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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/11/04

ペンジケント、女人像の柱のあるドーム


『NHKスペシャル文明の道③海と陸のシルクロード』(以下『海と陸のシルクロード』)は、この地域は、建築に適した石材が乏しく、木材も貴重だった。発掘の結果、建造物はすべて日干レンガのブロックや煉瓦で作られていたことが判明した。
町の中核となる市場に近い、いわゆる一等地には、商人たちのなかでも、特に裕福な者たちが店を構えた。彼らが建てた2階建て、3階建ての屋敷のなかは、華麗な壁画や彫刻で飾りたてられていたという。

メインストリート2に面し、市場に近い遺構はかなりの規模だった。ここがその邸宅跡かどうかは分からないが、これが広間跡だったのかも。

『ソグド人の美術と言語』は、ソグドの建物は、土構造物である。黄土(レス loess)に水とスサを混ぜて、粘土ブロック(パフサ、1辺が約1mの立方体)、日干し煉瓦(約10X25X50㎝)をつくり、それらを積んで壁とする。壁の表面には、壁土が塗られる。壁画を描く場合には、壁土の上から石膏を塗り下地をつくる。建物の一部には木材も使われている。
住宅の多くは、両隣、裏の住宅と壁を共有している。二階建てもしくは三階建てで、ほとんどは平屋根であるが、ドーム天井やヴォールト(アーチ形)天井もある。例として、二階までよく保存されていた住宅の間取りを見てみよう。一階には、玄関、廊下、客間、生活のための部屋があり、二階には、穀物倉庫などがある。
この住宅は本来三階建てであったが、まちが放棄された後、徐々に三階部分、二階上部が倒壊し、崩れた天井や壁が一階の部屋に堆積したために、壁画は地中で埋もれた状態で、日光や風雨から守られて保存されたという。

『海と陸のシルクロード』は、家のなかで最も重要視された場所は、中心に置かれる広間だった。限られた空間のなかに、どれだけ広く豪華な居間をつくるかを、ソグドの人びとは競ったという。
下図Aがその広間で、『海と陸のシルクロード』の図では第28室にあたる。
上図②から見た邸宅の外観
同①の断面図
Aの広間はドーム型の天井だが、建物全体に陸屋根。
『ソグド人の美術と言語』は、客間は二階まで吹き抜けで、4本の柱がドーム天井を支えている。四周の壁の基部にはスーファと呼ばれる高さ0.5m、奥行き0.5mほどの粘土製の壇がめくらされ、それより上の壁面は壁画で覆われ、天井は木彫り細工で装飾されていたという。

『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、ソグドでは宮殿や個人の邸宅を壁画や木彫で豪華に装飾していた。8世紀初期のペンジケントでは、住居の壁画の3分の1に絵画が描かれていた。富裕な家ではいくつかの部屋に壁画が描かれた。邸宅と宮殿とは、豪華に装飾された内部の質と大きさによって区別されるが、部屋の形式は同一である。住宅建築の大きな特色は、4本の柱で複雑な彫刻を施した天井を支える広間にある。広間は2階建てで、その高さは隣接するほかの部屋と同じである。すなわち家屋全体は一つの平らな屋根で覆われていた。しかしながら、屋根の下の広間は複雑で大規模な構造、すなわち木で造った独特の丸天井(ドーム)を設けていた。
木の柱の上の隅にはカリアティード(女人像を描いた柱)が、壁の上部には木彫のフリーズが施されていたが、丸天井の下部は台形の板があって、アーチの下に座す神やアーチの中で戦う英雄と怪獣が描写されていた。天井の中央には明かり取りの窓があった。基本的にはこの時代よりも遅れる中世ビザンティンの建築で知られている、いわゆる内接十字式の建築形式に関係するという。
ドーム建築でいえば、コンスタンティノープルのアギア・ソフィア大聖堂(6世紀半ば)のペンデンティブに似た構造体で、その上の薄板が不等辺の八角形、等辺の八角形、同じく十六角形と積み重なり、その上に円形のドーム型天井が架けられている。薄板の積み重ねという点ではラテルネンデッケからの工夫とも思える。
そのペンデンティブらしき部分に、木彫の女人像柱があったらしい。

女性立像 8世紀初(722年以前) 木造(炭化) 高118㎝ ペンジケント出土 エルミタージュ美術館蔵
同書は、ほかの類似の像1点と上半身の断片とともに火災で焼けた個人邸宅の4本の柱のある広間の中央で発見された。この部屋には4体の木彫があった。アーチを支えているこのような女人像の柱(カリアティード)は、ソグドではよく見られるものであった。この作品は柱の上にあって、明かり取りの窓がある中央の屋根の支えの方形部分の一部だったようである。
両手は消失し、左手の指だけが太腿の上に残っている。右手は頭上にあげて柱頭を支えていたのであろう。飾り紐や軽やかな衣装から判断すると、これは踊り子を表現したものであろう。両足の表現はコントラポスト(支脚と遊脚の原理)に則っている。その姿勢と装飾はインドの彫像に似ているが、均整のとれた肢体は完全にソグド的であるという。

