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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/05/21

X字状の天衣と瓔珞1 中国仏像篇



ボストン美術館所蔵の法華堂根本曼荼羅図は8世紀の貴重な仏画である。その中の菩薩に数珠のX状瓔珞があるのを見付けた。
それは、日本では飛鳥時代にのみ見られるもので、奈良時代に入るとなくなってしまったようだ。
それについてはこちら

菩薩坐像 法華堂根本曼荼羅図うち 8世紀 ボストン美術館蔵
数珠状の瓔珞が、腹部腹部の金具部分で交差し、それが脚部に垂れている。それが平安仏画のように平面的ではなく、膨らみの感じられる脚に添っている様子がよく表現されている。
では、この菩薩のX字形の数珠状瓔珞は何を手本にして描かれたのだろう。X字状に交差するものを中国の仏像に見ていくと、

青銅菩薩倚像 高12.3㎝ 北魏時代(386-534年) 浜松市美術館蔵
『中国の金銅仏展図録』は、三弁冠を頂き太目の冠帯を張り出させ、天衣を肩で幅広とし、その先を両脇に張り出させて、広がった裳裾の端と接するという。
北魏だけでは時代に幅があり過ぎるが、着衣の左右対称性や細身の点から、後半の作品と思われる。
天衣がX字状に交差しているのが、その後のX字形瓔珞へと発展していったのではないかと思わせる。
また、小さな挙身光の縁、その中の頭光らしき枠、冠帯、そして裙には等間隔で魚々子による連珠文が連なっている。殊に、天衣は襟側から細くなって先端まで連珠文が続いていて、後の数珠状のX字形瓔珞の原型にも思える。
金銅菩薩立像 高24.0㎝ 北魏時代、太和8年(484) 個人蔵
同展図録は、宝髻の根元に回した紐の先が後方で誇張されて翻るのは、古代イラン王が頭部のディアデム(冠帯)を翻すに由来するか?ガンダーラの石像菩薩像にも見える。五胡時代の菩薩像とは瓔珞や天衣の形も大きく変わったという。
天衣は肩の外側を巡って腕に掛かる。
X字形瓔珞はそれ自体別にあるのだが、腹前で交差した瓔珞はそれ以上垂下せず、裙の腰の位置で後ろに回っているらしい。
ササン朝ペルシアの王の翻る冠帯の図はこちら

金銅観音菩薩立像 高27.5㎝ 北魏正光2年(521) 静嘉堂文庫美術館蔵
『金銅仏展図録』は、通肩の大衣をまとい、その上に円形装飾を中心にX字状に交差する瓔珞をつける。下半身では膝のあたりで天衣がX字状に交差し、その下には裳の襞を装飾的に表す。裳・天衣・瓔珞は重なり合って重厚な表現をみせ、また肘と裾で左右に翻る天衣も心地よいリズムを奏でている。
本像は重厚な着衣表現に重点を置いた北魏後期様式の典型的な作例であるという。
数珠状の瓔珞は大きな円形の飾りの箇所でX字状に交差し、その下で天衣もX字状に交差している。

菩薩立像 北魏-東魏(6世紀) 石灰石・彩色 像高97.2cm 博興県崇徳村龍華寺遺跡出土 山東省蔵
『中国・山東省の仏像展図録』は、両肩に懸かる先端がカールする垂髪、腹前でX字状に交差する天衣、下腹を少し前に突き出すように立つ姿勢など、北魏後期様式を基本としている。また、瓔珞中央の大きな半球形飾りや珊瑚形、蝉形の飾り  ・・略・・という。
MIHO MUSEUMに所蔵されていた頃は「蝉の菩薩」などと通称されていた。

この菩薩立像にまつわる話はこちら
天衣と瓔珞がほぼ重なって腹前でX字状に交差している。
どの仏像で見たのかもう忘れてしまったが、天衣または瓔珞が円形の輪っかを通っているのが明瞭に表現された仏像があるので、元はそのような役割を持つ飾りだった。
それが、段々装飾的になって、この作品ではもはや金具を通らず、半球形飾りに珠状の金具で数珠状瓔珞が取り付けられているように表されている。
法華堂根本曼荼羅図の菩薩坐像(最初の画像)も中央の円形飾りに突起を4つ付け、そこに数珠状瓔珞が取り付けられてX字形になっている。
瓔珞も途中で珊瑚形、蝉形の飾りといわれる飾りが等間隔に挟まれているので、その一つ一つが複数の数珠を束ねてトウモロコシのように見える。
山東省の仏像にみられるX字状に交差する瓔珞や天衣についてはこちら

観音菩薩立像 菩薩三尊像うち 56.8㎝ 東魏時代、武定7年(549) 大阪市立美術館蔵(山口コレクション)
『中国の石仏 荘厳なる祈り展図録』は、太行山脈の東麓、河北一帯で盛行した白玉造像の一つ。冠繒の結び目や各部の衣文を花弁形に整え、長く垂れる天衣を雲気状に表すなど、着衣は浅く鎬をたてた彫法で装飾を凝らすという。
数珠状の瓔珞は着けていないが、天衣が腹前でX字状に交差している。
やっと天衣をくぐらせる輪っかがでてきた。X字形瓔珞、あるいは天衣は北魏時代からあるので、このように長いものを通して固定する器具というのは例外的なものだったのか。
それについては後日。 
金銅菩薩立像 高18.2㎝ 北斉時代武平5年(574) 個人蔵
『中国の金銅仏展図録』は、垂髪を両肩下に魚鰭状に表し、太い瓔珞をつける。瓔珞の交叉する部分にメダイヨンをつけることも幾つかの例に見た。北魏様式を残す魏斉様と呼ばれるものであるという。
肩に懸かる天衣は両側に張り出して袖のように見える。そのまま腕の内側を通り脚部の両側に複雑な軌跡を描いて垂れている。

