ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2016/11/08
ペンジケントに青花蔓草文タイル
ペンジケントのルダーキー博物館に、14-15世紀とされるタイルのコーナーに日本風に言えば染付の蔓草文タイルがあった。
上と下に白い線があるので、タイル壁面装飾の主文の縁飾りとなる文様帯だったようだ。
ヒヴァのタシュハウリ宮殿やクニャ・アルク宮殿のものほど蔓草の渦は巻かないが、露のような白い点も見えるので、ヒヴァとは遠く離れていても、関連がありそうだ。
しかし、ヒヴァの複雑に渦巻いた、大画面を構成するタイルは、19世紀のものである。
クニャ・アルク、謁見の間のタイル1 パネル コバルトブルー・白・トルコブルー 1804年
文様帯ではなく、大パネルをそれぞれの文様に分けて絵付けされ、焼成されたタイルを、記号を書き込むことで間違うことなく再構成されている。
ここまで渦巻は密ではないが、花の形はよく似ている。
似ているといえば、
サマルカンド、シャーヒ・ズィンダ廟群の中にシャディ・ムルク・アガ廟(1372年)のピーシュターク(門構え)上部にも似た花の文様がある。
地がコバルトブルーなのは共通する。
花や葉の中に細い線で蔓草の渦巻などが描かれ、トルコブルーをポツポツ置いているし、花弁の先が上で交差するなどの違いはあるが、同じ系統の花文様だろう。
このような14世紀後半に出現した花の文様が各地に伝わり、それぞれの地で伝え続けられ、似たようなタイル装飾が行われたと考えるよりも、生産地が同じで、それぞれの都市や建立者の好みで文様が異なっていると考えた方が良いのかも。
では、どこでこのような大画面を飾るタイルが製作されたのだろう。伝統ということでは、やはりサマルカンドではないだろうか。
サマルカンドならペンジケントから50㎞ほど西のゼラフシャン川(ウズベキスタンではザラフシャン川)に沿った街である。
Google Earthより
関連項目
ペンジケント ルダーキー博物館2 イスラームから現代
渦巻く蔓草文の絵付けタイルの起源は
※参考文献
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London