MONASTÈRE ROYAL DE BROU というブル王立修道院でもらったリーフレットは、マルグリトドートリシュ Marguerite d'Autriche が選んだブリュッセルの棟梁ルイファンボーヘムによって1513-32年に建立された、後期ゴシックのフランボワイヤン様式の傑作という。
マルグリトドートリシュは1480年に生まれ、1530年に亡くなった。
修道院は教会の右手に続いている。
人頭だけのものも。
平面図
リーフレットは、ブル王立修道院には3つの回廊があり、12-30人の修道士のための4000㎡もの建物がある。ルイ14世の保護下にあったこの修道院が「王立」の名をとったのは、1659年にロンバルディア州のアウグスティヌス会の修道士たちがフランスの会衆から釈放されてれたときのことであるという。
①中庭1 ②教会への入口 ③身廊 ④十字交差部 ⑤内陣の仕切り ⑥聖歌隊席 ⑦⑧⑨墓 ⑩後陣
入口から入ると①の回廊付きの中庭に至る。
回廊の天井はリプのある交差ヴォールト天井
通路には古い建物を飾っていた石材の断片が並んでいる。壁の途中から三方にリブが分かれていく。その起拱点にはそれぞれ異なる浮彫があって、ゴシック様式らしくない。
上半身は人間、下半身は長い尾を持つ動物は目覚めたばかり?
修道士
ここ
書物を左手に抱え右肩に担いでいる、飛んでいるのか
→ルピュイ サンミシェルデギュイユ礼拝堂1 外観
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「MONASTÈRE ROYAL DE BROU Chef-d'œuvre d'une fille d'empéreur 」というリーフレット