天理市教育委員会作成の西山古墳の説明板は、周濠の外堤に埴輪棺墓・石棺墓・小石室など付属の埋葬施設が造られましたが、古墳時代後期には外堤をこわして塚穴山古墳の外堤が造られたという。近くにあるのなら塚穴山古墳も見学してみよう。
塚穴山古墳の外堤というのは現在ではよくわからない。西山古墳の北側に広がる馬場を横切って、急な坂を枯れ葉で足を滑らせながら登ると土の塚があった。何かありそうなので左に回り込み、切れ込んたようなくぼみを見つけた。ずっと奧には石室がありそう。
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石舞台古墳くらいの大きさがありそうじゃ
残念ながら蓋石が全くないので築造時の天井の高さがわからへんなあ。
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天理市のホームページは、勾田町に所在する径63.4mの円墳で、墳丘の周囲には周濠がある。古墳には明日香村の石舞台古墳に匹敵する長さ約17mの巨大な横穴式石室が残っており、横穴式石室の規模では、本市最大である。年代は6世紀末から7世紀前半に築造された古墳時代終末期の古墳と思われるという。
石舞台古墳は玄室長7.8m、羨道長は11.5m(明日香村説明板より)なので、長さは2mほど短い。高さは石舞台古墳ほどあったのだろうか。
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左奧に見えるのは西山古墳の前方部。
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※参考文献
天理市ホームページ古墳ガイド
天理市教育委員会作成の説明板