お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/06/02

ソグド人の納骨器、オッスアリ




『中央アジアの傑作サマルカンド』は、アラビア軍が侵略してくるまで、中央アジアではゾロアスター教の宗教的伝統が圧倒的であった。ゾロアスター教は、インド・イランの古代の神々を敬い、それらの中でも特に、太陽の神ミートラ男神は家畜の群れと戦士の守護神として、月の神アナヒタ女神は農業の守り神として崇められていた。
ゾロアスター教の主な信仰のシンボルは火である。人生の終わりにはすべての者が、悪と闘う宇宙の法たる神(光明神)アフラ・マズダの火で、功績に報いられる、と考えられていた。中央アジアのゾロアスター教信仰は、ササン朝時代にゾロアスター教が国教であった隣国イランとは異なっていた。中央アジアでは統一された規制がなく、信仰の伝播は多種多様で、かなり異なっていたという。

『偉大なるシルクロードの遺産展図録』は、その教理の基本は、善悪の二元論で、宇宙や人間は善なる創造主(アフラマズダー)により生み出されたが、絶えずそれを否定し破壊へと導く悪(アフリマン)と対立するものとして捉えている。善なる生命には死、光には闇が対立するのである。この世界は善の最終的な勝利を知る創造主により、その戦いの場として、天、水、大地、植物、動物、人間そして火の七段階にわたって創りだされたものと解かれ、それぞれに守護神が当てられている。ゾロアスター教において死は、悪が最強の力を発揮したものと考えられ、このため死体にふれることは忌避すべきとされた。そして死に際して人間の魂は、身分や貧富の差によらずただ善行を行ったか如何で裁かれ、善行によってのみ楽土につけると解かれている。このようにゾロアスター教は、人間に対して善なる行いを求める強い倫理観を背景とするもので、聖なる火の維持と崇拝もその一端を示すに過ぎないのである。
ゾロアスター教はイラン世界北辺部にその端を発する宗教であるため、ソグド地域も早い段階で伝わり、王の権威のもとでその信仰が取り込まれたアケメネス朝ペルシャの時代に広く受け入れられていたものと思われる。
また、多彩なレリーフや型態をもつオッスアリと呼ばれるソグド人独特の素焼きの蔵骨器も各地で出土している。オッスアリに骨を入れナウスと呼ばれる墓に収めるもので、正統ゾロアスター教圏では見られないソグディアナ周辺のみに認められる葬法である。オッスアリには、人間や建物から円錐形のものや単なる四角い箱と様々な器形があり、その表面には様々な装飾や死者への哀悼を示す光景などが浮彫りや彩色により描かれ、ソグドの美術・歴史を示す資料として貴重なものとなっているという。

『文明の道3海と陸のシルクロード』は、オッスアリは、長さがおよそ60㎝程度の素焼きの棺である。
ゾロアスター教(拝火教)を信仰したソグド人たちは、汚れた屍体が神聖な火や大地に触れることを嫌い、火葬や土葬をせずに鳥や動物に屍体を食べさせ、骨にしてから改めて埋葬した。このときに骨を入れるのに用いられたのが、オッスアリと呼ばれる小さな棺だったのだという。
ガラスの奥には頭蓋骨が並んでいたり、左のケースには実際に骨が残ったまま展示されていたりして、撮影が難しいところだった。

3-5世紀のオスアリ
「中央アジアの傑作サマルカンド」は、中央アジアでは、骨を埋葬するために陶器が使用され、その後オッスアリーと呼ばれる骨の保存容器が利用されるようになった。紀元前3世紀には、中空の像と、廟を模倣する建物の形をした陶器のオッスアリーが作られていた。3世紀以降のソグディアナとホラズムにおいてはオッスアリーの形が変化した。オッスアリーとして陶器の箱が利用され、それは石棺の形をした、アーチ形の直角の方形屋根のようであったという。
蓋の残るものは少ない。
奥の方は大きな鋸歯文、前の1点は三角から角がとれて、アーチ形になる前のよう。

上も下もアーチ形になっている。それぞれ似ているようで、同じものはなかった。ただ並び方は不揃いだが、連珠文がその三角やアーチ形に沿って付けられているのが共通している。
大きな円の連珠文はアケメネス朝時代の装飾タイルにあるが、このような小さく連珠を巡らせるものとしてはかなり早い時期のものだ。

4-5世紀のオッスアリ
つまみが2つある平たい蓋。フリル状の飾りが胴部を巡る。それとアーチに沿って、連珠文もまた器体を巡っている。

十字文抜箱型納骨器 時代不明

馬型のオッスアリ 5世紀
他のものと違って、上下一体型で、蓋は馬の後部を切りとってつくっている。
あまり大きくはなかったので、子供の納骨器だったのかも。

円筒型オッスアリ 5-8世紀 粘土 高58径40㎝ ペンジケント出土 タジキスタン民族考古博物館蔵
摘まみのあるタジン鍋の蓋のようなところがフタかと思ったら、どうも上半分が蓋になっている。鋸壁文が上下二重に巡っていて、埋葬者は統治者だったのかも。

