養久山古墳墓群は揖保川西岸にあった。そのずっと下流に権現山古墳群がある。一時期三角縁神獣鏡が出土したことで有名だったらしい。登り口は王子神社。
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この古墳は、権現山の山頂に築かれた全長43m前方後方墳で、高さ約3mの盛り土を築き、後方の中央部に竪穴式の石室(高さ4.8m、幅は北1.15m、南1m)が設けられています。日本最古の古墳の1つで、当時のこの地方の有力者の墓です。
吉備で発生した埴輪の祖型、特殊器台と、大和的なにおいの強い三角縁神獣鏡という、2つの政治的意味合いの濃い遺物が出土したことにより、吉備と畿内の2つの文化の統合された葬送儀礼の最古のすがたですという。
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瓢塚古墳の半分の大きさとしても、このような小さな山にしてはかなり目立つ大きさのはずと思いながら歩いてみたが、全くわからなかった。
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中には51号墳の竪穴石室に似たものもあったが、もう1つの前方後方墳50号墳なら埋め戻されているだろうなあ。とすると横穴式石室の蓋石がなくなったものだろうか。
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そういえば養久山18号墳も前方後方墳の全体の姿がわからなかった。前方後方墳の全容が見えたのは、新沢千塚109号墳(古墳時代中期5世紀中葉~後半)だったが、前方部の三角形と後方部の四角形は、はっきりとわからなかった。
前方後方墳の最古のものはどこにあるのだろう。
※参考文献
朝日新聞朝刊(2008年11月2日)『はりま遺跡探訪46 養久山1号墳』
御津町製作の説明板