・イマームは、アッバース1世が1612-30年に建立したモスクである。
ドームは、空色の地に柿色と白色で紺色の輪郭を持つ蔓が渦巻いているが、下のインスクリプション帯に蔓草は表されていない。
表門のイーワーンは、ムカルナスが左右対称に文様の異なるムカルナスを配置し、それぞれが細かなモザイクタイル装飾。
渦巻く蔓草も、柿色と空色の蔓草の組み合わせもある。
平らなタイル片で曲面をつくるための技術は高く、モザイクタイルは絶えることなく受け継がれてきたものだと納得できる。
扉口脇のパネルでは、中央の白い花と4つのカリグラフィーの隙間を埋める空色と柿色の細い蔓草が、同心円状に渦巻いている。
通路の尖頭アーチでは、柿色と空色の蔓草それぞれ伸びているが、渦巻はさほど強調されてはいない。
同じくイスファハーンの王の広場東にある王族専用のモスク、マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー(1601-28年)もアッバース1世が建立した。
ドームは素焼きタイルの地に、空色と白に紺色の輪郭を持つ蔓草が大きく渦巻いている。
表門イーワーンのムカルナスもマスジェデ・イマームと同じような植物文様のモザイクタイル。その下部には、壺の上下から出た何本もの空色の蔓草が、左右対称に渦巻きながら蔓を伸ばす。
ドームの内側も素焼きタイルの地にクジャクの羽の文様がモザイクタイルでつくられているが、頂部は白色の地に紺色と緑色の蔓が渦巻きながら同心円状に広がっていく。
ドーム下部には16の透かし窓、その間に同じ数の壁面が等間隔に設けられていて、その上下のインスクリプション帯には蔓草はない。
そのインスクリプション帯もモザイクタイル。
周囲は絵付けタイルだが、窓の透かしはモザイクタイルで左右対称の蔓草をつくっているが、渦巻はない。
黒羊朝が建立を始め、白羊朝が完成させたタブリーズのマスジェデ・キャブード(1465年)から、サファヴィー朝で現存するイスファハーンの2つのモスクまで、150年ほどの空白がある。
その間にも受け継がれた蔓草文様が、イスファハーンではこのように花開いた。渦巻も受け継がれているが少なくなっている。特にインスクリプション帯には渦巻く蔓草がつきものだと思っていた私にとっては、かなりの驚きだった。
もっとも、サマルカンドのレギスタン広場でウルグベクのメドレセの向かいにあるシルドル・メドレセ(ブハラ・ハーン国、1636年)では蔓草に渦巻はある。しかも柿色と空色の二重。
インスクリプション帯にも空色の蔓草が渦巻いている。
ということで、渦巻はあまり好まないのがサファヴィー朝の嗜好で、他のところでは、二重に渦巻く蔓草もあるし、インスクリプション帯には渦巻く蔓草も入り込んでいるといったところかな。
マスジェデ・キャブードのタイル装飾←
関連項目
タブリーズ マスジェデ・キャブード(ブルー・モスク)
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
シャーヒ・ズィンダ廟群5 シャディ・ムルク・アガ廟
グル・エミール廟1 外観
レギスタン広場1 ウルグベク・メドレセ
参考文献
「砂漠にもえたつ色彩-中近東5000年のタイルデザイン-展図録」 2003年 岡山市立オリエント美術館
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術
「GANJNAMEH6 MOSQUES」 1999年
「クロニック 世界全史」 1994年 講談社