数珠状瓔珞のみがX字状に交差している。
菩薩像残欠 漢白玉・金箔 現状高83.0㎝ 北斉時代(550-577) 1996年清州市龍興寺遺跡出土 清州市博物館蔵
『中国・山東省の仏像展図録』は、天衣を腹上で結んでX字状に交差し、  ・・略・・ ことを除けば、瓔珞が腹前の環状飾りでX字状に交差しているのも伝統的であるという。 
同じ北斉時代の菩薩像でも、武平5年銘像とは全くことなった装飾的な様式のものもある。

トウモロコシ状の数珠とその繋ぎ目にいろんなものが挟まる装飾的な瓔珞は、北魏-東魏-北斉と受け継がれたようだ。
この像は裳の裾に截金による亀甲繋文が残っている。
それについてはこちら

金銅菩薩立像 高65.0㎝ 北周(557-581) 東京藝術大学美術館蔵
『金銅仏展図録』は、左右に大きく翻る天衣、下裳の繁雑な衣襞の表現は北魏後期の伝統を引くが、全体を覆う瓔珞の華麗な表現や随所に見られる立体表現への志向に新時代の造形感覚が顕著に見られる作品であるという。
瓔珞は複雑な形が間に入ってもはや数珠状とは言えなくなり、また、あちこちで枝分かれしてX字状でもなくなっているが、大きく見れば腹部の飾り部分でX字状に交差している。
あまりにも華麗な雰囲気のため、この作品は隋時代のものだとばかり思っていた。たまには解説を読んで間違いを正さねば。

体の両側に長く垂下する天衣を除けば、龍華寺遺跡出土の蝉の菩薩とよく似ている。北周が北斉を滅ぼした後の山東省で制作されたのだろうか。
菩薩立像 銅製 像高36.6㎝ 隋時代(581-618) 山東省博物館蔵
『中国・山東省の仏像展図録』は、円形肩飾りから下がっているように見える瓔珞は、腹前の円形飾りでX字状に交差しているが、ここには円形の飾りとともに、古風な珊瑚形と蝶形の飾りが見えている。天衣は両肩を覆い、肘上で小さな張りを見せながら、裳の縁辺りで結ばれてX字状に交差しており、膝下で反転して両手の前膊に懸かり、長く蓮肉下まで外側を垂下しているという。
小像のためか、北斉や北周期の仏像よりも簡素なつくりの菩薩である。

頭光の立体的な装飾がなければ、隋時代の仏像とは思わないだろう。
円形飾りは平たい板の中央に高い突起がある。
その後に数珠状のX字形瓔珞をつけている菩薩像といえば、8世紀末の龍門石窟のものになる。

救苦観世音菩薩銘龕立像 高2.3m 中唐貞元7年(791) 龍門石窟
『中国の仏教美術』は、腰を右に傾け、前後の厚み、左右の幅といった量感の点で申し分ないが、肉付けに抑揚がなく、全体に膨張しているような体で緊張感がない。彫刻として一頂点を過ぎた、中唐様式というものを理解することができるという。
数珠状の瓔珞はどこに垂下しているのか、その上に天衣が2本体に密着しているので、途中で消えてしまったような感じだ。

円形飾りも数珠状となっている。
とりあえず、数珠状のX字形瓔珞は、中国では8世紀末までは存続していたことはわかった。
つづく

関連項目

X字状の天衣と瓔珞8  X字状の瓔珞は西方系、X字状の天衣は中国系
X字状の天衣と瓔珞7 南朝
X字状の天衣と瓔珞6 雲崗曇曜窟飛天にX字状のもの
X字状の天衣と瓔珞5 龍門石窟
X字状の天衣と瓔珞4 麦積山石窟
X字状の天衣と瓔珞3 炳霊寺石窟
X字状の天衣と瓔珞2 敦煌莫高窟18
ボストン美術館展6 法華堂根本曼荼羅図2菩薩のX状瓔珞
新羅石仏の気になる着衣を山東省に探す
MIHO MUSEUMの山東省の仏像展は蝉の菩薩の見納めか
中国・山東省の仏像展で新発見の截金は
敦煌莫高窟9 285窟に南朝の影響


※参考文献
「ボストン美術館 日本美術の至宝展図録」 2012年 NHK
「中国の金銅仏展図録」 1992年 大和文華館 
「金銅仏-東アジア仏教美術の精華展図録」 2002年 泉屋博古館
「中国・山東省の仏像-飛鳥仏の面影展図録」 2007年 MIHO MUSEUM
「中国の仏教美術 後漢代から元代まで」 久野美樹 1999年 東信堂

「中国の石仏 荘厳なる祈り展図録」 1995年 大阪市立美術館
「小金銅仏の魅力 中国・韓半島・日本」 村田靖子 2004年 里文出版