カテドラル・サンジャンの創建は古いが、修復されてゴシック様式に近い。その北側にある遺構がロマネスク様式だったのだろうか。
『Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyon』は、リヨンの司教座聖堂群は、1970年代に行われた発掘調査に続いて部分的に復元された。発掘された遺跡は、八角形の洗礼堂を備えたサンテティエンヌ(最初の大聖堂)とサントクロワ教会である。
1971年から1980年にかけて行われた考古学的発掘調査では、建物の解体に続き、1792 年と19世紀の初めに姿を消した大聖堂群の2つの教会の遺跡が明らかになった。このスペースは 1981年に考古学庭園に改築されたという。
そしてありがたいことにその平面図が記載されていた。
同書は、中世の最盛期には、重要な都市に、3つの聖なるものを荘厳するために、3つの並置された教会からなる司教座聖堂群を建設するということが行われた。
このように、リヨンでは、4 世紀以降、南から、サンジャンバティスト(洗礼者ヨハネ)大聖堂、サンテティエンヌ(聖ステファン)に捧げられた洗礼堂が9世紀に正教会に帰せられる教会に変わった。
最後にサントクロワ(聖なる十字架)司教座聖堂が建てられた。その創建年代は不明のままである。1935年に、初期のサントクロワ聖堂の後陣は、現在のサンジャン聖堂の十字交差部の下で修復されたという。
サントクロワ聖堂は現在のサンジャン聖堂の下にあるので、公園で見ることはできない。
カテドラル・サンジャン北側の遺跡公園平面図 『Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyon』より |
同書による解説
2 壁または城壁。ソーヌ川のほとりにある大聖堂群を保護するためのものl'Amphithéâtre des Trois-Gaules de la Croix-Rousse(クロワ・ルス地区のトロワ・ゴール円形闘技場)からガロ・ローマ時代の碑文が刻まれた石を再利用して4世紀に建設された
サントクロワ教会
17-20 12世紀のロマネスク様式の基礎の上に15世紀半ばに再建された
身廊より後陣を眺める。
サンテティエンヌ教会
12-15:11世紀のロマネスク様式の教会の一部
右手に16:拝廊
石畳があるので、ついついそこを通っていった。
11世紀のロマネスク期の後陣には放射状祭室も周歩廊もない、小さなものだった。
参考文献
サンジャン司教座聖堂の遺構(現在の聖堂の下にある。2000年の時点では、見学できるのは専門家だけ)
1:カロリング朝時代の原始的なアプスの遺構11世紀に二重になった
6-9:モザイクの断片、壁、柱の位置とともに、十字交差部の現在の床から2m下にある
限られた時間に適当に撮影したので、参考になるような写真がないのが残念。
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「Guide de la colline de Fourvière et du Vieux-Lyon」Edition aux Arts 2000