ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2012/10/23
敦煌莫高窟3 57窟、観音菩薩の宝冠に瀝粉堆金
『敦煌の美と心』は、第57窟は伏斗式方窟で、西壁の仏龕に如来坐像と二仏弟子・四菩薩を安置しているという。
残念ながら龕内の塑像は清代の重修なので、あまり採り上げられることはない。
また、西壁の龕外側の壁画も、残念ながら変色が激しい。
そうなると57窟の見るべきものは南壁の樹下説法図、それも観音菩薩ということになってしまう。
南壁の仏樹下説法図は、双樹、宝蓋のもとで結跏扶坐する如来仏を中心に菩薩が描かれているという。
説法する釈迦の両脇に年長者の迦葉と一番若い阿難、その両外側に脇侍菩薩が立っている。
しかし、両脇侍を観音・勢至とする本が多く、その場合中尊は阿弥陀如来となって、迦葉・阿難を従える釈迦如来と矛盾するように思うが、『中国石窟 敦煌莫高窟3』も主尊を阿弥陀とし、左右に侍するのは迦葉・阿難、続いて観音・勢至として、それを特に問題にしていない。
それはともかく、樹下説法図は中央の釈迦も顔が黒く変色しているが、全体的に観音菩薩側の菩薩たちの方が白いまま残り、勢至菩薩側の菩薩たちは黒ずんでしまっている。菩薩たちは皆同じような秀麗な容姿に描かれていたのだろうが、現在は観音菩薩が変色せずに残っているために目立つのだ。
描かれた当初は左の勢至も右の観音と変わらない色白の菩薩だったはずだが、経年変化で鉛白が黒く変化してしまっている。両者をを並べてみると、とても同じような菩薩を描いたとは思えない。
『シルクロード2敦煌砂漠の大画廊』は、まるで水彩のようにうす紅色で描かれ、輝くばかりであるという。
中央寄りの阿難の顔には、観音菩薩よりも頬と瞼の赤みがはっきりと残っている。しかし、変色は外側の菩薩は顔にも体にもみられ、阿難の体には部分的に見られ、観音菩薩の両腕にさえ忍び寄っている。
分厚いガラスを通して、小さな菩薩像がまとった金色の装身具に目を凝らすと、それが平面ではないことに気が付く。
特に金冠は、その等間隔に配された凸の点々が打ち出し列点文を表しているようだ。冠の中央には微笑むというよりは笑っているような化仏の坐像が描かれ、左右には緑色の色彩が剥落しながらも残っている。それぞれ貴石の象嵌を表しているのだろう。
同書は、その美肌を飾る瓔珞と冠は、金色に彩られている。クローズアップして見れば、それはただ筆で描かれているのではない。宝石と見えるひと粒ひと粒が堆く盛り上がっている。
これが、聞くところの「攊粉堆金(れきふんたいきん)」であった。金粉を漆で固め、一層一層塗り上げていく技法である。常書鴻さんによれば、それは隋の時代にはじまっているが、唐で完成した。なかでも57窟のそれは美しく、しかも完好な形で残っているという。
しかし、『敦煌石窟 精選50窟ガイド』は、体中に飾られた胸飾、碗釧、臂釧などの装身具は、瀝粉堆金(れきふんついきん)という技法で制作し、きらびやかで華麗である。
瀝粉堆金-石膏を細かな泥にし、パイプつきの革袋に入れ、それを絞りながら図案を描く技法を瀝粉という。それを乾燥させ、にかわを塗った上にさらに金泥(金彩)を塗りつける技法は堆金である。初唐から始まり、宋や西夏時代に一般化されたという。
私は瀝粉堆金で「れきふんたいきん」と読み、途中の工程はどちらかわからないが、最後は金箔を貼り付けるのだと思っていた。
瀝粉堆金かどうかわからないが、装身具や千仏の顔が金色のものは隋時代(581-618)にも見られる。
菩薩立像 敦煌莫高窟404窟西壁龕内南側 隋(581-618)
盛り上がりはわかりにくいが、内側の首飾りを見ていると、金箔の四角いものが、首飾りの線からはみ出ている箇所があるので、金箔を貼り付けているのがわかった。
金泥と金箔では輝きが異なる。金箔の方がずっとキラキラと輝いて見える。
暗い石窟内で、小さな照明にも輝くのは金箔だからではないだろうか。
おまけ
阿弥陀如来の坐す蓮台の下には、香炉のようなものの両側に獅子が描かれている。左右対称ではなく、左側の獅子は中央を向いているが、右側の獅子は外側を向いている。
このような獅子はマトゥラー仏やガンダーラ仏にも見られる。元来は主尊を守るために表されたものだろうが、獅子は様々な格好に表されていて、「遊び」の部分が残されているようで、このような獅子の姿を見るのも仏像・仏画を見る楽しみの一つとなっている。
いつかそのような獅子像をまとめたいと以前から思っているが、なかなか実現せずに、今日に至っている。
現在のところ、アップしてるものはクリーヴランド美術館蔵のマトゥラー仏のものだけだった。この像の台座は左側が欠けているが、右側に外側向きの獅子、中央に正面向きの獅子が残っているので、おそらく左側の獅子も外側を向いていただろう。
この残片が見つかって、左側の獅子が寝っ転がっていたとしても驚かない。
このマトゥラー仏の画像はこちら
関連項目
敦煌莫高窟275窟1 弥勒交脚像は一番のお気に入り
敦煌莫高窟の連珠円文は隋から初唐期のみ
※参考文献
「世界美術大全集東洋編4 隋・唐」 1997年 小学館
「敦煌の美と心 シルクロード夢幻」 李最雄他 2000年 雄山閣出版社
「中国石窟 敦煌莫高窟3」 敦煌文物研究所 1982年 文物出版社
「シルクロード 絲繡の道第二巻 敦煌 砂漠の大画廊」 井上靖・NHK取材班 1980年 日本放送出版協会
「敦煌石窟 精選50窟鑑賞ガイド 莫高窟・楡林窟・西千仏洞」 樊錦詩・劉永増 2003年 文化出版局