前方後方墳で最大のものは天理市の西山古墳という。しかも前方後方墳の上に前方後円墳があるらしい。きっと後の時代に、以前からあった前方後方墳の上に前方後円墳を築いたのだろう。
西山古墳は天理大学の敷地内にあった。遠くから見ると、後方部の上に大きな後円部がのっているが、別の古墳を載せたような違和感はなかった。
説明板は、杣之内古墳群の内にあって盟主的な前方後方墳である。古墳時代前期に築造されたと推定できる。全長183m、前方部幅約72m、後方部幅約94mの規模があり、全国の前方後方墳の中では最大規模を誇るという。
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あれま、前方後方墳の上に後世に前方後円墳が築造されたと勝手に思っていたら、全く違っていた。確かに後方部の角があった。
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後方部の側面を歩くとほぼ直線になっている。どこかから後円部に登りたいのだが、狭い溝があって取り付きがわからへんやん。
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こちらにも天理市教育委員会作成のより詳しい説明板があった。
全長183m・高さ16m、
古墳時代前期(4世紀)
出土品・・・鏡破片・碧玉製石鏃破片・碧玉製車輪石破片・鉄製刀剣類破片・管玉・埴輪(円筒・鰭付円筒・朝顔形・家形)
西山古墳は、前方後方墳としては全国で最も大きいもので、前方部を西に向けています。ほとんどが後期(6~7世紀)古墳である杣之内古墳群の中で、本古墳はすでに消滅した小半塚古墳とともに古い時期の古墳として知られていますという。
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墳丘に上がって散乱している石材を見たかったが、こちら側にも溝があり、笹や立ち枯れたススキが並んでいて、踏み跡がわからなかった。
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※参考文献
天理市教育委員会作成の説明板