男性頭部摘蓋付オッスアリ 6世紀 粘土 高59長59㎝ トイチュペ出土 サマルカンド国立文化歴史博物館蔵
摘まみが人物の頭部になっている。埋葬者の肖像だろうか。どこからが蓋なのか、わかりにくい。

太陽・人物文オッスアリ断片 6世紀 粘土 高22幅30㎝ タイロック出土 サマルカンド国立文化歴史博物館蔵
燦然と輝く太陽を連珠文が囲む。

アーチ型オッスアリ 6-7世紀 粘土 高42長40㎝ トゥスンサイ出土 サマルカンド国立文化歴史博物館(現サマルカンド歴史博物館か?)蔵
頂部に摘まみがあり、一体型に横向きの小さな蓋が付いていたらしい。

型成形のオッスアリ 6-7世紀
同書は、ソグディアナやブハラ、ホレズムでは、スヤヴシュの信仰が重要な役割を果たし、死にかけている神と復活しようとする神の画像を描き、それは帝国の守護者として承認されていた。都市と村落にはゾロアスター教の聖堂が築かれ、壁画には木造の偶像と金属の偶像の形で神の像が描かれていた。聖堂は独特の形をしており、中心に神聖な火と装飾列柱のあるアーチがあり、四角いドームのパビリオンになっていたという。
それはこのような形のオッスアリを指すのだろうか。 
マスクで口を覆った神官が拝火壇を囲んで儀式を執り行っている。それぞれ持ち物が異なるのは、役割の違いか。拝火壇の両側にパルメット文、アーチには連珠文など、交易と共に、文様も各地からの影響が見られる。
ソグドのオスアリ(納骨容器)の図像学的資料における 葬儀儀礼の影響と死後の世界は、中部ソグド、サマルカンド州のアクチャダリン地域、ムッロクルガン市においてオスアリによる埋葬が発見され、その中には完全なものが一つあった。それは L.B.パブチンスカヤによって記述され出版された(パブチンスカヤ、1983 年、p.46-49、図 27)。側面と蓋の全体が像の浮き彫りで飾られている。ここには、アーチ式アイワーン(バルコニー)あるいは寺院の建物の中に、供犠と聖火の点火の場面が表現されている。中央には火を灯した拝火壇が立っている。その右には、口と鼻を(パダノムで)覆った鬚をたくわえた人物、すなわち僧が 坐っている。その右手にはホドハラスパト(火を調整する道具)を、左手には棒、明らかにバルスマンを持っている。 拝火壇の左には、もう一人の鬚の人物が鼻と口を覆って跪いている。右手にはホヴンダス ト(すりこ木)を持っている。拝火壇の左右には三つ葉模様(白ハーウマ)の形をした不死の植物が描かれているという。
拝火壇の両側にある文様はパルメット文ではないかと思っていたが、ゾロアスター教では不死の植物とされるハーウマの三つ葉文様であるらしい。
蓋について同サイトは、蓋には二人の裸の女性が舞踏の姿勢で描かれている。その内の一人は生命の木を象徴した 三つ葉を持っている。これはアシュトド女神である(下記参照)。左のもう一人は棒の束を持 ち、持ち上げた右の手には実をつけた植物を持つ。これはハーウマ女神である(図版 4)。L.V. パヴチンスカヤは葬儀の信仰に関わる場面として正しく記述している(パヴチンスカヤ、 p.48-49)。彼女は、蓋に描かれたのは女性僧であると考えている(同、p.49)という。
二人の頭上には太陽と月。

7-8世紀のオスアリ断片

十字文抜箱型オッスアリ 7-8世紀 粘土 高22.5長62㎝ カフィル・カラ出土 サマルカンド国立文化歴史博物館蔵
この十字文については、ソグドのオスアリ(納骨容器)の図像学的資料における 葬儀儀礼の影響と死後の世界は、針葉樹文様と考え、針葉樹がハーウマであるという。
横向きの半パルメット文状のものではなく、正面向きのハーウマが透彫になっている。

では、唐草文あるいは蔓草文のようなこのオッスアリの蓋に表された植物文もハーウマなのだろうか。


関連項目
中国のソグド商人
アスターナ出土の連珠動物文錦はソグド錦か中国製か
連珠円文の錦はソグドか
ササン朝ペルシアの連珠円文は鋲の誇張?
帯に下げる小物入れは中国や新羅にも

※参考サイト
ソグドのオスアリ(納骨容器)の図像学的資料における 葬儀儀礼の影響と死後の世界


※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 2008年 SMI・アジア出版社
「偉大なるシルクロードの遺産展図録」2005年 株式会社キュレイターズ
「NHKスペシャル 文明の道3 海と陸のシルクロード」 2003年 日本放送協会