4体のカリアティド(図中⑪)が支えるドーム型天井にも浮彫の装飾があった。
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、火災は、アラブ人侵略者がペンジケントの王デウァシュティチュと戦った722年に起こった。そのとき焼けた広間では壁画が破壊され、柱がほぼ全焼した。木の天井は火災に包まれて焼け落ちたが、粘土質の土の天井は空気が十分に流れなかったので全焼を免れた。その結果、多くの木彫は原形をとどめることができたという。
『NHKスペシャル文明の道③海と陸のシルクロード』は、吹き抜けになった大広間では、天窓から差し込む光の中に、ユーラシア各地の神々や空想上の動物たちが浮かび上がるという。
小さな木彫パネルを半球ではなく、円錐形に5段積み上げてある。
① 女性胸像
ほかの浮彫が神像なので、いずれかの女神だろう。

② リュトンで酒を飲む男性
ギリシア神話の酒神ディオニュソスまたはローマ神話ではバッカスだろう。
③ 英雄と怪獣の闘争図 7世紀末 61X36㎝ ペンジケント出土 エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』同書は、アーチの下には後ろ足で立った有翼獅子と、それと戦っている若い英雄が描写されているが、英雄は右手を怪獣の頭に置き、それを左手に持った剣で突き刺している。怪獣の尾の先は蠍の尾の形をしているようであるが、これは異常である。英雄はいわゆる「フリュギア帽」に似た兜をかぶり、その下から豊かな頭髪がのぞいている。英雄の後ろ、肘の下に楕円形のものが描写されている。その表面はうなじの巻毛と同じように作られている。これは膝まで届く長い頭髪の束か、あるいは樹木の頂で、その樹幹はこの場合アーチの柱の陰に隠れているはずである。英雄は古めかしい鱗状の小札を連ねた鎧を着ているが、その存在はペンジケントの壁画では確認されていない。こそには古代の鎧ではなく、当時の鎧やほかの製品が描かれている。
ソグド南部で5-6世紀に発行されたコインには、人間と後ろ足で立った獅子との闘争文が刻印されている。これはむろん、アケメネス朝ペルシアに起源した図柄である。すなわち、帝王と獅子ないし怪獣との戦いは、世界の悪と戦ってそれに勝利する帝王を象徴しているためである。しかし、このような象徴的意味がこの作品にあったか否か明らかではないが、少なくとも英雄は国王のようには見えないという。
四弁花文を配したアーチの中で有翼獣と闘う英雄。
④ 男神坐像
連珠アーチの下で椅子に坐す男神は、右手に輪っかを持っている。
輪っかといえば、ゾロアスター教が国教だったアケメネス朝では、最高神アフラマズダから王権が親授される時の象徴として、フヴァルナーと呼ばれる輪っかが登場する。ということはこの神がアフラマズダということかな。

⑤ 男神坐像 7世紀末 木造(炭化) 60.5X40㎝ ペンジケント出土 エルミタージュ美術館蔵
同書は、アーチの破風にはあまり大きくないパルメット文が施されている。アーチの下には右手に孔雀を持った男神の坐像があり、右足を折り曲げ、左足を垂れている。左手は剣の柄に置いている。顔は若々しく、切れ長の目をして、インド風の複雑な髷を結っている。インド風の姿勢と目鼻だちはインドの神の図像の影響を証明している。とくに孔雀は、若い軍神のカールティケイヤ(韋駄天)の乗る鳥である。ソグドでは、勝利の神ウァシャグン(ウルスラグナ)を表すために、カールティケイヤの図像を少し変えて用いたのであろう。もし、雄鶏にかえて孔雀を用いたとすれぱ、これはほかのゾロアスター教の神スラオシャ(贖罪の神)を表したものであろうという。
⑥ 獅子に乗る神
⑦ 駱駝に乗る男神像
⑧ 馬車に乗る太陽神スーリヤ インドの神話
共通しているのは、それぞれの神は動物に無造作に坐っていることだ。
⑧は、今年6月、東京藝術大学で見たバーミヤン東大仏の頭上に描かれていた太陽神スーリヤ像と同じように馬車に乗っている。ただしバーミヤンでは立像、ペンジケントでは坐像に表されている。このように胡坐するのがソグド風なのだろう。
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⑨ 葡萄の葉と実
⑩ 連珠円文の中でヘラジカ(エルク)が走っている
⑫ 十字葉文が並ぶ。その上にはアカンサスっぽい文様

フリーズ部分 8世紀初
アーチの中には外向きの一対の動物の上に座った神々が浮彫されている。その下には右向きに動物が行進していて、有翼のものもあり、ライオンらしきものもある。

同書は、この広間には10点の木彫断片があり、すべて屋根を支えていた4本の柱の礎石のあいだの方形部分から発見された。そのなかには、大小さまざまの台形のような形のものが多くあった。それらは屋根を組み立てるときに、骨組の外側の適当な縁に置かれたのである。この作品の形態から、その屋根は骨組が木で、台形の装飾板をつけたドームであったことが判明するという。
四柱に支えられた天井は、ラテルネンデッケだけでなく、このようなドーム型もあったのだ。

ソグドの踊り子像はカリアティド(女人像柱)

関連項目
東京藝術大学ではバーミヤンの復元壁画

※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「NHKスペシャル 文明の道③ 海と陸のシルクロード」  2003年 日本放送協会